第687話 彼女は歪人の穴居をみつける
第687話 彼女は歪人の穴居をみつける
『精霊神官』はその昔、望む姿に自分を変えることができたという。それは、佳人のように、あるいは得夫のように。
またそれは、強力な動物の霊を自らに宿す事で、「狼」「熊」「猪」「鹿」「鷹」などの姿に体の一部もしくは全部を変えることができるとされた。
例えば、中程度の練度であれば、腕あるいは頭を「猪」等に変形させ、身体強化により強靭な腕力を得ることができる。「変身」と呼ばれる術である。
全身を動物に変化した場合、知性は人間のままであるが、人間の言語を操ることは出来なくなる。「変化の時間」は二時間程度から始まり、能力の向上とともに頻度、間隔、継続時間が伸びていく。熟練者は任意に制限なく動物の姿に変わることができた。
しかしながら、継続して動物の霊と接触を繰り返した精霊術師の中には、人間に戻ることができなくなる、或いは動物に近い性格に変化していく者も存在した。また、精霊術師が世代交代する場合、親から子へ、子から孫へ動物の霊が引き継がれていくこともあった。
精霊術師の能力のない者が親から霊を受け継いだ場合、不完全な「変化」を発する場合がある。自身の意思に関係なく、あるいは、興奮や精神的不安によって獣化する場合がある。また、代を重ねるごとに精霊術師としての知識・技術を喪失し、「変化」だけを隔世遺伝させるように時代が下るごとに起こすようになった。
それでも、知性に恵まれ自身で「変化」をコントロールできる子孫は、身体強化の魔術に優れた「戦士」「狩人」として活躍する事も出来たが、そうで無い場合、「人狼」として不完全な「変化」と、精神的な不安定さ、獣性の発露により、「悪魔憑き」「魔人」として討伐される事もあった。
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翌朝、『歪人』の死体を土魔術で作った穴に落として襲撃の痕跡を消す。明るくなり死体を改めたところ、確かに人間であった。とはいえ、健常な人間とは言えない。栄養不良なのだろうか、あるいは遺伝的形質なのか背がかなり小さく胴と頭は人間の少年程なのだが、手足が極端に短い。本来の小鬼よりも動きが鈍いのはそのせいだろう。
「きもいですぅ」
「ですわぁ」
明るい場所であれば、フレイルを振るにも一瞬たじろいだことだろう。ルミリは観なくて良かったと口にする。確かに、歪んだ顔は威嚇するに十分な効果があるだろう。街の破落戸が顔を顰めて脅すのと同じだ。
「数は十八ありました」
「半数弱ね」
「逃げ行く先に、途中で息絶えているのもいるでしょう」
彼女は足や腕を斬りおとした。止血しなければ、途中で失血死するほどの傷である。おそらく、点々と森の中に死骸が巣穴に向けて残っているだろう。
軽く食事を済ませ、馬車に残る組と、巣穴を襲う組とに分かれる。
「あなたは残ってマリーヌと二人の護衛をして欲しいの」
「……承知しました」
巣穴討伐に参加を希望する灰目藍髪だが、水魔馬を連れて行くのはあまりよろしくない。気配隠蔽ができないので、『歪人』に見張が居れば気が付かれてしまうだろう。それに、水魔馬と残れば、相応の戦力がなければ相手にもならない。リリアル生三人と水魔馬であれば、十数人規模でも完勝できる。
「さほど時間はかからないので、昼前には戻ります。今日は宿でゆっくり休みましょう」
「「「はい」」」
流石に今日は体を洗いたい。血の匂いが染みついた気がするからだ。
「それで、あなたは同行したいのね」
「ああ。最後を確認したい」
人狼狩人の『ルシウス』が彼女に同行を申し出たのだ。
『猫』が先行し、その後ろを彼女と伯姪、茶目栗毛にルシウスが追走する。小走りだが、全員が身体強化をしているので速度は馬の並足ほど。それを林間で何ら躊躇なく行えるのは、日頃の鍛錬の賜物。それに、狩人のルシウスが驚く。
「王国の冒険者というのは凄いのだな」
「凄いのは私たちだから。結構優秀なのよ私たち」
伯姪の言葉になるほどとルシウスが頷く。冒険者が存在しない連合王国において、それがどのような存在なのか、人狼狩人は理解できていない。
「聞いても良い」
「何でも聞いてくれ」
伯姪はルシウスに「彼奴らは知り合いなの」と端的に聞いた。ルシウスは言葉を選び答える。
「全員ではない。『親』は、元幼馴染の夫婦だ」
「……夫婦……」
「ああ。あれは全員同じ血族の子なんだ」
あまり考えたくないのだが、同じ親から生まれた兄弟姉妹の間で子を作ると同じ形質が重なり、良くない……例えば顎がドンドンしゃくれるといった問題が現れるという。貴族王族では、領地相続の関係上、身内同士が問題ない。従兄妹同士の婚姻が少なくない。叔父叔母と甥姪も無くはない。
御神子教会では近親婚扱いとなり良く思われないのだが、無いわけではない。王族同士の場合、何代か遡ればあちらこちらに親戚だらけという状態なので避けられないと言うこともある。
とはいえ、それは平民ではやはり禁忌なのだ。
「もしかして」
「そうだ。夫婦はもともと兄妹だ」
決定的に大問題である。
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その兄妹は、ルシウスとは遠縁の関係であった。近くの村に住む夫婦の子供で、ルシウスが幼いころに色々あって村を出た。兄妹でそういう関係になり村を出ていかざるをえなかったこと、元々協調性がなく、また、農作業も村での共同作業にも不熱心であった事もある。
「親に聞いたところ、むかしから変わり者の夫婦の子供と言うことで、村から孤立していたようだ。それで、両親が病で亡くなったあと、まあ、そんな感じになったと聞いた」
それは今から三十年ほど前の話であり、当時兄妹は十代前半であったと聞いている。森に隠れ住むようになった二人は、気ままに過ごし、森の中で食料を探し、近隣の畑で作物を盗み、あるいは、家畜や罠に掛かっていた獲物を奪って暮らしていたという。
たまに住んでいた村や、近隣の街や村に忍び込み盗みに入ったり、野営している商人の荷を盗んだりしてワイルドに生きていたのだという。
「俺が子供の頃には噂になっていた。一人で家にいるとピーがやって来る。夜遅く一人で歩いていれば、ピーに襲われる」
ピーとは伏音ではない。エンドウ豆のことだ。二人は「エンドウ豆」と呼ばれていたのだ。二人の名前を知る者も憶えている者はおらず、付いた名前なのだという。
やがて、子供をどんどんと産んだ夫婦は、数人で『狩り』を行うようになった。それが旅人の失踪事件の真相なのだという。
「それを見過ごしてきたのであれば、あなたも同罪なのではないかしら」
彼女の問いに、人狼は気まずそうな顔をする。そんな事は分かっていると。
「けどよ、一人じゃ追いきれなかったんだ」
「街や領主に報告したの?」
「一応な。最初のころは聞いてはくれた。けど、自分たちに直接被害がないのであれば放置された」
それで、街を出て途中で野営しそうな人には、野営せずに先の街に向かうように声を掛けたり、あるいは、具合が悪いものは狩小屋で預かり、放置しないように一人でできることをしていたのだという。
それでも、数多くの旅人がピーの血族に襲われ、命を落としたと。
「ものを奪うだけではないのでしょう」
「……ああ。あいつら……あいつらは……」
やがて巣穴の場所に到着する。どうやら、途中で力尽きた身内の死体を何人かで引き摺り巣穴に戻ってきたようだ。そこは、元は河原であった場所のようで、川の流れで穿たれた穴とその前が開けた小石だらけの場所である。少し先に川があるので、元はその川が流れていたものが流れが変わったのだろう。
石の上は足跡が残りにくい。そういう意図もあったと思われる。
「あれは」
「……やっぱり……」
木に吊るされているのは、「歪人」の死体。足を縄でつるし上げ、首を斬り血抜きをしている。あるいは、四股をバラバラにし、手慣れた雰囲気で死体を解体している。
「分かるか。あいつら、人を捕らえて喰ってるんだよ」
「「「……」」」
伯姪からはえづく声がする。彼女もそうなのだが、表には出さない。
「昔から、戦乱の時に食べるものがなく人肉を喰らうという話はありますから」
茶目栗毛が事実を述べる。とはいえ、これは楽しみとして食べるのではないだろうか。同族の肉を食べると言うことは、今は当然禁忌だが、強い戦士の死肉をあるいは脳を食べることで、その力を手に入れるという呪術の類は聞いたことが有る。
「単なる食事にしか見えん」
「事実その通りでしょうね」
穴の周りで作業している者は十数名。中にも何人かいるだろう。
「あなたの知る『親』はいる?」
「いや、巣から出てくることは滅多にない。それに、あの穴は何箇所か逃げる先があるんだ。だから、穴の中に逃げ込まれたら、どこか逃げ出すか、あの中で襲われることになる」
それだから、いままで一人では討伐できなかったのだとルシウスは述べる。
『猫』が戻って来る。
『主、抜け穴の場所、全て確認してまいりました』
「御苦労様。これで、逃げ道を塞いで討伐できるわね」
どうやら、水源である川の近くへの穴と、上に逃げる穴とがいくつかあるようで、川への穴以外は這って出るような狭さであるという。それでも、旅人から奪った道具で掘ったらしく、ゴブリンの穴よりもよほど良い出来だという。
「ちょっと行ってくるわね」
何をするのかと戸惑う人狼をよそに、彼女は『猫』の案内で抜け穴の場所を全て『土魔術』で塞いで回った。穴は換気口の意図もあるので、これで洞窟の奥は徐々に空気が悪くなるだろう。
一通り抜け穴を潰して、小鬼どもが宴でも始めようとして盛り上がる様子を確認し潜伏している穴の前を俯瞰する位置にある高所へと戻る。
「お疲れ様です先生」
「様子は」
「盛り上がってるわ。良いところの肉の取り合いね」
元は親兄弟かあるいは従兄妹甥姪の死体だろうが、そんな事は死んだら関係ないのだろう。火は起こせるらしく、木の枝に刺した串を地面に刺し、魚を焚火で焼くように肉を焼いている。あるいは、石を組んで囲炉裏のように加工した場所で火をつけるのだが、恐らく風が通らないのでよく火が付かないのか怒り暴れているようにも見える。
「あれが、精霊魔術師だか精霊神官の末裔ね」
「色白のゴブリンにしか見えないけどね」
横で、人狼狩人が顔をしかめる。
「そう生まれたくて生まれたわけじゃない。俺の両親は、人狼になれなかったし狩人でもなかった」
両親は街では「治癒術師」として知られていたのだという。いわゆる、在野の「医師」にあたる。けがや病気に効果のある薬草や鉱物などを採取し、あるいは、動物の油脂などを使って軟膏を作り人々に施す。金銭の対価だけでなく、肉や野菜、手織りの衣類などでも受け取った。
人狼にも多少その資質はあるのだが、土の精霊の祝福か加護により、薬草類が容易に見つけられ、その調合にも恩恵があったのだろう。少なくとも、とても柔和で、周りから愛される人たちであった。
元は「ピー」の村に住んでいたのだが、周りと異なる資質を敵視する村人に嫌気がさし、夫婦でドゥンの街に引っ越したのだとか。今でも親戚がその村にいるが、ずっと疎遠なままであるという。
「精霊神官は精霊魔術師であり、祭祀を司り、部族の統治を担い、戦争では指揮官として振舞ったと聞くわ。それに、民を癒す術も備えていたというから、その一部がそれぞれに出たのでしょうね」
火の玉を飛ばすだけが魔術師ではない。事前の情報収集や攪乱、それに敵の飲料・食物に毒を仕込むことで体力を失わせるなど破壊工作も行う。当然、重要な指揮官の暗殺などもそこに含まれるだろう。精霊の力を借り、動物の力を身に宿し、戦争指導を行う。そういった先住民の指導者が『精霊神官』という存在なのだろう。
だが、あれは一体何なのだという疑問が彼女に浮かぶ。
『まああれだ、支えるべき民がいなくなれば、王国の貴族だってただの狂人になる。身に余る力を使う目的がないんだからな』
『魔剣』の言葉が腑に落ちる。吸血鬼などはその典型だろう。自らの力を高める欲を際限なく望む。人間に寄生している存在が、人間の支配者になろうなどとは、片腹痛い。
それを矮小にした存在がピーの血族なのであろう。大した欲ではない、恐らく、恐れ慄き、泣いて許しを請う弱者を甚振り殺し、その肉を得る。原初の全能感を感じる。そんなものだろう。
何も、ドルイドの末裔でなくとも、農家出の次男辺りが傭兵となり、やがて山賊盗賊になって感じる仄暗い喜びなど、似たようなものだ。
「さて、殺し尽くしましょうか」
伯姪の言葉に茶目栗毛が頷く。
「そういえば、主犯というか親玉は出てこないのかしら」
「あの辺りにいるようです。穴からは出てきませんが」
微妙な魔力持ちが入り口近く、日の入る場所だが今の位置からは見えないところにいることを魔力走査で確認したと、茶目栗毛は彼女に伝えたのである。