第634話 彼女は彼女は二人の王弟を出迎える
第634話 彼女は二人の王弟を出迎える
「これに乗れという事ね」
「大使閣下が手配したものなのだから、文句はないわね」
親善副使が乗るのにギリギリセーフなレベルの馬車と馬であるのだが、この辺りは仕方がない。リンデは街路の舗装もあまりされていない。故に、女王陛下は輿で移動することも少なくない。要は、王都が尊厳王時代に石畳で舗装した街路をリンデはもっていないという事だ。
馬車の数も多くはないので、手配できるものにも限界があるのだろう。
「魔装馬車にのりたいですぅ」
「偶には普通の馬車の乗り心地を確認することも大切です。護衛任務にはそういう経験も必要かと」
護衛騎士の役割を果たすのは薬師娘二人。馭者は茶目栗毛、その横には小間使いを担う赤目のルミリが座る。車内は彼女と伯姪に護衛二人。
「出します」
「よろしくお願いするわね」
『あいつ、もう戻ってるだろう。顔見せろよな』
『魔剣』の言う『あいつ』とは、『猫』のことだろう。王弟殿下と同行なら、おそらく既にリンデに到着しているはずだ。今日の晩餐会は、『白骨宮』リンデ城塞。女王陛下との謁見は後日だが、今日は王弟殿下と彼女の歓迎晩さん会をリンデ市の重鎮と女王側近の郷紳たちが主催で行う事になる。
「事前に、女王陛下のことについて説明しておきたいのでしょうね」
「それと、王弟殿下はともかく、あなたの情報はウォレス卿からの報告だけでしょうから、直接会っておきたいのでしょうね」
親善副使として別行動してリンデに入ったリリアル一行。本来、旅程の間に情報収集し歓待に反映させるつもりが、そうはいかなかったのである。
「姉さんも来るのよね」
「先乗りするみたいよ。身分的にはあなたより先に入っておきたいのでしょうね。
それと、神国の公子様に先にご挨拶をするつもりなんじゃない?」
神国は王国とは戦争をした時期もある。神国そのものと言うよりは、当時国王を兼ねていた帝国皇帝、先代の国王と法国戦争を行った。その際、帝国の軍だけでなく神国軍とも戦ったことになる。
とはいえ、古くは帝国の一部であったニース公国=現在の王国辺境伯は教皇庁と聖エゼル海軍を通じ神国並びにその支援を受ける聖母騎士団との関わりが深い。マレス島の防衛戦でも協力したことも記憶に新しい。
王国と神国の関係を聖エゼル=ニース辺境伯家を仲立ちに改善しようとする準備段階なのではないかと彼女は考えている。姉がその仲介役としては適任なのかもしれない。万が一の時も何とかするだろう。
リンデの市街の北外周を移動し、見えてくるのは白い壁の主塔を持つリンデ城塞。古帝国時代にあったリンデの防壁の東端部分を利用し、ロマンデ公の遠征以来、リンデの抑えとして代々の国王が居城としていたこの国の歴史と共にある城塞と言えるだろうか。
聖征で名を馳せ、王国との戦争で命を落とした「英雄王」の時代に現在の堅固な石造の壁を有する巨大要塞となったと言われる。もっとも、初期のころから「白骨宮」と呼ばれる主塔は石造であったが、その時期に改修もされている。
武器庫に造幣局、王家の金庫も兼ねる堅牢な城塞は、西日を受けて少々不気味に見えなくもない。
「あの、実はリンデの人にあのお城に幽霊が出るって聞いたんですぅ」
その雰囲気に飲まれたのか、ぽそりと碧目金髪が口にする。
彼女もその話を聞いたことが無いわけではない。とはいえ、それは今日晩餐会が行われる主塔ではない。
「女王陛下の母君が亡霊となって姿を見られる『緑の庭』と言われているわ。それに、囚人が収容されていた『チャムの塔』は私たちが近寄る事もできないでしょうから、怖がることはないのよ」
ここに収容されているのは一般の犯罪者ではなく、身分のある政治犯がほとんどであり、余程の事でない限り……みせしめのための処刑でもされ無い限りは殺されることは少ないという。とはいえ、不慮の『事故』で死なないとも限らないのだが。
「随分詳しいのね」
「……姉さんが調べていたの。聴きたくもない話だったのだけれど」
幽霊嫌いの姉は、悪名高きリンデ城塞の幽霊出没地点をそれなりに
調べていた。リンデ城塞は元は王宮。王族を護ることと同じように、高貴な囚人も容易に逃げ出せない場所として利用されているのだ。外から容易に入ることができない安全な場所と言う事は、裏を返せば逃げることも簡単ではないというわけだ。
「遠くから見ても威容がわかるわ」
「そうね」
百年戦争の時代においては、この国に限らず、王国や帝国にも並ぶ物なき城塞であったという。賢明王の時代に王都の城壁が大改修されたので、それと比較すれば時代がかった城塞となっているのだが。
夕陽に照らされた白い城塞は、血に染まったように見えるのは気のせいだろう。彼女はそう考えることにした。
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今日の主賓は二人。王国の王弟殿下と、神国の王弟である東方公ジロラモ閣下である。彼女は王弟殿下の付き添いに当たる。
馬車は大きな濠を越える橋にある塔楼門を通過する。王国大使の紋章の入った御用馬車の為、容易に中へと入ることができた。やがて、幾つかの楼門を越え『白骨宮』の入口へと到着する。
「王国親善副使リリアル副伯閣下ご到着です」
貴族の子弟であろうか、良い身なりの侍従に案内され、一先ず待合へと通される。
「王弟殿下はまだお付きではないのでしょうか」
「はい。ですが、既に先触れを頂いておりますので、今しばらくでしょう。こちらでお待ちください」
侍従に灰目藍髪が確認を取り、彼女も理解したと頷く。この辺り、今までなら自分でやり取りをしたのだが、立場を考えて茶目栗毛や灰目藍髪に『侍女』『侍従』としての役割を担ってもらう事にしたのだ。
とはえい、今日のところ茶目栗毛は赤目のエミリと同じく『馭者』としての待合に通されているので、この場にはいない。馬車の点検をしたうえで、別の場所で御同輩と待機していることになる。
『あいつがいないと色々不便だな』
「ええ本当に。でもようやく合流できるわね」
王弟殿下一行を追尾し、情報収集と護衛を兼ねて別行動していた『猫』が漸く彼女の元へ帰って来る。リンデでの情報収集が今一つ進まないのは、あの半精霊の黒猫がいないからである。
不意にノックがされ、返事をすると扉が開かれ濃金癖毛の若者が入って来た。
「この部屋はリリアル副伯の待合ですが。どこかお間違えではありませんでしょうか」
灰目藍髪が問い質すように前に出る。精悍さを感じさせつつも人好きのする笑顔の持ち主は、それは失礼等と言いながら話しかけてきた。
「では、そちらの女性が」
「……失礼ですが、どなたでしょうか」
この中に黒目黒髪の女性は奥に座る彼女だけ。灰目藍髪も近いのだが、騎士然としていることから、間違えられることはない。
「これは失敬。私の名はジロラモ。今日はこちらの晩餐会にお呼ばれした者です。先にご挨拶をと思いまして」
侍従も連れずに東方公閣下が一人でお出ましとは大いに驚くが、ちょっと怪しい気がしないでもない。
「閣下、供も連れずに迂闊ではございませんか?」
「はは、ちょっとはぐれてしまったようでね。ここで暫く過ごさせてもらってもよろしいかな」
王弟ジロラモは神国国王とは親子ほども年の離れた王弟であり、彼の国の王太子より若い。王族の一人として王太子とは学友であったと記憶している。とはいえ、少し前、神国王太子は身罷られたと聞いている。
王太弟とならないのは、彼の王弟が庶子であるためである。神国国内ではマレス島の防衛に参加しようと単身神都の宮廷を飛び出し、自力で軍の集結する港まで向かったが、病に倒れ願いはかなわなかったという。
とはいえ、マレス島は聖母騎士団と差し向けられた神国軍の援軍によりサラセンから見事護られ、戦争に参加しなかったとは言うものの、王弟の行動は若者を中心に賞賛されとても人気のある青年であるという。
確かに、騎士としての風格も備わり、快活さと明晰さを感じさせる空気を纏っている。
「先ほどまで、閣下の姉上に同行していただいていたのです」
「……それは……」
「大変魅力的な女性ですね。聖エゼル海軍提督夫人となれば、当然のことなのかもしれませんが」
外ヅラの良い姉のことであるから、夫から聞いているマレス島防衛戦の話などを面白おかしく聞かせたりしたのではないかと推測される。
「実は、僕は『妖精騎士の物語』の崇拝者なのですよ」
「……はあ……」
「それで、公式の場でお会いする前に、お話をしたいと思いまして……姉君に手配していただいたのですよ」
どうやら、この部屋に紛れ込んだのは姉の策謀であるようだ。そして、『騎士物語』好きの王弟騎士殿は彼女に興味があるようである。
『やべぇの引いちまったな』
『魔剣』のボヤキに彼女も内心深く同意するのであった。
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あまり深い話をすることなく、ジロラモは去っていった。
「では、これから僕の事は『ゼロ』と呼んでください。僕は、『アリー』と呼ばせていただいても?」
「はい。それでは、ニース辺境伯令嬢の事も『メイ』とお呼びください」
「勿論です。では、アリー、メイ、後ほど」
短い時間ではあったが、がりがりと精神を削られたような気がする。確かに、単身ゴブリンの群れから村を護ったりしたことはあるが、舞台や物語でどのように描かれているかは気にしたこともなかった。さらに、続編が次々描かれているらしく、王国内の事だけでも随分と正確に描写されていた。
「巻き込まれたわね」
「巻き込んだわ。それに、神国・法国の事は私よりあなたの方が詳しいでしょう?」
伯姪に詫びつつ巻込む事については承諾してもらっておく。聖エゼル海軍とニース騎士団については伯姪に聞くのがより詳しいはずだ。
「帝国での活動は内緒のようね」
「姉さんにも釘をさしてあるから当然ね」
冒険者としてオラン公に従い遠征に従軍したなどと言うのは、神国であれば面白いはずがない。アンデッドや裏冒険者ギルドの暗殺者を討伐したことで、オラン公にとっては意味のある結果となった。あれがなければ、娘を殺されるか奪われ、遠征軍も途中で壊滅していたことであろう。
リリアルが活動していたことは薄々感づいているだろうが、公にするべきものではない。王国と神国は今のところ『御神子教徒国』として法国戦争終結後友好的な関係にあるからだ。あくまでも表面上だが。
「でも、びっくりするくらいあなたに関心があるようね」
「私にではなく、物語の妖精騎士にでしょう? 私は物語の登場人物ではないもの。騎士に憧れる少年のようで微笑ましいのでしょうけれど、大国の王弟で公爵閣下なのだもの、どうかと思うわ」
王弟として認められているものの、あくまでも婚外子・庶子であるために、王位継承権を持つことはない。故に『王弟殿下』ではなく、『東方公閣下』と呼ばれるのだ。
「歳は幾つだったかしらね」
「私たちより三歳年上のはずだわ」
「王太子殿下と……違うわね」
「ええ、驚きの白さよ」
王太子殿下は良くも悪くも『王の器』であり、騎士としてもかなりの腕前であり、魔術師としても一級品であるとされるが、個人の武威を示す事は好まない。むしろ、政治家として若くして老練さを示していることもあり、国王と王太子の二人三脚体制は王国内で好意的に見られている。
「あとは成婚だけねあの殿下も」
「ええ。王宮内でのやり取りが終われば、婚約者様も王都に来られるでしょう。一年以内くらいではないかしら」
「南都も一区切りでしょうから。その後、御成婚ね」
王太子殿下の婚約者は、レーヌ公女ルネである。レーヌは王国と帝国の狭間にある幾つかの公国の一つであり、係争地でもあった。先代レーヌ公が若くして亡くなり、幼い公太子を母である公妃殿下が摂政となり後見し、統治されていた。
公太子を王国が後見し、公女を王太子妃とすることで王国内にレーヌ公国を取り込もうというのが国王陛下の政策であった。公太子が王宮での教育を経てレーヌに戻り、入れ替わりに公女が王宮に参内することで一歩関係が進む事になる。
公妃殿下は神国王女が嫁いだ電国国王との間に生まれた王女殿下であり、、娘時代はネデル滞在時に某父王から求婚されたものの良い噂の無い男の為断り、レーヌ公家の後妻となった経緯がある。
母に似た公女殿下も知的な美女と伝わっており、成婚が待ち望まれているのが王国の現状なのである。
漸く本日の主賓である王弟殿下が到着した。そして、部屋へ伝えてきたのは
「ご無沙汰しております閣下」
「ええ。あなたも元気そうで何よりですエンリ卿」
オラン公弟であり、親善大使付侍従として同行しているエンリであった。初めて会った頃の浮ついた夢見る若者感が綺麗に消え去り、思慮深くまた、落ち着きのある騎士然とした風貌に替わっている。
「良い経験ができたようで何よりです」
「はい。兄の為にも良い関係が築けたと思っています」
オラン公は原神子派とはいえ、現実主義者。王国北部の都市にいるであろう、原神子派の商人・貴族と誼を結ぶことも意味があるのだろう。とはいえ、ネデルで起こっているような混乱を王国に持ち込むのなら、旧知の間柄とはいえ手加減するつもりはないと彼女は思うのである。