第625話 彼女はノウ男爵と邂逅する
第625話 彼女はノウ男爵と邂逅する
「わ、私の金貨五十五枚ちゃんがぁ!!」
姉、金貨一枚だけでしょ賭けたのは。損しても金貨一枚なんだぞ、忘れるな!!
『スライミィ』の毒霧攻撃とでも言えば良いだろうか。恐らく、刺激性のある液体を口に含んでおいて吹きかけたのだ。アルコール、蒸留酒あたりだろう。眼に入れば激しく痛いのは当然だ。
「ああ、大ピンチ!!」
「……大丈夫。見た目ほどダメージは入っていないわ」
片手剣で板金鎧を叩いても、大したダメージではない。むしろ、鎧の隙間を狙った刺突が危険なのだ。しかしながら……
GINN
「……何……着こんでやがる……てめぇ」
左手短剣の刺突が鎧の隙間を抜けない。これが、鎖帷子とキルティングの鎧下なら抜けて深い刺し傷となっただろう。
しかし、リリアルの鎧下は『魔装布』だ。簡単に言えば、板金鎧を二枚重ねで付けているに等しい。
「審判、こいつは、なんか着込んでいるぞ!! 反則だぁ!!」
『スライミィ』が自分を棚に上げ、グダグダ言い始めるが、武器は用意したものを使用する義務があるが、防具は自前で制限らしい制限はないので、反則などではなく、単なる言いがかりだ。
「許せません」
剣を逆さに持ち、護拳の部分をツルハシのように振り回す灰目藍髪。
「良いぞ!! 頑張れ!!」
「マリスちゃん!! 諦めんなぁ!!」
灰目藍髪びいきというよりは、アンチ・スライミィも加わり、盲目の中で
反撃を繰り返す女騎士への声援が高まる。
「は!! あと三十分は目が見えねぇだろうよ。その間に、余裕で勝利だぜ!!」
似非紳士の仮面を外したスライミィが、チクチクと攻撃を繰り返す。ダメージは微少だが、しかし、魔力量の少ない灰目藍髪にとっては、時間の経過は魔力切れをもたらす事に繋がる。
「ど、どうしよう妹ちゃん!!」
「……落ち着いて姉さん」
「落ち着いていられないよぉ!! 金貨五十六枚がぁ!!」
姉、賭けた一枚に五十五枚加えやがったぁ!!
灰目藍髪は勝負に出た。
「何やってんだよぉ!!」
「諦めんなぁ!!」
剣を手放したのだ。
「降参するのかしら」
「いいえ、そうではないでしょう」
魔力走査に力を振り位置を確認、一瞬の加速からスライミィの腕を取る。そして、そのまま手首を両手で握りしめたまま胸に浴びせ蹴りを加えて引き倒す。刃引きの剣故、恐れず腕を取りに行けたということもある。
「でたぁ!!」
「なになに!!」
碧目金髪曰く、騎士学校でもベク・ド・コルバンでバインドから武器を手放して腕を取る攻撃を何度も決めていたのだという。
瞬間的な身体強化、短時間で多くの魔力を注ぎ込み、魔力量の少なさを一瞬の力に替える術を磨いたのだという。
「私たち、元々魔力量がショボいじゃないですか。私はあきらめましたけど……」
瞬間の出力では魔力量の中程度、伯姪や茶目栗毛ほどになるように、灰目藍髪は魔力の出しどころを鍛えたのだという。
BAKI……
「いっでえぇぇぇ!!!」
手首を決めて、倒れ様に体重をかけて手首と肘をくじいた。恐らく、暫く、悪くすれば一生、右手で剣は握れないだろう。
「もう一本行っときますか。こちらは両目を潰されましたから。両腕圧し折るくらいでちょどお相子でしょう」
「ぐぅ、そんなわけあるかぁ……負け、俺の負けだぁちくしょう!!」
第三枠はこうして決定した。
「五十五まいぃぃ!!」
姉、興奮し過ぎである。
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『バグズ』はスライミィのような悪名ではなく、「しぶとい」「死んだと思っても生きている」といったタフさを揶揄した意味であったらしい。
「すまんな」
「いえ、こちらこそご迷惑をおかけしました」
魔銀の板金鎧は魔力を通せば復元する。あとは、本人の怪我をリリアル印のポーションで癒せば何もなかったことと同じになる。当然、眼潰しを喰らった灰目藍髪も回復させている。
「反則野郎はどうする?」
「いやほら、敗者にも慈悲は必要じゃないかな?」
「卑怯者に与える慈悲はないのですよ、おじさま」
「いやほら、俺まだ二十代だし。おじさんじゃないし」
スライミィ、靭帯が伸びてプランプランのはずなのだが、結構元気だ。
「あー 金がぁ」
「傭兵らしく働けばいいんじゃないですか?」
「それがよぉ、ネデルじゃ市民弾圧みたいな仕事しかねぇんだよ。ありゃ、金が良くてもなぁ……」
神国のネデル派遣軍はそういう評価を受けているのだという。腕に自信のある傭兵は、あまりネデルに足を向けていないのだという。弱い者いじめでまともな戦場に出ないのだから、駈出しの傭兵には人気だが、ベテランには忌避されているのだという。
「王国は傭兵に渋いし、帝国はサラセンと休戦中だ。法国の傭兵は案山子の代わりで腕が落ちる。消去法で連合王国に来たんだが……」
「馬上槍試合はお金がかかるよね」
「ああ……まあ、名前を売るのが目的だ。本選に出るのはちょっとな」
選抜される気が初めからなかったのなら、文字通りの骨折り損だ。折れてない、靭帯が切れかかっているだけです。
「とっておきも出したんだけどな」
「あれがとっておき」
「効くんだよ戦場だとな。一瞬の隙を作れれば、相手の命を刈り取れる。死神の刃は一瞬だからな」
戦場なら卑怯もなにもない。とはいえ、それは持てないものの工夫と言えるかもしれない。魔力量の乏しい『スライミィ』の見出した活路であったのだろう。
「ほっほっほ、心配されるな。馬上槍試合の装具は馬共々、三枠の方分はこちらで用意するのだよ」
顔立ちは頬骨が出てげっそりしているのだが、体は丸ぽちゃの違和感しか無い男が話しかけてきた。主催者として最後に挨拶をした『ノウ男爵』である。
茶目栗毛と灰目藍髪、他に『クロウド・アッシュ』という騎士が勝ち上がり、三枠を埋めた。クラウドはこの後、男爵邸に逗留し本選迄過ごすのだという。
「お二人も如何でしょうか」
「連れがおりますし、滞在している商会があります」
「差し支えなければ、商会の名前を教えていただけますか?」
サンライズ商会と名乗っても当然知るはずがないので、元の『サンセット商会』の名前を告げる。
「新しい商会なのでしょうな。残念ながら存じません」
「ふっふっふ、サンセットは知らなくても、これからサンライズ商会の名前は忘れられなくなるだろうね!!」
「……シン様、マリス様、この方はお知り合いでしょうか?」
いきなり話しかけてきた見知らぬ若い貴婦人に、男爵ははじらむ。
「私たちは平素、冒険者として活動しております。その取引で知り合ったリンデの商会頭の方です」
「サンライズ商会の商会頭、アイネともします。ノウ男爵閣下にお会いできて大変光栄ですわ」
「……さようで。では、サンライズ? 商会に使いの者を出せばよろしいでしょうか……シン様、マリス様」
二人は同意し、男爵は「また後日お会いしましょう」とその場を立ち去ったのである。
「まあ、面識は得られたから良いか。どの道、あの館の売買は商業ギルドを仲介させなきゃだもんね」
そんな事より金貨だ金貨!! と騒ぎ出す姉。
さて、ノウ男爵は果たしてどこに住んでいるのであろうか。あの元修道院ではなさそうではある。
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ノウ男爵枠で馬上槍試合への出場が確定した二人。恐らく、王弟殿下の従者の中からも出場枠が設定されている事だろう。
「ねぇ、妹ちゃん」
「……何かしら姉さん」
「あの屋敷の買取を打診に商業ギルドに行こうかと思ってるんだけど、どう思う」
ノウ男爵が手放す前に問題を解決して値段を吊り上げたいと考えているのであれば、そこに掛かる問題の解決依頼料分を値引いて価格提示をしてもらえば、手元に残る金額は同じになるのではないかと姉はいうのだ。
「それはそうよね」
「でしょ? まあほら、あぶく銭も手に入ったし、短刀直入にね」
「単刀直入でしょ? 危ないわよそれじゃ」
金貨八十枚ほど稼いだ姉。売り出し価格が金貨五十枚まで下がっていることから、あと十枚ほど引いてもらって買い手に打診をお願いしてみるつもりなのだという。
「長い間解決できないから、依頼料も跳ね上がっているみたいだし、そもそも、ギルドとしてもほとんど塩漬けみたいなものだしね」
商人同盟ギルド配下の『冒険者ギルド』は、リンデの不動産を扱う商業ギルドとは関係ないのだが、関わりはある。男爵と商業ギルド、冒険者ギルドで話をしてもらえば、『現状渡し』による値引きは問題ないだろう。
「住んじゃった方が、一々通ったりしなくていいじゃない?」
「……屋敷の警備はどうするのよ」
ニース商会経由でリンデ駐在の商会員を手配中だが、二月程度はかかるだろう。ジジマッチョ繋がりの、聖エゼル騎士団を退役した元騎士達に打診をしているのであるから、早々にリンデに到着するとも思えない。
姉曰く、ノウ男爵の使用人を暫く借り受けるなりして、人の手配が付くまで対応することも契約に含めればよいのではないかという。
「働いている人も、雇用主が一時的に変わると思えば問題ないじゃない?」
「あの場にいる人たちは累代の家臣と言う事もないでしょうしね」
そもそもノウ男爵は先代が叙爵されてできた家系であり、元はリンデの商人上りの郷紳だ。
「サンライズ商会に居座るのも、ほら、お互い負担だしね」
「確かにそうね。鍛錬する場もないから、二人の馬上槍試合の練習場も確保できそうなあの屋敷は早めに手に入れておきたいわね」
「またまた、妹ちゃんも出たいんでしょ? 歓迎馬上槍試合」
王弟殿下を迎えるイベントに、副大使の彼女が盛り上げる側で参加するというのは如何なものか。王弟の従者が参加するのは、王弟側の配慮といえるだろうが、副大使参加、尚且つ女性副伯であることを考えると、却って盛り上がらないのではないだろうかと彼女は考える。
「エキシビションなら有かもしれないじゃない?」
「それそれ!! ほら、女王陛下のお気に入りのおっさんとかも、目立ちたいんだと思うんだよね。手合わせしてあげればいいじゃない」
催し物への飛び入り参加も貴族の嗜みだよなどと、寝言を言う姉。伯姪も自身が参加したいのだろうか、積極的に話に加わる。しかし、彼女はさほど馬上槍試合に興味はない。
「魔力勝負なら、相手が可哀そうでしょう」
身体強化に魔力壁迄用いれば、あとは蹂躙するだけなのは戦場で経験している。一方的な戦いは、実戦ならともかく催し物であれば返って水を差す事になる。力が拮抗している方が盛り上がるからだ。
「面子をつぶしかねませんからね先生の場合」
「確かにそうですね。負けて良いことはありませんが、勝てば勝ったで親善に悪影響があるでしょうから」
既に『竜殺しの英雄』と称される彼女の存在は、王国では半ば神聖化され、「聖女アリエル」などと呼ばれているが、『救国の聖女』が連合王国にとっては『魔女』とされ火刑に処せられたのと同様、彼女の存在も立場が変われば見方も変わる。
何度も連合王国の協力者である王国商人や盗賊を捕らえもしくは討伐し、数々の工作活動も潰してきているのであるから、表立って主張できないとしても、好意を持たれるはずがない。
とはいえ、『救国の聖女』は文字も読めない農民の少女であったが、彼女は歴史ある王国貴族の子女であり、自身も騎士となり今では副伯の爵位を賜る有力貴族家の当主であり、かつ、多数の魔力持ち・魔騎士を有するリリアル騎士団を抱えている。個としても集団としても、『救国の聖女』とは比較にならない連合王国の潜在的な敵対者なのだ。
「目立たないようにしたいのよね」
「それは無理!!」
「「「ですね」」」
姉の言葉に異口同音に同意するリリアル勢。何もしなくても目立つのが彼女の存在であるし、何かすればたちまち目立つことは間違いない。
であれば、エキシビジョンでリリアル勢同士が手合わせする程度で納めるのが良いだろうか。あるいは、王国の同行者同士であれば。
「兎に角、なる早であの館を手に入れて、妹ちゃんに改修してもらおうと考えているのだよ」
「姉さんも精霊魔術の鍛錬をするのにちょうどいいかもしれないわね。商会の持ち物なのだから、自分でやってみるべきよ。幸い、鍛錬の時間は沢山あるわ」
姉は仕舞ったと思うのだが、時すでに遅し。姉も土魔術の鍛錬をする事が強制的に決まったのである。