第620話 彼女はリンデ橋を渡る
第620話 彼女はリンデ橋を渡る
茶目栗毛たちは無事依頼達成の報告を冒険者ギルドのリンデ支部で行い、戻ってきた。
「中々の構えでした」
商人同盟ギルドリンデ商館は『星の館』と呼ばれるかなり大きな敷地を持つ商館である。
百年ほど前、連合王国と商人同盟ギルドが戦争をした結果、敗れた連合王国の首都リンデの一角に治外法権を持つ商館を持つに至る。
戦争の原因は東外海の貿易の主導権争いに端を発するものであり、独自の海軍と巨大な資金を背景とする傭兵軍のため一国が敗北に至る。
以後、帝国・ネデルとの貿易において商人同盟ギルドの影響は大きくなっている。
『テイメン川』北岸、支流『ブルウォール川』が注ぎ込む西岸において、一周300mほどの領域を持つロの字型の城壁を持つ城館を有している。内部にはギルド独自の倉庫、独自の計量所、礼拝堂、計数所、ギルド会館、織物会館、酒場、食堂、住宅が存在する。
リンデの城壁のほぼ中央に存在すると言えるだろう。
また、商人同盟ギルドに関わる各種施設も存在し、冒険者ギルドのリンデ支部もこの一角に存在する。
この商館にはリンデ市の高位都市民と商人同盟ギルドの役員である二名の商館長が在籍し、他に十名の役員が存在するほか書記など数名が在籍しているとされる。これは、他の地域にあるギルド商館の規模とほぼ同じである。
アウトウルペンにも同様の商館が存在し、同盟ギルド加盟都市との取引を仲介している。
「メインツの冒険者ギルドと比べてどうだったかしら」
「ギルド自体は半分くらいの広さです。そもそも、素材の買取カウンターやら依頼の掲示板などもかなり小さくて、夕方で王都ならそれなりに人が居てもおかしくないのですが、割と閑散としていました」
商館には別に食堂や酒場、宿が併設されているので、一般的な冒険者ギルドに併設されているそれが無いからということもあるようだ。敷地内の別の場所にいるのではないかと言う。
「見てこなかったんだ」
「見たら絡まれるかもしれませんし、覗いて出てくるのは不信感を持たれかねません」
少年と若い女二人のパーティーなら、絡んでくれと言わんばかりである。星三は一流の水準とはいえ押し出しの弱い茶目栗毛ではいささか舐められかねない。無難な選択であっただろう。
「面白そうな依頼とかあったかな?」
姉が絡んで来る。姉にとって面白そうな依頼というのは、彼女達にとって避けたい案件でしかない。
「いえ。明日にでももう一度足を運びたいと思っています。朝でなければ良い案件は出にくいと思いますので」
「それはそうだね。よし! 早起きしてギルドへGo! だね!!」
彼女の姉は冒険者登録をしているはずもない。つまり、完全な部外者である。
「なにをふざけたことを」
「お姉ちゃんは真剣です。ふざけていません」
どうやら姉は、王都の郊外にある『訳アリ物件』を探すつもりであるという。
「リンデじゃ、十分な戦力を送り込める拠点はあり得ないからね。敵地に浮かぶ鐵の城のような城館が欲しいんだよね」
「そんなもの、手に入るかしら」
姉も彼女もこの国の人間ではない。
「だから、サンセットを巻込んだんじゃない」
サンセット氏はリンデの商人。それなりの規模の商売をしているので、倉庫兼別荘として郊外に館を構え、人を配置することはあり得ない事ではない。なんなら、家族をそちらに移して人質として確保するのも良い案だと姉はあっけらからんと口にする。
「悪辣ね」
「でも、正論ではあるわ。質を出させるのは、戦争において良くある事よ。裏切らせないためでもあるし、人質と人間関係ができれば、次代とは友好関係が築けるかもしれないしね」
「そうそう。良い面もあるんだよ」
「悪い面ばかりが目に付くのは、人柄のせいかしらね」
伯姪のフォローも姉について彼女にはあまり有効ではなかったようである。
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橋を渡る。彼女たちの馬車は魔法袋へ収納し、サンセット氏の馬車だけを対岸へと渡す。サンセット氏の商会は予想通り西の門の外にあるのだという。
「へぇ、所々でまとまっているんだ。ずっとつながってるのかと思ったよ」
馬車から外をのぞきながら、姉はそんなことを呟く。馭者台には男二人、荷台には女性が座っているが、人数が多いので冒険者姿の四人は馬車の後ろをついて歩いている。
橋の上の住宅・商店は百件ほど。武具屋、小間物、織物販売、食料品店が多い。通路幅は4m、建物はその両脇に土台に貼りだしを設けて橋の外に突き出すように立っている。4m程の間口の家が連なり四ないし五階建てで固まって建っている。
「わー ここは狭いよね」
「静かに。失礼でしょう」
確かに狭い。とはいえ、風も通り抜けないリンデの街中よりは余程快適であると言えるだろう。
水車小屋もあり水を汲み上げており、また木製の水道も通っている。トイレが設置されている「水洗」式であるが、時折、川に落ちる者がいる。
「楼門塔に近いかしらね」
「全部木製だけどね」
確かに、遠目には塊に見えるので、楼門のように見えるのだが所詮は民家である。
大昔は木製の橋の上にこのような小屋が建てられていたというが、余りの重さに耐えかねて崩落したかあるいは火災で燃え落ちたため、聖征の時代に石橋に建て直されて今日に至っている。
中央部分が『跳ね橋』となっており、橋を分断できるように細工されている。
「お、真ん中まで来たみたいだよ」
跳ね橋の上をぎしぎしと馬車が渡り、その後を徒歩の彼女と伯姪たちが進んでいく。
橋げたの数は十九と聞く。
川は海からかなり離れているのだが、干満の差が数mあり、その影響を受け、橋げたの周りは激しく水流が乱れる時間帯がある。その時間を狙って、船を通そうとする『愚か者』がおり、橋げたに舟を叩きつけられ川に落ち、時には命を失う事になるという。
「水馬で通れないかな」
「……姉さんじゃないんだから、やめてちょうだい」
「あれれ、お姉ちゃんリスペクトされているのかな?」
いや、そうではない。
面白そうな店も何件か見かけたが、後日訪れることもあるかも知れないが、今はやるべき事が沢山ある。
300mあまりの石橋を渡り、北岸に渡るとまずは商人同盟ギルドに向かう事にしようと思うのだが、姉が「先にサンライズ商会ね」と言い出す。
「先に商会の建屋をみておかないと。今日の宿になるかもだしね」
「それもそうね。では、サンセットさん、案内をお願いするわ」
「も、勿論でございます。あの……」
サンセット氏は言いにくいのだがと断り、話を始めた。リンデの商会で働く商会員と家族は、サンセット商会の『副業』については何も知らせていないのだという。
「それ、信じると思ってるの?」
「信じていただかなければなりません。それに、なれた商会員が誰もいなくなれば、表の取引に支障が出ます」
客先との遣り取り、仕入れや商品の保管の問題。あるいは、在庫の管理や帳簿付けなど、表の仕事は本業であるゆえに大きな額を動かしているし、それに伴い仕事も多岐にわたる。
「なんで盗賊まがいの仕事をしていたのかしらね」
彼女の疑問も最もなのだが、護衛に雇った男たちにそそのかされ、あるいは半ば共犯者として脅されていたということもある。同行した商会員は彼らの仲間であり、最初からサンセット氏を嵌めるつもりで商会に就職したとも言う。
「出来過ぎたはなしじゃない」
「ええ、本当に。私以外の全員が共犯者とは、お芝居の脚本のような状態だったのです」
ある意味、サンセット氏にとっては足を洗う切っ掛けになったとも言える今回の出来事。彼女の姉が商会頭となるとはいえ、今まで通りに商会の経営や取引はサンセット氏が行うので、名義が変わっただけとも言える。
「まあ、ちゃんと働いてくれたら今までと同じくらいの生活が成り立つ程度に、給金はとっていいよ。サンライズ商会で私は儲けるつもりは無いから」
「……左様で。ありがたいことです」
「けど、裏切りは許さないよ。家族の命も掛かっていると思いなよね」
「承知いたしました」
ガタゴトと音のする馬車の中で、彼女は姉とサンセット氏のやり取りを辛うじて聞き取れる程度に聞く。周りには馬車の音で聞こえないということもある。
元『サンセット』商会は西に向かう街道、城門を出た先の通りに面した場所に建っていた。リンデの新市街とでもいう立地だろうか。街壁の中より環境は良いだろうが、二流の商会といった立地だろう。川沿いでもないので、この場所に倉庫はないと思われる。
「へぇ、中々いいじゃない」
「はい。商品は直接買い付けてそのまま馬車で港まで運びますし、ネデルからの荷も契約している倉庫業者の倉庫に直接運び込みますので、ここは商談か取引先の滞在の為の店舗なのです」
一階が店舗、二階が商会頭一家の居住スペース。地下に書類などを収納する倉庫と、食糧庫と台所。三階が客間、四階が従業員の居室。屋根裏があるので、地下一階、地上四+一階といった建物になる。間口も6mはあるので、周りと比べて狭いという事もない。
馬車を店の前に止めると、中から商会員が出てくる。
「お帰りなさいませ商会頭」
「ああ。こちら、ニース商会頭夫人のアイネ様と護衛の皆さんだ」
「……これは、ようこそサンセット商会へ」
アイネは「サンライズ商会になったんだよー」と出迎えの商会員に伝えると、「ちょっと何言ってるのか分からないんですけど」といった顔をされる。
「実はな、事情があってサンセット商会はニース商会の傘下に入ることになった」
「……そうですか。それで……」
「いや、今まで通りで待遇も取引も変わらない。私も商会頭から商会頭代理となるが、権限は今まで通りで良いと仰っていただいている」
「はぁ、左様でございますか。一先ず、奥へご案内させていただきます。商会頭がお帰りです。お客様をお連れです!!」
アイネとアンヌがサンセット氏とともに奥へと移動する。
「客間もそれほど広くなさそうね」
「七人全員は泊まれないかもしれないと思うわ」
商会の馴染みの宿屋をとることもできるという事であろうか。王都の南門の外に広がる新市街のような、あるいはニースの西側の新市街などに雰囲気が似ている。全体的に新しく、活気があり、宿屋や酒場などもそれなりに充実しており、外からの旅人などに対応できる街と言う事だろう。
サンセット氏は奥方と『赤目のルミリ』よりは幼い娘が一人いるという。姉は事情を説明し、新たにニース商会の駐在員を呼び寄せ、リンデではニース商会の代理店としてサンセット商会は提携する前提であると話をした。とはいえ、旅先で『盗賊被害』から多くの商材を失い、また、命の危険をアイネ一行に助けられたこともあり、ニース商会の後援で商売を立て直すということになったと商会員・家族には説明した。
「いやいや、袖すり合うも他生の縁ですからね」
「主人の命を助けていただいただけでなく、商売の援助もして頂けるなんて、なんとお情け深いことでしょうか。これも神様のお導きなのでしょう」
どちらかと言えば、姉の策略と彼女の「引き」なのだが。同行し盗賊に殺された商会員は何故か地縁血縁の無い者ばかりであるという不思議さはこの際触れず、「間に合いませんでした」「いえ、仕方ありませんわ」と助け損ねた前提で奥方とは話を合わせたらしい姉。調子がいいのは生まれつきであると言えるだろうか。
「護衛の皆様も、主人を助けていただき本当にありがとうございました」
「「「「ありがとうございました!!」」」」
ある意味命を助けているのだが、ニュアンスは全く正反対なので、少々心苦しくもある。
「今日は歓迎の宴をいたしますので、楽しみにしてください」
彼女の姉は商会の取引内容についての情報共有をするということで商人同盟ギルドのリンデ支部には同行せずこのまま商会で過ごすということである。ルミリも冒険者ではないので同行させる事なく、姉に預け五人で向かう事になる。
リンデの門の出入りは冒険者ギルド証があれば、特に問題なく出入りできる。その中で、彼女の『星四』の冒険者ランクに門衛が一瞬たじろぐのが面白くもある。
『アリーだからわからねぇかもしれないけどな』
「アリーでも知名度はあるのよね。舞台などではそのまま使われているから。リンデではさほど知名度が無いので助かったという事ね」
リンデにも多くの芝居小屋があり、貴族や富裕層から庶民まで娯楽として楽しんでいるのだろう。
「まあ、時間があれば見てみたいわね」
『まだ一ケ月は暇だろうから、時間は幾らでもあるんじゃねぇの』
『魔剣』の言葉に同意したいのはやまやまなのだが、姉がいる上に、事前に女王とその側近の思考や行動、連合王国の政権の政策などについて調べるには時間がいくらあっても足りないだろうと彼女は感じている。
「良い依頼があると良いのだけれど」
『貴族の依頼が良いよな』
貴族の依頼で女王の側近の者があったとしても、直接その貴族と顔を合わせることはない。大概、執事や従者が冒険者と応対するのだからと、彼女は高をくくっているのである。