第622話 彼女は『シャルト城館』を訪れる
第622話 彼女は『シャルト城館』を訪れる
敷地の中で、建物のある区域は3mほどの街壁で囲まれている。しかしながら、全周と言うわけではない。庭園部分は植栽で区切られており、低木が阻止線となっている生垣だ。
「礼拝堂が残っているわね」
「そう? 確か、城館に建て替える時に大広間に組み込んだとか聞いたけど」
屋根の配置からして、修道院のロの字型の組合せによる僧房の配置は変らないようだ。修道士とその弟子が住む区画が通路と中庭の間に設置されており、個々の部屋で自炊をし瞑想や写筆などの日課を行う。書庫があり、書架が設けられているはずだ。
地下室があり、食糧庫やワイナリーも設置されていたかもしれない。また、枯黒病の治療にあたる為の病室や薬師の為の工房もあるのではないかと
思われる。
「この辺が建て増しされた部分だよね」
姉が指摘したのは鐘楼の周辺にある三階建ての居室群。壁が多く窓の少ない僧房の区画と比べると、明らかに窓が大きくかつ多い。採光に気を使った部屋であり、暖炉用の煙突も配置されている。また、小窓があるので、屋根裏部分は倉庫か使用人の居室にされているのだろう。
「人の気配がしないね」
「守衛はこの時間なら正面の門にでも待機しているのでしょうか」
茶目栗毛が、前方の門を指さす。確かに、クウォータースタッフを構えた門衛が二人こちらの様子を見ている。
「話しかけちゃおうか」
姉はケラケラと笑いつつ、先に立って歩き始めた。
「巡礼か。だが……」
「良いのです。亡くなった方は神の御許に行かれたのですわ」
処刑されあるいは獄中で餓死した修道士たちは、殉教者として御神子教徒からは尊敬されているものの、聖公会からすれば異端の背教者と言う扱いになる。どうやら守衛たちは原神子原理主義者ではないようである。
「聖地扱いされても困るんだよな実際」
「ええ。わかっております。ですが、元は由緒ある修道院ですから、こうして足を運ぶことも私たちにとっては大切な事なのです」
先ほどまでとはうって変わって、まるで敬虔な御神子教徒のようにふるまう姉。「ちょ、まてよ」と誰か言ってもらいたい。
守衛たちは現在の所有者である二代目ノウ男爵が雇った者たちであり、以前いた守衛たちとは入れ替わりで雇われたのだという。
「人は、パンのみに生きるにあらずです」
「お、すまんな」
姉はワインを取り出し守衛に渡す。この地においてワインは貴族の飲み物であり、庶民は麦からできた生ぬるいエールを飲む。姉からすれば商いものなのだが、守衛にとっては高価な贈答品になる。
「少し中を拝見させていただけませんでしょうか」
「……建物に入るなよ。ま、鍵が掛かっているから入れないがな」
「ありがとうございます。主の恵みが貴方にありますように」
「エイメン」
「エイメン」
どうやら、守衛たちは御神子教徒であったようだ。
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人の使った気配はないものの、敷地の中は手が入っているように見られる。それなりの値段で売りたいのであろうか、やはり庭師や建物の修繕はきちんとなされているようだ。
「全面的に城館に建て替えたらしいからね」
「たしか、初代男爵は国王の側近だったのよね」
「そうだね。今で言うと、セシル卿みたいな存在だろうね」
ビル・セシル。郷紳出身であり、大学で法律を学ぶ。父王時代の国王秘書官に見いだされ側近として重用される。国王秘書官とは、宰相の次の地位をもつ国王の側近中の側近である。
「そろそろ爵位を賜るんじゃないかって言われているから、同じコースだね」
ビル・セシルは、女王好みの落ち着いた城館をリンデの北にある街の郊外に数年前から建て始めている。恐らく、爵位を賜った際に女王を招くために建設しているのだろう。連合王国も王家も貧乏らしいが、あちらこちらに廷臣の豪邸が立つ程度に『原神子信徒』たちは金を持っている。
セシルもリンデの富裕層郷紳の出身であり、彼らにおける当代の利益代表と言った立ち位置なのだろう。似た立場にある宮中伯が清貧な生活をしていることを考えると、その差異が際立っているように彼女は思えた。
『新しい国なんだろうぜ』
「新しい貴族……なのでしょうね」
王国の貴族は相応の歴史のある家が多い。郊外に屋敷を持つよりも王都の貴族街に屋敷を賜る方が経済的だし面目も経つ、さらに貴族同士の交流も容易だ。
リンデの街は、古帝国時代の街壁の中に抑え込まれたままで、王都のように、『尊厳王』『賢明王』そして、当代の国王と街壁を広げ敷地を拡大する政策を採ってこなかったということもある。
そもそも、リンデは首都ではあるが、王の居城はその外れのリンデ城塞であり、また、ロマンデ公以降もリンデに王が滞在する期間はさほど長く無い時代が続いた。聖征の時代、百年戦争の時代、王は王国に滞在することがおおかったということもある。
リンデはリンデの街の代表者が運営する都市であり、王とは同盟者・協力者といった関係なのだろう。
建物は問題なく、また、施設も整っている。あとは値段の問題なのだが、幽霊付きで安く買う方が姉の好みではある。所有者からすれば、退治してその分高く売りたいというところなのだろう。
「いくらくらいで売り出すつもりなんだろうね」
「さあ。けれど、いわくつきの物件とはいえ、立地も敷地も良いのですもの、王都近郊なら、金貨千枚といったところではないかしら」
「王都ならね。それよりは安いと思うよ。ここ、枯黒病患者の廟もあるわけだし、修道士が処刑された廃修道院じゃない?」
姉は、植栽の向こうに見える古ぼけた墓地を指さす。リンデの集団墓地に埋葬することを拒否された枯黒病による死者を埋葬した墓地がそこにはあった。
「あの一角、アルラウネでも植えて薬草畑にしたいよね」
「多少は浄化されるでしょうね。それに、にぎやかになって亡霊も消えるかもしれないわね」
「うるさいは正義!!」
「正義なわけないでしょ」
姉妹の歯に衣着せぬ言い合いに、いつもクールな茶目栗毛も若干口もとが緩んでいる。
「夜見てみないと分からないよね」
「その前に、守衛たちに噂の内容を確認するのが先よ」
門衛にここで何が起こっているのかを聞くと、それは知らないという。日の入りと共に詰所に籠って明け方まで何もせず待機するようにと言う命令なのだという。その為、夜の間、城館の敷地内で何が起こっているのかはわからないのだという。
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「どうだった」
「良いお屋敷だったよ。サンライズ商会の拠点に相応しいお屋敷だね!!」
「……左様でございますか……」
サンセット氏は商会の帳簿や資金と商品の流れを『アンヌ』に説明し続け疲労困憊であるのだという。元街娼であったアンヌだが、ニース商会の姉の手伝いをする間にすっかり商人としての資質が覚醒したようで、姉より細かく正確なところが帳簿の確認などに向いているようで、適任なのだ。
姉は大雑把な起業家資質、アンヌは守勢に向いていると言えるだろうか。
「どうすれば売主に話を通せるか解る?」
彼女の姉なら、王都の貴族程度なら顔パスなのだが、ここはリンデである。サンセット氏の伝手を使うしか方法はなさそうなのだ。さすがに、ウォレス卿が王弟殿下とリンデに来るまで無為に過ごすことはない。
「リンデの商業ギルドの不動産部門に話を通せばなんとか」
「手数料かかるよね」
「ですが、相手は女王陛下の側近、男爵です。直接の遣り取りだと、問題が発生した時に……」
サンセット氏の懸念も最もだが、姉は違うようだ。
「力で解決!!」
「協力しないわよ姉さん」
「面白そうじゃない!!」
「駄目よ。今回は大人しくしていなければ」
伯姪はノリノリなのだが、彼女は当然反対する。
「良い提案があります」
「聞きましょう」
茶目栗毛曰く、冒険者ギルドを訪れた際、王弟殿下の歓迎イベントに先立ち、その予選として馬上槍試合をノウ男爵主催で行うのだという。
「へぇ。お姉ちゃんも出れるかな?」
「騎士でなければ駄目でしょう」
「騎士の妻では駄目なんだ」
「駄目よ……」
『妻』を強調するあたりが腹立たしい。王弟殿下の歓迎イベントは幾つか決まっており、その一つが『白亜宮』の試合場を利用する馬上槍試合なのだという。父王が自身のスポーツ趣味の為に作った王宮で、リンデの川下にある巨大な王宮である。
「その馬上槍試合の予選というわけね」
「そのようです。自身の騎士を持たない男爵が、その予選で勝利した騎士を自身の推薦で歓迎イベントに参加させるというのです」
それには、彼女も『副大使』として歓迎される立場にあるはずだ。
「そこで、男爵と知己を得て屋敷の話をするという事ね」
「……妹ちゃん!!」
「駄目よ。私たちは歓待される側ですもの」
「じゃあ、誰か、参加したい人は手を挙げてください!!」
騎士の資格を持つ者は茶目栗毛・灰目藍髪・碧目金髪。
「わ、私は見学で~」
「許可がいただけるのであれば、参加します」
「女性の騎士でも問題ないのであれば参加します」
茶目栗毛が当確。灰目藍髪は女性可であればという条件がつく。
「申し込みはどこでするんだろうね」
姉の疑問に茶目栗毛が「冒険者ギルドですよ」と答える。どうやらそのイベントは
商人同盟ギルドの協賛であるらしい。
「でも、馬上槍試合の馬はともかく、装備はどうするんですか?」
馬上槍試合には、専用の防具が必要となる。勿論、槍試合用・馬上近接用、徒歩近接用である。近接用の鎧は、普通の全板金鎧をベースにパーツを付け替えれば対応できるのだが、馬上槍試合=ジョスト用は、全身鎧よりさらに重厚な作りの専用のもので、鞍も合わせた専用の装具なのだ。
「あるわよ」
「用意してあるわ」
「……自分で出る気だったでしょ? 妹ちゃんたち」
彼女と伯姪は、姉がいつもするように、目を泳がせるのであった。
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「では、参加者一人金貨一枚です」
「お金を取るのですか?」
冒険者ギルドの受付での遣り取り。招かれた騎士でもない限り、トーナメントの参加費用は発生する。人を使い場所を借りるのも無料ではない。これが、王侯の主催であれば、王侯が一切を負担するのだろうが、今回は予選に過ぎず、ある意味資金集めでもある。
「いいじゃない、お姉ちゃんがドンと祓うよ!!」
「なんか字、違ってません?」
『祓う』ではなく『払う』だ。まだその時間じゃない。
「では、帝国の星三等冒険者シン様、同じく星三等女冒険者マリス様で登録いたします。なお……」
書面が交付され、免責事項などの確認がなされ、承諾書に署名をする。
「勝てば本戦出場。負ければ命と金貨一枚を失うわけだね」
「……命を失うとは限りません」
姉のブラック・ジョークに、灰目藍髪こと『マリス』が即座に言い返す。
「本戦出場枠は三名だね」
「決勝戦に残った二人と、三位決定戦の勝者が出場になるのね」
「三位決定戦が一番燃えそうですね」
三位で本選出場だとしても、活躍すれば問題ない。この手の馬上槍試合の参加者は、仕官狙いか名声を得るためのどちらかであり、高位貴族の子弟は自身の名を女王陛下に知ってもらい側近になることの一つのステップにする為なのだ。
なので、本選に直接出る者は、高位貴族の子弟かその縁者であることがほとんどだ。商人同盟ギルドが直接代表者を選出するには難があるため、金のない二代目ノウ男爵を利用したといったところだろう。
「参加費用の分は、経費で請求しよう。ノウ男爵に」
「ひどい言いがかりだわ」
確かに、姉の言い分も判らないではない。金貨千枚を金貨九九八枚に値切るくらいは許されるかもしれない。
「勝算はあるんだよね」
「金貨二枚の損失に耐えられないのかしら」
「おいしい食べ物がどれだけ手に入れられたかと思うと、夜も眠れないくらい耐えられないよ」
リンデでおいしい食事をするのは金がかかるというのは嘘ではない。幸い、魔法袋に王国の食材を沢山忍ばせてきた彼女たちにとっては、自炊こそ最上のリンデでの食事となる。塩魚と黒っぽいパンと温いエールでは生きるにあらずである。