第603話 彼女は修道院跡で野営をする
第603話 彼女は修道院跡で野営をする
早朝、開門と同時にリリアル一行は『巡礼路』と呼ばれる街道を東に向かって進んでいく。
連合王国と呼ばれる国がある島は大島と呼ばれるが、カ・レの対岸あたりには切り立つ白い壁を有する海岸を見ることができるため『白亜島』と呼ばれることもある。古帝国時代にはその勢力圏に入ったものの、蛮族の襲来と帝国の崩壊により先住民の王朝へと戻る事に。
幾度となくさまざまな部族が何百年にもわたり島にやってきては、先住民と戦い、あるいは、後続の部族と戦争が続くことになる。最後に現れた者がロマンデ公一党であり、北王国や湖西王国の地に棲んでいた者が先住民の国家であった。
なので、ネデルの住民と対岸の住民の言葉は似ているものが多い。反面、湖西王国や北王国の言葉は全く異なる。加えて、ロマンデ公一党は王国語を話し、ギュイエ公国の女公と蛮国王が婚姻した結果、更に王国語を話す王族・貴族が多かった。
蛮王国語の聖書が原神子信徒の間で重要視されるのは、この辺りの経緯がある。一つの国としてまとまるには、蛮国語を優先とする事が必要であると考えているのだろう。とはいえ、平民の九割方は文字が読めないので、あまり意味がない。
「この街道自体は、大昔からあるのよね」
「そのようね。古帝国時代の遺物も遺跡から見つかる事もあると聞くわ」
古の帝国の領域から外れたからには、その市場で利用されていた貨幣などただの金属の円盤に過ぎなくなった結果、放棄されたか隠されたのだろう。文明社会から物々交換の世界に逆戻りしたのだ。
今日はベンタから30㎞程進んだ『アルト』の街にまで行くことにしている。急ぐ旅でもなく、巡礼路を行く巡礼として普通の移動力で行動するというわけだ。
道行く途中の礼拝堂では祈りをささげ、巡礼らしいこともしつつ長閑なあぜ道に近い街道を進んでいく。整備された道と言うより、以前から人の往来で自然に踏み固められた道といった印象を受ける。
「身体強化の魔力操作が上手になったのか、あまり怠くなりません」
「なら、ずっと歩きでいいわね」
「いやいや、あんまり足が太くなると、嫁の貰い手に困るから!!」
身体強化で脚力が増しているのであれば、別に脚は太くならない。そんな薬師娘の会話を聞きつつ、彼女は街道から離れた石造の崩れかけた建物を幾つか見て「あれが廃棄された修道院か」と考えたりしている。
伯姪もそれは気になるのか、指をさして指摘する。
「あれ、多分近隣から建築資材として石材を持ち出しているわね」
「……なるほど。だから、あれほど朽ちているように見えるのね」
歴史ある修道院や転用可能な建物は学寮や王家の城館として使われているのだが、大半の修道院は修道士たちを追放した後、建物は放棄されている。その石材を周辺の住民が、街壁の素材や建物の建材として再利用しているのだ。
王国でも、放棄されたり取潰された修道院がそのように使われる事は珍しくない。
「あの暗殺者養成所の城塞も、元は別の所にあった修道院の石材を持ち出して再利用されていたと思うわ」
デンヌの森周辺には千年ほど前から沢山の修道院が建設されていた歴史がある。いまでこそその使命を終えて廃院となっているものの、遺跡として森の中に残っている修道院の跡も少なくない。
「一斉に廃止して財産没収ってのはどうかと思うけどね」
「修道騎士団で王国が行った事と似ているけれど、少々違うとは思うわ」
修道騎士団は、当時の王国を乗っ取る勢いの大勢力であった。また、聖征の失敗、教皇から聖母騎士団との統合を拒否し、王都に新たな拠点を設置し良からぬことを考えていたと思われる。それと異なり、連合王国の修道院は……多くの地所・財産を有し、それは連合王国の農地の三分の一ないし四分の一を占め、議会でも多くの修道院長や大司教が議席を有し、国王の政治に干渉していたという経緯はある。
権力闘争の結果、教会勢力が国王勢力に叩き潰されたということなのだが。
「けれど、教会は残っているのよね」
「勿論。けど、王国ほど地域の中心ではないわ。ほら」
近づいてくる『アルト』の街、人口は千に満たないほどであろうか、そして教会がたいそう小さい……
宿が無ければ教会に一宿を頼もうと考えていたのだが、どうやら当てが外れそうである。
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街に入り、宿を訪ねるが一見さんお断り、さらに『巡礼者』は断固拒否と言われてしまう。
巡礼のような生産性のないことは止めて、働けと説教され追い出される始末である。勤勉さで彼女らに敵う者はそうそういないのだが、それは伝わるはずもない。
加えて、教会は非常に狭く、司祭も宿泊を拒否。
「迷える子羊は、この先にある廃修道院で野営すると良い」
などと言われ、追い出されてしまう。因みに、連合王国の教会組織は『聖王会』という名称で、教皇より国王を上位と考える「異端」組織である。なので、司祭は『牧師』、司教は『主教』と呼ばれ区別される。
「ひどい目にあいましたね」
「余所者に冷たいのですわ」
余所者と言うよりは「巡礼者」に冷たいのだろう。こんなことになるなら、古都を出る際に時間をかけて情報収集しておくか、冒険者ギルドにも顔を出して話を聞いておけばよかったと反省する。
「買い物もできませんでしたね」
「食料や水は問題ないのだけれど、買い物さえ拒否されるとは思わなかったわ」
巡礼者の存在自体不可能にするような対応である。水は川や泉で手に入るが、食料はある程度煮炊きできる環境か、パンなどを購入する必要がある。薪を集めるのも一苦労だ。宿や食事の場を拒否され、教会も協力してくれないとなれば、巡礼は相当困難となるだろう。
街が小さく見える程度離れた場所に、その廃墟は存在した。
「これ、修道院じゃなさそうね」
「古い城館かしらね」
壁や塀は残っているが、屋根はない。周りから見えにくくあるし風を遮る程度の効果はあるが、野宿の延長線上の格好だ。
「魔装荷馬車で寝るか、狼の毛皮テントで寝るかの二択」
「狼の毛皮テントとは何ですの?」
野営で熟睡できる狼の毛皮で出来たフワフワの内装のテントである。疲れているならこれでもいい。
「ルミリと……」
「交代で見張りをするのでしょう? 私も参加するわ」
「じゃあ、私はルミリちゃんともふっときますね!!」
碧目金髪も、いざという時の戦力としては微妙である。ということで、野営の見張は、夜中までを伯姪と茶目栗毛、夜中からは彼女と灰目藍髪が務めることにした。明日は、交代で兎馬車でお昼寝しながら移動である。
正直、宿の食事が美味しくないので、魔法袋に入れてある王国のパンや干し肉・野菜を入れたスープを適当に作る方が味が良い。恐らく塩などの加減が薄いのだろう。海が近いのに難儀なことだ。
「もしかして、魚の塩漬け三昧かもしれないわね」
「恐ろしいことです」
「あれ、塩辛くて好きになれませんわ」
そう、捕れたばかりの魚の内臓を抜き、海水をぶっかけて樽で保存するという荒業で作られる「魚の塩漬け」は安くてまずいのだが、肉を食べることが難しい庶民にはお馴染みの安い食料なのだ。なので、教会などで食する機会が多い。肉を避ける場合も、魚の肉は含まれないので、教会や施療院の施設では良く出るのだ。
「ニースの魚料理とは別次元ね」
「比較しないで欲しいわ。新鮮な魚と塩漬けじゃあ全然違うもの」
「ニース料理食べてみたいです」
「姉さんにくっついていくと、そのうち食べられるわ」
「……え、遠慮しておきます。魚の塩漬け好きですよ私!!」
彼女の切返しに碧目金髪、姉に巻き込まれて酷い目にあった記憶でも蘇ったのか、目が死んでいる。
歩き疲れたのか既に気絶寸前のルミリを連れて、碧目金髪が狼テントへと就寝に向かう。
「何かあれば、起こしてください」
「ふふ、何もないわよ」
「おやすみ!」
「お休みなさい」
残る四人は魔装荷馬車のハンモックで交替で寝る予定だ。
夜中までは何事もなく、真夜中過ぎに不寝番を交代する。廃屋と化した修道院跡だが、更に奥まったところに城館らしき石造の建物が見てとれる。
「あれは何かしらね」
『ギュイエ女公の隠居所が古都の傍にあったはずだ。たぶんそれだろう』
この辺りは川の水源に当たる場所で、水が良いのだと街では耳にした。街の周辺にはビールの醸造所が多くあったことを思い出す。
「ワスティンも湧き水が多い場所ね」
『泉の女神の水で作れば、なんか体に良さそうな気がするな』
水の良い場所に醸造所も隠居場所も作られたという事であれば、そのうちワスティンもそんな場所になるかも知れない。
対角に二方向をそれぞれ監視する彼女と灰目藍髪。街道の先から、大勢の人間が集まって来る気配がしてきた。東西の両方から。
「……先生……」
「随分と大勢ね。何事かしら」
既にここに人が居る事は分かっているであろうが一先ず焚火の火を消し、対応しようと灰目藍髪が動こうとするが「このままで」と彼女が遮る。
「何故です?」
「不意打ちを喰らわせるつもりで、不意打ちを喰らうのは動揺するでしょう?」
「なるほどですね」
火を消せば気が付いていると教えてやるものだと思い、彼女は相手の奇襲を敢えて受けると伝えたのだ。
伯姪と茶目栗毛を起こし、念のため碧目金髪も起こす事にする。
「ルミリはどうします?」
「荷馬車に。魔装で護られる方が確実に安全よ」
「了解です!」
本来であれば、戦闘に参加させずとも見せておくべきかもしれない。とはいえ、暗い場所で夜中に寝ぼけ眼で経験しても、それは良い経験にはならないだろう。途中で泣き叫ばれたり、錯乱されるよりは寝たままのでおく方がましだと考えての判断である。
四人はどのように対応するかを確認する。
「二人は気配隠蔽をして、街道と背後の森に潜んでちょうだい」
「わかったわ」
「お任せください」
包囲の外側に位置させ、背後から襲撃する役割を伯姪と茶目栗毛に
委ねる。
「相手は……チェインかキルティングアーマー程度ね。ガシャガシャ言わないもの」
「騎乗しているものが数人います。指揮役かもしれませんね」
足音からすれば人数は三十人程度。領軍の兵士か民兵か、武装はしているが軽装の歩兵の類に、騎士風の装備の者が三人ほど見て取れる。
街道から半包囲の体制でこちらに向かってくるように見て取れる。
「スティレットがどの程度使えるか試せそうね」
「どの程度にしますか?」
茶目栗毛の問いは、殺すか、痛めつけるかの判断と言う事だろう。
「王国ではないし、捕らえて司法に引き渡す事もできないのだから、処分一択ね」
「なら、狙っていきましょう」
「承知しました」
二人は、魔銀のスティレットの効果を試すつもりのようだ。普通に板金鎧以外なら急所を貫くことも難しくないし、集団の中に入り込んでの混戦なら短剣の方が都合がいい。ここでは、少数で多数を相手にする事も多いであろうし、人間相手の戦いも増えるだろう。
「でも、あれは何をしに来たのでしょうか」
「巡礼狩りでしょうね」
「……巡礼狩り」
カナンの地でも存在したのだが、巡礼者の多くは老人や女子供であり弱者である。本来、そうした人間は行軍する騎士や兵士の後をついていくなり、護衛を雇った隊商などにくっついて旅をする事で安全に移動しようとするのだが、行軍の速度についていけなければ盗賊の良い標的となる。
群れから脱落した鹿を狙う狼の集団のような行動を人間もする。
巡礼狩りとは、巡礼者を奴隷とするための活動と言えばいいだろうか。今では騎士団の活動もあり目立たなくなったが、傭兵が人を攫うのと同じ理屈で、在地の騎士崩れなどが指揮官となり、余所者の巡礼を狩るのだと思われる。
「では」
「アルトの街か古都で目を付けられたのでしょうね。若い女五人に護衛が一人だけ。十人かそこらでも余裕だと思われるのだけれど、話が漏れて複数のグループが集まってしまった……というところではないかしら」
騎乗の三人がそれぞれの指導者と言ったところだろう。
「あの三人以外……生死を問わないわ」
「大丈夫なのでしょうか?」
ここで死体が三十も見つかれば大事件になる。当然、身元の怪しい彼女達一行に嫌疑が掛かるだろう。捕らえられたり、追っ手を差し向けられる可能性も否定できない。
「大丈夫よ」
彼女は自信たっぷりに答える。
「死体が見当たらなければ単なる失踪事件。集団失踪事件にしかならないわ」
『おまえよぉ……』
彼女の魔術と魔力からすれば、地面の下に死体を埋めて跡形もなくすることくらいわけの無いことなのである。