第633話 彼女は王弟殿下を出迎える準備を行う
第633話 彼女は王弟殿下を出迎える準備を行う
「味をご確認ください」
王弟殿下の料理人は、レシピの確認の為、リリアル一行に次々に料理を提供してくれている。彼女と伯姪、彼女の姉はともかく、孤児たちは所謂貧乏舌なので、味見の意味があまりない気がする。
「このような宮廷料理を食べることができるなんて……至高の時間ですわ」
「良く噛んで食べなさいね」
「緊張します」
「この食器も……さすが殿下に饗するものですよね。一枚幾らなんだろう」
食器は組で揃えるので、バラ売り価格はありません。
「このゴブレットも売り込まなきゃだよね!!」
姉は『Myゴブレット』を持参し、参加する会でアピールするつもり満々である。
「はいこれ」
「……何かしら」
「リリアルの紋章入り……ですね」
「そうそう。これ、君たちの分ね」
姉は何やらリンデで職人を当たっていたようだが、リリアル一行分の紋章入りゴブレットを作成したのだという。
「王弟殿下とニコル君の分も用意してあるよ」
「姉さん」
「何かな妹ちゃん」
「もしかして……なのだけれど。それはオラン公の弟である殿下の随行員の方の話かしら」
「そう、そのニコル君」
「ニコルじゃなくって、エンリ様ですわ」
「……え……」
「「「「……え……」」」」
姉はずっと「ニコル君」と呼び続けていたらしい。
「は、恥ずかしいじゃない。いやだもう」
「……恥ずかしい姉を持った私の方が余程恥ずかしいのだけれど……」
いつもは木製の食器を使うリリアル生だが、陶磁器や銀の食器を用いるのはやはり慣れない。
「これ磨く練習もあるしね」
「そうですね。使用人として銀器を磨き上げるくらいは」
「……魔力でちょいちょいだよね?」
姉は金属食器、特に銀や銅が含まれている金属なら、魔力を流すと汚れが簡単に落ちてピカピカになると言い始める。
「確かに……魔銀はそうですけど……」
「ああ、魔力は余計に使うけどね。良い鍛錬になるんじゃないかな?」
姉の馬鹿魔力で一瞬で光沢を取り戻す銀食器とカトラリー。
「ほら」
「……これ、最後の仕上げだけ魔力を使えば、いいんじゃない?」
伯姪も魔力量に恵まれた生まれではなかったので、不安はよくわかる。『折衷案』には薬師娘たちも賛同する。
「これなら……磨き上げる手間が省けますわね」
「最初からと言うのはちょっと無理ですから」
そもそも、魔力量に恵まれた人間なら食器磨きなどするわけがない。ということで、姉ならではの「魔力の無駄遣い」から、リリアル生の『ポーション作り』以外の魔力鍛錬法が新しく見つかったのである。
「雨の日にいいよね」
「失敗ポーションを畑にまくのに、雨の日は無用ですからね」
リリアルの薬草畑に撒かれる失敗ポーション。
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つづいて、料理人が作り提供したのは、「御国料理」として連合王国の貴族や郷紳の来客に提供する料理。リリアル生は、自炊が普通な事と、調味料や料理法は持ち込んでいるので気づかなかなかったと言う事もある。
「……これ、なんでみんなミント味なのかしら」
「まあ、ミントソース? って言うのかしらね。ちょっと酸味があって薄っすら甘いのね」
例えば、王国なら牛肉はたっぷり煮込んでソースと共に提供されることが多い。ところが、連合王国では牛肉を焙るか焼いて提供される。その付け合わせがミントソースと呼ばれるものだ。
「ミントに塩、オリーブオイル、レモンなどを加えて作るのですが……」
薄っすらとした甘みは蜂蜜だという。甘いは贅沢、貴族だから蜂蜜だって遠慮なく使うぜ!! ということなのだろう。
「これは、本場の味でしょうか」
「左様でございます閣下」
料理長は「王国の料理人には思いつきません」と暗に腐している。
「ニンニクを使うのも良いと思うけど」
「それって王国の南部の味じゃない?」
「最近はリンデでも法国料理が宮廷中心に広まっておりますので、食材は手に入るようです」
「ニンニク? いっぱい持って来たよ!!」
姉、何故かご相伴に預かり中。食材に関して、姉が提供できそうなものでリンデでは手に入りにくいものを確認。ニース商会の商会員が移動する際に、持ち込むようにすると姉が伝える。
「法国風ね」
「まあ、王都でも先王時代に結構な料理人が来たんでしょう?」
法国戦争の影響で、避難した法国の商人職人が南都周辺に移住したという経緯がある。それ以来、南都では絹織物が盛んとなる。また、料理人は建築家と共に王都に招かれ、最初は王宮で、やがてその弟子たちが貴族家の料理人となって広まっている。
素手で食べなくなっただけで大進歩である。
「リンデではまだ手掴み上等みたいですわね」
「王国でも田舎に行けば変わらないけど、流石に貴族やお金持ちはねぇ」
「そこでMyゴブレットなわけだよ諸君」
姉はゴブレットにご執着なのだが、錫ならカトラリーも人気がある。これは下位貴族や富裕層が主で、その上の方々は銀器を使っているのだが。
「あー カトラリーは錫の産地がこっちの南部にあるじゃない? そこの刃物職人が上手なんだよね。器と違って、その辺、良く切れたり良く刺さる方がいいからね」
「もとは武具職人なのでしょう」
内戦後、武具職人が余っていたところに、カトラリー作成に転職する者が増え、錫を使ったカトラリーは連合王国では輸出されていたりもする。無骨だが、それを好む層もいる。貴族とは一線を引きたいネデルの商人たちなどだ。
「錫を手に入れるのも大変だしね」
レンヌで産出される錫をニース商会は優先的に購入させてもらっているのだという。背景には、聖エゼル海軍の友邦という立場を確保したいという思惑に加え、彼女達の存在も……姉は利用しているだろう。言葉にすることなく交渉するのは得意なのだ。
とはいえ、どこでも庶民は麦がゆか酸っぱい黒いパンを食べるのが精々。帝国はさらに貧しい地方もあり、朝から竈に火を入れるのは燃料の無駄とばかりに夕食以外は作り置きの冷たいもので済ませる習慣があるという。庶民は国や地方を問わずそうであろうが、王国よりはるかに冬の厳しい国であれば一層厳しい生活なのだろう。
それでも、食事ができるだけありがたいのだが。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
王国のリンデ大使が手配していた王弟殿下御一行用の家財が運び込まれてくる。何故か姉が仕切っている。
「このチェストはもっと窓から離さないと、痛むんじゃない?」
言っている事は庶民である。とはいえ、この城館の主であるから屋敷との調和という事も大切なのかもしれない。王室を示す調度もすでに用意されており、また、リリアルの本館と王弟殿下一行の住まう旧修道士の居室エリアの間には行き来を制限するための仮設の扉などが設けられ、簡単に行き来ができないように改修されている。
庭回りには外からの侵入を監視するための見張台などが建てられ、また、警備の騎士の待機小屋のようなものも用意されている。その状態は戦陣のようでもある。
「リリアルの屋敷に攻め込んで来る奴っているのかな?」
「王都やレンヌでこりていればいいのだけれど、それでも、こちらの王宮も一枚岩ではないのでしょう?」
「何かあれば外交問題どころか、即開戦になるから、お互い配慮し合おうということでしょうね」
ノウ男爵からニース商会配下の商会がこの城館を購入したことは、女王陛下の宮廷には伝わっているだろう。大使がそれなりに動けるのも、その辺りからリンデ市幹部各位やギルドに通達が行っているのだろう。便宜を図り優先的に対応しろと。
「終わったらこの設備どうするんだろうね」
「そのまま寄贈でしょう。持って帰るわけにもいかないもの」
「ちょっと儲け!」
いくばくかの板材や調度品など貰っても幾らもしない。王弟殿下の調度は帰国時に持ち去るだろうから、見張台くらいしか残らないだろうが。
「王弟殿下が来るのは明日かぁ」
「何かしら」
「いや、歓迎の晩餐会になにを着て行こうかなって」
姉はすっかりお呼ばれする気でいる。
「姉さん」
「何かしら妹ちゃん」
「私は副大使であるから呼ばれるでしょうけれど、姉さんはなぜ呼ばれるのかしらね」
「ああ、神国大使も呼ばれているからね。私は、聖エゼル海軍提督の名代だよ。ほら、これが招待状」
姉は封蝋の施された書状を見せる。どうやら、正式な招待状であり、神国大使が同行することになるようだ。
「今回は、神国国王の庶弟も来るらしいよ」
「王弟殿下かしら」
「いや、あの国はほら、いろいろ厳しいから『殿下』呼びはしないみたい。子とかそんな感じだと思う」
先代の国王が年老いてから為した子であるらしく、年齢は彼女や王太子殿下とさほど変わらないという。親子ほども年の差のある弟君だと言える。
「私は、そのエスコート役に抜擢されたわけだよ」
「愛人と言うわけね」
「いやいや、私の愛は妹ちゃんと旦那にだけだよ。ただのお仕事」
『ダーリン』『ハニー』と呼び合う、王都の社交界でも有名なバカップルである姉とギャラン。外面完璧の姉であるから、何も心配ないのだが。
「妹ちゃんも法国語はなせるよね」
「多少ね」
彼女より、ニース育ちの伯姪の方が上手だと思われる。先日、ニース辺境伯の養女となり、『辺境伯令嬢』となったので相手をする事も問題ないはずだ。
「まあ、メイちゃんも大事なんだけど、妹ちゃんと話したいみたい」
「……子爵の娘に何か用でもあるのかしら」
「公子様は、英雄譚が大好きらしいよ」
姉が情報を流してできた「妖精騎士の物語」の舞台や書籍の類は、王国の外にも流れているのである。
「このお話はフィクションであり、実際の人物・団体とは関係ありませんと示しているのよね」
「……え……」
姉は「だって本当の事じゃん」と宣うが、荒唐無稽のお話としか世間では思われていない。十三歳の女の子が一人で百を超えるゴブリンの群れに単身剣ひとつできりこむなんて馬鹿げている。事実なのだが。
庶民が喜ぶ騎士道物語だって、もうすこしリアルだ。
「とにかく、王弟殿下の歓迎晩さん会で、今一人の王弟公子様も出席するわけだし、相手は妹ちゃんがするしかないよね」
姉は何か楽しそうに語るのであった。
王弟殿下と同席するのであれば、騎士に準じた礼服で良いかと思ったのであるが、神国王弟の相手をするとなれば、それなりのドレスでなければならないだろう。女王陛下の晩餐会や夜会に呼ばれる前提で、質素な襟のドレスを幾つか王都で用意させている。これは伯姪も同様。
「私も同行とはね」
「護衛役の騎士で同行なので助かりました!!」
「当り前でしょう。お二人の護衛にそれぞれ就くのですから、弁えないと」
「大丈夫! 神国の王弟公子様はお若いんですよねぇ、美形なのかなぁ」
碧目金髪は『王子』『公子』という言葉に弱い。レンヌ公太子殿下は、見た目が赤毛熊なのでどうやらお気に召していないらしい。
「顎が」
「顎が?」
伯姪の言葉に碧目金髪が何事かと疑問を持つ。
「先代の神国国王陛下は先々代の帝国皇帝を兼ねているのだけれど、父君も兄君も……顎に特徴のある家系なのよ」
「まあ、顎がしゃくれてるの、もう、兜や衣装にそれを織り込んでおくほどね」
「「ええぇぇ……」」
しゃくれ顎公子……のパワーワードで碧目金髪の『公子』のイメージが吹き飛んでしまう。確か、かみ合わせが悪く、食べたものが口から出てしまうことや、涎が垂れてしまうとか……一族には悩みが尽きないらしい。
「母親似と言う可能性もあるのだから、確率は五分ね」
「……酷い言い方です」
彼女は常に冷静である。とりあえず、相手をしなければならないという事を念頭にすると、中々面倒なことになりそうだとは思う。とはいえ、一王国の副伯であるから、王国貴族としてそれなりの敬意を払って相手をすれば問題ないだろう。
「それより、辺境伯令嬢のお相手としては如何かしら」
「そうね、悪くないわね。次の聖エゼル海軍提督とか、狙っているのかもしれないわ」
ニース辺境伯家で管理している聖エゼル海軍だが、聖母騎士団同様、異教徒との戦いに参戦する戦力でもある。伯姪と婚姻して、ニース辺境伯との縁を繋ぎつつ、内海での影響力を高めようと考えている可能性もあるかなと、彼女は考えていた。