第595話 彼女は馬上槍試合の準備を進める
第595話 彼女は馬上槍試合の準備を進める
ジジマッチョに連れられ騎士団の駐屯地にある演習場に入る。
「……姉さん」
「何かな、妹ちゃん」
そこには、騎士や従騎士・見習に指示を出す姉の姿があった。確かに、馬上槍試合を行う会場らしく見える。
「何をしているのかと聞きたいのだけれど」
「うーん、場を温めている感じ?」
王都にジジマッチョが到着し、大奥様は辺境伯王都邸にて茶会などの準備を進めているのだが、姉は差配を大奥様=ジジマッチョ嫁に委ね、自分はジジマッチョについて回っているのだという。
リリアルが手薄になるこの先、オリヴィだけでなくジジマッチョが王都に滞在するというのは心強いかららしい。
「まさか、自分は渡海するつもりではないでしょうね」
ひゅーひゅーと音の出ない口笛を吹きつつ、目を泳がせる姉。
「まあ、この機会にリンデを見ておくのも良い事だろう」
「さっすがお爺様、ご理解いただいて幸いですー」
煩い姉を追い払う気なのだろうか。テンション的に二人は合っているのだが。
本来、騎士が模擬戦を行うと言った場合、剣で立ち会うというのは少々イレギュラーである。勿論、馬上で剣をもって戦わないではないのだが、それは、騎士同士もしくは、混戦となった事後のことである。
騎士の突撃は『馬上槍』を持って、馬群を形成し槍を揃えて突撃する事で、歩兵の戦列を突き崩すことにより始まる。現在では、長槍と銃や長弓の装備により会戦当初に為される事はなくなったが、それでも、決定機に投入される騎士の槍を持つ突撃は、戦局を決める重要な戦力と考えられている。
歩兵の方陣を機動や地形で制約し、騎兵を用いて戦列を崩す方法に意味がないわけではない。過去は、自身の装備による防御力を生かした無謀な突撃でも有効であったのが、火器や戦術の進化で無敵でなくなったというだけなのだ。
今も昔も、騎士の突撃は人間の力を越えた存在であることは変わらない。
「騎士学校でも『馬上槍試合』の講義は無かったじゃない?」
「騎士学校とは、騎士になる以前の身分の者が所属するのが本義でしょう? 従騎士では参加できないから無用でしょう」
「それ以前に、王国で公的には馬上槍試合禁止だからね。不幸な事故もあったことだから」
彼女の姉が述べる『不幸な事故』というのは、帝国と王国の戦争が正式に終結したことを記念し行われた、王家主催の馬上槍試合で、現在国王陛下のすぐ下の弟であり、当時の王太子殿下であった方が亡くなった事を意味する。
『馬上槍試合』において、競技内容は概ね、個人戦と団体戦の二つがあるのだが、現在行われている主な競技は個人戦である。
元々は模擬戦という名の代理戦争を意味しており、百年戦争の初頭においては、両軍を代表する騎士の集団同士が、前哨戦として数十人の騎士・従騎士・従者を取りまとめ、一種の決闘のように戦うものを指している言葉でもあった。
勿論、騎士が持てはやされた聖征の時代において、各地で馬上槍試合の個人戦の競技会が繰り広げられ、名もない駆け出しの騎士や、主を求める実力のある騎士が参加し、貴族達がそれを見物し、有力な騎士を味方にしようとしていたというものもある。
聖征が行われなくなった後は、各地で人気のあるイベントとして、王侯貴族が馬上槍試合を主宰、『枯黒病』の流行により人の交流が悪化するまでは、各地で華々しくトーナメントが繰り広げられた。
「あの事故以来、王国では公式な馬上槍試合は禁止になったから。だから、王国では模擬戦に馬上槍試合方式を用いないんだよ」
「ニースは勿論関係ないんだけど、帝国や連合王国は皇帝や国王が大好きだったから、未だに盛んみたいね」
海上戦闘を前提とするニースの騎士は、馬上での戦いに重きを置かない。故に、個人的に嗜む程度であり、禁止されたものをあえて行う事はない。とはいうものの、『帝国』の影響を受けミランなどの都市では、相変わらず都市主催の馬上槍試合も行われるのだという。
トーナメントには個人戦である『ジョスト』もしくは、集団戦である『トゥルネイ』の二種が大まかにある。
本来、代理戦争・決闘の意味合いの強い馬上槍試合は、『トゥルネイ』が本戦であり、個人技を見せる為の興行的『ジョスト』は前座扱いであった。
実際、都市や王侯主催の平時のトーナメントでは、騎士個人が参加する『ジョスト』が主流となり、今ではトーナメント=ジョストと思われがちだ。
「それも、あの馬上で向かい合って『ドン』みたいなのだと思うじゃない?」
「……ということは、違うのね」
「その通りよ。ジョストは三段階に別れるの。実戦を模しているからね」
衝立越しに馬を突撃させ、ランスを用いて相手を叩き落すイメージがある『ジョスト』だが、それは前哨戦である『チルト』という部分に当たる。
更に、『戦斧』もしくは『メイス』による戦いに移り、下馬の後、剣ないしは短剣による近接格闘となる。
「ジョスト専用の鎧ではメイスや剣で戦えないから、お着換えするのよね」
「全然実戦を模している戦いじゃないでしょう、それでは」
「騎士らしく自分を見せるための場だからね。国王も参加するし、怪我をすることもあるみたいね。なので、全身鎧はジョスト専用の重々装鎧になるわ。重さは戦場で着用する装備の倍以上の重さよ」
衝撃を腕ではなく、鎧で受止めるジョストの突撃は、鎧自体の重量・剛性が大切となる。ランスは装具で鎧に吊り下げ固定され、腕はその槍先を相手に誘導するための役割を果たすだけである。
つまり、百年戦争の時代においては戦場で戦う前のデモンストレーションであったものが、今ではすっかり形骸化し、トーナメントの為だけの装具になっているということなのだ。
「私たちには縁のない話ね」」
「なに言ってるの妹ちゃん? 妹ちゃん、絶対連合王国での歓待の一環として、馬上槍試合に参加させられる予定だよ!!」
やはりそうか。
姉の掴んだ情報によると、女王陛下は父王が好きであった馬上槍試合が大変好みであり、愛人であると噂される貴族に花を持たせるために、王弟殿下の訪問の際に、馬上槍試合を開催し、王弟殿下の騎士達を招いて親善試合を行うつもりだという。
「全然親善じゃないわね」
「不意打ちでも親善になると思えるのが、白塗女王陛下なんでしょうね。美の基準は自分だしね」
女王陛下は三十を越えて若い頃の『美しい』と呼ばれた自分を一ミリも譲る気が無いようである。故に、顔を白塗りし、自らの赤毛を更に誇る鬘を装着、一度しか着ないと豪語する細緻な意匠を施された衣装を毎日四時間もかけて身につけるという。
「準備しておかないとね」
「……何を準備すればいいのよ」
「講師を呼びましょう。うってつけの人材に知り合いがいるわ」
伯姪が自信満々に答える。いや、さっきから教える気満々だ。
「めいちゃん、既に手配済みだよ!」
姉は既に手配済み……いや、そこにいるじゃない最初から。
そして、当然のごとく現れる筋肉達磨系老騎士。教官登場……いや、ずっといるでしょう。
「……お忙しいところ大変恐縮です」
ジジマッチョが現役騎士時代は……先代王の時代であり、女王陛下の父王や、神国国王の父親である皇帝陛下の御世であった。
「戦場で時間を持て余せば、即席馬上槍試合という時代であったからな」
「貴婦人にモテるためにも、ジョストで目立つことは大切だったと聞いているのよお爺様」
「儂と、我が妻の出会いも……まあ、そういうことじゃな」
ジョストの前に観戦する夫人からスカーフなどを貰い、身につけ勝利を捧げる誓いをするなどという騎士物語風の愛情表現が為されるのが当たり前であり、貴族の子弟の所謂告白イベントでもあったのだという。
「捧げてお断りされないのかしら」
「……妹ちゃん……」
「なにかしら姉さん」
「会場に足を運ぶ時点で、騎士が招待しているんだよ。だから、告白されるって分かった時点で、気が無い令嬢はお断りするんだよ。予定があるので、とか、そういうのね」
恋愛偏差値の高い姉にとって、彼女の言動は「まだまだおこちゃまね」とでもいいたげな空気を纏っている。初心者以前の彼女である。
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「こんなもんかのぉ……」
騎士学校の演習場を借り、今日はジョストの練習を行う事になっていた。
「この案山子は何でしょうか」
「おお、これは、練習用の的じゃよ。ほれ、この盾の部分に槍を当てると」
案山子はグルんと回転し、盾と反対の腕を突き出してくる。腕には槍の
代わりの棒である。
「これ、稽古用に二期生三期生に誂えたいわね」
剣を振るって盾で受止め流す練習を一人で出来るということになる。とはいえ、相手がいれば問題ないので、そう沢山必要ではない。薬師組や年少組には良い稽古相手になるだろうか。
修練場にあるものの騎乗バージョンと言えばいいだろうか。
仮設会場が設営されているそれは、百メートルほどの長さに木杭を撃ち込んだ上に縄を張る。本番では馬の背の高さほどの木の衝立を並べ、左右に別れすれ違いざまにランスをぶつけ合うのである。戦場の前哨戦時代は、もちろん縄を張って仕切ったのだろう。
「本格的にやるなら、『チルト・バリア』という衝立を設置しておくな」
ジジマッチョが解説する。
安全を期する為、競技用の安全具というものを幾つか防具に追加する。その一つが……
「頭の周りが蒸れるわね」
「仕方ないでしょ。なければ不審に思われるんだから」
『裏打ち』と呼ばれる、キルティング製のインナーヘルムである。これを装着したうえで、兜に革紐で固定する。さらに、兜の面も間違ってランスの先端や砕けた破片が飛び込まないよう、水差しの口のように作られている。
突進中は斜め前に頭を向け上目遣いに外を確認し、交差直前で首を上げて完全に正面から内部が守られるよう開口部が真上を向くようになっているのだ。
「これ、いらないわよね……」
「形だけ必要なのよ。これもね」
まるで外が見えないように見える面が様式美である。
『お前らの場合、相手が魔力持ちなら、目で見ずとも魔力で把握できるけどな』
魔力持ちなら強敵であり、強敵なら位置が把握できる。魔力を常時発動する必要が無い分、討伐より馬上槍試合の方が楽かもしれない。
馬は騎乗用の馬をリリアルから連れてきている。本来は馬鎧も煌びやかなものを纏わせるのだが、今日は魔装馬鎧で代用。この時点で無敵な感じが漂っている。
「魔装か」
「これ、ネデル遠征用に誂えたんだよね。どうだった?」
彼女の場合、魔力壁を展開して突撃するので、魔装馬鎧の防御効果はあまり良く分からない。
「聞いた話だと、マスケットの銃弾は余裕で弾くみたいね」
「……魔力量によると思われます」
茶目栗毛は魔装馬鎧の効果を十全に発揮させられるほど魔力量に余裕がないので、控えめな回答である。
「これに、リリアルと王国の紋章の入った飾り布をかける形か。まあ、それほど細かく数を入れずとも良いだろう。左右に前後にそれぞれ入れればいい」
刺繍でいれるのであれば、祖母の友人の刺繍屋に特急で依頼する必要があるだろう。
「二人の分と、そこの若いのの分は必要だろうな」
茶目栗毛、若いの扱いされる。いや、事実若いのだが。
「お姉ちゃんも知り合いに頼んでみるよ!!」
「ええ。こんな時ぐらい役に立って欲しいものね」
「もう、素直じゃないんだから、妹ちゃんは」
などと、憎まれ口を叩きつつ、姉も巻き込んで装備を整えねばならない。本来であれば、ウォレス卿から王宮、そして王弟殿下から彼女へと馬上槍試合への正式な要請があってもおかしくはないのだが。
「間に変な輩が入っているのかもしれんな」
「そうそう、妬まれるのは仕方ないよね。親善副使とか、紋章騎士への陞爵とか、ちょっとこの先ない名誉だからね」
平和な時代になりつつある……ように思える今日、先代の時代と比べ戦争で手柄を立てて将軍や元帥、大騎士や紋章騎士へとなり上がる事は中々難しくなりつつある。故に、彼女達の陞爵は守旧派にとって面白くないであろうし、いままでの功績を理解していない貴族からすれば腹立たしく感じているだろう。
「有名税ってやつだよ妹ちゃん」
「これ以上、課税されたくないのだけれど」
姉は、子爵令嬢如きがと言われ風当たりの強い社交界で、悠々と味方を増やして来た過去がある。既に、王宮に出仕している高位貴族の間では、姉が次期ノーブル女伯となることは伝わっているのだが、それを知らない反主流派というか、守旧派は未だに揚足を取って姉を批判している。
「やられたら倍返し!! って考えないとね。外交は」
「それは、もう少しわかりにくい方法で仕返しすることにするわ」
王国の中にも彼女の存在を面白くないと考えている者は当然いる。伝わらない連合王国での想定される事象に、彼女は思考を巡らせるのである。