第592話 彼女はウォレス卿について考える
第592話 彼女はウォレス卿について考える
フランツ・ウォレスは連合王国の王国大使である。出身は郷士であり、その優秀さを認められ『ブレフェルト大学』へと進み、やがて幾つかの海外の大学でも学んだ法律家でもある。山国の大学では原神子信徒の活動に熱心に参加、一層強い考えを持つに至っている。
古代語・連合王国語だけでなく帝国語・神国語も扱う事が出来る。また、女王の側近である秘書長官ビル・セルシルの子飼いとして遇されている。青年時代のウォレスの才能を見出したセシル卿が大いに支援してくれたことは想像に難くない。
「自身の考えと、女王陛下への忠誠心って感じかしらね」
伯姪と彼女は連合王国の原神子信徒の行動原理を、ウォレス卿を前提に考えてみる事にした。騎士団からも、ウォレスが熱心に王都や主要都市の原神子信徒である商人や下級貴族と接点を持つべく活動しているという情報をもたらしていた。
「外交官が王国の有力者とコネクションを作るのは当然なのだから、行動を否定するわけにもいかないわね」
外交官は公認諜報員なのだが、これはお互いに必要悪であると認めあう必要がある存在だ。戦争状態においても、完全にお互いの交流を閉ざせば、延々とどちらかが全滅する迄戦わねばならなくなる。最後は落としどころを探り合い、互いに妥当だと思うところで戦争を止めねばならない。
何百年といがみ合っていようと、むしろ、いがみ合っているからこそ、外交官が人的ネットワークを自国に築くことを容認しなければならない。信用するのではなく、利用する必要がある。
しかしながら、与えるべき情報と与えざるべき情報、また、活動を許さない内容も当然ある。原神子信徒がネデルで起こしたような教会や修道院に対する破壊工作を認めず、また、その反動としての武力弾圧・異端審問などで教皇庁や神国の干渉を防がねばならない。
神国・帝国・連合王国・教皇庁に対する抑止能力として、リリアルを利用しようという王宮の意図は理解できる。つまり、初動の段階で揉め事を強引に叩き潰せるカードを王国は持っていると知らしめることで、余計な国内への干渉を抑え込もうとしているのだ。
実際、様々な不死者や魔物、他国と通じている商人貴族に対して、なし崩し的なリリアルの関与でかなりの問題が叩き潰されていると言える。特に、仕掛けをしたであろう神国・連合王国は想定外の結果となったと思われる。
そして、リリアル副伯を王国から引き離し、女王の王宮に賓客として招きながらも品定めをし、また、王国の防衛に空白期間を設けようとしているのではないかと彼女は考えている。
故に、実働戦力の冒険者組を残し、騎士団と連携し対応してもらいたいのだが、いきなりは無謀ではないかという気もする。彼女と伯姪がともに不在の状態で誰が指揮を執るのかという問題だ。
「そこは、オリヴィに頼ってもいいんじゃない」
「けれど、経験豊富な冒険者とはいえ人を使いこなすのとは別だと思うのよ」
「それはそうだけれど、オリヴィが王都に居ると言うだけで、かなりの抑止力だと思うわ」
それもそうかと彼女も思う事にする。残す冒険者組も前衛・後衛・遊撃のバランスも悪くないだろうし、いざとなれば暗殺者養成所で見せた癖毛と薬師組銃手の支援も行えるだろう。彼女と伯姪が不在の間、戦力は半減することになりそうだが、それは帝国遠征時と変わらないと思われる。
ここしばらく、王太子宮やその他の問題を処理してきたので、半年くらいは特に問題なく保てるのではないかと思えてきた。王太子宮の事件が不在の間発生していたとしても、王太子と騎士団、オリヴィと在王国リリアルで対応できたと思われる。
「そんなことより、ウォレスのおっさんでしょ?」
「ふふ、そうでもないわ」
彼女は先日姉と話したときのことを思い出す。
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ニース商会のように露骨ではないが、自分の息のかかった連合王国の商会を連合王国の影響の強い王国の都市に配置する事を熱心にウォレスとその周辺は行っているのだという。
しかしながら、それは王国側も理解しており、取引先や協力している商会をマークし、その延長線上にヌーベが出てこないかなど探っているのだという。要は、情報を集めるために泳がされているのである。それも、理解した上で、活動しているのだろう。
「まあ、完全に王国出身で王家に忠節を誓う下級貴族出身者なんかを抱き込めるならともかく、原神子信徒なんて最初から……ねぇ」
「それもそうね。あいつ、原神子派って全く隠す気もないし、露骨に教会批判とかしているから、王国の真面な貴族や商人から嫌われているのよね。
そりゃ、金集めに熱心な司祭や司教もいるし、教会がお金を持っているのも否定しないけれどさ、じゃあ、教会の役割りをあんたたちになってくれるのかって言うとそうじゃないものね」
王国が進めているのは、教会と王国が二分していた統治の中で、教会は信仰について責任を持ち、王家は生活について責任を持つように役割り分担し直していこうとしているところである。中等孤児院や騎士団の再編、優秀な官吏を育成し、王家が派遣して適切な統治を行うと言った改革は教会や地方の有力者との軋轢を生む事は間違いない。
とはいえ、誰が民を守るのかと考えれば、今なら教会でも地方の有力者の参事会でもなく、王家とその騎士団以下の戦力になるだろうことは言うまでもない。
時代によっては、教会が堅牢な建物を作り民を導き護った事もある。また、街塞を築き都市の有力者が合議で護った事もある。が、今の時代、一都市だけ、一つの教会だけで、護れるほど侵略者は弱くはない。大きな力には、大きな中心が必要となる。それが、王家であり王家の元に集まる騎士団や近衛連隊を始めとする武力なのだ。
「今の所実害はない」
「けれど、長い目で見て、勘違いをする者が現れる事は自明の理。なので、それらの者を事前に把握し、あまり勘違いをしないように……恐らく、王太子殿下とその側近たちが引き締めていくのでしょうね」
南都にいるのはその為の戦力を育成し、また、王都からほど遠い王太子領での原神子派の活動を監視し、適切に統治する為でもあるだろう。王国南部はその昔、『タカリ派』が大勢力となったような地域であり、原神子派も侵入しやすい。ヌーベの影響も古くから存在する。ギュイエ公領の中でも王都から離れたボルドゥは王太子領と境を接し、内海と外海とを結ぶ交易路の一つも存在する。人的な交流の中で、原神子派の拡大浸透も十分に危惧される。
「王太子殿下が離れていなければならない状態が固定化すれば、今はともかく、先々は面倒よね」
「その為のノーブル伯への陞爵なのでしょうね。姉が王太子殿下の代わりに王太子領を監査していくという前提ね」
「聖エゼル王国騎士団もノーブル伯になれば立ち上げることになるでしょうし、ノーブルには下級貴族の子弟相手のリリアルが生まれるかもしれないわね」
文官になるのであれば、王都に出て大学で学ぶことになり、武官となるには近衛連隊や近衛騎士になるのが一般的な活動なのだが、地元に戻るには文官は代官になれば良いのだが、近衛では王都近郊に留まることになる。その代わりの存在を王太子は、『王太子親衛隊』通称『海豚隊』を作ったのだろうが、王太子の傍に侍る以外の存在は、姉が育成することになるのではないかと考えている。
「ニース商会に似た別の何かね」
「対内的な諜報なのだから、扱う品は穀物や塩のようなものかしらね。新参の商会が入り込めるとは思えないけれど」
とはいえ、悪辣な王太子と姉が組めば、いくらでも方法がある事も想像できる。例えば、老舗の商会のオーナー交代である。これなら、商会の名前はそのままで、中身を少しずつ諜報関係の人間に置き換えて利用することができるようになる。店舗や人員もすでに整っているのだから、問題も少ないだろう。
「既に南都あたりで、手を打っているかもしれないわね。あそこ、緩かったじゃない?」
「ええ。商売っ気の無い自分本位な商人が多かった気がするわ」
冒険者ギルドや宿屋の対応もよろしくなかった。また、南都騎士団に所属する、王国南部出身の貴族の子弟であろう騎士達の練度も心構えも非常に劣っていると感じた。近衛騎士を更に劣化させた存在。
近衛は王都にあって、王都における王家の威信を背景に存在するのだが、その分、自身の出自を誇る事は控えめとなる。近衛が実家の名前を出して威張り散らすのは、当然他の近衛や王家からも不信感を持たれる。下手をすれば見苦しいという事で近衛を追放される事になるであろうし、そうなれば、近衛に取りたてられる以前よりもずっと貴族として侮られる事になる。
これが、南都にある騎士団であればずっと話は簡単になる。実家の顔も利く範囲が広くなるであろうし、実家同士の繋がりも騎士達の間で生きてくることになる。王家に忠節を誓い叙任されたであろう騎士であるが、実家や自身の利益のために行動し、王国に対して二の次になる行為も平然と行って恥じることは無かった。腕は三流以下、そして、裏で利益誘導する事だけは一流。
「南都騎士団って解散したんだよね」
「ええ。王立騎士団に再編される際に、一度すべて選抜し直していると聞いているわ」
そのまま身分が引き継がれると考えていた旧騎士団の騎士達からは当然不満の声が上がった。だが、皇太子殿下直々の面接と実技試験を経て……誰もいなくなった。
「ストレス溜まってたみたいだもんね」
「王太子殿下が活動拠点を王都から南都に移すとは、思っていなかったのでしょうね」
王家と王国より、実家と自身に重きを置くような騎士は不要である。腕も忠誠心も頭脳も不足しているのであれば、無駄飯を食わせておく必要もないとばかりに馘首したのである。
「そいつらが、ウォレス卿の影響下にある商会なんかに関わっているんだよね」
「……首に鈴はついたままだったのね」
王国南部の貴族や商人には原神子信徒が比較的多いというのはいうまでもない。旧南都騎士団員の中にもそれは少なくなかったのだろう。
「表向きは隠していたみたいだけど、自分本位な行動が原神子信徒らしくて隠しきれていないよね。ホント隠す気あったのかも疑問だけどさ」
とはいえ、王家と王国に背く行為を行っていることを本人が意識していないのであれば、『原神子信徒であるから弾圧されている』と言い始めてもおかしくはないのである。すり替えが行われ、利敵行為を信教上の問題とされれば、咎める事自体難しくなるかもしれない。
「その時は、何か罠を使った取引でも仕掛けて仕留めるでしょうね」
「それは私じゃなくて、宮中伯閣下の仕事だね。片棒くらいはかつぐかもしれないけどさ」
片棒は担ぐのかと彼女は少々呆れたのである。
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王国の南部は南部で大変そうであるなと二人は話をしているのだが、ウォレス卿も懐事情はかなり厳しいのだと思われる。自身の財産を切り売りし、活動資金を捻出しているのだとか。
「騎士として立派ね」
「あの人騎士じゃないわよね。確か、郷士の出身だから」
平民の中では身分として上の方だが、騎士ではない。王国や帝国であれば、貴族の男児に生まれれば騎士となる資格を生まれつき有している。が、連合王国では貴族自体が少なく、さらに百年戦争とその後の内戦で数を大いに減らしてしまった。
さらに、騎士は貴族と認められない。男爵の下に準男爵という爵位があり、王国では『紋章騎士』という、騎士を率いる男爵に準じる身分があるのだが、これと似た立場であり、これも貴族ではない。
「騎士の叙任は国王の専権で、数年ごとに希望者を募って一斉に叙任するのよね」
「ええ。確か、父王の時には一度に五百人叙任したこともあると聞くわね」
叙任してもらうにはそれなりに対価を支払う必要がある。騎士に叙任してもらう側が王に金を払うのだ。それが、王にとってそれなりの収入になる。勿論、褒賞として叙任する場合は不要だが、土地や財貨を与える代わりに騎士に叙任するのだから、元手はかかっていないのだ。吝嗇である。
「それでも、女王陛下の側近となれば、それなりに儲けるチャンスもめぐってくるのだから、やらざるを得ないのでしょうね」
「でも、奴隷貿易の共同出資者とかじゃねぇ」
宮中伯と姉から伝えられた話によると、父王の時のような貯金箱は既に残されておらず、御神子教徒である先代女王が行った厳格な御神子教的政策により連合王国の経済状態は悪化しており、王宮の財政も逼迫していたのだという。それを打開するために女王に持ち込まれた話が……奴隷の密貿易だという。
「本命は、暗黒大陸で無許可の奴隷貿易を行うって話だったのが、現地に伝手が無く奴隷が集められなかったので……」
「神国の奴隷船から積み荷を奪って、その奴隷を新大陸で売却したとか聞いているわ」
ここ五年間で四回の奴隷貿易(横取り)船団を編成しているのだという。
「その話って」
「ええ。この前捕らえた海賊船の船長以下、船員たちから聞き出した情報と、神国から伝わる情報をすり合わせた結果だと聞いているわ」
表向き「そんな海賊は知らない」と連合王国は神国に返答をしているし、神国はその返答を信じてはいないのだが、明確に今、事を荒立てることはしないだろうと王宮は考えている。ネデルが安定するまではという条件付きでである。
「その海賊の船団を率いていたのは、レイクって奴の兄貴分で女王のお気に入りの側近らしいわ」
私掠船船長の『フランク・ド・レイク』は、『J』・ホプキンスの舎弟であり四回目の奴隷貿易船団に参加したのだという。それ故、身代金の額が高かったのだという。
「随分儲かるのね」
「女王陛下の取り分は、金貨2万枚らしいわ」
「……確かに大金だけれど、一国の女王が密輸で収入を得ないといけないというのは、相当困窮しているのでしょうね」
金貨2万枚は右から左に消えるのだという。それは、ネデルの金融業者からかなりの金額を借りており、その返済が滞っていたからだという。また、そのこともあり、ネデルの商人に対して無下にできない関係にあるのだと理解できる。
「人も少なく、内戦続き、まともに輸出できるのが羊毛だけではね」
「あら、魚の塩漬けだって輸出しているじゃない?」
確かに輸出しているが、あまりお金にはならない。それに、魚の塩漬けは貧しい庶民の口にするものである。
「でも、なんでそんなに新大陸では奴隷を必要としているのかしらね」
彼女は疑問に思う。普通の農民では駄目なのだろうか。開拓や開墾なら殖民団を募って新しく街を立ち上げればよいのではないだろうかと思うのだ。
……領都建設のように。
「それは、ゼノビア商人と神国が『砂糖』の貿易を行う事でつながっているからなのよ」
確か、ゼノビア人の冒険商人が新大陸を発見したと聞く。そのスポンサーは神国の当時の女王陛下であったとも。その頃から、神国と内海商人の間でなんらかの計画が行われていたことを知り、彼女は伯姪の話を興味深く聞くことにするのである。