資料 連合王国南東部地図
【Inkamate-map】にて作成した連合王国南部の地図です。
リンデ迄の経路の範囲が描かれています。
リンデ
連合王国の首都であり、古帝国時代からある城塞都市に端を発する。
古帝国時代の支配拠点であった。先住民の言葉で『湖の砦』を意味する「リン」「ダ」という名前から「リンダニウム」と名付けられた。また、古帝国崩壊後一時街は衰退。千年ほど前に教皇庁から大司教が派遣されるまで、蛮族の支配下となり、いくつかの蛮族の王朝が交代しつつ支配していた。
大司教着任後、街は『リンダバラ』と呼ばれ、やがて『リンデ』が呼称として定着するに至る。
港湾都市として発達し、外海に流れ込む『ハムズ川』に面した街は水運の中心地となる。河岸には林立する倉庫が、輸入品や食料品納めている。香料商人、雑貨屋、石炭商人、酒類輸入業者、絹商人などがここに集まる。
市内には様々な職人街・商人街が立ち並ぶ。また、リンデは王の支配地であり、王の代理人である市長が市民を取り纏め街を運営している。
ロマン人(ロマンデに領地をもつ王国支配下の入江の民)が聖征の少し前、海を渡り、連合王国と現在呼ばれる国のある『大島』に攻め込んだ。
この時すでに、リンデは人口一万を超え、網目状の街路を有する都市となっていた。大聖堂を有し、古帝国時代の駐屯地・街を吸収し王の支配の中心として政治経済の拠点となっていた。
枯黒病の流行前、人口は一時十万に迫る勢いであったが、その流行で人口が激減。三万前後まで減るが、近年往時を越え、十二万人ほどまで増加している。それに伴い都市環境が悪化、現在は都市の再開発を行う必要が認められているが、予算不足で難航しているという。
また、リンダを流れる川の名前は『テイメン川』といい、泥濘の多いといった先住民の時代の言葉が語源とされている。川は西から東へと流れており、やがて海へと続いている。リンデの位置は河口から凡そ50㎞ほど。
【古の巡礼路】
当時『ベンタ』に滞在していたロマンデ公が蛮国王に戴冠する事に対して、その祭祀を行った司教達を破門したカンタァブル大司教を公の騎士達が害した故事に由来する。
父王時代の修道院解散までにおいて、大いに栄えた巡礼路であるとされる。街道自体は古帝国以前からある自然の尾根道.
南部の港湾都市『ベンタ』から大聖堂のある『カンタァブル』までの東西約200㎞の街道。殉教者である大司教トマスの墓地に至る。
サウスポート
リンデから南に100㎞、アデルニの北西24㎞ほどにある港湾都市。古都『ベンタ』の外港として発達した歴史を有する。内陸部とリンデ、ロマンデを結ぶための重要な港であり、聖征の時代においては、ギュイエ・ボルドゥからワインを仕入れ、羊毛を輸出する貿易港として繁栄。
百年戦争期には、王国とそれに雇われたゼノビアの艦船により襲撃を受け街は破壊。このため、街を守る防壁を備えるに至る。街壁に楼門塔が設置され、また病院を兼ねることになる。古都へとつながる川沿いには造船所と並行し、防塁も建設され堅牢な防御施設が追加された街全体が要塞化された。
また、内戦期にサウスポートは自由都市となり自治が認められた。
先住民の王都であった時期があるものの、『入江の民』の襲撃に対応するため、内陸の『ベンタ』に遷都した経緯がある。
ベンタ
古帝国時代の拠点都市として構築されたことに端を発する。その街の語源は『集会場』という意味の先住民の言葉にある。
入植地として防衛用の石垣を持ち、御神子教の伝播と共に教会を有していた。電人(電半島から移動してきた部族)らがここに加わり、都市は要塞化し先王国の『王都』として発展する。
羊毛貿易で栄えた都市であるが、羊毛貿易の相手がランドルからネデルへと移るにつれ、貿易は先細りとなりつつある。『古都』といった風情の都市であると言える。
アルト
聖征の時代、蛮王と王弟が国の分割について話し合った『アルト誓約』を結んだ地。
先住民の入植地に端を発する街。三百年ほど前から定期市が開かれ街として発展する。ギュイエ女公の邸宅のあった地でもある。(英雄王の母であり、元王国王妃であった公女・公王)。ウェィ川上流の水を利用した醸造所が多く建設されている。
フェルハネム
蛮王国最初の『使徒会修道院』であるギファド修道院がある街。ウェィ川の氾濫原に位置する修道院は、父王時代に解散させられた。
地形的に会戦が行いやすい開けた土地であり、古代から幾度も戦場となっている。豊かな土地であり、農地・牧草地であることに加え、川を利用した林業も発達している。
港湾都市・旧都『ベンタ』と『リンデ』を結ぶ街道を防衛する拠点として『フェルハネム城』を建設した。女王陛下もお気に入りの城。モット&ベイリーを元に、モットの周囲を石垣で囲い、楼門塔を建設し城館を追加している。
ギルバート
古帝国衰退後に、先住民が築いた小さな街から始まるとされる。征服王時代から『王立造幣局』がある場所であり、また、ギルバート城は征服戦争後は狩猟用の離宮として長らく利用されていた。
『ギルバート王国学校』は通学生の公立学校で、男子のみ受け入れている。父王時代に建設された。『ラ・クロス』が盛んな学校として有名。
【デュブリス街道】
港湾都市『デュブリス』から首都『リンデ』を繋ぐ歴史ある街道。その始まりは古の帝国が整備した街道に始まる。
『デュブリス』を始めとする港湾都市からの街道が一旦『カンタァブル』で合流し、そこから西へと進むとリンデに到着する。
デュブリス*地図外
古帝国時代以前からある港町。『カ・レ』の対岸にある。最も東にある港であるゆえに、電人や入江の民の襲撃を受け、幾度も破壊された歴史がある。
近年では、父王時代に周辺の海岸線ともども要塞線を形成するよう改宗されたが、姉王時代に神国との関係が修復されその後、予算不足から守備隊などが解散され、要塞も荒れ始めている。
ロブリビス
リンデから50㎞ほどあり、『デュブリス』との中間に位置する街で、渡河点を守る要塞に端を発する。大聖堂があるものの、元は『カンタァブル』に大聖堂が建てられたのと時期を同じくして建立された修道院のものであったが、父王時代に修道院が解散させられ大聖堂だけが残されている。
都市の運営は市議会・参事会によるのではなく、「ロブリビス総督」として配置されている「城代」が担っている珍しい形式であるが、これは首都防衛の要衝として認識されている故である。
ドレント
リンダを流れる『テイメン川』に注ぎ込む支流『ドレン川』の渡河点にある街で、古くから市場が開かれる場所であった。また、リンデの郊外にあたり、父王の邸宅の一つが存在する。
水車を用いた紡績やエール作りが盛んな街でもある。また、近年ではネデルで行われている紙の製造を当地で行う試みが為されつつある。