第607話 彼女は『貴族子弟』に迫られる
第607話 彼女は『貴族子弟』に迫られる
暫く、女王陛下の噂話で盛り上がり、楽しく夜を過ごす事ができた。城砦の兵たちは親切であり、周辺の村から交代で兵士としての当番を熟しているのだという。
この辺りの貴族は「原神子派」の者たちが多く、兵士の多くは農民であるので文字も読めない故に、『聖典』が母国語に翻訳されたとしても意味がないので、相変わらず教会で説教を聞き、何となく理解しているのだという。
とはいえ、母国語で読み書きができるのは領主層や郷紳と呼ばれる階層、自由農民の中でも商人との付き合いがある者などになるだろうか。勿論、都市の住民で何らかの商売を営んでいるものなら当然読める。書けるかどうかは差があるだろうが。代書屋とは、読めるが書けない人向けの商売である。
「領主様たちが来る時は、絵や彫刻は隠さなきゃなんねぇし、あれば文句を言われるか打ち壊されちまうからよぉ」
「大変ですね」
などと、朝食を兵士と共にしつつ、碧目金髪あたりが会話をしている。主に、薬師娘二人の担当だが、話やすい雰囲気なのはどう見ても碧目金髪。さすが、嫁にしたいリリアル生騎士団人気一位である。元一位か。
貴族は、原神子でないと議会や宮廷で居心地が悪いということもあり、原神子派を標榜している。勿論、父王時代に修道院や教会財産を没収した際に、分け前に預かったという事も関係しているだろう。
なので、帝国や山国のそれとは少々異なるようだ。そもそも、原神子派も完全に教皇庁を否定するまでに至っていない。教会の腐敗が問題であり、教会自体を否定することは『異端』として討伐される危険が高まる。話し合い、線を引き直してくれればよいという改革派もいる。
反対に、『聖典以外不要』という原理主義的な者もいる。連合王国では『厳信徒』と呼ばれる者たちである。女王は、現実的に宮廷に議会、リンデの有力者、諸侯、厳信徒、大多数の聖典を読めない平民の中で、バランスを取り続けて神経をすり減らしている。
「かなり、メンヘラらしいです」
「心を病んでいらっしゃるのね。解るわ」
誰もがああしろこうしろと意見を言う。矛盾したり、無理難題も多いだろう。加えて、御神子諸侯の中には「女王を暗殺し、北王国の王に統治してもらう」などと考える過激派もいる。暗殺未遂もしょっちゅうであるという。
『こんな田舎でもそんな話が伝わるもんだな』
『魔剣』の疑問も判るのだが、十年の間には様々な危機があったであろう。一度二度ではなくだ。そのうち、漏れないわけがない。敢えて知らせる事で、暗殺をもくろむ者への牽制としているのかもしれない。
そうであれば、王国から来た王配などは、容易に暗殺されかねない。女王を殺せば厄介だが、王配を殺すのは脅しになる。王国は激怒するだろうが、女王が「犯人は自分たちで捕まえ処罰する」として、適当に処刑すれば文句も言えない。金はかかるだろうが。
「王弟殿下もリドル卿と共通点はありますよね」
確かに、実務能力は低いが、教養はある。剣技も馬術もできるほうだし、見栄えも悪くはない。王太子殿下には大いに負けるが。会話も、雑談は得意だし、無駄に博識ではある。実務には使うつもりがない宝の持ち腐れであるが。
そして、連れてきた近衛も悪くはない。ルイダンも腕は立つし、エンリは紅顔の美少年である。赤ら顔ではない。
「半年くらい滞在して、楽しく観光するつもりくらいで済めばいいけれど」
「……え、半年もこの生活するんですか先生……」
「ま、まあ。リンデに行けば美味しいものも出るんじゃない?」
「期待できません。蛮国に美味いものなしって昔から言いますよね」
「「「……」」」
適当な事を言って申し訳ないと伯姪は頭を下げたのである。
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翌朝、城塞の守備兵たちに礼を言い、リリアル一行は街道を再び東へと進む事にした。馬車が通るにはギリギリの幅であり、さほど栄えている街道ではなさそうだ。
「やっぱり川を使って移動するんだろうね」
「そうでしょうね。王国も同じだから」
街道は川と並行して進んでおり、自然堤防とでもいえばいいのだろうか、土手と言うか尾根を進んでいることになる。見通しも悪くなく、傾斜もあるものの苦になるほどの起伏ではない。
『もっとしっかり魔力を出さないと、ほら、一定に桶から水を流し込む感じでよぉ』
「こ、こんな感じかしら」
『そうそう、上手になった。コツを掴んだみたいだわぁ』
「教え方が上手だからですわ」
『赤目のルミリ』は金蛙の『フローチェ』からアドバイスをもらいつつ、今日も兎馬車の稽古だ。馬車の操作に『加護』の影響はないだろうが、つねにコーチしてもらえるのは有り難い。彼女も『魔剣』に、細かく指摘されながら魔力の鍛錬を繰り返したものである。
『もしかすると』
「ええ、魔力量の底上げが見込めそうね」
二期生三期生での課題は、魔力量が少ないメンバーに偏っているところである。一期生は王都の孤児二千人を底から浚って選び抜いたメンバーである事もあり、魔力量の比較的多い子供が揃ったと言える。二期生はその残りであるから、少ないのは当然でもある。
「上手く行けば、『祝福』でも底上げができるかもしれないわ」
『どうだろうな。無いなりに工夫する方が、近道な気もするがな』
魔力の少ないメンバー用の装備や、鍛錬も考えてきているのだから、その線でも問題ないだろう。半年毎に受け入れている薬師や使用人の子たちも、ニース商会や子爵家に関わる職場に就職して行っているので、それはそれで意味があるのだ。
そんな話をしながら、一時間ほど街道を進んでいると、後方から早足の騎馬が三騎こちらに向かってくるのが見て取れる。街道から外れ少々早いが休憩がてら道を譲る事にする。幸い、開けた路肩があるので丁度良い。
そのまま走り去ると思われた騎馬は、彼女達の姿を確認した後、勢いを緩め目の前で止まった。
「お前たち、昨晩、この手前のフェルハネムの城塞に逗留した巡礼か」
貴族の子弟風の男に二人の従者。従者が声をかけ、二人はこちらを誰何
するような視線を向けている。
茶目栗毛が彼女に視線を寄こし、彼女も頷く。『護衛』役として問いに答えることを承諾させたかったのだ。
「はい。昨晩はお世話になりました」
「どこから来た」
長剣を腰に吊り、馬の鞍には騎銃らしきものが革製のホルスターに刺さっている。フリントロックであろうか。
「サウスポートから参りました。この五人の巡礼の護衛を務めています」
「……それなら、その前の晩、どこに泊まった」
茶目栗毛は、街道沿いにある修道院の跡で野宿をしたと伝える。
「やはりか」
「こいつらが、関わっていると思うか?」
「さて、わかりません。おい、全員、フードを下ろして顔を見せろ!!」
彼女がフードを下ろし顔を見せると、他の五人も全員顔を見せる。それぞれタイプは異なるが、みな美男美女と言える顔立ちである。
「……旅の役者か何かか」
「いえ、カンタァブルまで行く巡礼でございます」
巡礼と答えた所で、誰何する声に厳しさが増す。
「ならば、一昨日の夜、野営した際に巡回する兵士から誰何されたのではないのか」
「……」
どうやら、『巡礼狩』に関わる領地の貴族であるようだ。
「そもそも、巡礼とは何事だ」
「何事と申されますと?」
「貴様ら、原神子信徒ではないのだろう」
聖人や聖地というのは、教会が信仰を集めるために始めた賑やかしであると原神子派は考えている。聖征で持ち帰った聖遺物なども、装飾された絵画や聖母像などと同様、唾棄すべき対象と見做される。故に、かこつけて巡礼者に因縁をつけて拉致したり身包み剥いだり、あるいは、『狩り』の対象にしている可能性すらある。
「御神子を信ずるものでございます」
「なるほど。一昨晩もそう答えたのか?」
「いえ、そのような誰何をされておりません」
誰何どころか、襲う気満々で取り囲んで襲撃されたのだから、誰何もなにもない。なので、嘘ではない。
「この街道を戻ったところにある、我領地の廃修道院に、不審なものが野営していると聞いた領軍の警邏の者が一昨日の晩から行方不明なのだ」
「……左様でございますか」
「重ねて問う。誰何されていないか」
「おりません」
嘘は言っていない。
「ならば、あの廃修道院の周りにある足跡が多くあるのに、そこから離れた足跡が無かったのは何故だろうな」
「……さて、私どもには分かりかねます」
「いや、その兎馬車の車軸の幅と、廃修道院に残っていた轍の間隔が一致している。その兎馬車が、そこにいたのはないのか」
「そうかも知れませんが、兵士の方とはお会いしていません」
兵士ではなく、リリアルからすれば『賊』なのでこれも嘘ではない。
「少々付き合ってもらおうか」
「何故でございますか」
「この二日間、街道沿いで見かけた巡礼は貴様らだけだ。他に、巡礼者はいない。警邏の兵士が誰何しないわけがない」
これはシラを切るにも限界がありそうだと彼女は判断する。
「それで、何をどうしろというのでしょうか」
「お前たちが不審であるから、事情を聴きたいと言っている」
「不審なのは、あなた方の方ではありませんか。女五人をどこに連れて行こうと考えているのでしょうか。まして、あなたがどこの誰かもわかりませんから、当然お断りします」
気が短い彼女がそう切って捨てる。
「無礼な。貴様、私を誰だと思っている!!」
名乗られていないのでわからないが、どうやら、ノリッジ公の配下の男爵家の三男と言う事がわかった。『ノリッジ公』は連合王国東部に大きな領地を持つ公爵であり、羊毛の生産などが盛んで豊かな土地でもあり、原神子派の大貴族であるという事を彼女は知っている。
「この街道は、ノリッジ公の許可が必要なのでしょうか?」
「必要とあらばだ」
「なら、これで問題ないでしょう」
彼女は魔法袋から、通行許可証を出し、茶目栗毛に渡す。
「あなた方にとやかく言われる筋合いはありません」
手に取らせる事なく、茶目栗毛が目の高さに書面を提示する。
「これは……セシル卿の許可証……。はっ、こんなもの偽物だ。偽物に
決まっている。怪しい巡礼たちだ。どれ、捕まえて尋問するべきだろう」
「そうですね坊ちゃん」
「かしこまりました。おい、痛い目いたくなかったら、大人しく俺達について来るんだ!!」
剣を抜き、威嚇するように大声を出し始める三人。許可証を出しても引かないとなると面倒なことになったと彼女は思う。
『お前の持ってき方が悪かっただろ。ここは王国じゃねぇんだからよ』
『魔剣』に言われ、少々反省するものの、ここに至っては仕方がない。
「で、どうするの」
「面倒ね。何日か、森で過ごしてもらえばいいのではないかしら」
「木にでも縛り付けておきましょうか」
「それいい!! 反省させないとね」
目がギラツイテいる三人の男に、身の危険を感じ……ているような気がする薬師娘たちが懲らしめようと声を大にする。
「どの程度やりますか?」
「二度と剣が握れないように……かしら」
「承知しました」
茶目栗毛もやる気になっているようだ。
「おいおい、馬に乗った男三人に、そっちのひょろい護衛一人でどうにかなろうと思ってんのか?」
「まあいい。適当に楽しんだら、また、リンデの私娼宿にでも売ればいい。此奴ら若くて美人だから、高く売れそうだ」
「金貨は固いな」
「「「うぇーはっはぁあ!!」」」
碌なものではないという事がさらに判明。巡礼狩りをして、やっている事は山賊と変わらない『領軍』である。いや、山賊が『領軍』と名乗っているのかもしれないと思い直す。
「任せていいかしら」
「はい」
「いっちょ、正騎士様の腕を見せてあげましょう」
「了解」
茶目栗毛と薬師娘二人に、賊の対応を任せることにし、彼女は観察することにした。
「剣は、レイピアかしら」
腰に吊るした剣は細長く、レイピアほどの長さと細さに見える。
『いや、エストック……蛮王国ならタックか。あれだ、カトリナがバスタードソードに誂え直した剣だな』
カトリナの剣は、鎧通の長剣である『魔銀のエストック』をバスタードソード風の柄と護拳に替えて扱いやすくしたものだ。とはいえ、エストックは三角錐か四角錐の剣身をしており刃がついていないのだ。つまり、斬れない剣である。その事を伯姪に話すと……
「連合王国は未だに馬上槍試合が盛んで、ジョストだけじゃないのよね。なので、剣での立会も有りなの。斬り殺すわけにいかないから、刃の無いあの手の剣を騎士は身に着けていることが多いと聞くわね」
父王の時代から、連合王国は馬上槍試合が未だに盛んであるという。それに合わせた剣を、『騎士』を気取る男たちは日頃から身に着けているということだろう。護身用にも刃が無い方が過剰防衛にならずに済むというメリットもある。
それぞれが、旅先で手に入れたブロードソードを手にし、ジリジリと間合いを詰めていく。馬首を巡らし、三人がそれぞれの相手に向かい、馬の足を進めるのであった。