第666話 彼女はリンデを出帆する
第666話 彼女はリンデを出帆する
「多少お手伝いは出来ると思いますよ。よろしいですかヴィ」
『まじかぁ、助かる』
この数日の旅程の中で、『魔剣』はビルから「人化」について教導を受けることになった。今だ経年不足であろうが、先達の指導を受けておけば、人化の時に、スムーズに変化できるようなのである。
リンデを流れるテイメン川にまだ薄暗い早朝、魔導船を出し、流れに乗って川を下るオリヴィとリリアル一行。魔導船も外輪を動かさなければ、変な形の少し大きな川船に過ぎない。明るい間、川を下る分に魔導外輪を使用する必要はあまり無いので、今は流れに乗って川辺の景色を堪能している。
「テイメン川の何が良いかと言うと、タラスクスが出ないところね」
「大抵でませんよそんなものぉ」
「ですわぁ」
この中で、タラスクス討伐に直接参加したのは彼女と茶目栗毛だけだ。薬師娘二人は、その当時本当の薬師であり、兎馬車の馭者として帯同したので、討伐には関わっていない。遠征には参加したが、戦力ではなかった。
「タラスクスというと、南都に現れた下位の竜種ね」
「竜殺しの名をもたらした六足の魔物ですねヴィ」
タラスクスの外見は鰐に似ていた。恐らくは魔鰐が竜になったものか、あるいは魔鰐に水の大精霊がとりこまれたものだろう。御神子教の布教とともに、それ以前の精霊信仰が失われ、力を失った大精霊が魔物に取り込まれその力となった可能性は高い。
王国内では教会も精霊の存在を強く否定したり弾圧することはなくなったが、聖征の時代前後は、「異端」として強く否定したとされる。その結果、王国では泉の女神・水の大精霊を「聖母」として御神子に結び付けてしまった。
王国内に数多くある「聖母教会」は、御神子教と水の精霊信仰が結びついたものであるといえる。とはいえ、全てが祀られたわけではない。それ以前に「神」として強い力を持っていたものが信仰を失った結果、魔物化して「ラ・マンの悪竜」のようになったり、教会の司教に説得され、山奥の湖に潜んでいたりしたのだ。
「竜の伝説は連合王国の海・湖に数多く残されていますし、それを討伐した英雄が『聖人』として祀られているようです」
「ものしり」
「ものしりですわぁ」
茶目栗毛が連合王国の『竜』事情について話を加えた。姦しい!!
「湖西王国のあった地にも竜の伝承が多いみたいだし、王国との対岸の海沿いの地方にも海竜が沢山記録として残されているわ」
「……行かなわいよそんなところ。まして、竜討伐は統治者の仕事ですもの」
「でも、依頼が有ったら参加するでしょ?」
オリヴィの言葉に彼女は「うけません」と強く否定する。吸血鬼は放置すれば増殖し、連合王国やネデルを通じて王国に侵攻するかもしれない。アンデッドの群れに襲われるのは一回で十分だ。
「それに、竜と言うのはその場所に強く根付いた存在ですもの。余所者が手を出すべきではないでしょう」
「そうかな。だいたい、遍歴の騎士とかが困っている村人に頼まれて討伐に向かう話が多いじゃない?」
リリアル生は遍歴の騎士ではないし、そもそも、その話自体が統治者が明確でなかった大昔の話ではないのか。
「今の連合王国には、沢山の大砲を積んだ軍船が世界の海に向かうほどいるのですもの。それが竜を退治するのではないかしら」
「「「確かに」」」
竜退治の英雄という海賊もいてもいいと思われる。無抵抗の商船の積荷を奪うばかりが仕事ではない。偶には、海軍らしい仕事をしても良いだろう。
人が歩くほどの速度で川は流れていく。
「らくちんですわぁ」
「馬車に乗ると振動がね」
遠征初参加のルミリは、多少身体強化で脚力不足を補い一行に懸命についてきたものの、体の大きさの違いでやはりしんどかったようだ。また、場所も魔装馬車であればともかく、普通の馬車は路面の振動をもろに受ける。馬も常に揺さぶられるので、内臓に負担が掛かるし尻も痛くなる。
リリアル生が王国内でいかに良い待遇であったかが思い知らされる。箱馬車など、孤児が乗ることは生涯ありえないことも珍しくないのだ。
「釣りでもしたくなりますね」
『いや、根掛かりするだろ。針を取られるだけだ』
流れの緩やかな所に魚は多く集まるので、川の中央では案外魚はつれない。むしろ、水中に沈んだ流木や岩に釣り針を引っ掛け、針を取られるか竿を折るのが関の山である。
「網で攫えば良いんじゃないですか?」
「やめてよ、魔装網が泥臭くなるじゃない!!」
「……地元の漁師に咎められるわよ。こういうものは権利が定められているのだから」
遊びとして釣りをするのは大目に見られても、網で攫うのは問題がある。川や森はその土地の領主に所有権があり、一定の税を納めてその地の住民が採取をしたり魚を獲ることを認められる。それ以外の者が魚を獲るのは違法であり、窃盗扱いになる。
親善副使一行、違法操業で検挙など洒落にならない。そもそも、調理する場所もないのだ。
「しばらくは船上で簡易食ですね」
「魔導具で煮炊き位できるわよ」
魔導船は揺れも穏やかなので、川程度であれば問題なく調理できる。暖かい飲み物やスープくらいは作れるので、パンとスープ、お茶くらいは口にする事ができるのだ。
「リンデで購入した菓子類もあるわ」
「……砂糖塗れですねぇ」
「高級なのですわぁ」
神国は内海の領する島や一部新大陸で、砂糖の栽培を拡大しているが、暑い地方での栽培が主であり、連合王国では完全輸入品だ。とはいえ、砂糖を摂取することで体力を回復することができる「ポーション」的な効果が認められ、苦いポーションよりも甘い砂糖に貴族や富裕層が群がった。
結果、王都はさほどではないが、リンデでは女王陛下の嗜好もあり、砂糖をたっぷり使った菓子が大人気だ。砂糖は体に良いと、砂糖菓子ばかりを口にする君主の影響らしい。
「体に良いんだって」
「過ぎれば何でも毒になるわよ。それは、味が良くなったり整える分には蜂蜜以外で甘味が採れるのは良い事だけれど。あなた、蜂蜜だけ舐めて健康になれると思うかしら?」
彼女の言に伯姪は首を横に振る。
「甘いものは少しだから美味しいのよね。たくさん食べたら気持ち悪くなるわ」
薬師娘二人が強く首を縦に振る。そう、その昔、試作のフィナンシェをお腹いっぱい食べたことのある二人は、今では一口程度しか口にしない。過ぎたるは及ばざるがごとしと言うことを、身をもって知ったらしい。
「そういえば、姉さんが餞別代りに寄こしたフィナンシェが沢山あるわ」
お茶受けにと出したフィナンシェ。オリヴィは嬉しそうに幾つか口にしたが、リリアルメンバーは一つで大満足であった。
『俺も喰いてぇなぁ』
「そう思うなら、人化の術を早く身に付けることですね」
『魔剣』の先生は優しく言うが、中々に厳しいようである。
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人の歩く程度速さの流れ。とはいえ、河口までは50km以上ある。また、海の満ち引きで流れが遡行し、リンデ橋の橋げたにその遡行した流れが当たり、上流からの流との間で大きな渦を巻く時間帯がある。
川沿いには水車を利用する堰が沢山設けられており、その開閉に影響を受けることもある。故に、すいすいと進む事が……できないはずなのだが、魔力でゴリ押しするのがリリアルの基本。
「……下から見上げて指をさされていますよぉ」
「……旅の恥は掻き捨てというのではないかしら」
無理やり魔力壁を形成、その上を滑るように堰の上を越えて魔導船が進んでいく。リンデから離れた場所であるし、魔導船の方が伝令の騎馬より進みが早いはずだ。
それと、途中で妨害する戦力が拠点に戻るのはさらに時間がかかる。一旦報告し、改めて指示を出す。吸血鬼なら全力疾走で戻れるかもしれないが、帯同した普通の傭兵はそこまで速やかに移動できない。数日は帰還までかかるはずだ。その間に、ケリを付ける。
「魔導船がネタバレしたら、対策が面倒になるわね」
「魔導戦馬車で吶喊という手もあるのだから、問題ないわ」
魔導馬車に魔装布を内張した箱馬車を「戦馬車」という。暗殺者養成所に持ち込んだそれだ。魔装馬鎧を装備させた馬で牽引させて馬車から魔装銃を乱射しながら強引に突破する選択も悪くない。
なにより、強行突破なら参加したい人間がさらに増える。ジジマッチョとか姉とか。
「今回は、オリヴィの依頼を達成して『賢者学院』に向かう事を考えると、これが最善だと判断しただけよ」
「そうそう。いや、楽ちんだよねこれ」
オリヴィも川を船で下ることをするが、土夫の技術で作られた魔導外輪のように自在に動く推進器がない。それに、基本単独行動のオリヴィであれば、暗視も出来るので夜中でも身体強化して移動することに何ら痛痒を感じない。
「か弱いので、道具頼りで生き延びなければならないというだけです」
「ふふふ、か弱いリリアル生を護る為でしょ? 姉妹揃って過保護よね」
彼女は心配性であり、彼女の姉は過干渉なだけである。過保護ではない。
日がかなり傾き、そろそろ夕方。海が近くなったのか潮の匂いが強くなってきた。川の幅も広がり、川岸には湿地が広がってきた。
「ネデルもこんな場所があった気がするわ」
「ああ、北の方に行ったときですね。魔鰐が出たとこあたりでしょうか」
魔鰐には苦い思い出がある。オラン公の弟の一人が戦死した。その相手は恐らくネデル総督が雇った魔物使いの使役する鰐の魔物。
「また出たりしませんよね」
「さあね。ネデル総督から雇われたのであれば、この辺りにはいないんじゃない?」
「ですよねー」
とはいえ、水辺は竜種・亜竜種の魔物も多く、さらに言えば、川と海の合流点であれば、その両方に住む魔物や精霊がいてもおかしくない。
ネデルとその対岸に当たるこの周辺は、共通する魔物も少なくない。
「出るとすれば、水魔馬あたりでしょうね」
「あー なんかきいたことありますぅ」
オリヴィの言葉に碧目金髪が胡乱げに答える。
『水魔馬』とは、水の精霊あるいは魔物であり、小さな子供を水辺から水中に誘い込んだりしてとり殺す事もある危険な魔物だ。地方によっては吸血するとも喰い殺すとも言われる。
姿は水でできた黒・あるいは白馬のような上半身に、海豚か海獣のような尾びれがついているのだ。大きさも様々で、恐らく大きさを魔力量で変化させるのではないかと思われる。
人に懐くことはまずない。例外はとある馬具を付けた場合のみ使役可能なのだという。
「女性を働き手として人に化けて誘いだし攫うという話もあるわね」
「人攫いですわぁ」
「何しろ碌な物ではないようね。でも、水辺にでるのであって、川の真ん中にはでないわよね」
「ええそうね」
そんな話をしていると、大概魔物と遭遇するのである。
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何かが追って来ると茶目栗毛が言う。船の航跡の中に、何やら浮き沈みしながら接近してくるものがある。
「なんでしょうか」
「速度を上げて振り切るにも、相当早いわね」
振り向きざま、みるみる追いかけてくる水面の盛り上がりを目にして、彼女はその操舵を茶目栗毛と交代する。
「あれ、もしかして」
「水魔馬がでたかもしれませんね」
オリヴィとビルが先ほどの話に出たケルピーではないかと指摘する。が、その姿は馬のように見えない。
「ケルピーと言うのは水の精霊が魔物化したものみたいね。私たち、水の精霊との相性が……」
「ヴィは土と風、私は火の加護を持っているので、水とは相いれません」
精霊の加護持ちの中で、加護を複数持つ者は更に加護を得ることはかなり難しい。そして、火・炎の精霊の加護と水の精霊は相容れない。まだ、水の精霊の祝福持ちであるリリアル生の方がましなのだ。
ZABANN!!!
航跡の中から飛び出したのは、何かの塊。絡み合った草……いや水草・藻であろうか。そこから、馬のような顔が見て取れる。
オリヴィが早口で珍しくまくしたてる。
「さっき、言いそびれていたんだけど、ケルピーってね、水の精霊であって、物に擬態するのが得意なの」
曰く、女性には男性、男性には女性や悍馬のように心を揺さぶるもの。そして、水に引き込むのは水草の力。
つまり、どこかの学園の庭に植え替えられた『喋る草』に似た存在であり、より本能的に人間を取りこもうとする、ある意味寂しがり屋のやや狂気に駆られた水の精霊の慣れの果て……といったところなのだという。
「だからって……」
「追いかけて来るなら、他の船だってあるでしょう!!」
残念ながら、精霊は若い女が好きなものが多い。この船には五人の若い女性が乗っている。
『人に化けられるようになると良いよな』
『魔剣』の関心はあくまでも人化である。
【新作投稿しました】
『魔女狩り』を狩る魔女
です。下のリンクから飛ぶことができます。妖精騎士の物語本編開始から20年後のお話です。
主な舞台は帝国西部になります。よろしければご一読ください。
この小説のURL : https://ncode.syosetu.com/n4763ih/
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