第641話 彼女は女王陛下の訪問に驚く
第641話 彼女は女王陛下の訪問に驚く
王弟殿下を見せ札として、王国と連合王国の間に緩やかな互恵関係を結ぶ。その辺りが宮中伯の思惑だろうと彼女は想定する。が、王弟殿下には特に何も伝えない事にする。
『賢明だ』
彼女の推測に過ぎず、上手く行けば宮中伯の手柄、失敗すれば王弟と彼女の外交的失敗にされかねない。なので、チャンスがあれば女王陛下との親交を結んでおくくらいにしておくのが良いだろうと彼女は考えた。
王宮の一角を王弟殿下一行が借り受け、そこからやや格の低い一画を彼女らリリアル一行が提供されることになる。
「どうやら、私たちは長居させてもらえなさそうね」
「それはそうでしょう。これでもご厚情の賜物ではないかしら」
既に、彼女らが元男爵邸である『シャルト城館』を手に入れている事は女王陛下の宮廷も把握しているだろう。あまりな場所に宿舎を提供すれば「じゃ、帰ります」と言われかねない。格下とはいえ新王宮内の居室を提供されたという事は、親善大使一行を彼女たち含めて歓迎しているという意思表示だと思われる。
「お互い面目が立つという事ですね」
「いやー 王宮にお泊りなんて一生の思い出だー」
『王宮』に宿泊するということは、確かに庶民からすれば物語の世界の話。特に、孤児出身のリリアル生からすれば、御伽噺のようなものだろう。とはいえ、碧目金髪だけが浮かれているのは、現実主義者が多いからだろうか。
「こんなにすごい宮殿を作れば、お金も無くなりますわ」
「同感ね。王都の王宮はもっと……」
「古臭いでしょ? あるいは古ぼけている」
「南都はもっとよ。元は代官屋敷を無理やり皇太子殿下の仮宮にしているからね」
南都の代官屋敷は元城塞であり、骨董の部類だ。市街の城館も精々子爵邸程度であり、王太子が住むには相当不適当なのだが、その辺り寛容と言うか無駄な金を使わないという事で徹底している。
「王都の次は南都も再開発するんでしょうね」
「そうね。姉が当主を継いだなら、父は南都の代官に任ぜられて……」
「そのままエンドレス再開発ですかぁ」
暖かな分王都よりはマシ……と自分を言い聞かせる燻った父の背中と、絹織物の産地で大喜びする母と姉の姿が目に浮かぶ彼女である。
扉をノックする音。時間的には就寝前にあたるが、何事かと思い扉を開ける。
「失礼します。暫く後、女王陛下がこちらを訪問します」
「……承知しました」
彼女達一行の宿泊は今夜だけであり、わざわざ泊める理由があるのではないかと考えていたが、女王陛下自らが彼女と私的に歓談したいということだろう。
「何事かしらね」
「さあ。会えばわかるわ」
彼女も伯姪も気楽なものだが、リリアル生四人はさすがに緊張する。
「あ、あの」
「普通に侍女として控えてくれていればいいわ」
「承知しました」
女王陛下の席を作り、恐らくは供の者たちもかなりの数になるだろうと考え、部屋の隅へと移動するリリアル生。寝る前に女王陛下に会うという経験は人生最初で最後だろう。
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「女王陛下が入室されます」
護衛の騎士風の親衛隊が扉を開け、中の状態を確認した後、扉の両脇へ控える。
そこに入って来るのは、夜着風の簡素なドレスに着替えた女王陛下と数人の侍女らしき女性たち。扉の外には、さらなる護衛や従者が待機している。
「そのまま、立たずとも良い。こちらが無理に押し掛けたのだ」
「恐れ入ります陛下」
立ち上がって女王陛下をお迎えした彼女と伯姪に椅子をすすめる。そして、入って来た侍女たちが、飲み物と軽くつまめるものを用意している。
「どうだ、付き合わないか」
「仰せの通りに」
話には聞いていたが、女王陛下は砂糖を使った菓子を大変好まれるという。砂糖自体が貴重品であり、また、健康に良いという事で食べるのだというが、まさにその通りだと実感する。
ハーブティ―に蜂蜜を入れて甘くしたものが饗される。彼女と伯姪が女王陛下の対面に座り、にわかにお茶会が始まったわけだ。
「さて、ふたりともこの国には初めてか」
「左様でございます陛下」
「堅い、堅いぞ。これでは折角の時間が勿体ない。我の事は『リリ』と呼ぶが良い。それで、ふたりの事は『アリー』と『メイ』と呼ばせてもらおう」
『リリ』というのは、エリザベスと自分の名を言えなかった幼少時代、今は亡き生母である王妃殿下が『リリベシュ』としか言えなかった王女に対して『リリ』と呼んだことから始まるという。
「恐れ多い事でございます」
「なに、アリーとメイならそれで構わん。さあ、呼んでみよ」
「……リリ様……」
「リリ様で宜しいでしょうか」
「大変結構」
大きな口を開け、「ガハハ」に近い笑い方をするが、これも女王陛下の砕けた人となりであると聞いている彼女たちは、合わせて笑い声をあげる。彼女は、ちょっとガサツなカトリナだと感じた。カトリナは王族として相応に淑女然とした姿勢を崩さず、なおかつ騎士らしく振舞おうとしていたが、女王陛下はもっと庶民に近い空気を纏っている。
「さて、今日こうして訪問した理由は、アリーの人となりを知りたいと思ったからだ。今回の親善大使も、貴女にしてもらいたかったのだが、リリアル副伯をリンデに呼ぶには難しくてな。王弟殿下を出汁にさせてもらったわけだ」
「なるほど」
明け透けな物言いだが、今の段階で王国が王弟殿下を王配として喜んで連合王国に送り出すメリットがない。神国を刺激し、連合王国との間に再び継承権で揉める原因を与えかねない。百年戦争の発端は、自分が国王に相応しいと黒王子の父親に当たる当時の蛮王国国王が言い出したことに始まる。
先の国王の王女の息子ということで、『王国王太孫』に相応しいのは自分だと主張し、ロマンデ公の爵位を持ちながら臣下の礼を示さなかったことで、戦争が始まったのである。
今の女王陛下に、王弟殿下が王配として婿入りしたとして、王国が熱心に支援するとは思えず、神国と敵対した場合、中立の立場で仲介してくれるとも思えないのである。なら、最初から王配などにせず、外交的に神国と王国を秤にかけて置く方が良い。
「国内を巡り王弟殿下とは別行動だったと聞く。我が国やリンデの様子を見て、どのように感じたか、率直に話してもらおうか」
この親善訪問の旅程において、地方の貴族・特に原神子信徒の騎士や兵士らが、独善的な暴力行為を振るっているのを見知っている。反面、原神子信徒同士であれば、教育に配慮しより豊かな国を作ろうとしていると感じた。
総じていえば、商人とそれにつく貴族は原神子信徒として行動し、農民とそれを差配する貴族は御神子教徒として振舞うのだろう。羊毛生産のために牧畜業を主とする地域では農民は少なく、羊毛業者とそれに迎合する郷紳・貴族層が多い。
それをどう融和させるかということになる。羊毛をネデルに輸出し稼ぐという方法も、ネデルの商人に首根っこを掴まれているのであり、食料も恐らくそこで得た資金で購入するのであれば、さらに雁字搦めになるだろう。
王国は国内で自給自足ができる豊かな国だが、連合王国においてはできないわけではないがかなり貧しい状態で我慢しなければならない。女王の宮廷がリンデ商人とその利益共同体の構成員により主に形成されていると考えれば、女王陛下の選択肢はかなり限られることは容易に想像できる。
「これから成長が期待できる国だと感じました」
できるだけ言質を取られないように遠回しに答える。
「どのような所がだ」
「リンデの街は外敵を考える必要が無いからか、古い街並みが残っております。古い街ではこの国の成長に合わせて発展させることは難しいでしょう。下流側にはリンデ城塞がありますので、上流側に新街区を形成するなり、北側に外郭街区を設けるなりして再開発することも有効だと思われます」
王都はそうして、外に外にと新街区を建設し拡張している最中だ。
「王都は新しく拡張中だと聞くが」
「その通りです」
「なるほどな。戦争せずに都市を開発し、国を豊かにするか。実に羨ましい」
羨ましいからと言って、人攫いや魔物を送り込むのは止めて欲しいと彼女は考えているが、おくびにも出さない。
「わが国には……先立つものがな」
「なるほど」
父王は、先代国王同様、建築道楽であり派手好き戦争好きであった。修道院や教会の財産を接収し、一時期は大いに潤ったはずなのだが、様々な散財で今や再び女王陛下の財政は火の車であると聞く。ネデルの商人・銀行家から相当の借り入れがあるとか。それもあって、私掠船は許可しなければならないし、取引先であるネデルの原神子信徒の商人・貴族にたいして配慮・支援しなければならない。
王国も、先代の時代において法国の銀行家から相当の借り入れがあり、気を使わねばならなかった。その後、財政を再建し、無駄な軍備や戦争を止めることで借り入れを減らし続けている。何もしなければ、王家は相当豊かなのだから、余計なことをしなければ良いだけなのだが。
「国内の城館などで不要不急のものは下賜するなり売却するのも一つの考えかも知れません」
「まあな。とはいえ、何か手柄を立てさせなければ下賜する事も出来ん」
無駄なものを買い集め、金を失った上に管理も手一杯と言うのは中々の状態であると言えるだろう。王国もそうだが、女王陛下も多数の城塞や城館を維持しているのだと思われる。放棄して廃屋同然になっているものもあるだろうが。何もしなくても維持費はかかる。
「確か、リリアルも離宮を賜ったものであったな」
「その通りです。以前は、先代国王陛下の狩小屋として建てられたもので、それを王妃殿下が離宮としていたものをお借りしていました」
その後、男爵に叙せられたときに正式に下賜されたのだが。
「そういった、施設に使うか」
リンデの幾つかの古い城館は、『救貧院』として活用されているとも言う。
「では、貴女らが滞在中にリンデの城館を利用した『救貧院』を視察するとしよう。なに、王国の同じような施設と見比べて、率直な話をしてくれると助かる。歯に衣着せぬ者も少なくないが、自分の財布の中身に関わらぬことはあまり意見してもらえないのでな」
「……承知しました」
「ん、ではまた会おう」
女王陛下の滞在は、三十分ほどであったが彼女たちはその何倍にも感じた事は言うまでもない。
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「『リリ』って呼べませんでしたね」
「呼べるわけないでしょう」
「呼んでみたらいいわよ」
碧目金髪は片づけをしながら軽口を言ったのだが、二人には真面目に返されてしまう。侍女が「リリ」呼ばわりできるはずがない。
「なんだか、カトリナが歳を取った感じだったわね」
「カトリナよりは為政者らしかったわ。側近に人を得ていないのかしらね」
「さあ? 余所は余所、うちはうち」
関係ないとばかりに伯姪は答える。唯一の血統であり、王族は他に残っていない。正確には……北王国の国王・女王が親戚であり、王位継承権を有するのだが。
「リンデの郷紳層は今の政体に対して固執しているだけで、女王陛下自身には特にこだわりが無いからね。大変よね」
大貴族は女王と距離を取り、もしくは王配となり実権を握ろうと画策している。御神子教徒の貴族達は自領に戻り、女王の宮廷には参画しない。あるいは、北王国や神国と通じている者たちもいるという。当てにならずとも、父王時代の側近郷紳層やその後継たちを使わざるを得ない。
「支えるものが少ないというのは……大変ね」
「そう思うわ」
最初の頃のリリアルを思い出し、彼女は改めて大変であったと感じる。何もない所で新たに作り上げることは大変だが、一度地位や権力を失った有力者に担ぎ上げられ、その力を取り戻すために仕事をさせられるのは女王という立場であったとしても相応に気を使い、また精神を削られる作業であろう。
彼女を助けてくれる家族や友人知人がいたからこそリリアルは今の形にまで育てることができた。女王陛下の立場で考えるなら、それは誰なのだろうか。家族はおらず、友人と呼べる存在も希薄である。仕える者はいたとしても、頼れる存在は皆無だ。
そして、皆揃って自分の都合を口にする。それも、さも女王陛下のためにとばかりにだ。
「あの立場を十年続けているってすごいことよね」
「ええ。それに、陛下は時は味方であるとご存知なようね」
「……なるほど」
女王陛下は王としてはまだまだ若い。あと二十年三十年と王位を保ち続けることは難しくない。その間に、廷臣たちは世代交代をし、周辺の国々も代替わりすることになるだろう。その時、自身が力を蓄えておくことで、変えていくことは十分可能だろう。
が、先立つものは「金」である。
「王国にちょっかい出してこない限りは大目に見てあげましょう」
「どこから目線よ」
「王都目線……といったところね」
連合王国の影響力は、王都・ルーン・ロマンデ・レンヌと排除し、未だにランドルであった地域には色濃く残るものの、さほど影響力を残してはいない。商売の繋がりはボルドゥとネデルが主であり、特に資金繰り含めてネデルの諸都市が女王陛下とリンデの生命線であるのだろう。
「神国と女王陛下が冷たい闘争を継続してくれるのがいいわね」
「神国もサラセンとの対決が一段落するまでは大人しくしているでしょうから、しばらく王国周辺は表向き平和そうだと良いのだけれど」
女王陛下の突然の訪問に驚いたものの、その人となりは悪いものではないと彼女は感じていた。とはいえ、『リンデ視察』に同行する件は少々気鬱になるのであるが。