第661話 彼女は灰色乙女に吸血鬼について聞く
「傭兵隊長が吸血鬼ってどうなのよ」
「まあ、趣味と実益を兼ねたってところでしょうね」
修道騎士団にしても駐屯騎士団にしても、最終的に戦場を失い吸血鬼の隠れ家としては成り立たなくなっている。ちなみに、駐屯騎士団は、殖民活動を行う前には、大原国南部からベーメン、そして大沼国に支部を建設していた。これは、サラセンと闘う最前線であると考えられたからだ。
とはいえ、東方教会の信仰を護る住民が多く、名目上教皇庁の直下である駐屯騎士団の活動は、現地であまり受け入れられなかったのである。
戦場を求めて移動するのに、聖騎士団よりも傭兵が向いているのは今日では明白であるといえる。異民族・異端が徐々に失われた結果、より戦場に出る機会の多い『傭兵』に吸血鬼が多く参入するようになったのだという。
「では、法国の傭兵にも吸血鬼が少なくないのかしら」
「いいえ。法国の傭兵は、貴族の大半が都市の富裕層・商人からの成り上がりのため、貴族の務めを自身の武力でなく武力を雇う資金の提供により務めるようになった結果だから、戦場で殺し合うような機会があまりないの。異教徒・異端相手の戦争でなければ、吸血鬼の傭兵の出る意味があまりないのよね」
都市を包囲するだけで、実際の野戦や攻城戦を行わないのであれば、吸血鬼の求める「魔力持ちの魂」を得ることができない。
「百年戦争の時はどうだったのでしょうね」
「さあ。神国でサラセンとの闘争があったでしょうし、駐屯騎士団が東外海での聖征を行っていたから、そっちで十分だったんじゃない?」
とはいえ、貴族・騎士の多くを失った当時の王国からすると、連合王国側の軍あるいは傭兵の中に、吸血鬼が混ざっていたとしても全くおかしくはない。北王国あるいは、レンヌに逃げ込んだ修道騎士団の残党の中にいた吸血鬼が王国で暴れ回った可能性もありえる。
『騎行』と呼ばれる非武装あるいは防護施設を十分に備えない街や村をおそい、殺戮と略奪を行う行動は、吸血鬼の活動を隠す良い方法であったといえる。
長弓兵によりや傷を受けた騎士や兵士を吸血鬼が襲っても、その出血や傷の出来た理由を誤解させることができる。「ああ、矢傷か」と。
「それでは、ネデルにおいて吸血鬼は総督府ではなく原神子信徒側についているということなのかしら」
オリヴィはネデルの幾つかの都市を訪問し、それとなく探りを入れ確認した上でそれはそうではないという。
「双方に良い顔をしている……どちらの味方でもなく利のある行動をとっていると言えば良いかな」
原神子信徒の教会に出入りし、或いは『牧師』になりすまし、集団のまとめ役となる。目的は魔力持ちの魂を得ること。あるいは、自分の配下とする優秀な吸血鬼の隷属種候補をさがすことにある。
「それで、ある程度獲物が吟味できたところで総督府の異端審問所に通報するなり、捜査させるのよ。その過程でその教会の信徒はちりじりになるから、そこで魂を奪うなり、異端審問の処刑にかこつけて魂を得ることを思いついたみたい」
「じゃあ、異端審問っていうのは」
「意趣返しじゃないかと思います。修道騎士団の最後の総長はそうやって処刑されたことになっていますから」
ネデルや神国での異端審問と処刑には、それを演出する吸血鬼の協力があったということになる。確かに、一年ほどで数千の貴族や富裕な商人を異端審問にかけたことは少々異常であると考えていたが、吸血鬼たちの仕掛けであるとするならば理解できなくはない。
「けど、吸血鬼と総督府が手を結んでいるというのは理解に苦しむわ」
「表立って吸血鬼として振舞うわけではないから。あくまでも、総督府に協力する役人や軍人、あるいは商人といった立場でかかわっているのよ。だから、ネデルは『巣』であるとも言えるわ」
そこにある人間統治組織を利用し、自分たち吸血鬼の餌を運ばせる。共生あるいは寄生していると言えば良いだろうか。
「とはいえ、もうネデルで主だった魔力持ちの原神子信徒はオラン公と共に国外へ離脱するか、あるいは海上に逃げ出しているから、新たな狩場が必要になるというわけ」
『乞食党』と揶揄されたネデルの原神子信徒の有力者たちは、国外か海上、すなわち船にのってネデル周辺の海上で活動するようになっている。これは、ネデルの総督府側についているあるいは神国の輸送船に対する海賊行為を行う私掠船乗りに活動の場を移したことを意味する。
『吸血鬼は水の上を渡れない』とする忌避意識を利用した逃げ場所でもある。
「それで、今度は連合王国の中で活用しようと、ノルド公の配下の傭兵団を根城にしたというわけですか」
「そう。で、この話をリンデの有力者経由で女王の側近たちに伝えた結果、詳しく話を聞きたいという事で訪問したわけ」
王国とネデルを行き来しつつ、最近はこの事を調べ『依頼の押売り』のタイミングを計っていたのだという事だ。
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冒険者としての活動の中で、『吸血鬼狩り』を主な依頼とするオリヴィであるが、リンデを訪れるのは初めてだという。
「それで、宿なら好きなだけここを利用してもらって構わないわよ」
伯姪が勝手に言い出したのだが、彼女も姉も恐らく異論はない。ネデルで活動するのに姉もオリヴィに相応の借りがあると聞いている。オラン公の娘マリアの救出や、支店を出した際に注意すべきネデルの商人・貴族に関する情報を提供してもらったからだ。
今回の宿泊場所提供も、その借りを返すには未だ足らないが、それでもいくらかは返す事につながると彼女は判断した。
「宿屋に泊まる方が気楽ではないかしら」
「いえ、私たちも相応に有名ですから。宿を定めれば狙われたり、何かよからぬ事を仕掛けられますよ」
ビルが答える。オリヴィが吸血鬼狩りを専門にしている事は吸血鬼の側も十分理解している。それで、定宿としている幾つかの信頼できる場所、あるいは、宿を提供してくれる知人の場所以外では長く滞在するのが難しいのだという。王国に拠点を置こうと考えているのも、その辺りに理由があるのだとか。
オリヴィが排除せずとも、王国内で吸血鬼騒ぎが起こればリリアルか王国の教会が有する聖騎士、あるいは王都の騎士団が排除してくれるからである。いい加減面倒なのだとか。
「親玉を潰してお終いってわけにはいかないのね」
面倒な相手だと顔をしかめつつ、伯姪が指摘する。
「吸血鬼の枝葉を斬り落とし、潜んでいる場所をひとつづつ潰していかないと根絶は出来ないの」
「相手は暫く休眠したりしますから。今は一番の首魁が恐らく休眠に入っていますよ」
あまりに長く生きていると、精神に異常をきたすことになる。半ば魔法生物となったエルダーリッチはその限りではないのだというが、吸血鬼は人間と悪霊寄りの精霊の中間であり、人間的な部分を抱えている不安定さもあるのだとか。
「吸血鬼は不老不死ではあるけど、活動し続けていると、徹夜を続けている人間のような状態になるみたい」
人間は三日四日は寝ずとも死なないが、それが続けば頭の中が破壊されあるいは体の異常をきたして死に至る。吸血鬼のそれは、百年ないし二百年のサイクルで訪れる休眠期をもうけることで解消していると考えられている。その間は安全な場所で「棺桶」に収まり仮死状態となっているのだとか。
「皇帝の妹もおそらくあと五十年くらいすると休眠期に入るでしょうけれど、今は鳴りを潜めているだけね」
二十年ほど前に姪に役割を譲り、自分は修道院へと入ったのだという。理由は加齢によるものとされたが、それは表向き。総督府でいつまでも元気に活動していたらそれはおかしいと誰もが気付く。ある程度のところで生活拠点を変え、あまり長い間同じ場所にいないようにする必要がある。
一つは老化しないことを不審に思われない為。今一つは、吸血鬼の求める魔力持ちを狩りつくさない為でもある。街一つ吸血鬼が一体で滅ぼす事は可能だが、目立って仕方がない。
『枯黒病』の流行によるとされている街や村の壊滅のうち、それなりの割合で後先考えない隷属種あるいは低位の従属種による殺戮劇であったと推測されるのだ。
百年戦争の時期と、『枯黒病』の流行は一致する。その結果、戦争が中断された事もある。
最初の流行は、修道騎士団の壊滅から約五十年後。法国から王国南部で広まった。やがて、あっという間に王国・帝国・神国・連合王国とその周辺へと広まっていく。
人口が半減し、多くの村や街単位で全滅することが有ったとされているが、潜んでいた吸血鬼たちが軌を一にして暴れたという事もあるのだろう。
「これは、私の生まれるずっと前の事だから、師匠からの伝聞だけどね」
「師匠……ですか」
オリヴィの師匠とは、故郷の村で錬金術や薬師としての仕事、あるいは精霊魔術を教えてくれた『得夫』の女性であるという。エルフは非常に長命な種族であり、人間と関わることがほとんどない。オリヴィも暫くは再会できていないのだという。
「エルフ……御伽噺みたいね」
「土夫がいるんだから、得夫もいるんじゃない?」
海を越えた地に移り住んだとも言われる先住の種族。争いを好まず、人と似た背丈でやや細身。弓を得意とし精霊魔術を良く使い、自然との共存を求め森に住まう。
それに学んだ者たちが「ドルイド」と呼ばれる賢者を頂点とする先住民たちであるとする説もある。が、先住民も得夫もすでに遠い彼方の存在だ。
彼女は宿を提供する代わりにある情報を提供してもらおうと考えた。
モノはついでだ。
「吸血鬼に幾つか位階があるのは分かりますが、今まで対峙した多くの種は『従属種』あるいは『隷属種』でしかありませんでした」
聖都周辺で遭遇した吸血鬼は、喰死鬼とさほど変わらない、あるいは、オーガと同程度の能力であった。吸血鬼化したことで人を越える能力を得た万能感からか、あるいは、それまで力の差を見せつけ人間を蹂躙して来たためか、戦い方は力任せ、装備も人のそれと変わらず、魔装・魔銀の剣だけで討伐は問題なかった。大塔のそれは『貴種』らしくなかったが。
しかし、経験と人間として得ていた能力を有する上位の吸血鬼は、『竜』に匹敵する脅威度を持つとも聞く。『吸血鬼狩り』を専門とするオリヴィにその辺りを改めて確認したかったのだ。
オリヴィは「良い質問ね」といい、どこから話したものかと暫く考える。
「身近なところから。今回、派手に活躍したかに見えたリッツ・ゼルトナーこと『ウリッツ・ユンゲル』だけど、あいつは『貴種』になりたての部類ね」
『貴種』となる基準は、魔力持ちの魂を千個以上吸収した者を示す。
この魔力持ちの魂により、吸血鬼は様々な能力を発揮する。
「再生能力、人を越える力、或いは、姿を変え動物……狼や蝙蝠、もしくは霧などに変えることができるようになる」
「それは、どのレベルで変わるのかしら」
「『貴種』になると大きく変化させることができるようになるわ。従属種は貴種に近づくほどになれば狼や蝙蝠には変化できる。隷属種は全く無理で、不死性と若干の再生能力、力も元の魔力に応じたものだから、魔力の少ない者が吸血鬼になった場合、大した力はないわね」
人間の魔力持ちが、魔力量を増やす訓練で魔力を増やす事ができるのに対し、吸血鬼の魔力量の増大は獲得した魔力持ちの魂の持っている魔力量によるものだという。
「だから、あなたやアイネはとても美味しい相手になるのよ。吸血鬼も魔力量の少ない者よりも多い者の魂が欲しい。けど、魔力量の多い人間は、大抵強いから、余程強力な吸血鬼でなければ手を出してこないわ」
それはその通りだろう。彼女は従属種の吸血鬼を一蹴している。苦戦したのは大塔の元修道騎士団総長の吸血鬼たちだが、聖征で多くの魔力持ちの魂を手に入れたであろうことから『貴種』としてもそれなりの上位であったのではないかと推測される。
「それで、吸血鬼は自分の身体を強化する方向にしか魔力を主に使えないのよ。身体強化と再生能力。あとは、初歩から使えるのは『魅了』かな」
『魅了』とは、相手に好意を持たせ従属させる魔術の一種だ。
「魔力量の差が大きければ多いほど簡単に掛かる。魔力の無い人なら簡単に命令を受け入れさせられるし、魔力が大きければ多いほど魅了が掛かりにくくなるわね」
貴族に魔力持ちが多く、高位になればなるほど多いものが増える理由はその辺り実のあるのではないかと彼女は考える。言い換えれば、魔力量の少ない貴族は生き残れなかったのだろうと。
これは、法衣貴族ではなく領地持ちの世襲貴族に当てはまる事だが。
「長く生きて、人に紛れて上手く生き残るには、魔力を上手に利用することにしたって感じね」
「そうかもね。あまりに力を強くする必要もないし、怪我が早く治れば魔力持ち狩りや戦闘に復帰しやすい。人を利用することを考えれば魔力差を生かした『魅了』も便利ね。あとは、面倒なら姿を変えて逃げ出すというのも休眠して時代が変わるのをやり過ごすというのも不死性を生かすには有効かしら」
オリヴィは、休眠状態の吸血鬼をまるで種の状態で長く過ごす植物のようだと表現する。植物の種は丈夫であり、山火事の後からも生き延びた植物の種が芽を出したりする。あるいは、大雨で泥の底に沈んだとしても、再び乾いた大地となれば芽吹くこともある。
不利な状況なら逃げて、時間の経過を味方にするというのも合理的だ。
「自分の配下を増やす理由も、休眠中の安全確保といった意味が強いわ」
自分が仮死状態である休眠中に、自らの安全を確保するための護衛なり見張が必要。その為に、せっせと必要十分な支配下の吸血鬼を育てるのではないかとオリヴィは考えている。
「まあでも、あいつら魔銀が苦手でしょ?」
「そうですね。ということは……」
「魔銀の装備は使えないんですよ。だから、魔力を武器に纏わせる戦いは素手でしか不可能です」
オリヴィとビルの説明に彼女と伯姪はなるほどと考える。つまり、魔銀製の装備が充実しているリリアルにおいては、冒険者組ならば確実に優位に戦えるのである。
「魔力を隠せないから、接近も簡単に把握できるしね」
「夜目が利いたりするのも吸血鬼の特徴ですけれど、夜間に遭遇戦を行う不利を考えると、わざわざ夜に出張る必要はありませんしね」
『夜目』が効くようになる魔術も存在するようだが、彼女も伯姪もそれを習得していない。オリヴィは体質的に夜目が利くので『吸血鬼狩り』では便利なのだとか。魔力走査で十分代用できる。
「それと、土の精霊と強いつながりのある吸血鬼は、『水』の精霊との相性が悪いので、人間であるとき得た加護や祝福も消えてしまうし、『風』に関しても加護は祝福まで劣化するわ」
魔力量を魔力持ちの魂で増やす事ができても、使える能力は魔術としては限定的なのだという。『伯爵』が吸血鬼ではなくエルダーリッチを選択したのはその辺りにあるのではないかと彼女は考えた。