第587話 彼女は小間使いの教育を考える
第587話 彼女は小間使いの教育を考える
二期生の中で唯一渡航に同行するのは『赤目のルミリ』。商人の娘として生まれ乍ら二年前両親を失い同時に孤児となった。両親の商会は既に他人のものとなり、何も残されていないという。
とはいえ、九歳まで商人の娘として相応の教育を受けており、孤児院で生まれ育った子供たちと比べ、読み書き計算は言うに及ばず、社交やマナーについての基本的なことも教育されている。娘婿を取り、さらに商会を発展させようと考えていた両親は、貴族か富裕層の次男三男を婿にとってもおかしくないように育てたと推測される。
立場こそ違えども、それは、彼女が子爵家において自ら課していた役割りに似ていなくもない。
「ずっと思っていたのよ」
「そうなのですわね。驚きましたわ」
彼女と伯姪、一期生の三人は爵位を持つか『騎士』としての身分を持つ者たちであるが、『赤目のルミリ』だけは彼女の「小間使い」として連れて行くことになる。渡海時には十二歳になっているのだろうが、大人扱いすることはできない。
魔力も少なく、冒険者としての能力も低い。正直、トラブルの際は足手纏いになりかねない。が、敵国の王宮に乗り込む際に必要な人材だと彼女は考えていた。貴族の子女が行儀見習いとして貴族や王族の周りに侍る事は稀ではない。男子なら従者や小姓、女子であれば侍女や小間使いとして侍る事になる。使い走りから始まり、やがて身の回りで高貴な人々のアシスタントとなるのである。
「リリアル生の中で、冒険者から騎士という役割を担う人が多いのだけれど、全員がそうである必要はないと私は考えています」
院長が自分を呼び出して何を話すのかと、『赤目のルミリ』は緊張している。
「不本意ながら、私も領地を持つ貴族の端くれになるのよね。そうすると、宮廷も持たねばならないし、相応に身の回りで私を手助けしてくれる女性も必要になる。その仕事をあなたにお願いしたいと先々考えています」
薬師娘二人組も一期生の薬師組が順調に成長している為、侍女として育成する事も考えているが、灰目藍髪は騎士志望であり侍女と言うよりは近侍として護衛を兼ねた従者の役割りとなるだろう。碧目金髪は魔力量の少ないリリアル女子の戦闘時の指揮官として『魔装銃』部隊を率いてもらいたい。経験的にも年齢的にも一期生では荷が重い。そう考えて、帝国遠征には参加させた経緯がある。
「私がですの?」
「ええ。あなたが一番適任であると考えています」
彼女がその昔、姉が後を継いだ際に子爵家に役立つ家に嫁ごうと、取引や契約について学び、また、帳簿や訴訟、護身術や馬車の操り方など学んだのだが、『赤目のルミリ』にもそうした仕事を委ねたいと考えている。
領都を構えた際には、ニース商会のようなリリアルの商会を立ち上げることも考えており、人が育ってきたならば『赤目のルミリ』に商会長を任せることもよいかとも思っている。
「あなたのご両親の商会を取り戻す事は出来ないのだけれど、あなたのご両親がイメージしていた将来像に近いものになると思うわ」
「そうですわね……やらせていただければ嬉しく存じますわ」
二人はその役割について同意する。
そして、これから先の課題について彼女なりに設定することを告げた。
「一つは語学ね。連合王国の取引で、王国語がつかわれる事もあるでしょうけれど、あちらの読み書きについても学んでおく必要があります」
契約や法律に関する言葉は主に王国語がつかわれているので、完全に学び直す必要はないのだが、王国語が古帝国語の流の言葉であるのに対して、連合王国で使われる『蛮国語』は、帝国からネデルに住むアルマン人系統の言葉であり、異なる言語体系となる。
彼女自身はある程度読み書きできるものの、茶目栗毛の他、リリアルに『蛮国語』の読み書きができる者がほぼいない。
「……日常会話程度であれば教わっています。ですので、少し教材などを揃えていただければ、自習でもそれなりに学べると思いますわ」
「それは帰国後にしましょう。時間も余りない事なので、今回は院長代理である祖母の知己を頼る事にします。家庭教師を付けて集中的に学んで貰う事になるわ」
「ありがとうございます院長先生」
理解度に合わせて優先順位を付けて足らない事を教わるには、自習より家庭教師の方が良い。
「その上で、貴族の侍女としての所作を身につける上で……王都の院長代理……私の祖母の家で暫く過ごしていただきます。その方が、家庭教師の方も都合がよいでしょうし、祖母は貴族子女の教育も慣れているの。私も王女殿下の侍女の役割りを果たす時にはお世話になりました」
「……殿下の侍女……」
「ええ。これから先、そうした役割を求められる機会もあるでしょうから、ここで身につけておくことはあなたの身になるでしょう」
侍女役であり情報収集・連絡役としての仕事を委ねられると『赤目のルミリ』は理解する。
「なので、これからの魔術は『魔力纏い』『気配隠蔽』『魔力走査』『身体強化』に絞って学んでいきましょう」
冒険者となるのであれば、様々な武器や魔術が使える方が効果的な魔力の利用とする事ができる。が、侍女であるならな護身程度で十分であろうし、その分、他の言語なり所作なり、商会運営についての教育なりを行う方がいい。
「あの……剣の扱いが……苦手で」
「そうね。とはいえ、魔装銃やマスケット銃を扱うのはどうかと思うのね。それで、あなたには弓銃手としてのトレーニングをしてもらうことになります」
一時期、魔装銃の装備前に検討されていた『弓銃』は、装填速度に難があるものの、初弾だけで考えれば悪くない装備でもある。『魔力走査』がある程度習熟した段階で、『導線』を習得することで、弓銃の矢に必中の能力を与えることができる。
魔力走査の魔力の線を集約し、目標との間を線で結ぶ魔術。飛翔武器に有効な術式で、魔力纏いを与えた弾丸・鏃・投矢・魔力弾のスリングなどに必中の効果が発生するからだ。
ドレスの下に弓銃を隠して……といった事も可能だろう。小さめの魔法袋を納めた『魔装ビスチェ』があれば、常時携行しても大した負担にはならない。諜報活動にも『魔法袋付ビスチェ』は有効であろう。
「蛮国語に、所作、それと魔力走査に気配隠蔽……」
「それと弓銃の操作ね。船の上でも有効な装備だから、是非ともモノにしてもらうわ。それと、弓銃操作には『身体強化』も有効だからそれもね」
「……はい……」
リリアルに居る時は魔力と弓銃、王都の祖母の家ではそれ以外の教育を中心にすればよい。場所を分けるほうが、それぞれに適した教育も施しやすくなる。祖母の元であれば、何倍も効果的であると彼女は身を持って理解している。緊張感は集中力を高めるものだ。
「あなたの立場は昔の私に似ているのよ」
「院長先生は、子爵令嬢様ではありませんの?」
彼女は、こうなる前の自信の生い立ちを掻い摘んで説明する。なにも周囲は強要したわけではないのだが、彼女自身が頑なにそうあるべきとかんがえ小さなころから邁進してきた。
そこで、婚家の為になればと自作の薬などを作り始め、魔力を持つことを知りその延長で薬からポーション作成へと進んだ結果、冒険者ギルドとの繋がりが生まれ……あの日の出来事へと続いていく。
「な、なんでそんなことに……」
「……それは、私もそう思うのよね。不思議でしょう?」
「はい。でも、なんだかわたくしも、自分の人生を変えて行けるような気持ちになりましたわ」
彼女は「それはよかった」と伝え、これからも定期的にお話しましょうと面談を終える事にした。
「幼い頃の私に似ているかしら」
『あー お前はもっと猪突猛進だったきがするぞ。まあ、気真面目そうなところは似てなくもないがな。それよりよぉ』
「お婆様にはお手紙を書くわ。私の時ほど厳しくはならないでしょうが、目的さえお伝えすれば、短期間でも必要な教育を施して下さるでしょう」
あくまでも今の時点では「貴族の小間使い」としての所作で構わないのだ。彼女の時の『王女殿下の侍女兼護衛』と比べれば、格段に位階は低くて済む。
『弓銃か』
「暗器も扱えればと思うのだけれど、今回はそれを優先にするわ」
『そら、三期生に教わった方が良いかもしれないレベルだろうな』
暗殺者養成所の見極め終了後である十歳の四人は、ある程度教育されていると思われる。非力で相手が油断しやすい「子供」故に遣える暗器が存在するだろう。それならば、「小間使い」にも使えるのではないだろうか。
「あの子たちの中から小間使い希望の子たちも選抜するべきかしら」
『全員冒険者兼騎士ってわけにもいかねぇしな。小間使いから侍女か女官、小姓から侍従・文官か騎士かって感じに分けることになるだろうな』
今までよりも座学を増やし、一期生も含めて貴族の侍従や官吏としての仕事もまなばさなければならないだろう。どの道、一期生は十六七歳になれば半年の騎士学校入校となる。軍の指揮官としても、書類の作成や商人との遣り取りと言った『文官』の仕事が要求される。大貴族の子弟でもなければ、配下に丸投げというわけにはいかない。むしろ丸投げされる側でもある。
「副伯領の領政についても考えなければね」
『それ以前に、領民がいねぇ。領民がいなけりゃ税も集まらねぇからそもそもそっからだな』
彼女の中では領民に心当たりがある。王都の東にある「人攫いの村」の処罰を受けた住民たちである。今は半ば奴隷の状態であり、特に、主犯格の男性たちは十年単位で身分を落とされている。
『あいつらか』
「王宮に願い出てみようかと思うのよ」
恩赦と交換に、リリアル領民となり領都近くに新村を築いて移住してもらう。土魔術を駆使した近代的な村になるだろうが。
「モデルの村にしようと思うのよね」
『全員が全員じゃねぇだろうが、乗って来るだろうな』
村全体が奴隷に落とされた村であり、それまで付き合いのあった村とも距離を置かれている事は間違いない。奴隷から戻されたとしても、今の村では近隣との交流も不利となるだろう。
「行商計画もリリアルで可能になるでしょうしね」
『孤児院の子供で希望者を入植させるというのも手だな。まあ、王都で働きたいって奴らも少なくないが、結婚相手がいるなら一家を構えられる入植者の方が好まれるだろうな』
先達がいる場所に孤児が割り込むのは難しい。地縁血縁のある在地の人間が優先され、孤児はそこに入り込むのはひどく難しい。新しい場所であれば、競争は同時にスタートすることになる。ワスティン自体が孤立した場所であるから、競争相手も当面は少なくて済む。
「王国の中のフロンティアという感じかしらね」
『まあ、事実開拓していく必要があるからな。それに……』
ヌーベに対する前哨地帯・緩衝地帯でもあるのだ。男も女も武器を取れるようにする必要もあるだろうか。
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『弓銃は使いやすくはありますが、相当の重量です』
「ええ。なので、一工夫お願いしたいの」
火薬で弾丸を発射するマスケット銃とくらべ、金属の板バネを使って矢を放つ弓銃は、台木が相当にごつくなる。金属の筒を置ければ十分なマスケットと、金属の板バネを撓らせる強度を支える必要のある弓銃では受け止める力が異なるからだ。かといって、木材以上に強固で軽い素材はない。
ルミリが用いる弓銃。身長こそ彼女よりやや小さい程度となっているものの、全体的にか細い印象を受けるが、実際、あまり腕力もなく身体強化の使い方も今一つではある。
得意なのは『気配隠蔽』である。どうやら、孤児院に預けられた際に色々あったことが要因で、無意識ながら身につけていたのが原因らしい。お手伝いの為に、小さいながら身体強化を使いこなしていた赤毛娘と似た理由だ。
往々にして、孤児院は力関係が物を言う大人の社会の縮図。恵まれた環境で親に愛されて成長してきた元お嬢様であるルミリに対して、醜悪な嫉妬を持たれるのは理解できないわけではない。食事が回らないように仕組んだり、条件の悪い寝所を与えたりなど、気に入らない故に陰湿ないじめめいたこともなされた。
とはいえ、見目良く、礼儀作法も言葉遣いも良いルミリは、将来的に良い貰い手が付くと予想されていたため、修道院を管理する者たちから目をかけられていたので、露骨な暴力のようなものを受けることは少なかった。目立たなければどうということはないとばかりに、気配を消して必要最低限の関わりをして過ごしてきたのだ。
弓銃と『気配隠蔽』の組合せは暗殺向きでもある。
彼女が弓銃鍛冶のノインテーターであるシャリブルに依頼したのは、赤目銀髪の持つ魔装の複合弓を応用した弓銃である。板バネの素材に魔鉛を混ぜ、また、弦には魔銀合金の鋼線を用いる事で魔装複合弓に似た性能を持たせたいと考えていた。
『一つは、板バネを何枚か束ねたものを使い、強い反発力を発生させるように工夫します。しかしながら、質の良いバネ材が手に入らないと対応できません』
「仕様を明示していただければ、リリアル工房で作成できるかもしれません」
老土夫であれば、大きさとバネの撓む重量の指定さえできれば、ある程度形にして貰えるだろう。
『すべてを魔鉛合金としなくても良いかもしれません。一番内側となる最も長い鋼材だけでも性能は変わらないと思います』
「ならば、今回は時間の制約もある為に一番長いバネだけを魔鉛合金として、それ以外は普通の鋼材で対応できそうです」
弦となる鋼線はある程度目途が付いている。魔装糸と鋼線を撚ったものが幾つか作成されているからだ。魔装馬車などにも取り入れられている。
「急がせて申し訳ないのだけれど、素材が揃えばどの程度で完成の目途が立ちそうかしら」
シャリブル曰く素材さえあれば組み立てるのには二日程度、調整にもう二日。大目に見て五日あれば完成するだろうと言う。
「大急ぎ、素材を揃えます」
『よろしくお願いします』
弓銃の台木の部分の成型から早速始めるらしい。『銃床』と呼ばれる部分は、硬質で粘りのある木材であるクルミが好まれるという。寒冷な地であるほうが木目が詰んでおり良材となる。
そして、百年以上の樹齢の木でなければ銃床とするには能わず、さらに、良いものは千年にも達する大木を使用することが好ましいとされる。幸い、シャリブルは素材をそれなりに確保してリリアルに移り住んでいる為、暫く困る事は無いのだという。
板バネを組み合わせた新しい複合弓銃を想像すると、彼女の中でわくわくする気持ちが高まって来るのである。
『いや、護身用なんだよな』
「当然よ。だからこそ、一撃必殺の威力が必要でしょう?」
どこかズレている気がする彼女である。
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