第618話 彼女はドレントに到着する
第618話 彼女はドレントに到着する
翌日、体調の回復したサンセット氏は、自分の持ち馬車に乗り、馭者としてガタゴトと道を進む事になった。馬も商会の資産であることから、茶目栗毛と灰目藍髪が騎乗し、同行することになる。ガタゴト馬車には姉とその使用人である『アンヌ』が同乗している。
とはいえ、座っていると辛い姉は「魔装吊寝床」を掛けて、そこに寝転んでいる。アンヌは馬車の中でサンセットの背中をじっと監視する役割である。
騎乗し武装した兵士が同行する馬車を昼間から襲う者はさほどいるとも思えない。リンデに近づくにつれ人の通りも若干増えているような気がする。
「牧歌的ね」
「そうね。畑があって、丘の斜面には羊が群れていて」
何十年かのちに、開拓されたワスティンの森もこんな風景が広がる場所になっているのかもしれないと思いつつ、変わらぬ風景をゆっくりと彼女は眺める。いつもは先を急ぐ魔装馬車の移動だが、今回は普通の荷馬車に合わせて移動しているので、中々進まないのである。
次の街はドレント、リンデから馬車で一日ほどの距離であり、ロブリビスとリンデの中間にある街だ。ロブビリスも街道と川の交差する渡河点に生まれた街であるが、ドレントも同じような街である。
リンダを流れる『テイメン川』に注ぎ込む支流『ドレン川』の渡河点にある街で、古くから市場が開かれる場所であった。また、リンデの郊外にあたり、父王の邸宅の一つが存在する。
水車を用いた紡績やエール作りが盛んな街でもある。また、近年ではネデルで行われている紙の製造を当地で行う試みが為されつつある。
「リンデより好みの街だよね」
「確かに、あまり人が多い街は好きではないわね」
「ただし王都は除く……でしょ?」
彼女にとって、いや、彼女の一族にとって王都は好悪の存在ではないのだからそれは違うと言いたい。
「製紙業ね」
「リリアルでもできると良いわね」
渓谷の合流点にある街であることで、水に恵まれている土地柄である。紙の素材が綿や麻の古布を脱脂することから始まる為、古布の多く出る都市の近く、首都リンデにほど近いこの場所は理想的な立地であると言える。
ワスティンの廃城塞と王都の距離もそれに似ており、川の存在も同様であることから、王都で需要の高まっている紙を製造する『製紙業』は良い産業となり得る。
既に工場は建設が進みつつあり、従業員は六百人ほどを予定しているという。
「設備投資もそれなりに掛かりそうだね」
ネデルで製紙業はかなり盛んであり、織物産業の廃材などを利用しているのか、木材を叩いて解す形での製紙も進みつつあると聞く。とはいえ、それらはネデルの製紙業にとって大きな秘密となっていることは明らかだ。
「オラン公の伝手で、王国に製紙職人か工房でも誘致できると良いかもしれないわね」
「できれば、厳信徒でない人が良いのだけれど……」
「まあほら、領都は教区教会と原神子教会の両方を建てればいいんじゃない?」
教会や教皇庁と対立することはあまりよろしくないのが王国の立場であり、聖エゼルとかかわるニースとの関係にも配慮しなければならないのが彼女の個人的立場でもある。
自己中な狂信者は願い下げなので、技術を身に付ければあとはどこへなりとも出て行ってもらって構わないかもしれない。彼女の領地は少なくとも、原神子信徒の領地にするつもりはないのだから。
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さほど広くない川の『渡河点』にある街。廃棄された修道院の跡には、父王の城館の一つが建てられている。その修道院は、カンタァブルへ向かうリンデからの巡礼者を受け入れたり、傷病者を癒す役割も果たしていたのだ。
「ここにも修道騎士団の支部があったんだってさ」
「……詳しいのね」
「輩のことは聖騎士団繋がりで調べやすいんだよ。とはいっても、王国は異端にして解散させたけど、リンデは一応旧に復したんだよ」
とはいえ、王国に拠点を有していた『修道騎士団』は大いに力を削がれ、『聖母騎士団』に教皇の命もあり統合された。都市においては一棟の建物が寄進により『騎士団領』となることもあるので、小さな街の支部というのは、一つの館程度であることが少なくない。
今となっては、どれかなのかもわかりはしない。
「王都からの距離とか、川が流れている傍らにある小さな街であるのもなんだか『ブレリア』に近いかもしれないわね」
伯姪の言葉に彼女も頷く。とはいえ、ここは古帝国時代から続く街道の要衝であるドレントと、放棄され緩衝地帯とされたワスティンの森の中に存在する廃墟の城塞では全く違うのだが。役割としては将来的にはこのような街を目指す事になるだろうか。
ワスティンの森の開拓が進み、市場の開かれる街になること、王都に納める果実や『紙』『織物』といった工房もこの地のように川の流れを使った水車小屋を用いて建てていくことになるだろう。
『水車小屋』は領主の資産であるから、リリアル副伯が貸し与えるという形になるのかもしれれない。
「それに、この近くでは『石炭』とか『石灰』も採取できるんだってさ」
姉は、旅行ガイドのように色々知っていることを伝えて来る。
「石炭……ってなんでしょう?」
碧目金髪の質問、隣の灰目藍髪も知らないようだが、敢えて質問せずに話の様子を伺っていたようだ。性格の違いか。
「木炭は知ってるよね」
「炭ですよね。煙りが出ないのでとても使いやすいです。お高いですけど」
「それが、地面の下から掘り出せるんだよ。ちょっと違うんだけどね」
「土夫が鍛冶で用いる炭より火力が高く、長く燃焼できる炭の石ね」
「ああ、だから石炭なんですね」
木炭が簡単に砕けるのに対して、石炭は黒曜石のような感じで割れるし堅い。また、木炭より硫黄のようなガスが出る為、空気が悪くなるという悪い点もある。
「そのうち王国でも使うようになるかもね」
「なんでです?」
「最近、森の木を伐採し過ぎて森が荒れている地方が多いの。木炭にする木が不足すれば、石炭を掘りだして使わないといけないかもしれないということよ」
実際、王宮では民が森林に入ることを制限する法令を定める議論が進んでいる。秋に森に入り、豚が木の実を食べて太らせるということや、山菜・茸を採ることも制限することになるかも知れない。
「ワスティンも管理していかないとなりませんね」
「狼どころか、ゴブリンやオーク・オーガの出る森だから大丈夫でしょ?」
リリアル副伯領とはいえ、王都のすぐそばの森。採取にくる周辺住民を警戒する以前に、流れてくる魔物対策が優先か。
「ワスティンはないですね」
「ないのね」
茶目栗毛の言葉に彼女は少々悲しい気持ちになる。魔物だらけの森に入り込む命知らずはそう多くはない。茸より命が大事。市場に出せば良いお金になるからと無防備に入る年寄りが魔物に襲われ命を失う事件は、王都近郊の農村では一昔前まではよくあったのだ。ワスティンは未だそれがまかり通っているという事である。
「おー 製紙工房だよぉ!!」
襤褸布の山が積み上げられた素組の倉庫。川沿いには水車があり、そこから「トントン」という木槌で何かを叩きのめす音かが聞こえる。
「結構水を使うんだよね」
「ええ。先ずは、襤褸布をほぐして脱脂しないといけないもの」
染色したり身に着けた際の体から出る脂を綺麗に落とすところから工程はは始まる。
製紙はぼろ布やリンネルの固い部分や色物を除いたのち、細かく裁断して穴倉で醗酵させ、脂肪分を除去して植物繊維質を遊離させる。この植物繊維質を石鹸水で溶解し鉄釜で煮沸し、さらに、臼と杵で搗砕して粥状にしたものを針金の網で漉き、フェルト状に重ねて水分を搾り、紐に吊るして乾燥させる製法である。
「これって、製紙ギルドが絡んでいるのよね」
「そうだね。ネデルでは一大産業だから、都市のギルドが郊外の農村に工房を建てて、その村の農民が工房で仕事をしている感じだよ」
今では各地に広がっている製紙業だが、ネデルは活版印刷とともに製紙業も早くから取り組んでいる地域であった。とはいえ、職人の質、書籍を扱う富裕層や宗教者の数は法国が多く、中心は法国にあったのだが、経済的に傾きつつある法国をネデルが徐々に凌駕しつつあるといったところか。
トラスブルのような土地も製紙業と活版印刷による書籍の出版に熱心な都市だ。王都においても年々盛んになっているのは、『王都大学』という近隣でも並ぶもののいない学問の中心地が存在するからであると言える。
「王都から襤褸布を集めて製紙を行うというのは悪くないわ。集める仕事を孤児院の子供たちで年長の男子に頼むとか、いろいろあるでしょう」
「縄張りがあるからね。とはいえ、寄付される古着や着潰した古着なら文句は言われないでしょうね」
今も古着を扱う業者が存在するのであるから、その仕事を奪うような行為は宜しくないと姉が釘をさす。
「土魔術で発酵させる舛も簡単に作れるわね」
「セバスおじさんの仕事ですね」
「水の大精霊様の祝福もあるので、洗浄もできる子がそれなりに揃うでしょうから、なんか行けそうです」
「いけるよ!」
姉は、製紙業にも一口噛ませろとばかりに口を差し挟んでいく。商会を通すことに意義はないが、ニース商会の業務的に問題ないのだろうかと気になるところだ。
「紙の需要に生産が追い付いていないからね。まあ、それなりの質のモノが作れるならリリアル副伯領で生産する分には文句言われないよ」
手つかずの水系に水車が並ぶ分には、既存のギルドメンバーに迷惑は関わらない。まして、独立した領地の中に領主が建てる水車小屋を用いるのだから問題は何もない。
「夢は広がるわね」
「本好きのあなたなら、それはそうかもね」
「主に、『妖精騎士の……』」
「やめてちょうだい姉さん。実の妹で稼ぐのはどうかと思うわ」
姉がこっそり、妖精騎士の物語の脚本や舞台演出で小遣い稼ぎをしていることを彼女は知っている。
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王都もそうなのだが、王都に宿泊するよりも割安なのがその周辺の小さな街なのである。大都市は仕事をするために滞在するとしても相応に金がかかる。入場税もあれば、宿泊費に食費も余所者には高くつく。都市の維持費の分、『税』として徴収するからだ。
その為、リンデそのものに滞在するより、周辺の街に宿をとる者も少なくないのだ。
ドレントはリンデから一日ほど離れた場所であるから、そうした需要は少ないだろうが、リンデを出て『デュブリス街道』を下る商人や旅人の多くが足を止めるため、宿屋はかなり充実している。
「野宿は飽きたでござるよ」
「……だれですか」
若い女性が泊まるのに、あまり安くボロイ宿では似つかわしくない。ということで、『サンセット』商会が商用でよく使うという真ん中より少し上……かなり上の宿に経費で泊まる事にした。
「サンセット様、ようこそ。本日も商用でございますか」
「……あ、ああ。それで、実はだな店主」
『サンセット』は『サンライズ商会』の商会頭代理となったことを告げる。
「……サンライズ商会でございますか」
「あ、ああ。実は、資本提携からとある商会の傘下に入る事になったのだよ。こちらが……」
「どうも、ニース商会頭夫人のアイネと申します。これからも定宿として利用させてもらうからよろしくね!」
宿の主は大いに驚く。そして、ゾロゾロと若い娘ばかりが入って来るのにさらに驚く。
「ニース商会でございますか」
「そうそう。主に、王国とか法国でお仕事しているんだけど、最近、ネデルからこの辺りも取引を広げようと思ってるからね。ちょっと、サンライズ氏とはいろいろあって、傘下に加わってもらった!!」
「は、はあ。これからもよろしくお願いします」
姉の圧力に屈したのか、深くは追及せず店主は奥へと下がり、従業員にいろいろと指示をし始める。どうやら、一番良い部屋を貸し切る勢いであるようなのだ。
「いやー 今まで散々悪いことして稼いでいるから、いい宿泊まってるよねー」
「……」
『自主的異端狩り』を行い、巡礼者や行商人を襲っていたであろうサンセット商会だが、それなりに表の仕事も充実しているようで、宿の主の応対からもそこそこの商会であることが見て取れた。
「真面目に商売していれば、こんな事にならずに済んだでしょう」
「いやいや、もっと稼ぎたいと思うのが商人なんだよ」
姉の意見に誰も賛同することはない。
「盗賊になってさらに稼ぐのはおかしいと思うわ」
「間違いない」
「駄目でしょう」
「……」
肩身がドンドン狭くなるサンセット氏。
宿は広く、どうやら貴族とその使用人がまとめて泊まれる部屋であるようだ。護衛の部屋も存在する。サンセット氏は何故か床に簀巻きにされて放置され、各人はそれぞれの役割りに合わせて部屋を使う事になった。
「なんだか貴族みたいね」
「……あなた、副伯よね」
「そういえばそうね。あまり爵位にあった生活をしていないのですもの。すっかり忘れていたわ」
リンデに到着し王弟殿下が到着するまで凡そ一月は時間があると考えられる。その間に、リンデで何をするか、彼女と伯姪は夜中まで話を詰めるのであった。
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