第609話 彼女は『ギルバート』に到着する
第609話 彼女は『ギルバート』に到着する
街道を東に進むと、『ギルバート』に到着する。このまま北上すれば明日にでもリンデに到着するのだが、それはあまりにも早い到着となるので、そのまま東へと向かう事になる。三週間は先行しているのだ。風向きや天候に恵まれなければ、王弟殿下の渡海はさらに時間がかかることになるだろう。
「随分と賑やかな街ですね」
「今までとはえらい違いですわ」
サウスポートはともかく、ベンタから先は少々寂れた印象の道行きであったことを考えると、『ギルバート』の街は小綺麗で、シャンパーや王都郊外の街を思わせる活気と新しさがある。
「なにやら、若者が多い気がします」
「それは、おそらくここにある公学校のせいね」
「公学校……ですか」
ギルバートは古帝国衰退後に、先住民が築いた小さな街から始まるとされる。征服王時代から『王立造幣局』がある場所であり、また、ギルバート城は征服戦争後は狩猟用の離宮として長らく利用されていた。
ギルバート城は征服王が建築した防衛用の城塞。古街道を抑える戦略的要衝を守る意味があったものの、百年戦争期以降は放棄され、近隣州の刑務所として使用されていたが、父王時代にはギルバート市長の邸宅として整えられ使用されている。
そして、この街にはとある理由で建てられ『王国学校』が存在する。『ギルバート王国学校』は通学制の公立学校で、男子のみ受け入れている。父王時代に建設された。『ラ・クロス』が盛んな学校として有名なのだ。
中等孤児院を設立する際、平民の教育機関を参考にしようと調べた際、彼女もこの場所を知っていた。実際どのようなものなのか、見てみたいと考えていた。
その端緒は、リンデの豪商の遺産を「ギルバートの最も貧しい男子の息子三十人」に中等教育・古代語・幾何算術・音楽を教える学校を建設するための寄付で始まる。街が支援し、これに王家の寄付が加わり、年間金貨20枚の予算がつくことになった。
入学は十一歳から十三歳の間に認められている。
貧しい『郷紳』層・自由民の優秀な子弟を掬い上げるための施策であると考えられる。
中等教育の担い手は、大聖堂付属の学校は閉鎖・修道院解散による資金で新たに創設された『王国学校』に置き換わりつつある。教育から御神子教の影響を排除ずる試みとも言える。
「家庭教師を雇えるほど裕福ではないが、子供一人と使用人を付けて
仮住まいさせる程度の余裕がある家の子供が集まっているのよ」
神学校のような寄宿制ではないので、「通学」して学ぶことになるのだが、街に仮住まいをして多少の授業料を払えば「誰でも」学ぶことができる。原神子信徒は郷紳や商人、豊かな農民……言い換えれば読み書き計算ができる者たちである。その子弟教育を教会とは関係ない教育機関で行うということは、女王の支持層に対して意味がある。
圧倒的多数の農民・下層民とその信仰する御神子と教会を守るのではなく、経済力と政治的発言力を有する層を大切にするのは、基盤の弱いであろう女王としては至極当然のこととなる。寄付も大した金額ではない。
「中等教育というのは、古代語・幾何算術・音楽なのですね」
「高位聖職者になるための素養として必要なのよ。そもそも、百年戦争より前なら、読み書きできない王族貴族は当たり前だったようね」
「貴族って阿保だったんですか」
「……それは言い過ぎ」
貴族は「戦う人」であり、読み書きの類は「祈る人」である聖職者の役割りである。例えば、ルイダンの家系などは下位貴族兼聖職者を輩出する家であり、その読み書き計算能力から『官吏』の家系と見做されているのだが、領地が大したことが無い=戦う力が大してないので、「祈る人」寄りの仕事を主にするようになる。
貴族の嫡男以外、庶子や第三子以降の男子であれば多少の寄進をして司祭や司教の席を持たせるものだ。戦う人から祈る人が生まれ、戦う人を支えるという構図が成り立つ。王国が分裂している時代は、そのような形で政教が融合していたのだと言える。
「今よりずっと戦争が頻繁であり、少数の軍で王や貴族も直接剣を持って戦えば簡単に死ぬでしょう? だから、死なない聖職者に知識を蓄えさせ、甥や甥孫の後見人にしていたのだと思うわ」
「なるほど」
「合理的ですわ」
聖職者は貴族以上に容易に他国へ安全に移動することができる。出先の教会や大聖堂、修道院や司教領で匿ってもらう事も出来るのだから、外交にも向いた身分と言える。共通言語である『古代語』の読み書きも得意なので、交渉事も問題ない。
「女王陛下は、王国語・帝国語・ネデル語・法国語・神国語に堪能だそうよ」
「才媛すぎます」
「何しろ、女であること以外完璧と呼ばれているらしいわ。武芸や馬術も優れていると聞くわね」
「建築や法律にも詳しいと言うわね」
「……まるで……」
「「「先生みたいですね」」」
彼女は、連合王国語、帝国語、古代語程度で、法国語・神国語は怪しい。後者は、伯姪が堪能なのは、内海育ちであるからだと言える。船員はその辺りの出身者も多く、子供のころから話し慣れている。
「当代最高の家庭教師に幼少の頃から教育を受けていたと聞くわ」
「まあ、半ば囚われの身だから、社交はできなかったし勉強するくらいしかやることなかったとからしいのよ」
ある意味自分で自分を『囚われ』ていた彼女には腑に落ちる点ばかりだ。役に立つために、必死で勉強していたころの記憶がよみがえる。
「けど、結婚するのには無用なのよね」
「なんでですか?」
碧目金髪の言葉に、彼女をちらりと見つつ伯姪がが答える。
「頭のいい女は馬鹿な男に敬遠されるからよ」
「「「なるほど」」」
「でも、馬鹿なら騙されて身ぐるみ剥されてしまいますわ。それでは、馬鹿でモテても意味がありません」
ルミリ……シビアな子。
「そ、それはいいのだけれど、ここでが宿が取れるのかしらね」
「あそこで訪ねてみましょう」
下宿や仮住まいの多い街であるから、親族が訪問した時に宿とする場所も少なくないだろうと茶目栗毛は考え、比較的大きな宿を目指し歩いていく。交渉してみるのだそうだ。
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幸い、三人部屋二つと一人部屋がとれたので、今日は三・ニ・一で分かれて泊まる事にした。伯姪と彼女、薬師娘とルミリ、そして茶目栗毛である。
「一人部屋で申し訳ありません」
「いえ、男性の前ではできないこともあるのだから、気を使わないで欲しいわ」
そう、女性の嗜みとして……いろいろあるのだ。いろいろ。
「確かに。ルミちゃん、あとで産毛剃りの練習ね!」
「……はしたないですわ……」
「ごめんねー 育ちが悪くって」
「皆、孤児院育ちではありませんか」
「いやほら、赤ん坊のころからと途中からじゃ結構違うよね。ね!」
それは多少あるだろう。ルミリは三年ほど前までは商家の一人娘で、跡取りの婿を迎えるために相応の教育を受けていた。なので、孤児らしくないといえばその通りなのだ。孤児院の環境にもなかなかなじめなかったという。
「住めば都なんだけどね」
「あの場所しか知らなければそうなりますね」
薬師娘二人は、物心ついた時には孤児院だったのであまり抵抗感が無い。灰目藍髪などは、母が育児放棄ぎみであったので、孤児院の方が好きであったくらいだ。その後、放置されて一時預かりが孤児院暮らしにレベルアップしたのだが。
久しぶりに巡礼風の恰好から、庶民の服に着替える。といっても、下級の貴族とその使用人といった格好なので……まんまである。但し、茶目栗毛は変わらず護衛として武装をさせている。
「ルミリ、学校へ行こう!!」
「……何をおっしゃってますの?」
「見学させてもらえないか聞くだけ聞こうと思うのよ」
「まあ、男子校だから私たちは門前払いだろうけどね」
神学校の代わりに設置されたものであるし、そもそも、女性が古代語や算術を習うのは、父親が学者であるなど家庭環境が整っている子女くらいであり、今代の女王陛下が相当に変わり種と言われるゆえんでもある。
実際、姉王は母親が神国王女であり厳格な御神子教徒であった事もあるが、実学の類や政治の話に関しては殆ど側近に丸投げであり、神国からの要請もほいほい受け入れていたこともある。五年ばかりだが。
「リリアル学院の参考になればと思うの」
「……先生」
「何かしら」
珍しく茶目栗毛が彼女へと疑問の声を上げる。
「おそらく、城塞塔もありませんし、薬草畑や水路、射撃演習場もないので、あまり参考にはならないのではないかと」
「どちらかといえば、王家の持つ城館の方が参考になるかもね」
「学院らしさを見たいのよ」
「「「……なるほど」」」
リリアル学院が『学院』らしくないことを、彼女は相当気にしているのだ。どちらかと言えば、冒険者志望者の魔力持ち孤児院でしかないのがリリアルなのだから、古代語や算術などより魔力を増やす方が優先事項である。
とはいえ、騎士学校に入校した時に困らない程度の座学は増やすべきかと思われる。幸い、薬師娘たちは侍女教育も施されているので問題なかったが、最初から冒険者組であったメンバーは茶目栗毛を除き、少々困る事になりかねない。今回の不在時に学園運営を主体的に担わせながら、先の教育につなげなければと考える事もある。
予想通り、門前払いとまではいかなかったが部外者の内部見学はやんわりと断られた。それなりの身分の子女であると推察されたようで強くは拒絶されなかったが、「女性禁制ですので」という一言で拒否されたのである。
「まあ、手はあるけどね」
伯姪の考えは彼女も想定している。『女王陛下の同伴』なら、恐らくは否定できないであろうし、彼女達が『国賓』として見学を希望するのであればこれも問題なく対応してもらえるだろう。リンデから馬車で一日ほどの距離であるから、先々見学させてもらう事も可能だと考えているのだ。
「でも、それなりの規模ね」
「運動場が広いです! 騎士学校並みですね」
校舎の大きさはリリアル学院の本館並みであり、生徒数は百人といないだろう。食堂やら宿舎が無いのでその程度で済むのだと推察する。
「書庫はあるのかしら」
「こういう場所だと、図書室とか図書館と言うんだと思うわ」
帝国で活版印刷が開発され、聖典を始めそれまで手書きで写筆したものしかなかった本が数多く手に入るようになった。挿絵はいかにもな荒いものであり、写筆された書籍に挿入される絵画と変わらない肉筆画とは大いにことなるものの、百分の一以下のコストで大量に書物が『出版』されたことで、文字を通して多くの人間が世界を知る事になったのである。
当然、中等教育の機関には相応の書物が所蔵されているだろう。
「書庫もほしいわね」
「そうね。メンバーが学習する上で必要なものを写筆するなり購入するなりする事になるでしょうね」
『学院』に相応しい環境づくりに「図書室」は重要だという結論に達する。書籍の管理を行う『司書』なども置かねばならないかもしれない。それでも、一冊小金貨一枚はするだろうが。
中には入れなかったものの、外から施設だけでも見学しようと一行は施設の外周に沿って歩き始める。とはいえ、校舎と礼拝堂兼講堂らしき建物、そして運動場くらいだろうか。
「馬房や馬場はありませんね」
「騎士学校じゃないからね。馬車溜りもないし」
近隣の寄宿先から徒歩で通学しているためか、貴族の城館ではあって
あたりまえの施設は無いようだ。人数からしても、このさほど大きくない街に
学生全員が使う馬車や馬が飼えるわけもない。個人で乗る馬が与えられる身分であれば、公学校に通う事もないので当然と言えば当然だ。
午後の時間、どうやら、授業も終わり課外活動をしているようである。
「お、ラ・クロスしてますね!」
二十人ほどの学生らしき少年たちが、二組に別れラ・クロスに興じている。確かに、なかなかの腕前に見て取れる。身体強化をしている者が何人かいるが、その選手を中心に互いにパスを回しつつ果敢に攻め込み、また防いでいるように見える。
「やっぱ、もっと練習しないと!私たちも!!」
「あー 学院でも私たちが騎士学校行っている間に始めたんですよね。ずるいです、納得いかないです!!」
伯姪は本場の『ラ・クロス』だと興奮し、碧目金髪は何故か鬱陶しい。
「騎士学校で散々訓練したではありませんか」
「あれは、ベク・ド・コルバンじゃないの!! クロスで戦いたいのぉわたし!!」
やはり、王国製ウォーハンマーである「ベク・ド・コルバン」の授業は健在で、模擬戦闘もそれなりに繰り返したのだという。
「まあ、スタッフ系の扱いはかなり上達していると思いますよ!」
「お手並み拝見ね。楽しみにしているわ」
二期生三期生に騎士学校仕込みのお手本になってくれるといい刺激になるだろうと、彼女は二人に期待する。魔力量の多い彼女と伯姪では、正直、あまり参考にならないからだ。
すると、彼女達の存在に気が付いた試合に出ていない選手の何人かが運動場の際までぞろぞろと歩いてきた。
「ラ・クロスに興味がありますかご令嬢」
「もっと近くで観戦しませんか?」
どうやら、学生たちは彼女が運動場に入ることを許すようだ。
「ですが、関係者の方達以外は立ち入り禁止ではございませんか」
「なんの、素敵な女性が観戦するのは何も問題ありません」
「私たちは既に言葉を交わした、いわば『友人』です。大丈夫ですよ」
商人の息子なのか、人好きのする笑みを浮かべそう答える。その笑顔は、姉の笑顔同様、何か魂胆がありそうだと彼女は考えていた。