第654話 彼女は対価を求める
第654話 彼女は対価を求める
「……な……な……な……」
わなわなと震える凹鎧伯爵。周りは一斉にさっと離れていく。
「あらあら、随分と大きな音がしたわね」
「パチッとしましたぁ。空気が乾燥しているとよくなりますよねぇー」
冬などにドアを触るとパシンと小さな雷のような現象が起こることがある。言われてみれば、そんな感じかもしれない『雷燕』。
「き、貴様ら」
「始めまして閣下。王国副元帥リリアル副伯です」
「はぁ?」
倒れた従者の他、ブレフェルト伯に付き添う者がおらず、仕方がないので彼女が話しかけるしかないのである。身分が低いものが声をかけるわけにはいかない。
「それで、何用か」
「はい。その騎士は、私たちリリアル騎士団の騎士。そして、王国の騎士でもありますわ。貴方様の我儘で一度負けた相手に勝ちを譲れと言って良い騎士ではない……ということです」
この国の騎士であってもどうかと思うが、王国で国王から叙任された騎士はこの国の貴族の命令に従ういわれはないし、昨日の予選で勝負はついている。女王が喜ぶかどうかなど彼女らの知った事ではない。
「だ、だが……」
「ええ。あなたを出場させるために忖度して予選の組み合わせがなされたのでしょうけれど、それでも負けたのですからそれまでではありませんか」
「なっ……ぶ、無礼なぁ!!」
そこに、小太りの身分の高そうなおっさんがやって来る。
「しばし待たれよ。この件は、私が預からせてもらおう」
やってきたのは女王の側近中の側近、ビル・セシル卿であった。言い換えると、伯爵の身元引受人・後見人でもある。
「男爵!! この者たちでは話にならん。なんとかせよ」
「……エドワルド様。ここでこれ以上騒ぎ立てても変わりませんぞ。私に預けた方がよろしいのではありませんかな」
「……」
伯爵は大声を上げて身分で押し切る以外の方法を思いつかず、彼女にそれは通用しないと悟って黙るしかなかった。しかし、このセシル卿には何か考えがあるようだと思い、「卿に預ける」と引き下がったのである。
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「それでお話とは何か」
「……申し訳ないリリアル閣下。その、これはお願いなのだが……」
ビル・セシル曰く、確かに彼の伯爵は女王のお気に入りであり、それなりに騎士としての力もあることから、女王陛下も観戦するのを楽しみにしているのだという。
「だから譲れと仰るのですか」
「いいえ。その……エキシビジョンマッチとして、本選前に女王陛下の前で対戦していただきたいのです」
本選前の余興と言う建前で、リリアルの騎士である本選出場の灰目藍髪と、前日予選決勝で惜しくも敗れたブレフェルト伯が対戦するのだという。
「……こちらにメリットがありませんが」
「そうですな……」
ビル・セシルは、滞在中にリリアル一行に便宜を図るという。
「そうですか。例えばどのようなものをお考えでしょうか」
「可能な限り、国内でいきたいところ、見たいところを訪れる許可証を発行いたしましょう。女王陛下の御名において」
賢者学院や大学街を見学したいと考えていたこともあり、彼女はそれは好都合であると考えた。
「賢者学院を訪問することも可能でしょうか」
「勿論です。紹介状も書きましょう」
リリアルとは異なる、古くから存在する魔術師の為の学校に正式に訪問できるのであればこんな良い事はない。とはいえ、余計な魔力を消費することが明らかである対戦に、意味があるとも思えない。
「本選出場の結果は変わらないのでしょうね」
「はい。それに、一回戦は四戦目に廻すようにいたします」
三試合で一時間半から二時間は余裕がある。ならば、魔力の回復もある程度可能となるだろう。
「馬の疲労を考えると、馬上槍と馬上剣を除いていただけますでしょうか」
「……徒歩剣だけでとお考えですか?」
「エキシビジョンでも落馬すれば大怪我します。剣であれば、ある程度防具も充実しておりますし、怪我もしにくいと考えるので、それであれば……」
彼女は灰目藍髪に目を向けると、小さくうなずくのが見て取れる
「エキシビジョンは徒歩剣のみであれば承知いたしましょう」
「あ、ありがとうございます」
「こちらこそ。紹介状含め、お約束はお守りくださいね」
「必ずや」
彼女は灰目藍髪に申し訳なさそうに声をかける。しかし、灰目藍髪はむしろ、実際に新しい剣を用いて戦う良い稽古台だと答えた。
「昨日の今日で大きく能力が変わるとも思えません。同じ相手であれば、剣がどのように遣えるか試すのに丁度良いかと思います」
「それでも、魔力切れを考えると……」
「問題ありません」
鎧下に脛当・胸当を付けた状態の灰目藍髪は、新しい剣を掲げてみせる。
「まあ、負けてもエキシビジョンだし」
「甘いですよぉ。絶対、リタイア狙いでズルしてきますぅ」
「それも踏まえて、片付けて欲しいわね」
碧目金髪、姉の影響……薫陶を受けただけの事はある。エキシビジョンでも大怪我をすれば例え負けたとしても伯爵が代わりを務めて本選出場という可能性もある。
「何をしてくるかね」
「まあ、ズルと言えば……」
「お金があれば何とでもなりますから」
魔銀製の防具は可だが剣は不可のはずである。エキシビジョンだという理由でそれをこっそり使うということだろうか。確かに、高位貴族であれば魔銀製の装備も用意できる。
「大丈夫です。剣を合わさなければ、どうということはありませんから」
そういうと、灰目藍髪は任せてくださいと右手の拳で左の胸をトンと叩いた。
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面倒なことになったと彼女は思うと同時に、エキシビジョンで徒歩剣の戦いを一戦先にこなせることを良い事であると考えることにする。
「大丈夫かしらね」
「大丈夫ですよ!!」
「大丈夫ですわ!!」
「……何で二人とも自信満々なのかしら……」
いま彼女と伯姪は、観覧席に座っている。中央には女王陛下、その両脇に二人の王弟殿下が座り、背後の席は女王の側近たちが座る。彼女は王弟殿下の反対隣り、その横に伯姪が並ぶ。若い貴婦人が前列に並び、馬上槍試合に華を添えるということなのだろう。
この桟敷に連なるのは、女王陛下が招いた客とその連ればかり。あるいは、女王が同席を許した高位貴族と側近たちである。
「おお、二人とも早いな」
「殿下。ダンボア卿もすでに?」
「ああ。ルイの所に激励に行ってきたところだ」
シードは王国・神国の王弟殿下の側近騎士と、女王陛下の推薦の騎士、加えて、この国の大貴族であるノルド公のお抱え騎士である帝国傭兵の四人である。
「剣は大丈夫なのでしょうか」
「ルイは剣は得意だが?」
ルイダンが得意なのはレイピア。素肌剣術用の剣であり、鎧を着用した場合、とても有効とは思えない。魔銀のレイピアで魔力で斬るのであればそれには該当しないのだが、今回の細則では、防具以外に魔力を纏える装備を用いる事は認められていない。つまり、レイピアで鎧は斬れないということだ。
「……今から……」
「間に合わないでしょう」
「ぐっ……そうだな……」
馬上槍ならともかく、馬上剣・徒歩剣ともにレイピアでは勝ち目がない。今回、剣=打撃武器として使える工夫が必要であったのだが、ルイダンはそれに思い至らなかったのだろうか……アホである。
仮に、騎士の剣を用いたとしても、剣技がレイピア特化であるなら、あまり有効な攻撃も望めそうにないのだから。
「近衛騎士は日頃から甲冑を身に纏う事はあまりありませんし、このような場で闘う事も想定外ですもの。仕方ありませんわ」
「……いや、ルイも騎士学校で学ぶことが多かったと聞いている。それなりに活躍してくれると……私は期待している」
ネデルに観戦武官としてオラン公の遠征に参加し実戦を経験、さらに、騎士学校で半年、軍での活動を騎士として学んだのであるから、それなりに剣技もまなんだであろう。
「剣がレイピアでなければ良いのですが」
「……レイピアではなかったと思う……多分」
多分かよ!! リリアル勢は内心思うのである。
すると、場内に女王陛下の来場を知らせる音が鳴り響く。それを聞いて、彼女も王弟殿下も全員が起立して待ち受ける。
『女王陛下御入来!!』
侍従が先触れの如く大きな声を立て宣言する。おそらく、風の魔術で声を場内全体に届かせているのだろう。爆音ではなく、耳に煩わしくない程度の大きさで声が伝わっていく。
『中々の風の精霊魔術だな』
『魔剣』も加護持ちの精霊魔術だと感じたようだ。ドルイドのような先住民の精霊信仰の影響の強い魔術であれば、土・水・風といった精霊の力を用いた魔術は容易に使いこなせるのではないかと彼女は考える。もしくは、小さな魔術でも、精霊魔術を有効に活用しているのではないかと言うことである。
因みに、王国であれば魔導具で声を拡声するものが存在するので、それなりに広い範囲に声が伝わる。
女王は今日も遠目に分かる巨大な襟とズラを付けている。船で新王宮から白亜宮迄移動し、そこからは輿で移動しているはずである。歩くのは競技施設のごく一部だけ。警護の問題を考えても、その方が安全である。
巨大なドレスも防具の一部なのだろうが、重さも相応にあるわけで多少の魔力で身体強化したとしても素早く動けるものではない。
拍手が始まり、どうやらもうすぐ近くまで主役は来ている。
席に到着すると、場内にひとしきり手を振りやがて着席する。それに続いて、その他の来賓である彼女達も着席する。
女王陛下は、神国の王弟と一緒に入場してきたのだが、やっぱり若いイケメンが好みであるのだろうか。いや、押しなべてブレフェルト伯もそうだが、少年に近い若者が好みなのかもしれない。
――― 年齢的には母と息子なのだが。
女王陛下に向かい、馬上槍試合を開催する旨の挨拶がなされる。恐らくは侍従の一人だろうか。これも、女王陛下の従者に相応しい黒地の布に細かな銀糸の刺繍の入った衣装を身につけている。高位貴族の庶子あたりなのかもしれないが、これも風の精霊魔術を用いた良く通る声でアナウンスしている。女王の周囲には、見目麗しい若い男女の使用人ばかり……という噂は事実であることが今回も確認できている。
付き従う護衛隊も、自由農民出身の若い美青年ばかりであるから、この辺りも容姿が必須要件なのだろう。護衛隊が百人ばかりで大丈夫なのかと言う気もしないではないが。
「今日は楽しもうではないか王弟殿下、副伯」
「然様ですな陛下」
「……本当に楽しみです」
ジロラモ八、王弟殿下二、くらいの比率で会話が進んでいるのだが……
『本選開始の前に、特別試合がございます……』
案内役の侍従から、本選前にブレフェルト伯爵エドワルドと本選出場する灰目藍髪の徒歩剣による試合が行われると伝えられる。
「リリアル副伯。どういうことなのか知っているか」
「セシル閣下に頼まれたのですわ」
隠す事もないので、彼女は端的に理由を伝える。
「あの女騎士は、どの程度の腕前なのかな」
「……ダンボア卿とは騎士学校時代は剣技を競った仲であると聞いていますわ」
「そうか。では、中々なのだな」
「ほう、それは楽しみであるな」
王弟殿下が上手く話を運んでくれた。王弟殿下の側近と同程度……と聞けば、女騎士だとはいえ相応の実力者であると女王も理解してくれたであろう。
「王国は、女性騎士も優秀なのですね」
ジロラモ閣下が話を合わせてくれる。本来、神国は御神子教の原理原則に厳しい国であるので、男性のようにふるまう女性を忌避する傾向にある。その昔、男装して甲冑を身に纏った『救国の聖女』を魔女として焼き殺した理由も女が男の格好をしたことが理由の一つとされている。
王国は、救国の聖女の存在がある故に、女性騎士に対してはむしろ神聖視する傾向があるので問題ない。
とは言え、戦に敗れ掴まえられた救国の聖女が『魔女』として処刑されたのは連合王国占領下のルーンにおいてである。ここで『救国の聖女』を引き合いに出して女性騎士が王国では問題ないという説明をするのは正しくとも憚られる。お前の先祖が殺した聖女のお陰だと犯人の子孫の前で言うのは問題視されかねない。
「さては、名のある貴族の子女なのであろうかな」
女王の声にどう反応しようかと彼女は一瞬考えたが、何の脚色もせずに彼女はありのままを女王に伝えることにした。
「リリアルの騎士は、王都の孤児院で育った魔力持ちの子どもをリリアル学院という私が主催する施設で育てた者たちばかりです。中でも、彼の騎士は王国の騎士の庶子であり両親に捨てられ孤児となった者ですわ」
『庶子』という言葉に周囲の空気が凍り付く。女王もジロラモも『庶子』であるからだ。