第627話 彼女は姉に土魔術を教導する
第627話 彼女は姉に土魔術を教導する
サンライズ商会の店舗には暫くアンヌが滞在し、商会の把握及び商会員の監督を行うことになっている。代わりに……
「私どものような商人如きが、貴族様の御屋敷に滞在してもよろしいのでしょうか?」
「よろしいのだよ。サンライズ商会の本店はあっちの城館に移転するつもりだし、商会頭代理のご家族も、あちらで住んでもらった方が良いしね。サンセットさんは、城館からこっちの旧店舗に通ってもらうけどね」
「……」
サンセット氏の妻子はぴんと来ていないようだが、単純に人質扱いである。サンセット氏も元は小悪党の親玉。誰とどのように繋がっているかはわからない。最終的に放逐する可能性もあるが、しばらくは、そのリンデでの取引関係を継続してもらわねばならない。
「これからは、高価な品も扱うしあの場所では警備もままならないからね」
「そうなのでございますね。では……」
「貴族や郷紳との取引も増えるだろうから、言葉遣いや所作も見直していくことになるかもしれないね、商会頭代理夫人」
「畏まりました商会頭様」
魔導馬車の魔力を通さない状態の普通の乗り心地で、『シャルト城館』へと向かう。サンセット氏の家族も、どのような人物か分からない為、余計な情報を与えないように魔力を纏わせていないのだ。
「立派な馬車でございますね」
「そこそこね。装飾は抑えてあるけど、内装の仕様なんかは来客にも対応できるようにしてあるからね」
リリアル用の魔装馬車の場合、荷馬車はともかく箱馬車は王妃殿下も御座乗される可能性もある為、あまり質素にするわけにもいかない。姉も同じ仕様の箱馬車を有しているが、外装はニース辺境伯家の紋章が描かれているので、わかる人にはわかってしまう。
歩いても馬車でも十五分ほどで『シャルト城館』に到着するほどの距離だ。その移動はあっという間だが、新しい館の主が徒歩で現れるのは格好がつかないと姉は夫人と娘、そして彼女を同乗させ魔装馬車(魔力不使用)に乗り移動してきたというわけだ。
門衛は姉と彼女の顔を見知ったものであり、「ようこそ『シャルト城館』へ」
と挨拶をされた。馬車のまま中へと入り、城館に横付けされる。背後には、魔装荷馬車が続く。
茶目栗毛が魔装馬車の馭者を務め、その横には『赤目のルミリ』が助手として座っていた。魔装荷馬車には、伯姪と薬師娘二人が乗って後ろを追いかけてきたのだ。
「どうぞ、夫人」
「ありがとね!」
茶目栗毛がドアを開け、踏み台に降りるアイネに手を差し伸べる。
「やっぱ、良い建物だね」
「それはそうでしょう、さっさと降りてちょうだい姉さん」
女王陛下の戴冠式前に滞在されたほどの居館である。従者も百人単位で引き連れていたであろうし、『女王護衛隊』も同じ程度帯同していただろう。その人員と装備、女王の持ち物を運ぶ荷馬車を収めるだけの収容力がこの館にはあるだろう。
「あの離れの病院棟は、倉庫に改装かな」
「云われが無ければね」
「もう、私の持ち物だから、関係ありませーん」
元病院棟をそのまま使う必要はない。僧房であったところを四人部屋や八人部屋に改装して、一時滞在用の従卒や使用人の部屋にすれば事足りる。馬房と近いこともあり、病院棟の位置に倉庫を置くのはおかしくないだろう。
「そんなに沢山、何か収容する必要があるとは思えないのだけれど」
姉の扱う商材は、ワインや蒸留酒、法国産の衣料や絹織物。最近は、南都産の絹に力を入れている。ノーブル領が近いという事もあるだろう。業務提携というところだ。
「地下室も欲しいんだよね」
「……だから、自分で作ればいいのよ。『土』魔術で」
それぞれの使用する部屋割りを確認しつつ、姉はなんとか彼女に仕事を押付けようとして失敗している。
三階建ての正面城館には姉の居室と執務室を確保。また、来客用の広間や客室も同じ場所に確保している。三階が姉の私的なスペース。二階が来客用の居室、一階が接客用の広間や応接用のスペースとなる。
一階の一角にはサンセット氏一家の居室も確保された。将来的には執事長・メイド長といった役割をこの屋敷で担う事になるだろうか。
リリアルメンバーは、二階の客室をそれぞれ使う事になる。茶目栗毛は護衛騎士用の部屋、伯姪と彼女は主客室でそれに付随する使用人用の部屋に三人が滞在することになる。
庭園に面した側の客室棟もあるが、そこは暫く使用しないつもりである。調理場や食糧庫、薪炭室もその近くにあるのだが、城館の主要な建物とは離れた作りとなっている。
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全員で使用する部屋の掃除を行う。暫く人が住んでいなかったので、埃や汚れもそれなりにあるからだ。
「いざとなったら、魔装荷馬車で寝起きすればいいしね」
「……折角、城館で寝られるのだから、わざわざ車中泊する理由がわからないわ」
伯姪は野外で寝起きすることが嫌いでないが、彼女は落ち着かないのだ。壁がある場所で寝たいと考えている。それが裏目に出て、廃修道院で包囲されたのだが。
「魔術でぱっぱと掃除できたらいいのにぃー」
「水の精霊魔術と風の精霊魔術があれば、出来ない事はないでしょうね」
「……水……」
精霊に心当たりがある。ルミリと契約した蛙似の精霊、『フローチェ』である。彼女はルミリに命じて、フローチェを呼び出す。
『どうしたの、故郷に着いたとか?』
ルミリは、これから館の掃除をするので、水の精霊魔術を使って掃除するのを手伝って欲しいと説明する。
『あらあら、なんでぇ~ 家霊に頼めばいいじゃなーい~』
「家霊?」
『そうそう。この島の古い城館には、家の精霊が宿るのよぉ~』
連合王国のある『大島』には、土の精霊由来の「屋敷精霊」が存在すると言われる。ブラウニーであるとか、シルキーと言った存在がいるとされる。それは彼女も知っている。
しかし、どうすれば接触できるのかはよく分からない。それに、今晩この館で寝るのに、今清掃しなければ汚れた場所で寝なければならなくなる。
「やっぱり荷馬車で……」
「却下」
「ですよねー」
彼女はまず、小水球を形成し、その中にシーツや寝具の布類を入れてグルグルと廻して攪拌する。少しずつ、水が黒く汚れていき、やがて真っ黒になる。
「「「……」」」
「すっごい汚れてるねー」
「そうよ。リンデの街中はもっと空気が汚いので汚れているわ」
王都以上の人口密集地であるリンデは、とても汚い。川も、土も、空気もだ。離れたこの館も多少影響を受けているのかもしれない。
水球の水から洗濯物を出すためにいったん外へ移動する。そして、魔力壁で圧縮して脱水。広げて、小火球を魔力壁の中に形成し、空気を温めて乾燥させる。
「ほら、簡単に綺麗になったでしょう?」
「妹ちゃん」
「何かしら姉さん」
「魔力壁六面形成して、中に小火球を入れつつ、洗濯ものを広げるって、魔術の数がスッゴク多くなると思わない?」
同時展開が三を超えると、魔力の消耗は指数関数的に増えていくためかなりの魔力量を消費するようになる。
「……では三角錐で魔力壁を形成して、小火球。洗濯物は板の上に並べる……ならどうかしら」
「洗濯物を並べる板を壁のある場所でL字型に形成して、壁と地面以外を魔力壁の三面で抑えて、小火球なら四つの魔術の同時使用で済むわ!」
魔力量中の伯姪と茶目栗毛なら、問題なくできそうだ。
「私たちは……」
「二つずつ出し合いましょう」
薬師娘二人は、コンビで行う事になる。魔術を多重展開する姿に、サンセット夫人は目を見開いて驚き、娘は「すごいすごい!!」と大興奮である。
「どう、すごいでしょ! うちの妹ちゃんは!!」
姉、自分でもやりなさい。
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魔術の新しい可能性「洗濯屋」を開拓しつつ、綺麗なリネンに囲まれた新居生活を堪能するつもり満々の姉。
「姉さん、忘れていないわよね」
「何を?」
姉、完全に忘れている。
「『土』魔術を習得し、土の精霊の祝福をいただくこと。そして、この城館の周りを土塁で囲む事よ」
「も、もちろん、しっかりくっきり覚えているよ!」
絶対忘れていた。既に、晩酌のワインの銘柄で頭の大半を占めていた事は明白だ。
姉の魔力量は、リリアル生で言えば黒目黒髪並であり、彼女ほどではないが、その豊富な魔力量を生かした『魔法袋』による巨大収納として商会運営に大いに活用されている。
が、魔術に関しては基本的な魔術以外はこれと言って使う事は出来ない。身体強化や魔力操作などは勿論できるが、『気配隠蔽』『魔力走査』といった魔力のコントロールがとても苦手なのだ。最初から恵まれた魔力量を持つものぐさな姉故に、そうしたことが身につかない。
彼女が祖母から課せられた課題も、姉は適当な理由を付け回避した経緯がある。天才だが万能ではないのが姉なのだ。
つまり……
「全然発動しないよ妹ちゃん」
「……へたくそなのかしら」
「ひどい!! いっしょうけんめいやってるのにぃぃぃ!!!」
一生懸命やっても、発動しないのだから無駄な魔力の消費に過ぎない。
彼女であれば、『土牢』で土を掘り下げ、その土を用いて効率よく『土壁』を同時に形成する。堀と壁が同時に出来上がる事になり実に効率的だ。
その後、魔水晶を封じ、上から『堅牢』を掛け、壁面を硬化させることになる。また、水を引くのであれば堀の底に『土槍』を設置し逆茂木を潜ませるし、土塁の上にも同じように柵を生成することができるだろう。
「何故できないのかしら」
「ううぅ……人には向き不向きがあるんだよぉ」
姉、細かいことが苦手である。
「ではまず、壕を掘りましょう」
「いいよ! 一個ずつだよ!!」
姉は改めて彼女から教わった『土』の精霊魔術の詠唱を始める。何事も正確な詠唱が無ければ、見知らぬ土の精霊に働きかける事などできない。
「土の精霊ノームよ我が働きかけに応え、我の欲する土の壕で敵を食い止めてね……『土牢』!!」
姉が壕を作ろうとした長さ10m幅4mほどの地面が、うねうねと動き始める。しかしながら、術は不発となり元の状態に戻る。
「おっかしいなー」
「おかしいのは姉さんの頭……ではなく、呪文ね」
堀が結果として敵を食い止めるかもしれないが、今目の前に抗う敵は存在しない。故に、土の精霊は混乱し、術が成立しなかったのだ。
「真心込めてお願いした方が良いかなっておもってさ!!」
「……精霊が混乱して、地面がうねっていたじゃない。そういう人間に対する配慮のようなものは不要なのよ。明確な意思表示こそが大切だと思うわ」
「なるほどね」
姉、理解したようである。
「土の精霊ノームよ我が働きかけに応え、我の欲する土の壕を築くべし……『土牢』!!」
更に姉は調子に乗り、「築くべし! 築くべし!! 築くべし!!!」と連呼する。
「いやー 乗り越えたら簡単だったよ妹ちゃん」
「……姉さん、近づいてみてちょうだい」
「なになに、驚いた?」
驚いたわそりゃ。築くべし!のところで、ドンドン深く階段状に10m間隔で壕が深くなっていっている。最初は3mほどであったのが、さらに5m、7m、9m、と深く深く削り込まれている。無駄魔力の発揮、ここに至れり。
「……落ちたら危ないね」
「ええ、確実に死ぬわね、この位置なら」
10mは二階建ての家屋の屋根の上に当たる。城館の土塁は3mほどの高さを想定しているので、落ちれば確実に死ぬであろうし、底から這いあがることも『魔力壁』なり、縄なり無ければ難しいだろう。硬化させれば、足場を削る事も難しくなる。
「でもほら、なんかできそうな気がしてきたヨ!!」
「それはよかったわ。次は、壕の向こう側に土塁を形成するのよ。その後は魔水晶を埋めてから硬化させてちょうだい」
「よし!! わかった!!」
こうして、半日余りの後、『シャルト城館』の周りには、でこぼことした深さの壕と3m程の高さの土塁が構築されたのである。
魔水晶を埋め込んだ土塁により、盗賊はともかく、悪霊やアンデッドを始めとする害意ある魔物が土塁を乗り越えることを忌避するようにすることができた。
しかし彼女は気が付かなかった。姉が簡単に落とし穴を掘り、いつでもどこでも誰にでも悪戯が仕掛けられるようになった……という事をである。