第682話 彼女は漁村に上陸する
第682話 彼女は漁村に上陸する
北外海に面した漁村『ケッグ』は、百年戦争の終わりから五十年ほど前まで、羊毛の輸出港と漁港として栄えていた。海に面した元の港の前には、自然にできた砂の防波堤のような洲が存在しており、その砂堤によって波から守られていた。
今から四十年ほど前に洪水被害があり、元の街は破壊され、今では内陸に入った場所に集落が移動している。洪水の結果、海に面した草原が広がるようになり、羊の放牧地として利用されているのだが、人より羊の多い「村」と言える。
珍しい魔導船にも大して騒ぐことなく、巡礼の一団で賢者学院へ向かう一行と知ると、ケッグの住人は特に気にする事もなく野営地の場所を教えると去っていった。
「何もない場所ね」
「でも、平和そうな村だわ」
その昔は、入江の民の襲撃を受けることもあったであろうが、今は昔の話である。半農半漁の村であり、定期的に羊毛を乗せた船がネデルに向かう為に立ち寄るくらいの変化のない場所だ。だが、それがいい。
彼女個人としては、こうした鄙びた場所で、ゆっくり時間を過ごすことを望んでいたはずなのだが、今となってはそれも叶わない。代官の村を護らず、逃げ出していれば今頃は王都のどこかで若いお母さんをしていたかもしれない。
「私たちには程遠いばしょなのですぅ」
「ですわぁ」
平和の陰で、その平和を護る為に働く人がいる。彼女はそういった存在であり、リリアル生皆がその範疇である。どちらの人生でも選び直せるとしても、やはり彼女は今と同じ人生を選んだと思うのだ。
「毎日ニシンかタラの料理じゃ飽きるでしょう?」
「あなたは、魚料理に一寡言あるニース育ちですもの。私は……」
ニシン・タラ・サバのローテーションは嫌かもしれないと彼女は思うのである。
『ケッグ』では、とある噂を耳にした。北に向かうということで、その途中で『人狼』に行商人や旅人が襲われたという噂を耳にしたというのである。恐らくは、村を訪れる行商人か、船乗りの伝聞なのだろうが、人狼とは穏かではない。
どこかの守備隊長は『狼人』であって、人狼ではない。
『昔は王国にもよく出たんだぜ』
『魔剣』が噂話に乗っかる。
『人狼』は吸血鬼の亜種と考えられるが、狼の悪霊の影響を受けた魔術師の慣れの果てとも考えられている。
修道士としての堅牢な肉体、あるいは精霊術師としての精霊魔術の行使により一定の環境において常時身体強化の魔術が発動する結果、全身に体毛を生やし、爪牙による攻撃を行う。体毛が魔力に対する抵抗を持つ魔装布の効果を持ち、爪と牙は魔銀の装備に匹敵する攻撃力を有する。
それ以外の魔術をほぼ使えないことで、魔術師然とした行為ができる吸血鬼のようにふるまう事は出来ない。人狼化した場合、身体の向上に対して、知能は幼児並みに退行するらしい。
『俺は実物と遭遇したことはねぇけど、話しとしては何度か聞いたことが有る』
それはそうだろう。王都の代官の屋敷は人狼から最も縁遠い場所である。 人狼は農村、街壁を持たない街に住み、貴族、騎士、大商人、その護衛の者たちを狩ることを『ライフワーク』としている。
また、狼の気配を感じるのか、馬を始め家畜との相性は非常に良くない。
「人狼に襲われないように注意しましょう」
「馬車で移動するのであれば、大丈夫でしょう?」
人狼は魔力を持っているので、魔力走査で接近を確認できるはずだ。それに加え、『猫』『水魔馬』『金蛙』が存在する。不寝番もいれば不意打ちは避けられるだろう。
「でも」
「ええ、この国には魔術師もあまりいないようだから」
冒険者はいない。何故なら、仕事を請負える『冒険者ギルド』はリンデとネデルとの貿易に関わる都市・港にしかないからだ。その役割は商人と商品の護衛。冒険者の魔術師の数も少ない。
先住民は魔力持ちが少なく、精霊に力を借りる精霊魔術が主であったのだろう。入江の民は身体強化に特化した魔力の遣い方が主であったようで、魔術を使うことがほぼなかった。
ロマンデ公も入江の民の一派であり、王国に間借りしていた部族の一団であるから、同じ行動様式を好む。
結果として、精霊魔術がドルイドを頂点とする先住民の世界が破壊されロマンデ公の元に支配されるようになると、徐々に廃れていったと思われる。恐らく、弾圧されたのであろう。
その結果、ドルイドと呼ばれた精霊神官はこの島において修道士となり、御神子教会の中に隠れることにした。やがて、その中から『賢者』と呼ばれる精霊魔術を得意とする修道士が先住民を中心とする平民に支持されるようになったのだろう。
父王の時代、修道院の解散に対する叛乱が各地で起こった辺り、その片鱗が見て取れる。
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百年戦争を期に、王国の半分近い領地は王領となっている。これは、長い間、連合王国と戦い、その間に連合王国に与した貴族、あるいは王家の後継争いで二派に別れて戦うなどの争乱の中で、後継のないまま伝統的な土地を支配してきた貴族の家系が絶えたことで、王家がその領地を預かり、王の任じた代官にその統治を委ねているという経緯がある。
故に、大領地を持つ公爵家がいくつか存在するものの、王国内の半数の領地は王家が統治しており、各郡や都市は代官である『子爵』が治めている。王都大学を出た地方の下位貴族の子弟が、その役割に応じ『子爵』を賜ることになるので、世襲というわけではない。
伯爵領は百年戦争以前と比較すると随分と減っている。というよりも、伯爵家断絶の後、王家が爵位を預かる。領の統治を代官に委ねるので、伯爵領はあっても伯爵は不在というパターンである。
これに対して、連合王国は内戦が三十年続いたものの、それはあくまでも王家の中での対立に有力な貴族家がそれぞれに派閥を作り参加し、幾度か闘いつつ王位を争ったという時代が続いた。しかしながら、リンデ周辺と南部はともかく、西部・北部の貴族は王家の争いに然程関わらなかった。
結果として、百年戦争以前の王を盟主とする貴族の連合体という王国では既に成り立たなくなった古い時代の貴族と王の関係が継続している。戦場になった王国は、国家存亡の危機から王家が統治者として隔絶した優位を成立させたのに対し、連合王国の王家は、百年戦争以前の王国の王よりマシだが、連合した地方貴族群の抵抗には正面から対抗するには力不足という面がある。
元々は別の国であった西部、北王国の影響もありまた、御神子教徒が君臣問わず多い北部は貿易でネデルと結びつく力も弱いので、原神子教徒もリンデや南部よりも力を得ていない。むしろ、疎外されてるとも言える。
修道院が経済の大きな役割を果たしていた地域であり、父王による修道院解散の結果、経済的にも混乱が続いている事もある。
連合王国の経済の三分の一を占めていた修道院を解散させた故に、その経済的価値を商人や都市・貿易で代替できたリンデ・南部と、できなかった自給自足的経済圏の西部・北部では立ち直りも異なる。修道院の解散から三十年ほど経つが、未だ経済は右肩下がりであるのだ。
修道院は多くの人を養い、様々な物資を生産していた。共同体であり、自給自足できる経済圏でもあった。それを破壊して、代わりになる環境を整えなかったのであるから、混乱するのは当然であるし、王家に対する懐疑も生まれる。
「というわけで、未だに各地の貴族領ごとに統治に差があると言うことね」
伯爵様が頂点で、王宮何するものぞという態である。そもそも、聖征の時代、英雄王の死により王位に就いた末の弟は、王国を王国たらしめたと賞される尊厳王に散々戦争で負けつづけ、それでも戦費を増税で集めようとした結果、勝手な振る舞いをできないように制限を掛けられた。
これを『大典』と呼ぶ。王の決定だけでは税金・軍役を集めることができないであるとか、自由都市は自由な貿易・関税を定めることができる、あるいは議会の招集義務、国法・裁判以外で自由・生命・財産を侵さないといった内容だ。
「国王の力が弱いんですわぁ」
「王国だって、勝手に税金を増やしたりするのはできないわよ。まあでも、貴族の代表や都市住民の代表が議会に集まって、国王の行動に駄目だしするような仕組みが法で定められているのは王国より厳しいかもね」
王国の場合、百年戦争で侵略を打ち払ったという信用がある。神が国を護れと国王に命じ、それを果たしたというわけだ。翻って連合王国は、一度は英雄王の弟『滅領王』により、二度目は黒王子の活躍により国王を捕縛し、王国の半分を連合王国の支配下に置いたにも拘らず、救国の聖女の登場によりボルドゥとルーン、カ・レなどの一部の都市を除き、全て取り返されてしまった。
連合王国の王家は、その存在意義が問われていると言って良いだろう。故に、貴族が簡単に離反すると言える。
女王はリンデとその周辺の原神子信徒の貴族・商人の支持を受けているとはいえ、あくまでも他に父王の血を受け継ぐ子がいなくなったからであり、処刑された元王妃である母親の存在もあり、中々苦しい立場なのだ。
「だからといって……」
「こうも、賊が出るのはどうかと思うわね」
「ですよねー」
領地を跨げば関係ないとばかりに、領境には盗賊団らしきものが街道沿いに現れるのである。
『ケッグ』から北大道の主要経路にある都市『リンダム』までは50㎞ほど。馬車で二日といったところなのだが、ケッグからこっち何度も盗賊が現れる。決まりのセリフは「通行料出せ」である。
彼女は、女王陛下から通行自由の許可証を得ている。これは、例え入場税や通行税を必要とする場合においても、女王の名のもとに免除するというものである。外交使節の一員に税を課すというのは儀礼上問題があるということもある。正直言って恥ずかしいです!!
そんなことを考えていると、路を塞ぐように木が倒されており、馬車を止めるとワラワラと長柄を持った薄汚れた男たちが十人ほど現れた。
「今回は、近隣の農民のようですね」
持っているのは草刈り用の鎌に似た『ビル』であろうか。連合王国の兵士の三分の一は未だにこれを装備していると言われる。百年戦争の頃から変わっていないらしい。
「お、おう。ここを通るのなら、税金払ってけ!!」
「「「そうだ!!そうだぁ!!」」」
襤褸布でできた目出袋を被っており、悪い精霊っぽく見えなくもない。あるいは死神であろうか。被ってる布同様、身に着けている薄汚れた貫頭衣のような服もまたぼろい。
このような農民を喰わせようと思えば、ちょっと王国でも襲おうかという気にもなる。因みに、北王国と北部の貴族は、今でも互いの接する領地を互いに襲撃し合っている。故に、精強だとか。
「貧乏っていやねぇ」
「そうですわぁ……」
最初から貧乏なら気にもならないが、赤目のルミリはそこそこ豊かであった商人の娘。その感想に重みがある。
「金のないのは首がないのと同じなどと言いますしね」
「では、首無し騎士の死霊は貧乏ですね」
珍しく、灰目藍髪が冗談を言っている。これは、緊張していない証拠か、あるいは殺意を抑える為の軽口か。
伯姪は「どうする」と彼女に確認する。明らかに農民であるし、恐喝的徴税のような事以上の悪さは考えていないようだ。
前二組は、男は殺す、女は犯してから売る、馬と馬車はもらうといった明らかな盗賊なので、そのまま天の国にご案内してあげた。今頃、喜んでいるだろう。え、地獄の門が開いていた? そんなことは知りません。
「生かさず殺さずで」
「……どっちなんですかぁ」
「ですわぁ」
つまり、いい感じで半殺しということである。余所でやられた仕返しというわけでもないだろう。基本、農民は自分の所属する村から簡単には離れられない。行商人にでも聞いた他領の話を真似したのかもしれない。
彼女は、灰目藍髪に指示する。水魔馬に撃退させよと。
「はは、こりゃいい馬だぁ!!」
「「んだなぁ」」
既に自分のものにしたかのように蒼みがかった黒い馬格の良い馬を何人かが囲んでいる。
「おい! 金めのものは全部おいてけ!!」
「そのマントも寄こせェ!!」
追剥になりつつある。彼女を始め、全員が無抵抗なので、脅せばどうとでもなると考えたのか、乞汚いおっさん達が次第に図に乗って来る。が、ここまでである。
「ぎやああぁぁぁぁ」
「な、なんだこりゃあぁぁぁ!!!」
気が付けば、おっさん達の二本の足首を紐で括るように水草が締めあげている。藻掻けばバランスを崩してそのまま地面へと倒れ込む。近づいてくるのを水魔馬は待っていたのである。
――― 『水球』×10
水魔馬の頭上に十の水球が浮かび上がる。そしてそれは、一回り圧縮された華夏のように小さくなり、今一度さらに小さくなる。
――― DANN!!×10
おっさん達の額、顎や蟀谷を狙いすましたかのように、クルミ大の大きさとなった水球が一斉に貫いた。
崩れ落ちる汚いおっさん達の群れ。
BURURUNN!!
どうだぁ!! とばかりにいななくマリーヌ。
「これはすごい戦力よ!!」
「恐れ入ります」
伯姪が惜しみない賛辞を贈る。
飼主? である灰目藍髪が伯姪の賛辞に頭を下げる。騎乗したままこの攻撃ができるのであれば、騎士としてかなり活躍できるのではないかと彼女は思うのである。