第602話 彼女は『古都』へと到着する。
第602話 彼女は『古都』へと到着する。
兎馬車と共に彼女たちは夕暮れ迫る『古都』ベンタの街門に至っている。街に入る為の審査のため列に並んでいるのである。
「それなりに人が動いているんですね」
「貿易はサウスポートで、でも、この辺りの市や商会はベンタにあるのでしょうね」
旧都はそのような場所であった。川の中流という違いは有れども、遡ってくる船が荷を下ろし、そこを拠点に各地に荷を運び、また、荷が運び込まれ船へと乗せられ送り出されていく。
本来サウスポートで纏めて行われていた機能が、分割されていると言えばいいだろうか。それとここは……
「連合王国では武器工房が多いことで知られています」
茶目栗毛の一言、生字引とでも呼べばいいだろうか。地勢にも詳しいのである。え、古い、茶目ペディアって言いにくくないでしょうか。
兎馬車は街に入る手前で収納、兎馬だけを引いて荷駄馬のように申し訳程度に野営用の毛布などを乗せている。さすがに巡礼者が兎馬車に乗って移動しているのを「おかしい」などと言いがかりをつけられかねないからである。ルミリも思ったより体力が回復しているので、疲れが残らない程度に歩かせることを考えている。
「次」
彼女達の順番が来て、門の衛兵が入場の審査を始める。
「私たちは巡礼者でございます」
「……身分を示すものは何かあるか」
「こちらを」
そこにあるのは、国務卿ビル=セシルの通行許可証。これは、ウォレス卿に依頼して手配をしてもらったものである。
「これは……」
「その下の添状をご確認ください」
添状は王国駐在大使ウォレス卿のもので、彼女達が女王陛下の賓客であることが説明されている。
「し、失礼いたしました。あの、市長がご挨拶に……」
「不要です。知らせるのは構いませんが、内密に滞在したいのです」
「はっ、そのように手配させていだだきます!!」
背後や左右の衛兵と入場待ちの商人や領民がこちらを注視している。通行許可証を返却してもらい、そそくさと街に入る。
伯姪がニヤニヤしながら、何で断るのかと聞いてくる。
「面倒でしょう?」
「間違いないわね」
「どういう意味でしょうか」
『赤目のルミリ』が何か問題があるのかとばかりに問いかけて来る。
茶目栗毛が「これは私の解釈ですが」と断りを入れ、彼女の代わりに説明をする。市長は町の有力者であり貴族か『郷紳』層であろう。それらが歓迎するといえば、何か彼女に余計な頼みごとをしてくることまで予想される。
「『郷紳』ってなんでしょう?」
「連合王国では、平民以上で貴族未満の存在がいるのよ」
「昔、この国ってロマンデ公って王国の公爵とその郎党が攻め込んで占領してできた国なわけ。その前にあった先住民の王国とその国の貴族を全部廃したんだけど、全員、ロマンデの貴族だけで統治するわけにいかないじゃない?」
当時、『白亜島』の戦争では、騎兵や鎖帷子を装備した部隊が少なく、それを主力としたロマンデ公軍にかなわなかったのだが、その戦争に強い人間だけで統治することは出来ない。というわけで、先住民の支配層、地主領主層を『郷士・紳士』として貴族未満の下級支配層に取り込むことにした。ロマンデ出身の者だけが貴族になれたのであり、元々いた地主は貴族になれなかった。
それが五百年ほど続いているのである。
なので、『郷紳』出身の国務卿ビル=セシルは貴族でもなく爵位持ちでもない。ウォレスも同様だ。国王も簡単に郷紳層を貴族にすることはない。
王国で騎士は貴族と見做されるが、連合王国では騎士は貴族ではなく、貴族の子供も、兄弟が後を継げば平民扱いとなる。親が存命中に郷紳になるために騎士となるか、大学や官吏として身分を得るか、商人として稼ぐかしかないのだ。
そう考えると、私掠船の船長という者の中には、社会的地位を高めたいと考えて平民身分から進んでそうした仕事に就く者もいるのだろう。厳しい社会制度であると言えるだろうし、新しい国であるとも言える。
「そんなことで、女王陛下と伝手でも作れないかと考えて余計なことを頼まれるのも困るわね」
王国なら何か問題があれば相談に乗り、力にもなろうかと思うのだが、他人の国で余計な関わりを持たされるのも限りなく迷惑である。という理由で彼女達は巡礼が泊まりそうな微妙な宿へと足を運ぶことにした。
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王国においても『聖ヤコブ巡礼路』というものが、神国の西の果てにある聖地迄存在する。王都の聖ヤコブ大聖堂が起点であり、そのまま外海沿いをギュイエ領内を通過し、西大山脈を越えてその道の尽きる果てまでいくと聖地が存在する。
今では廃れてしまった感があるのだが、聖征の時代においては毎年一万人もの人々が王国から聖地へと旅立って行ったと記録されている。
そうした巡礼路沿いの街には、教会・大聖堂の傍に巡礼者向けの安宿が存在するものだ。食事も粗末だし寝具なども最低限だが、長く巡礼し、また、その街の聖人を祀った礼拝堂を拝礼したり、聖遺物を拝観するために数日滞在しても金銭的に負担にならないようにお安く宿泊費が設定されている。
しかし、この街にはその手のものがないという。
「冒険者ギルドも無いから、冒険者の宿もないし」
「でもなんでなんですか?」
父王時代に修道院を廃止した一環で、巡礼向けの宿も潰されてしまったということであった。修道院に一夜の宿を借りるという事も今は出来ないので、巡礼自体が激減しているとされている。
「この街はまだ宿屋がある方だけど、大きな町以外は宿はないと思っていいと思うよ」
「はぁ、野宿かぁ」
「いいえ、廃修道院とはいえ、雨風はしのげるでしょうから問題ないわ」
彼女の中で「ピコン」と閃いた。宿屋が無ければ、廃修道院に泊まればいいじゃない……というわけである。
「中々おつね」
「わびさび的な何かでしょうか」
「こ、国賓じゃないんですか……先生は……」
王弟殿下に同行していれば確実にそういう扱いをされていただろうが、大きな町で必ず泊まり、歓迎式典が行われ、更には歓迎の晩餐や夜会に出席し続けなければならない。それが楽しめるなら良いのだが、彼女もリリアルメンバーもそうではない。
「貴族の屋敷で毎晩夜中まで相手するの……楽しめるかしら」
「ずっと後ろで黙って置物みたいに立っているのよ、あなたたち」
「「「……むりです」」」
「それが従者の仕事ですから、当然ですね」
茶目栗毛だけが当然とばかりに頷く。そして、従者の食事は彼女や伯姪のそれとは異なる粗末なものが与えられる可能性が高い。また、王弟一行の良く分からない近衛騎士(貴族子弟)に頭ごなしに命令される可能性もある。
「ルイダンだけなら腕力で黙らせることもできるけど……」
「まあ、貴族の子弟と関わるのは面倒です」
「リリアルを良く知る騎士学校の近衛騎士達は皆紳士でした」
伯姪が物騒なことを言っているが、薬師娘二人はそれなりに納得したようである。ルミリは……会話の半分も理解できていなさそうである。
「リリアルと近衛騎士団の間には、ちょっとした軋轢があるのよ」
「しらなかったのですわぁ」
「知らなくていいのよ。これから、どんどん削られていくんだからあの騎士団は」
貴族子弟の受け皿のお飾りとしての近衛を圧縮し、王立騎士団(海豚騎士団)で王太子個人に忠誠を誓う騎士か、近衛連隊の士官として教導役になる騎士以外は先細りの仕事である。
高位貴族の子弟は減り、下級貴族の子弟が王都大学の学生のように増えていくことになっているのだ。
「この国はどうなのかしらね」
「……調べてみないとよくわからないわね」
などと、市長から何故逃れるかの話をしつつ、宿を探すのである。
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街の中を歩き回り、木賃宿よりはマシであるが、お安めの宿に宿泊場所を定め部屋を借りる。大部屋六人で貸切るという手に出て、茶目栗毛はちょっと気にしたようだが、いまさらである。男女別にすると、茶目栗毛……常に大部屋で一人別枠になってしまう。
「次回からは三部屋にしましょうか」
「そうね」
部屋割は彼女と薬師娘のどちらか、伯姪とルミリと薬師娘の二人・三人部屋。そして茶目栗毛が一人部屋もしくは大部屋となるだろう。
「大部屋も悪くありませんよ。情報収集がしやすいですから」
「それでは、酒とつまみでも差し入れてこれからは有効に機会を生かしてもらいましょうか」
「それで構いません」
情報収集が得意な茶目栗毛、碧目金髪がその役割を果たす事になるだろうが、大部屋なら男女別で主に男部屋しかない場合が多い。巡礼宿であれば女性用の大部屋もあるだろうが、女性だけの大部屋を用意して埋められるほど女性の旅人は多くないからだ。
宿で食事が出ない為、六人は兎馬を預けると食事のできる場所を探して街を探索することにした。五人は巡礼風で、茶目栗毛は冒険者風の姿をさらし、護衛らしく振舞う。主に、ルミリの横につくことになるのだが。ロリコンではない。
「それで、食事を……」
「その前に、そこのお店を見てみたいのよ」
彼女が言い出した店とは……武具屋である。
王国の武具屋と似た店内の内装。しかし、異なるものもある。
「へぇ、この剣、バスタードソードにしては長いわね」
「そりゃ、北王国の『クレイモア』って奴だ。大体同じだよ」
「大体同じって、どうなのでしょう……」
ルミリ、武器商人はそれなりに良い武器が安く手に入るなら、仕入れただけだ。こだわりはない。
「これでも小振りな方だよ。長いのはそこの嬢ちゃんより大きいから」
『そこの嬢ちゃん』とはズバリ彼女のことである。確かに……ルミリの次に背が低いのだが。1.5m程の剣であり、帝国傭兵が好む両手剣にサイズは似ている。恐らく使い方も同じようなもので、簡単に言えば剣の形をしたハルバードである。使い勝手が悪い。
「ま、でも、売れるのはこういうのだな」
見れば、カットラスのような短めの曲剣か、片手の幅広直剣にしっかりとした半球形のデザインされた護拳を施したブロードソードであろうか。
「ショートソードとかレイピアっぽいのは無いのね」
「ああ。ここはサウスポートの船乗りが持つような剣が売れるからな。そっちにある長柄なんてさっぱりだな。領軍の放出品なんで物は良いんだがな」
鎌のような刃にフックが付いた『ビル』や、ウォーアックスのような両手持ちの長柄がずらりと並んでいる。
「その両手斧なんて衛兵団の放出品だしな」
「横流し品の間違いじゃないの?」
伯姪がまぜっかえすと、店主が冗談じゃないとばかりに反論する。
「そんなことしたら、その斧で打ち首にされちまう。まあ、今の女王陛下は温厚な方だからそこまでしないだろうけど、まあ、この手の商売で盗品扱う店は表通りじゃ看板出して商売なんて出来ねぇよ」
ということらしい。彼女はお土産として、『クレイモア』『長柄斧』を購入。ご当地の工房のものだというブロードソードと北王国からの持ち込みであるという短剣『ダーク』を数本ずつ購入する。
「お土産ですか」
「必要になるかも知れないから……かしらね」
「それは良い考えです」
装備を見て外国人であると判断される局面もこの先あるだろう。特に、内陸部へ行けば目立ってしまうかもしれない。少なくとも、国内の名の知れた工房で作られた武器や、その地の武具屋で購入した装備であれば誤魔化しもできうるだろう。
まとめてそれなりの数が売れた武器屋は喜んでいた。
「それと、巡礼のお客さんにはあまり耳にしたくない噂だと思うんだが」
店主はこれは聞いた話だと断りを入れて、その噂について話してくれた。巡礼街道沿いのどこかの修道院で、夜になると死者の霊が出てそこに野宿をする者に襲い掛かって来るという。
「荷馬車が放置されていたりすることもある」
「それは事実」
「ああ。それは事実だ。馬と人間が忽然と消えちまうのさ」
馬車だけでなく荷物も残されているのだという。踏み荒らされたような地面の乱れもあり、山賊の類かもしれないが、地元では『亡霊』にさらわれると噂されているのだ。
「商人は被害にあわないんだ」
「おう。巡礼者だけだな。だから、賊の類とは違うって話だ」
亡霊なら足跡で地面があれることはない。実体のあるアンデッドか魔物か、あるいは、その噂を流しながら巡礼者だけを襲う賊かだろう。
「野宿には気を付けます」
「ああ。あんたたちの無事な旅を祈ってるぜ」
武器屋の店主は「帰りにも寄ってくれ。不要な武器を買い取るから」と答えてくれる。どうやら、護身用の武器を買いに来た巡礼者だと思ったのだろう。買う前に噂の話をしなかったのは、セールストークだと思われたく無かったからだと思えば、誠実な商人なのだと彼女は考える。
『さて、今度はどんな魔物なんだろうな』
「ふふ。人間より怖ろしい魔物なんていないわよ」
『ちげぇねぇ』
『魔剣』と彼女はこの先の出来事を予想して、何となく笑うのである。