第601話 彼女はリリアル学院にしばしの別れを告げる
魔装馬車の試乗を兼ねてルーンまで馬車で移動することにする。
「どう、乗り心地は」
『……お腹がポンポン当たって結構苦しいかもです』
天井からくぐもった声が伝わって来る。恐らく銃を扱う可能性の最も高い碧目金髪が乗っかっている。馭者台には茶目栗毛と赤目のルミリが座って教導中だ。
『悪くはありません』
『よくもありませんよぉ!!』
灰目藍髪は、後ろの立ち台から様子を確認している。
「天井が重くなる分、馬車の振動に対する車体の安定が悪くなりそうね」
「まあ、無防備に一方的に攻撃されるリスクを取るか、重心高による不安定さを取るかの二択だからしょうがないんじゃない?」
彼女と伯姪はそんなことを確認しつつ、ルーンまでの旅程を確認したのである。
ルーンで宿泊し、街が落ち着き始めたことを確認する。原神子信徒の過激な活動も騎士団の駐屯地と新街区の冒険者ギルドの活動もあり、鎮静していると考えられる。
「さて、あっちの街はどんな感じかしらね。ルーンと似ているのかしら」
ルーンはロマンデの中心的な貿易都市であり、長く蛮王国の支配下にあった。人間の交流も多く、街も王国の都市より向こうの都市に近いと言われる。カ・レなども同様だ。
「言葉と食べ物が違うくらいじゃないのかしら」
「どうかな? ニースと比べれば確かに同じようなものかもね」
ニースは内海の日差し対策を施した家であり、王都周辺の建物とは明らかに異なる。そう考えると、海を挟んで数十キロしか離れていないこの辺りなら、同じような街並みかもしれないと彼女も思う。
明日はルーンから『魔導艇』で海峡へと向かう。帆走風に見える程度の一枚の四角い帆を備えることにしているが、基本は魔導外輪で進む。
「それで、ルミリはどう?」
「……気絶するように眠りました」
魔導馬車の馭者も魔力の消耗は少量とはいえ、慣れるまではかなり魔力を消耗する。薬師兼馭者として遠征に参加した二人も、兎馬車であったがとても大変な思いをしたことを思い出す。
『赤目のルミリ』は、冒険者組扱いであるとはいえ年齢は十二歳、魔力量も一期生の冒険者組からすれば相当少ない。
「あの、院長」
おずおずと碧目金髪が話しかける。顔を向け話を促す彼女。
「明日は、魔装兎馬車にして頂けませんか?」
「そのままルーンから海に出るのだけれど」
「あー その、兎馬車の方が扱いが簡単で魔力も少なくて済むんです」
「そうなの?」
魔力量駄々余りかつ細かい制御も得意な彼女にとって、小さな差異にしか感じないのであるが、魔力量の少ない茶目栗毛、薬師娘に関してはかなり異なるのだという。
「ですので、明日は少し兎馬車での練習に切り替えて、慣れさせてから
渡海させた方がよろしいかと思います」
ルーンから海まではそれなりの距離がある。潮の満ち引きの関係もあり、満潮時の方が好ましいのだが、先の港町『アベル』まで行けばその配慮も必要がない。時間待ちの間に兎馬車で河口の港まで移動するという
提案だ。
気絶するように寝ているという事も気になるのだが、魔力を枯渇する迄使うことで成長期のルミリの魔力量を底上げすることができる。商人希望であり、前衛を担う事も出来ないのであれば、後衛として魔力を用いた防御・指揮の役割を果たすほかない。
その為に、この渡海中は魔力をドンドン使わせてできる限りの魔力量の底上げが望ましいと彼女は考えた。魔力量の少なかった茶目栗毛と伯姪も魔力量中の下位レベルまで増量できたのだから、より年少者であり魔力の使用に専念できるルミリなら、中の上位にまで将来的には拡大できるかもしれない。藍目水髪並が望ましいし、性格的にも似た役割を期待する。
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「……とても扱いやすいですわぁ」
「それは良かったわ」
兎馬車には三人しか乗れないので、荷台で街道を進んでいる一行。ルミリにとってはダガーとハルバードほどの扱いやすさに差があると言うが、意味は分かるが彼女の実感としては良く解らなかった。言わないけど。
「でしょ。わかるわー」
碧目金髪が本日の教導役。彼女と三人で乗っている。もう一台は伯姪が馭者を務め「先で待ってるわ!」と言い残すと爆走して消えて行った。
「中々速度が出せませんわ」
「いいのいいの、慣れたら平気になるから。次の段階に魔装馬車の馭者を出来るようにならなきゃね」
魔力量の少ないものしかいない二期三期生の中で、魔装馬車の馭者は相対的に後衛職が務めざるを得ない。ルミリが馭者を務めることは確定であり、商会関係の将来を考えれば、魔装馬車を操れることは悪い事では無くむしろ一歩近づくことになるだろう。
「慎重に、けど、出し惜しみせずにね」
「む、難しいですわぁ……」
等と言いつつ、昨日と比べれば軽快な走行で『アベル』へと到着する。
早朝に出ても、恐らく翌日の昼間に到着すると計算されるので、午前中に出航すれば明日の夕方ごろには『サウスポート』に到着することになるだろう。どの道船内で一泊は確実である。
「寝る場所とかどうなるんですか?」
「遠征用の荷馬車を出して、床に固定。ハンモックを使って寝ることを考えているわ」
帝国遠征用に作った荷馬車である。一昼夜のうち、彼女が夜中まで運航を行い、夜中に伯姪と交代して朝まで、そこから茶目栗毛が半日ほど運航し、最後はやはり彼女が動かす事にする。
既に『巡礼者』の姿に着替えた六人は、早々に『魔導艇』へと乗り込む。
「帆はどうしようかしら」
「私も多少は扱えるから、昼間は任せておいてもらっていいわ」
伯姪が帆を扱う。今回、追加してもらったマストには変形四角の帆『ラグセイル』が使用されている。これは、北外海や東外海の漁船などに多い形式の帆で、内海の『三角帆』を用いて目立つことを避けた意味もある。マストは船首寄りに配置され、帆を広げると前方の視界がよろしくない。
とはいえ、漁船でも15m程の大きさはあるそうで、リリアルの魔導艇はそれよりかなり小さい。足らない安定を補助力で補い進んでいく。
岸から離れるにつれ、うねりは大きくなり揺ったりと船体が上下し始める。
「これ、慣れるまで大変」
「酔わないように、体の中を身体強化で強めた方が良いわよルミリ」
薬師娘二人がルミリへと助言をする。早々に体調が悪くなりかねない魔力量の少ない三人に彼女は魔装荷馬車を出し、中で休憩することを許可する。日差しを遮り、多少は屋内の感じとなる。
「あ、それと、飲食は控えた方が良いかもね。あっても少しにしておきなさい」
吐く物がないと苦しいと言うが、そもそも、吐くのは苦しいのだからそれはどうかと思う。水だけ飲んで、薄めたワインでもいいのだが、胃液以外も吐き出す方はましという感じだろうか。
「天幕付きに改装できると良いわね」
「操舵席は日差しが遮られませんし、雨や波を避ける意味もありそうです」
「今回は我慢よ。幸い、天気は持ちそうだから」
晴天ではなく薄曇り、その方が日差しが緩んでありがたい。内海ほどではないが、日陰一つない海の上では薄日でも暑さを感じる。
海のど真中、大型船のマストの上に乗れば水平線の向こうの両岸が見て取れるかもしれないが、小型船の海面と大して変わらない高さでは、精々数キロしか見る事は出来ないので、もう大海原の真っただ中な感じしかしない。
「新大陸へ向かうのは、こんな感じで何カ月もかかるのよね。正直、冒険心と強固な信念が無ければできそうにもないわね」
神国の騎士上りの冒険商人や修道士が向かうのは、その国の人となりがある気がする。また、法国の中でも独立心反骨神旺盛な『ゼノビア』商人がその片棒を担いているという事も頷ける。
正直、まともじゃないと彼女は思うのである。
「ほら、聖征とかと同じだと思うわ」
「男のロマン的な何かかしら」
新大陸で異民族相手に無双する冒険譚も知らないではない。相手は石の槍や斧でマスケットや大砲を用いた神国冒険商人という名の傭兵に蹂躙されるという話だ。
正直、魔物相手に無双するリリアルも似たようなものだが。だが、人と魔物は全然違う。
「あなた酔わないのね」
「ええ。身体強化の賜物ね」
魔力量小の三人は荷馬車の中でえづく以外なにも出来なくなっている。
「このマストの上に、見張台もあっていいわね」
「追加できるように依頼しておくわ」
高さ10m足らずの帆とはいえ、高所を取れることに意味はある。大型船に接舷するにも梯子代わりに使えなくもない。銃手を配置することもできる。誰がその任につくかは……考えないでおこう。
すると、茶目栗毛が声をかける。
「先生、海豚が並走しています」
見ると数頭のイルカの群れが魔導艇の左右に並んで、背びれを時折水面に出しながら同じ方向に向け進んでいる。
「あ、気が付いた?」
伯姪曰く、内海でも良くある光景らしく、特に気にしていなかったらしい。
「驚いたわ」
海豚、意外と大きいなどと彼女は思うのである。
日が沈む時間となり。帆を下ろし魔導外輪だけでの航行へと移行する時間となる。帆走のお陰で魔導だけの場合よりかなり早く進めたと伯姪の談。明日の早朝には対岸に到着するので、それまでは岸に近づかない様にしようと言われる。岩礁もあるだろうし、夜に進むのは気が引ける。
「本来は、錨でも降ろして停泊するものよ」
「けど、この場所だと」
「東に流されるから却下ね。進む方がましよ」
西から東に海流があるため、カ・レの方向に進んでしまう。なので、夜中も交代で舵を握り対岸へと進む他ない。
彼女は夜中まで舵を握り予定通り伯姪と交代する予定であったが、明け方には対岸が見える可能性を考え、茶目栗毛に交替し、早朝に伯姪に舵を預けることにした。
魔装荷馬車の中は……ちょっとエグイ事になっている。全体的に……据えた臭いが充満している。
「風の魔術でも使えれば良いのだけれど」
『水でなんとかならねぇか』
水の精霊の『祝福』を受けた彼女であれば、今まで以上に出来る気がしないでもない。『魔剣』にそそのかされ、彼女は『水球』を作り出し、荷馬車の床をコロコロと回転させ吐しゃ物を水球の中へと取りこんでいく。
やがで汚水色となった水球を荷馬車から船外へと放り投げて無事解決……まではいかないが、かなりましになった。
「もうし……わけ……ありま……せん……」
「「……」」
三人が謝罪する雰囲気をにじませつつ、苦しみも抱いているのに若干申し訳なさを感じつつ「あと少しの我慢よ」と気休めを言い、彼女は睡眠をとるのである。
顔面蒼白の灰目藍髪に体をゆすられ、彼女は覚醒していた。船の揺れが何とも揺り籠めいていて気持ちよく熟睡していたのである。
「先生……流石です」
「……そうかしら。それで?」
「連合王国の岸が見えています」
しばらく岸沿いに進み、やがて入江の奥にある『サウスポート』へと到着することになるという。昼前には到着するだろうという事で、兎馬車を使わなかった場合の旅程とほぼ同じとなる予定だ。
「今日は、サウスポートで宿泊でしょうか」
「いえ、折角なので古都『ベンタ』まで移動します」
「……そのように皆に伝えます」
昼すぎに到着するのであれば、サウスポートで一泊する事とも考えたが、この時間ならば余裕をもって『ベンタ』に移動できると思われる。
古都『ベンタ』は、海からの襲撃に対応するため、内陸に遷都した先住民の時代から続く王都であった都市であり、巡礼路の起点となる場所だ。ロマンデ公がこの地に侵攻した時、最初に王都とした場所であり、この地から進んだ騎士達が、当時のカンタァブル大司教であったトマスを処刑したことから、この古帝国以前から存在する東西を結ぶ古道が『巡礼路』と見做されるようになった。
「さて、どんな国なのかしらね」
『国王が変わったくらいじゃ、国は早々変わらねぇからな』
王は一人で王となり得るわけではない。王国は王国に住む全ての人間によって形作られているのであって、国王も女王もその扇のかなめの如き存在に過ぎない。なければ、バラバラになってしまうのでとても大切な存在だが、かといって、要だけでは用を為さない。
「女王陛下の治世、とても興味深いわ」
同じ女性としてどのように政を行っているのか。彼女はとても興味深く、また、参考に出来ることがあるのではないかと考えていた。
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