第628話 彼女はサンセット嬢について考える
第628話 彼女はサンセット嬢について考える
『フローチェ』が煩いこともあり、『シャルト城館』の庭に、ちょっとした池を形成することにした。
『神々しい感じの池が良いわぁ』
「図々しいにもほどがあります。蛙の癖に」
『か、蛙じゃないわよぉ、元は蛙だけどぉ』
黄金色の二足歩行の蛙の中精霊……これが『フローチェ』の存在だ。
城館の環境を整備しつつ、様々な残された施設を一つずつ確認していく。
魔術で出来ることはそれで済ませるのだが、元はあったであろう調度の類も広間や来客用の応接室などに関しては粗方搬出されていた。寝具や客室の家具は椅子とベッドなどだけであり、これは部屋に合わせて誂えたものなのかそのまま放置されていた。
「ん、家精霊ってどうなったんでしょうか?」
蛙精霊も指摘していたのだが、いるはずなのが家に住まう精霊の存在。三百年近く経つ修道院跡の城館であるから、いてもおかしくないのだが。むしろ、その存在が『幽霊屋敷』とされる要因になったのではないかと思うのだ。
「怪しい存在はいないのかしら」
『今のところ俺にはわからねぇ』
『猫』でもいれば探らせることもできるのだが、彼女と常時一緒にいる『魔剣』には、捜索するような能力はない。どこかの部屋に隠れているか、別棟に潜んでいるかであろうか。
「悪戯されてから考えればよいのではないでしょうか」
「必ずいるってわけでもないんでしょ?」
「ええぇぇ、折角幽霊物件購入したのに。いないなんて、詐欺だよね」
一人オカシナ人が居ます。
「あのう……」
話しかけてきたのは、サンセット氏の愛娘『シャルロッテ』嬢。御年十一歳。花なら蕾である。
「遠慮せずに話してちょうだい」
「……娘は何か部屋にいると……この屋敷に来てから申しております」
サンセット夫人は、彼女たちに食後の飲み物を提供しながら、給仕をする娘の話を彼女達に説明する。
曰く、館に入った際に、何かしら視線を感じている。その視線は、ずっと自分を観察しているように思え、この部屋にいる際は感じないが、私室に戻ると視線を感じる。また、彼女達がいない屋敷の空間にいる際は、同じように感じることがあるというのだ。
「つまり、姉さんがやかましい間は視線を感じないのね」
「なんだかお姉ちゃん、褒められちゃったかな?」
彼女は「褒めていないわよ」といいつつ、シャルロッテ嬢に話を向ける。
「皆様のどなたかとご一緒させていただいている際には、視線を感じることがございません。一人の時、もしくは母と二人きりの時に感じるんです」
悪意のある視線ではないので、怖くはないのだが、落ち着かないと加える。
「それって」
「屋敷の精霊でしょうか?」
「家主、私なんですけどぉ!!」
「らしくないからではないかしら」
姉、つまり『家霊』から城館の主として認められていない!!
「そ、そんにゃことないよ……」
「とにかく、その視線の主を探しましょうか」
「探して……どうするのです」
茶目栗毛は皆を代表して質問をする。
「しばらくはシャルロッテさんにルミリが常に同行するようにしましょう。すると、視線の主は何らかのリアクションを取るはずです」
何か言いたいのであれば、その機会を失ったと考えた視線の主がアプローチを変えて来るのではないかと彼女は考えている。魔力の強いもの、また、教練を経て魔力の扱いが『魔術師的』になっている者に対し警戒しているのではないかというのが彼女の仮説だ。
「お母様は……」
「私は……特に感じません」
恐らく、乙女であることも条件なのだろう。母親は『乙女』とは言えない。魔力の無いもしくは、弱い『魔術師』ではない乙女は、現状シャルロット嬢しかいないので、付きまとわれ狙われているのであろう。
「いたずら目的?」
「変態かもしれないわね」
「変態の家精霊……事故物件?」
まだ見ぬ家精霊、既に評判は最悪になりつつあった。完全風評被害だが。
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連合王国のある『大島』は、幾度となくさまざまな部族が襲来し、先住民と戦い、あるいは支配した歴史がある。それ故、妖精の類も混ざり合っている可能性もある。蛙の水精霊が、自分を祀る部族と共にこの地を訪れたようにである。
『家精霊な。悪いものではないんだろうけどよ』
「……何か言いたいことでもあるのかしら」
『魔剣』曰く、この敷地に悪霊也魔物が入り込めないように『魔水晶』による防壁を姉と彼女で築いたのだが、それによって何か問題が発生するかもしれないというのである。
『悪いものが外から入り込めないってことはよ、中から出られないってことの裏返しでもあるだろ?』
一通り見回ったものの、魔物や悪霊の類は感じられなかった。善性のある精霊・妖精であれば見逃すか見過ごしたかもしれない。
「そもそも、家につく妖精なり精霊とはどういう意味なのでしょうね」
『……こりゃ、俺の解釈だがよ……』
『魔剣』の解釈としては、商人同盟ギルドのリンデ商館のような存在が、個々の屋敷なのではないかと言うのだ。つまり、連合王国内にあっても、在外公館として『他国領』であるとみなされる、国家の中に存在する外国。
それが、古い屋敷には認められているもしくはいたのではないかというのである。
「引き連れた精霊の類が屋敷に元々いた地の精霊に影響を与えていると
いうことかしら」
『リリアルのあの「草」だって、そんな感じだろ? あいつはちょっと存在感が有りすぎるが、姿かたちを感じることができない程度に薄めてしまえば、役に立つ見えない存在って奴になるんじゃねぇのか』
確定ではないが、そう考えても間違いは無いような気がする。
「家妖精と言えば」
彼女は、その昔、冒険者になろうと考えていたころに乱読した魔物や精霊に関する文献の中で記憶に残っているものを思い出す事にする。
有名なのはブラウニー。これは『茶色い小人』ほどの意味であり、その身に着けている粗末な衣装が茶色いことに起因するという。歩人をやや小柄にしたほどの存在であり、家に住み着き家人が寝ている間に家事を手伝うとされる。
恐らく、『土』の精霊に悪霊ではない祖霊が加わり生まれる者ではないかと推測されている。
「この元修道院には、枯黒病の病院と墓地はあるのよね」
『まあ、無念ではあったろうが悪霊になるほどの酷い死に方はしていないだろうな。少なくとも、廃屋に放置されて死んだわけじゃねぇ』
枯黒病で都市の半分の住人が死ぬほどの被害が出れば、病気が移る事を恐れた住人が廃屋などに閉じ込めることもあったという。川の中州などに修道士が病人を集め世話をするといった施設に収容されたのなら、それは運が良いと言える。
「それで、修道院の修道士を手伝うブラウニーになったのでしょうね」
『それとよ、茶色い粗末な衣服と言うのは、修道士の従者たちの衣料に似ているかもしれねぇな』
修道士になるには、騎士同様貴族の子弟でなければならない。相応の寄進を行い、修道院に入るのだが、当然身の回りの世話をする従者が付いてくる。もしくは、雑用をする修道院の『寺男』が存在するのであるが、ブラウニーの姿はそれを模したものであるとすれば、合点がいく。
「けれど、修道士なら女性の部屋に入り込まないわよね」
『女の家妖精もいるんじゃねぇの?』
確か、『シルキー』と呼ばれる妖精が存在したはずだ。
灰色か白色の絹のドレスを着ていて、シルキーが動き回ると、姿が見えなくてもドレスの衣擦れの音がする。音は擦れども姿は見えずというものだ。
ブラウニーよりも、『霊』としての存在が強く、恐らくはその家で働いていた使用人の女性が『家霊』となり、死後も仕え続けているのではないかと考えられている。未婚の貴族ないし郷紳の子女が若くして亡くなった末かもしれない。
『手伝ってくれるなら問題ねぇな』
「気に入らないと、暴れるのよ。部屋を荒したり、料理を不味くしたり、追い出そうと家鳴りをさせたりね」
『……その辺は、お前の姉に丸投げだ。なにしろ、館の主はあいつだ』
魔力量はたっぷりでも、姉は精霊の類とは縁がない。恐らく、他者共感性の欠如というか、非現実的なものを受け入れない信条と言うか……まあ端的にいって「お化け嫌い」なのである。但し、魔物をぶちのめすのは問題ない。
「物理で倒せない存在が怖いのよね。姉さんは」
『俗物だからなあいつは』
仰る通りです。
彼女は、ブラウニーが存在するという前提で、家の管理を委ねるサンセット夫人と娘のシャルロット嬢が、何かしらの良い関係を家妖精と結べるように考えなければと思い至る。
「確か……」
ブラウニーはダメ出しに弱い。怒ったり、暴れたり、逃げ出したりするのだ。新しい衣服も禁忌であったはず。
贈り物に、極上のクリームひと鉢や、焼き立てパンやケーキとミルクを手の届くところに置いておくことや、感謝の気持ちを声に出して伝えるなども悪くないだろう。
「それと、見えない気配はシルキーであるとして……」
シルキーは『精霊』に近い存在であり、尚且つ見返りを求めない点でブラウニーとは異なると言える。存在を認め、感謝の気持ちを伝えるだけで十分だと考えられる。
シルキーは貴族や富豪の屋敷に棲む事が多く、また、使用人に混ざりそこはかとなく仕事を手伝うこともあるという。大勢の使用人が働く屋敷ならそういう存在も目立たないからだろう。顔も名前も思い出せない女性使用人が手際よく仕事をさばいていくのだというのだから、大助かりなのである。
「夫人にとっては良い知らせになるのでしょうね」
『そうだな。まあ、色々とつきあいながら関係を作るってところは、人間同士と変わらねぇ。だがよ……」
『魔剣』はその視線の主が善なる家精霊だけではないのではないかと示唆する。
『関心を持たれた時点で、何らかの感情が生まれることもある。無視すれば何ともなかったんだろうがな』
「そうね。いたずら心が生まれ、やがて、調子に乗って悪戯がはじまり、やがて大火事になる可能性もゼロではないものね」
シルキーとブラウニー以外にも存在するのではないかと考えるのは、悪いことではない。家妖精は、言葉を交わさず、何らかの予兆・予言を伝える存在ではない。故に、何かしら良からぬことが起こったとしても、何も伝えることはないだろう。
「一先ず、時間帯を変えつつ、人のいない空間の探索を進めましょう」
『病院棟に墓地は特にだな。恨みの無い死者がほとんどだろうが』
『魔剣』曰く、餓死した修道士たちも処刑された修道士たちも『殉教者』となるので、恨みは残っていないだろうという。覚悟を持って抵抗したのであるから、それは当然かもしれない。
「病院棟と墓地ね。時間を変えながら観察してみましょう」
一先ず、敷地内の調査は継続することとした。
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「またまた、妹ちゃん、お姉ちゃんを脅かそうったってそうはいかないんだよ」
夕食時、サンセット親子に給仕をして貰いつつ、この屋敷に住まう見えない存在について話をしている。姉は「お化けなんていないよ!」と言い張る。精霊や妖精はお化けではない。
「……アイネ様」
「なにかな、シャルロットちゃん」
「格式あるお屋敷には、ブラウニーは勿論のこと、シルキーのような家精霊が存在するのは当然なのです」
「……そうなんだ……やっぱ、新築物件に買い替えようかなー」
そんなわけにはいかない!!
「アイネ様。悪い妖精ではありませんから、私たちにとっては良き隣人として敬意をもって接すれば恵みをもたらしてくれるのです」
サンセット夫人は、むしろ「良い屋敷」であると力説する。家妖精がいるのが当たり前のこの国の住人にとっては、自慢になりこそすれ恐れる必要はないのだと言いたいのだろう。
「でもさ、夜中に目を開けて、目の前に茶色い小人がドアップだったら……驚くよね」
彼女は姉に敢えて釘を刺しに行く。
「姉さん」
「何かな妹ちゃん」
「姉さんは、一度寝付いたら朝まで熟睡するのではないかしら。だから、夜中に目を覚ますことを危惧する必要はないわよね」
「……そうかもしれないけどさ……でも怖いじゃない?」
そもそも、姉は妖精や精霊と縁がない存在なので、気にしても無駄なのだ。おそらく、ノウ男爵家はシルキーやブラウニーと上手くやれなかったので、屋敷を手放したのだろう。シルキーは『幽霊』に見えなくもない外見をしている。故に、そういう噂に至ったのではないだろうか。
「それで、今一つの噂の検証をしなければならないと思われます先生」
茶目栗毛が話を切り出す。彼女と『魔剣』が危惧していた話である。
「墓地に、不審な火の玉が現れると……噂されているようです」
墓地に俗に『火の球』が現れるという話は聞かないでもない。『大島』においてそれは、『ジャック・オー・ランタン』もしくは、『ウィルオウィスプ』と呼ばれる存在であるとされる。