第632話 彼女は王弟殿下の来臨を待つ
第632話 彼女は王弟殿下の来臨を待つ
「王弟殿下のリンデ到着は明後日を予定しております」
大使閣下から彼女は今後の予定を確認していく。一先ず、到着してニ三日はこの仮宮でリンデ近郊の有力者の挨拶を受けることになる。また、会食などを幾人かと行い、そこで、女王陛下の側近たちと幾度か顔なじみとなる。
初日は、王宮の一つであり迎賓館としての機能を有する『白骨宮』ことリンデ要塞にて一泊することになる。女王陛下の使者と謁見し、リンデの有力者主催の晩餐会となる予定だ。
全員が初対面で女王陛下との挨拶に伺うというのも、宜しくない。婚姻が成立する可能性は限りなく低いが、成立しなくとも友好な関係を築いておき、神国との対決が発生した場合、王国が友好的な中立を保てる程度に関係を修復しておきたいというのが女王周辺の目論見であるからだ。
個人的には『厳信徒』が少なくない女王の側近群だが、政治的には女王陛下の中庸路線を認めている現実主義者であるからだ。金もなく味方もいない状態で周囲は敵ばかりという状態は避けたいのだ。王弟殿下を通じて王国と誼を通じるというのが今回の親善訪問の最大の目的だと言える。
その中で、強硬派と思われるリリアル副伯(完全な誤解)とも知見を得るということも、関係改善のために必要だと考えられていると男爵は予想している。
「そこまで小娘に配慮するのでしょうか?」
彼女の自己評価はあまり高くない。
「……無論です閣下。あなたが様々な王国内での内乱工作をことごとく排除し、王国に味方する周辺勢力とつながりを持つ存在であることはこの国においても良く知られております。そして……恐れられているかと……」
二度の竜殺しの英雄、ミアン防衛戦での伝説的活躍、孤児上りの魔力持ちの戦士を活用した機動戦術。その活躍は、『物語』『舞台』として上演され、遠く離れたリンデの劇場においても知られている。
「本人はこんな感じですけれど。却って侮られないか心配です」
「……それは、魔力を持たない者からすれば可憐なお姿に俄かに信じられない感情を持つかもしれません」
「ないない。だって、気配隠蔽していないと、ヤバいよ妹ちゃん」
リリアル生は慣れているものの、彼女が発する魔力をまともに受けた場合、慣れない者、魔力を持たない者は『威圧』されたかのように動けなくなるだろうと姉は宣う。
「謁見の際はご注意ください。女王陛下の側近たちは郷紳層ですので、魔力は非常に少ないか皆無の者も少なくありません」
「「「……あー」」」
貴族とその家臣団は、王国のロマンデ公の一党であり、王国貴族同様魔力を持つ、むしろ強固な者が多かった。重装騎士に魔力を纏った軍団は、それを持たない旧来の王国軍を数年で一蹴し滅ぼすに至る。
郷紳層はその旧来の先住民らの戦士層が主流であり、魔力量が元々少ないのである。貴族の子弟が騎士として残る王国や帝国と異なり、元々魔力持ちが希少なのだ。
それ故に、魔力に頼らない戦闘方法と言う事で『長弓兵』を用いた遠距離投射兵器の集中運用に至ったのであろう。矢の雨で魔力と体力を削り取り、待機していた魔力持ちの少数の『騎士』で止めを刺す戦術である。
百年戦争、そしてその後の三十年に渡る内戦により、魔力持ちの貴族・騎士は大いに数を減らした。陸戦において、神国・帝国・王国の軍と比較し魔力持ちを使う事が出来ない連合王国は、非常に困難な状態となっていると言える。強兵の昔は何処といったところだ。聖征でサラセンに勇名をとどろかせた『英雄王』の軍団は影も形もない。
「気配隠蔽を冒険者組は常時行いましょうか」
「わかったわ」
「承知しました」
彼女と伯姪、茶目栗毛は『魔力隠蔽』を常時行う事にする。魔力量の少ない薬師娘とルミリは問題ないと判断。そして……
「姉さん」
「何かな妹ちゃん」
「魔力駄々洩れは怪しさが倍増するのだけれど」
「ありゃりゃ。お姉ちゃん、細かい魔力操作が苦手なんだよねー 今回、女王陛下の側近と会わないから関係なくない?」
姉は本来、今回の親善大使一行とは何も関係ないのだが、貴族女性として宮廷に同行できるのであれば、何かしら役に立つと彼女は考えている。
「侍女としてなら謁見に同行できるのだけれど……」
「不眠不休で練習するよ! 生女王、見てやろうじゃない!!」
好奇心猫を殺す……ならぬ、姉を転がす。
「我が女王陛下」
「……なにかな男爵」
「王宮の食事は……余りおいしくありませんぞ」
「なん……だとぅ……」
王国では煮込む調理が多いのだが、連合王国では牛肉を焙って切り分けるような食事が多いのだという。レパートリーも余り多くない。海産物が手に入る場所であれば割と良いのだが。
「お腹いっぱい食べるような場所ではないのよ」
「ええぇぇ。そりゃないよ妹ちゃん」
「付き添いが主賓を差し置いて食事するわけにいかないでしょう」
常に自分第一主義の姉。介添役であることを忘れている。
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「お、王弟殿下御一行が……」
「大丈夫だよ、妹ちゃんも顔見知りだし、貸しはたっぷりあるから」
「無体な事を言う方ではありませんので、夫人も節度を持って接していただければ特に難がある方ではありませんよ。ご安心ください」
生まれも育ちも平民であるサンセット夫人は既に緊張が極限まで達している。
「それに、私も妹ちゃんも未来の伯爵家当主だから、二人で王弟殿下一人分くらいの権威はあると思うよ」
「そ、それは……」
「無視してくださって構いません。それに、責を負うのは家主である姉ですので。夫人は出来る限り殿下方の望みをかなえていただければ問題ありません」
受け入れ態勢を進めるため、しばらくの間サンセット商会は休業。サンセット氏を『執事長』、商会員を『執事』として屋敷の手入れを徹底的に進める所存の姉である。
「お、手持ちのワインが高く売れるなこれ」
「……良かったわね」
ボルドゥのワインが主に消費されるリンデだが、シャンパーのワインも以前はかなり売れていた。連合王国とのつながりが薄くなり、シャンパー・ワインの市場は国内と帝国に替わりつあるが、本来リンデでもっと売れて良いのだ。
渋みの強い日持ちのするボルドゥワインより、フルーティーなシャンパーワインの方が飲みやすい。魔法袋で輸送する分には、常に新酒の味が楽しめると
いうものである。
「商談が捗る予感」
「接待中に王弟殿下経由で宣伝させればいいのではないかしら」
「トップセールスだね。あのオッサン、ちゃんと話せるかどうかだよね」
伯姪が、側近として同行しているオラン公弟であるエンリを使う事を勧める。彼なら若い女性や男性貴族にも容易に溶け込めるであろう。エンリが薦め、王弟殿下は同意するといった程度で良いかもしれない。
「それ採用」
「ニースのワインも扱っていればいいのにね」
「それは今後の課題だね。こっちはシードルとか自給しているのかな」
ロマンデやレンヌ、サボアでは林檎酒はワインより安くカジュアルな飲み物として飲まれている。
「この国だと、湖西地方で人気があります。ニガヨモギを入れて風味を整えた辛口の『サイダー』が好まれますよ」
勿論甘い林檎を用いた『シドル』もあるのだという。度数はやや高めでエールに近い。
「地産地消なんだよね」
「それはそうでしょう。元はと言えば、余剰作物をお酒に替えるのだから、麦が余ればエールを、恐らく湖西地方はレンヌと同じく小麦がとれないから林檎を用いてシードルを作るのでしょうね」
「シードルじゃなくってサイダーだよ妹ちゃん!」
聖征の時代、東方から持ち帰られた『蕎麦』がレンヌでは育てられるようになり、『ガレット』と呼ばれる薄焼きが作られるようになった。これが、小麦なら『クレープ』や『パイ』になる。風土により、作物が変わるので料理も変わるのだ。
「ワインとエールでは合わせる食事が変わるのでしょうね」
「いや、ワインが好まれるのは、エールより強いお酒だからだよ。蒸留酒ならもっと強くなるから、多分、もっと売れるんじゃないかな」
アルコール分が多い方が好まれるのはよくわかる。
「料理人が手配できるかな」
王国の料理人は王国大使が既に手配済みであり、明日にでもこちらに連れて来るという。既に、仮の城館で準備を進めていたのだが、こちらに移動させるのだ。一行数十人の料理を賄うのは専門の人間が必要となる。
「豚でも牛でも鶏でも、ここの中庭で飼えるしね」
「よろしいのでしょうか」
「良いんじゃない? どのみち、この幾何学っぽい庭は好みじゃないからね」
新型の星型城塞や計画された新都市などは、シンメトリーなものが少なくないのだが、野趣あふれる姿が好みの姉は、この手のすっきりした庭が好きではないのである。
「まあ、教練場とか馬場としてはこっちが使いやすいだろうけどね」
明日には料理人共々、家畜がやって来るのでそれで納得してもらいたい。
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「この城館の厨房でしたら、王弟殿下もご納得いただける料理を提供できるかと存じます」
料理人は下働きを含めて十名。彼女らの食事を含めて平素は五十人分、晩餐会はともかく、パーティーならばその倍ほどの食事を用意しなければならないのだが、リンデの料理人の手伝いも容易に頼めるであろうし、食材や酒保にも問題はない。
「元が修道院ですので、食事に関しての施設は充実しているのですな」
神に仕える者たちにとって、食事が唯一の楽しみである。厳格な規律を課す修道院においても、食後のデザートやワインは毎日振舞われていたという。貯蔵庫含め、百人単位の食材を保管し調理することも難しくはないのだ。
彼女が言わずとも、後日到着するであろう聖エゼル海軍の老兵たちは、薬草や調味料となる野草を庭に植え、庭園ではなく畑を耕す事になるだろう。修道院とは本来、そういう施設だからだ。
王弟殿下の料理人は、法国の宮廷で料理を学んだ経歴を持つ。とはいえ、王国の王都周辺と法国では食材も気候も異なるので、王都に合う『法国風宮廷料理』を研鑽してきた人物である。
今回の親善訪問の旅程においては、それぞれの宿泊地の領主なり有力者が王弟殿下をもてなすので、殿下自身の料理人はさほど重要ではないが、リンデ滞在の間ずっと接待を受け続けるわけにもいかない。
その為、王弟殿下一行とは別に先乗りでリンデに到着していたのだ。準備を整えつつ、環境に不安を感じていたそうだが、『シャルト城館』の厨房を確認して一安心したといったところだ。
「豚とか牛がいますね」
「船に乗る時も、食材として生きたままの動物を積み込むことが有るみたい」
「うわぁ……でもそれはそうですよね」
生の肉はすぐに腐敗する。また、塩漬けだって限界がある。なので、最初は果物も家畜もふんだんにあるのだが、一週間も経たないうちに黒パンとワインだけになるのだという。水も腐るので、腐りにくい酒精の入ったワインが飲料水代わりに持ち込まれるのだとか。
「船乗りとは大変なものなのですね」
「酒場で酔っ払ってる奴を無理やり乗せたりするんだって聞いたよ」
「それは、うかうか泥酔できないですわね」
泥酔するまで飲んではいけません。
とはいえ、若い男は船乗りにする為、若い女性は商売女にするために攫われる事も珍しくないので、気を付けなさいと情報収集の際に、薬師娘たちは何人かから忠言されているのである。
「この国の船乗りは、新大陸へ向かう事が多いでしょう? 生還率は半分程度らしいわ」
「冒険者なんて目じゃありませんね」
「何度もこなせるのは余程の命知らずなのですね」
伯姪は「内海の船乗りは冒険者と変わらないよ」と言い返す。それでも十分危険な職業なのだが。
「そりゃそうだよ妹ちゃん。何日も陸が見えないような場所で活動していて、嵐にあったり、風が無くって動けなくなったり、突風で帆柱が折れたりすることもあるし、暗礁にぶつかって浸水することもあるし。戻ってこない船も沢山あるしね」
姉は、「博打だよ!!」と、新大陸に向かう船に乗ることをそう表現した。
「つまり、博打の上前を撥ねるほど、この国は追い込まれているというわけね」
「そうそう。そんな感じだと思うよ」
神国の新大陸から戻る船を襲い財貨を奪う為に、『私掠免状』を与え、海賊の上前を撥ねる女王という存在。どの国の国王も、多かれ少なかれその手の免状を与えているのだが、本来は私掠が従で、交戦が主と言える。
常備の軍のように船を用意することが難しいので、『傭兵』として船を雇う。その際の雇用契約の一つに『私掠の許可』が入っていると言えば良いだろう。つまり、『王国のために戦え。その代わり、勝利した後の略奪を許可する』というものだ。
それが主客転倒しているのがこの国の『私掠免状』であるといえる。百年戦争の際も『騎行』で略奪旅行をするのが目的であった事を考えると、今も昔も行動様式は変わっていない。王国の戦力と統治が拡充し、昔のように陸を荒せないとなった結果、狩場を海の上へと変えたということだろうか。
料理人が法国仕込みと言うのは実は意味がある。『法国風』というのは、いまリンデを中心に女王陛下の宮廷においてももてはやされているのである。
「わざわざ古代語をセリフに入れた芝居なんて作らせているんだってさ」
「……恥ずかしいわね」
「一周回っておしゃれ感覚なんですか?」
父王の時代から、派手好き見栄っ張りの風潮は変わっていないのだという。
「確かに、あの襟回りの飾りは法国から始まった流行だけれどさ」
姉曰く、田舎に行くほど極端になっていくのだという。なので、リンデのそれはとても下品に見えるのだとか。何事も中庸が大切なのである。