第611話 彼女は『赤帽子』に出会う
第611話 彼女は『赤帽子』に出会う
「大丈夫かしら」
『まあ、何とかなるだろ』
心配なのは自分たちのことではない。王弟殿下御一行の事だ。
今回『猫』が同行していないのは、情報収集と警護を兼ねてエンリの飼いネコとして同行させている故だ。ウォレス卿や各地で王弟殿下と歓談した有力者がどのような人間かも観察させている。
万が一の場合は、エンリに助力し王弟殿下を守ることまで委ねたのだ。それが無ければ、別行動ということも難しかっただろう。彼女がいれば警戒し、王弟殿下の周りで囁く者も姿を現さないと考えたからでもある。
『それにしても意外だったな』
「いいえ、足元が脆い女王陛下であれば、致し方ないのではないかしら」
『ギルバート王国学校』の学生との食事会で、彼女は女王を取り巻く環境についての情報を得ることができた。とはいえ、彼らはリンデ周辺の富裕な商人・地主の子弟であり、国家機密に類するようなことは何も知らないと考えてよい。
だからといって、彼らの持つ情報……というよりも感覚・価値観は公文書からは決して得られないものである。
連合王国には原神子信徒が多いと言われているが、これは王国と比べ農民が少ないことも影響している。羊毛の生産を重視するあまり、耕作にあまり適さない農地を放牧地に切り替え、農民の中で羊毛産業に関わる豊かな者と、輸入される小麦などにとってかわられた結果、貧しくなる農民とに別れたのだという。
『農民も牧畜に関わる奴らは原神子ってわけか』
「国自体がそう定めているから、染まるのは当然でしょう。けれど、教会や教皇庁に対して何か含むところがあるわけではないようね」
大多数は、御神子教徒とあまり変わらない原神子信徒であり、商売の都合上、相手に合わせて原神子信徒になっている者もいる。何故なら婚姻を結ぶ場合、宗派違いでは成り立たないからだ。原神子信徒の場合、ミサも執り行わないし、祭祀が異なる。
ごく一部に、頑迷な御神子教徒……これは父王や女王に排斥された高位の聖職者や元修道士、そして、神国などから来る修道士が含まれるが、彼ら以外においては女王を始めとする王宮や議会は問題視していない。
そもそも、連合王国が国王を頂点とする『聖王会』を設立し教皇庁と決別した理由は、結婚無効の判断を否定されたという事もあるのだが、あくまで政治的主導権を国王が確保するための方便でもあった。
国内の修道院を廃し、国王と国王の支持者にその財産を再分配することで国内の求心力を高め、また、王国や帝国・神国と渡り合う為の手段であった。
女王陛下自身は、礼拝堂を自分で持っており、ロザリヲを身に付けたり礼拝堂内を自分の好みに装飾したるする事も大切にしているという。これは、厳格な原神子信徒なら強く否定するべきことでもある。ミサも否定しない。
「国内の対立を宗派問題に寄せているのでしょうね」
『ああ、直接反対すれば反逆罪や外患誘致扱いされかねないからな。宗派で徒党を組んで、その支援者に神国や教皇庁がいるという態であれば、それも強く否定されない。神国国王は、元義兄だしな。今のところは表面的には友好関係を継続している……ように見せているんだろうな」
ネデルの問題で、連合王国と正面切ってもめるのは神国にとっても宜しくない。明確な敵となれば、軍を送り込んで支援する可能性もあるからだ。
故に、ネデルを安定させるまでは軍事的衝突をさけることになる。
「いつかは戦争するわね。でも、今すぐではない」
『だな。神国と王国が手を結べば、連合王国は孤立する。だから、王弟とはまあ、結婚する余地を残して引っ張りたいというところだろうな』
結婚してしまえば、王国側に付かねばならない。また、北王国の女王に神国が肩入れすれば、王国も連合王国に肩入れし代理戦争が始まる可能性もある。何かを決めるという事は、次の段階に移行することが決まるということでもある。
「だから決断できない日和見呼ばわりされる」
『決めるのは良いが、取り返しつかねぇことになるかもしれねぇって思わねぇんだろうな』
「思わないわよ。都合が良いことしか気にならないのでしょうね」
まして、同じ宗派同士徒党を組み、同じ価値観でしか物事を見ることができなければ、反対意見や対立など生まれようがない。揃って同じ過ちを犯すということになる。
女王の立場は中道左派くらいの位置づけなのだろう。原神子信徒ではあるが、御神子教徒を否定せず、また、差別も行わない。御神子教徒の背後にいる教皇庁・神国・北王国と対立し、自国の独立を保ちながらも、決定的な亀裂を生まないように対応している。
恐らく、側近も原神子派ではあるものの、現実を直視し過激なことを行わないように国を運営している。
故に、宗派に関わらず、他国の手先となり国を乱す者には厳罰を持って対応することになる。過激な思想を押さえつけ、実利を得ようとする姿勢を続けることになる。
父王が若くして王位に就き、四十年かけて国内を自身を中心とする体制を築き上げたのに比べ、女王の足元は未だ脆い。それは、姉王の反動的な政策と神国・北王国との関係で御神子教徒の中で女王に敵対しようとする勢力が息を吹き返したからでもある。
『女王暗殺計画』がささやかれる事もあるというし、実際、相当警戒していると思われる。女王が死ねば、北王国の女王とその王太子である連合王国の王家の血を引く二人が王位を兼ねることになると考えられる。
その後ろ盾は神国と教皇庁。ネデルを安定させる為にも、その背後にあり大きな貿易相手である連合王国が御神子教徒の国に復帰するのはとても意味がある。
「はっきりさせない事で、時間を稼ぐ。少々綱渡りね」
『時間とともに味方が増える状況かどうか怪しいしな』
北王国に近い北部地域は御神子教徒の貴族が多く、北王国とつながりがあると囁かれているという。また、それに対して討伐を行う軍も貴族も揃わないということが現状であるとも言う。
東部の大貴族である『ノルド公』は、経済力も軍事力もある為か女王の統治に非協力的であり、身分としては王配もあり得るのだが、これも望んでおらず、半ば独立しているような考えのようだという。瑕疵無く咎めれば女王の側に王の資質を問われるような問題となる。
王宮にいる側近たちも父王時代の持ち越しが多く、女王個人に忠節を誓っているわけでもない。
「聞けば聞くほど、立場が弱いのと理解できるわ」
『あの王弟じゃ、大して役に立たないだろうし、王国も巻き込まれたら大変だ。時間稼ぎに使われるくらいで丁度いいだろうな』
王弟殿下はアラサーとは思えない素直さを持つ人柄であるし、人として悪いものではない。とはいえ、王配としては無能に近いだろう。また、原神子信徒に宗旨替えすることを母親である王太后は面白く考えないだろう。お荷物を背負い込む可能性を考えれば、王国としても喜べない。
結論から言えば、互いに結びつくメリットはないということになる。
王弟殿下は、王国北部・ランドルの辺りに公爵領を設けて、大公殿下になる予定ではある。ネデル対策でもあり、王弟殿下の継承権を外していく準備も兼ねている。本人もその気であり、婚姻をしてもずっと連合王国にいるつもりはないだろう。子が生まれ、連合王国の王ながらも王国公爵となれば、ロマンデ公の焼き直しになりかねないが。
「あとは、ご本人同士がどうなるかね」
『まあ、惚れた腫れたならしょうがねぇよな』
身分的に釣り合う相手が限られている王弟と女王であるから、その可能性は否定できない。姉王時代、神国と組んで王国と戦争をしていなければ、王弟と王妹の婚姻と言う事で釣り合いがとれたかもしれない。姉王時代は御神子教全盛であった事もあり、神国・王国の関係を連合王国の王家姉妹を通じて義兄弟にする事で安定させる事も、教皇庁の影響下に戻すことも有りえたかもしれない。
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ギルバートを出て、再び街道を東へと向かう。リンデに行くならここから北に向かうべきなのだが、今少しこの国を見て回りたいと彼女は考えている。
「そういえば、魔物と全然合わないわね」
「……出てこないんじゃない?」
伯姪の言葉に彼女は気配隠蔽をしていないことを思い出した。確かに、魔力の多い人間がぞろぞろ歩いていれば、弱い魔物は逃げてしまう。強者のオーラを纏った彼女がいるのであれば、なおさらである。
「やっぱりゴブリンとかでしょうか?」
「……出会いたくありませんわ」
馭者を相変わらず務めるルミリが、碧目金髪の言葉を嫌そうに否定する。
『いるわよ』
『いるんだが、ちょっと毛色が違う』
『魔剣』と『金蛙』がそう答える。『金蛙』は蛙の精霊『フローチェ』の事だ。
曰く、フローチェのようにアルマン人の部族が三々五々、蛮王国のある島に移り住んで来る際に、元の地から精霊を伴っていたものと、在地の精霊が入り交ざっているのだという。
ゴブリンは、王国や帝国とその辺り姿かたちが独特であるという。
『あの赤帽子ってのは、こっちの奴だな』
『ああ、あの性悪でしょ! あいつらは、ほら、あんな感じの場所に湧くのよ』
『フローチェ』は、街道と集落の入口にあたるT字路の突き当りの場所を示している。
「あそこは何かあるのかしら」
『処刑場。もしくは、晒し場ね』
人間の『悪霊』と血の精霊が交わって産まれるのがゴブリンとされるので、恨みや無念を残した人間の魂が生まれる場所であればゴブリンは生まれやすい。王国の場合、古戦場や賊軍に滅ぼされた集落跡などから発生する。その場合、とうに放棄された集落であるから、森に飲み込まれている結果、森にゴブリンがいる状態になると推察される。
『ほら、いるじゃない』
T字路の奥の森から、確かに赤い帽子をかぶった三匹のゴブリンらしき小鬼が現れる。手に持つのは片手斧。
――― この国においては、極めて危険な妖精の一種とされる。
『あれ、結構、いろんなところにいるみたい。廃墟とか古い城塔とかね』
過去に凄惨な事件が起こった場所、墓地などにも出没する悪鬼なのだ。
とはいえ、装備の整ったゴブリンが最初からあらぶってらっしゃるという程度だ。
彼女は、良い機会かと思い、ルミリを指名する。
「一人で三体、できるわね」
「む、無理ですわ!!」
確かに剣では難しい。そもそも、ルミリは冒険者としての鍛錬をさほど行っていない。身体強化と気配隠蔽はできるものの、それ以外はほぼできない。
「がんばれー!!」
「誰にでも初めてはあるのよ」
「フォローするから、まずやってみなさい!!」
誰も庇ってはくれない。女ばかり五人ほど集まっていると気が付いた赤帽子が勢いよく走って来る。
「時間が無いので端的に。動きを止めて、これで喉を切裂きなさい」
彼女が取り出したのは、姉から貰って放置してあった『聖エゼル』の兵士が使っているという長柄。
「『ランデベヴェ』という短槍です。突けば槍と同じですが、剣のように斬り裂くこともできます。これで、首元を狙って突き、斬りなさい」
「できません」
『できるわよ。何のための加護なの。一瞬動きを止めればいいんでしょ?
簡単よ』
『フローシェ』に言われ、半信半疑ながらルミリは前に出る。既に10mまで迫ってきている。
『いい、こう唱えるのよ!「水の精霊フローシェよ我が働きかけの応え、我の盾となり我を守れ……『水煙』」』
「わかりましたわ。「水の精霊フローシェよ我が働きかけの応え、我の盾となり我を守れ……『水煙』」」
前方に向け、真っ白な水煙が広がっていく。視界を遮る煙に、赤帽子は一瞬動きを止める。
『足元を見て、足が見えたら、槍を突き出す!!』
「はい!!」
身体強化をしたルミリが前に出る。『ランデベヴェ』は全長2mほど、剣や手斧よりずっと間合いがとれる。赤帽子の背丈はルミリよりやや小さいくらいであるから、振り回しても体に当たることはない。
「やあぁ!!」
足を確認したルミリが掛け声とともに腰の高さに構えた槍を下から自分の頭の高さほどに向けてつき上げる。
GUEE……
かすかな抵抗と、目の前の霧の中から断末魔の声。
「すぐ動く!!」
「はい!!」
伯姪が声をかけ、一瞬で元居た場所から後退する。
ZASHU!!
水煙の中から、元居た場所に向け手斧が振り下ろされる。
「えいぃ!!」
その手斧の位置から推察した場所へと再び穂先を突き刺すと、スッと刃が通る抵抗を感じ、ガツっと骨に当たる。
「直ぐ引く!!」
「はい!!」
槍を突き出したままでは、剣や斧で斬り落とされる可能性がある。突いたら元の位置まですぐに戻すのが基本だ。めちゃくちゃに手斧が水煙を掻きまわすように振り回され、ルミリは勢いに硬直する。
「叩き斬りなさい!!」
思い余った彼女が強く声をかけると、ルミリは高く穂先を掲げ、振り回す手の持ち主の頭のあるあたりに向け、エイエイと叩きつけたのである。
GSHI!!
GUEE……
頭をたたき割られた赤帽子が一体、残り一体は茶目栗毛がルミリに近寄る前に一撃で斬り倒し、ブロードソードの錆となったのである。