第579話 彼女は吸血鬼をオリヴィに引き渡す
第579話 彼女は吸血鬼をオリヴィに引き渡す
そういえば、ビルの姿が見えないなと彼女が考えていると、不意にオリヴィの背後にビルが現れる。
「ご無沙汰しておりますリリアル閣下」
「今まで通り、アリーでお願いします」
「では、アリー。ヴィ、他に怪しい魔物は見当たりませんでした。それと……」
「『聖櫃』も見当たらないのでしょう?」
オリヴィも『聖櫃』を探しているようだ。彼女はそれが何なのかを知らないが、王国に害を即なすモノでなければ後回しにしても良いかと思うのである。
ここで話している間も、騎士団以下警戒中の者たちが待機している。まずは、騎士団の指揮所に伝令を出さなければならないだろう。
「一先ず階下に行きましょう」
「そうだね。ここ暗いし」
「では、この二体は私が担ぎましょう」
ビルはヒョイと二体の吸血鬼達磨を小脇に抱え、階下へと降りていく。
「探し物はなさそうだね」
「そうね。日を改めて足を運ぶ必要があるかも知れないけれど、今日はここまでにしましょう」
姉と彼女、そして『猫』もおりていく。最後にオリヴィが続く。
二階には既に起き上がっている伯姪が二人に支えられていた。
「あと二体もいたの……」
「ええ。それなりに苦戦したわ」
「お姉ちゃんの活躍で事なきを得たね」
悔しいところだがそれは事実。
「それで、二人はどこから入ってきたのよ」
「四階の矢狭間ぶっ壊して、さっそうと参上したよ私!!」
「その穴から入ったのよ」
「へー 相変わらず非常識ね」
「非常識じゃない。世間が非常識なだけ。私、常識人」
全員が姉をジト目で見ている。そして、姉、何故か片言。
彼女は、一先ず『大塔』の吸血鬼が討伐を完了したので、警戒態勢を王太子宮周辺にのみ変更するように騎士団の指揮所に伝令を出すことにした。問題は誰が行くかだが。
「俺が行こう」
「足が悪いでしょう。私が適任です」
「私が行くわ。顔がわかっているリリアル関係者の方が良いでしょう。ここにいても役に立たないし」
伯姪は傷は癒えても、心のダメージから回復していないようである。『女僧』を介添えにして、楼門塔に設置された指揮所へと向かわせることにする。
「それで、吸血鬼が三体もいたわけか」
「そう。生意気だよね」
私以外妹ちゃんを弄るなんて生意気という意味だろうか。弄ったのではない殴り飛ばしたのだが。
オリヴィ達に、三者の経歴を簡単に説明する。そして、最初の吸血鬼が『治療師』の女性であり、既に跡が追えない四百年以上前のことである事を伝える。
「それじゃ、色々記憶を洗いざらい差し出してもらいましょうか」
「「「え」」」
「そうですね。もう死んでいる吸血鬼相手ですから、手加減は無用ですヴィ」
『『『……』』』
彼女達は驚き、吸血鬼たちは凍り付いたように固まる。全員達磨だが。
「でも、頭壊れちゃうじゃない? まあ、こんなことやらかしている時点で壊れているんだけど」
『『『……』』』
「では、こうするのはどうでしょうか」
オリヴィが聖アマンドを尋問する。この一団の始まりであるし、様々なことを背後から操ってきたであろうことも判っている。そして、残りの二人のうち、王都管区本部での巻き返しを企図する主要構成員であった二十一代目総長ボジュ卿を騎士団の尋問に、アマンドの次に古い第十四代総長シャトル卿をリリアルで預かるという事をする。
「どうでしょうか」
「ま、ほら、ヴィちゃんみたいな専門家は王都にいないし、騎士団も尋問して調書作成できればメンツが立つから、それでいいんじゃない?」
「だよな」
「それはありがたいわ」
彼女の中で疑問に思っていることを口にする。
「今回の吸血鬼となっていた三人の出身地は、修道騎士団街道沿いのヌーベ公領に近い場所ばかりです」
王国中部、ヌーベ周辺出身の騎士が揃って吸血鬼になっている。
「偶然?」
「そうかもしれない。聖征後半の時期、修道騎士団の主力はランドル・ネデル出身者から王国中南部の騎士になって行ったから偶然かもしれないけど」
姉の言葉に、オリヴィが言葉を継いだ。そしてさらにこう付け加える。
「ヌーベ公領は限りなく黒に近い灰色。けど、あそこは余所者は入り込めないのよ」
どういうことかは彼女も調べて理解している。領民は管理されており、外部の人間が最低限しか接触できない。そして、出来る場所も限られている。人の動きも制限され、旅人の自由通行などは許されないのだ。
「完全に接触しないように密かに動き回らなければ何もつかめない」
「そら深刻だな。人から話を聞けないってのは、情報収集の切っ掛けすら掴めねぇもんな」
『戦士』は冒険者の長いキャリアの中で、情報収集や人探しの依頼も受けたことがあるという。その際、当該地域の宿屋酒場、勿論、騎士団や自警団の詰所などで話を聞き、手掛かりを掴むのが定石なのだという。
「ずっと見張っているわけにもいかないし、何よりどこをいつ見張ればいいのかも解らねぇ」
しかしながら、この三体の吸血鬼が知る限りのヌーベに関する情報を聞き出せば、自ずとどう動けばいいのかも分かるだろう。
兎に角、ヌーベとの関わりを喋らせることが先決だという事で一致する。
『吸血鬼どもの前で話をしていいのかよ』
『魔剣』の指摘に彼女は否を唱えるが、この場では言葉にしない。吸血鬼は魅了を始め、人を操ることに長じた魔物である。まして、騎士団総長まで務め数百年を生きる存在だから、簡単に話をするかどうかは分からない。
「探るより、話をしなければならないと思わせた方が良いのよ」
『脅迫かよ』
吸血鬼として『貴種』まで上り詰めた彼らからすれば、このまま灰となる事態は極力回避したい。黙秘やあからさまな嘘をついて、拷問や聖水をかけられ魂を消費するより、ある程度無難な情報を小出しにしておくほうが得だと思わせれば情報収集もはかどると言うものだ。
三体は今後決して会わせることはない。が、それぞれの話す情報をそれなりに伝え、更なる情報を引き出す呼び水にすることを考えている。誰かが先に話したなら、黙秘のハードルも下がる。そして、うっかり漏らす情報の量も増えて来る。
毎日話を聞くのではなく、時には数か月放置するのも良いかもしれない。話をしなければ、また放置すると言って脅すのも有りだ。
自分の魅力や権威に自信のある吸血鬼にとって『無視』されるのは、想像以上に苦痛なのではないだろうか。
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ゆっくりと幅広い螺旋階段を下りつつ、彼女はオリヴィが王都に戻るに至った経緯について話をしていた。
「連合王国とネデルの繋がりの調査……ですか」
「海を渡る連合王国に、果たして帝国や王国に現れた吸血鬼が潜伏しているのかどうか、女王は協力しているのかの下調べね」
川や海といった流れる水を渡る事を忌避するとされる『吸血鬼』が、島である連合王国に渡るかどうかは疑問であったとも言う。
「結論としては不明ね」
「吸血鬼がいたとしても、連合王国本土ではなく、協力者としてこちらに留まっており、何処かに潜んでいるという判断をしているのです」
百年戦争期に、長弓兵に完膚なきまでに叩かれた王国騎士であるが、『騎行』『下馬戦闘』といった戦闘において、恐らく聖征で行われたような少数の吸血鬼による殺戮が行われた可能性が高い。
『騎行』に関しては、襲った村や街に魔力持ちが居るはずもなく、迎撃にでてくる騎士や傭兵の魔力持ちを効率よく狩る事もあったと推測される。
「百年戦争は、幾つかの時期で勢力が入れ替わっているから、当初は連合王国側の騎士として参戦し、賢明王の時代には王国側につき、その後は王国内の後継者争いや連合王国の再遠征などに都度加わって、魔力もちの魂を狩り集める吸血鬼が混じっていたのではないかと考えているわ」
「しかし、その吸血鬼はどこへのがれたのでしょうか」
百年戦争の後も、王国はそれなりに戦争を継続している。その間に、吸血鬼が魂を狩り集めるような戦いを継続していたのだろうかと、彼女は疑問に思う。
「神国には修道騎士団や聖母騎士団以外にも王立の聖騎士団が複数あるのは知ってるかしら」
サラセンとの戦争を国内で継続していた神国は、騎士の数も多く、また、聖騎士団も独自のものを抱えている。それが今では、新大陸や探検に向かうことに向けられているのだが。領土の割に騎士が多い故に、その立身の為、海を渡ることを厭わない人材が多いのだと聞く。
「サラセンの戦争に参加していたということですか」
「恐らく。神国も余り余所者に寛容な国ではないから、直接調査できないので推測だけどね」
「けれど、修道騎士団が解散となった際、神国内では元々異端とされていなかったので、名称を変えてそのまま王立の聖騎士団として受け皿を作ったり、王国を追放された聖騎士達を引き取ったりしていますので、そこに加わっていた可能性は高いでしょう」
神国と王国の西部は交流が深い。いまでこそボルドゥは王国の一部だが、長らくは連合王国となる蛮王国の領地であった。この地の商人は、神国北部のナバロンとの交流が深く、同じ民族であるものも少なくない。
御神子教徒である神国と、原神子信徒の多い連合王国やネデルの商人の取引が活発なのは、ボルドゥを通して長年貿易を行ってきたということも関わっているのだろう。その背後に、修道騎士団の残党と吸血鬼が潜んでいたとするならどうだろう。
「ヌーベ公領はどうかかわるのでしょうか」
「修道騎士団街道として南北の貿易の要衝であったこともあるでしょうし、連合王国の物産と内海の貿易を繋ぐことで連合王国に喰いこんでいるのは聖征の時代には成立していたのでしょうね。そして、神国は内海と外海に影響力を持つようになり、ヌーベとも関わるようになってきた。王国内で密かに活動するには、ヌーベ経由で入国するのが目だたないでしょうからね」
仮に、ヌーベから吸血鬼が王国に入り込んでいたとしても、かなり自制できる練度の高い吸血鬼であることが推測される。長く信用を築き、王国の情報を効率よくヌーベや神国、その取引先の連合王国へと流す。決して怪しまれず、吸血鬼としての本能を隠して信頼を得ているのだと推測される。
「じゃあ、こいつらは何なのかな?」
「捨て駒でしょうね。混乱を起こしたり、あわよくばミアンの事件と同じことを王都で起こせればラッキー程度の役割りではないかと思うわ」
『『『……なん……だと……』』』
矜持を傷つけられた三体の吸血鬼が憤る。
「サラセンの帝国も随分と安定し、むしろ、内海の東側からこっちは追い出されてしまっているから、新大陸とか新航路とか言い始めているわけでしょ?まあ、百年単位で寝坊助しているから、お爺ちゃんたちは知らないでしょうけどね」
『……』
『サラセンとの戦いは……』
「帝国がウィンの手前で防衛ラインを築いて防いでいるし、帝国内には動員体制が整備され、戦力か軍資金を提供することが定められているから、大昔のように寄付金頼み、聖騎士団頼みという事は無いのよね。そもそも、聖母騎士団はマレス島防衛と海賊対策用の海軍運用で精いっぱいだし、各国は傭兵と常備軍の整備で対応することになりそうだから。お呼びじゃないのよ今時」
ある意味、修道騎士団の組織というのは王を中心とする国の統治に参考とされてきた面がある。各地の領主の集合体から、王が派遣した代官により領地が経営され、代官の忠誠は王家に為される。王家の元に国富が集約され、王国として社会資本が整備されていく。百年戦争を通じ、各地の貴族は力を失うか、後嗣を残さず滅びることで王家が直接統治する都市や領地も増えて行った。その中で、修道騎士団の領地経営・代官を用いた差配というものは大いに参考とされた。
金銭面だけでなく、その統治機構も収奪したと言えるかもしれない。彼女の実家が子爵家として代官を務めるのも、王太子が南都に拠点を置き、王国南部の王太子領の立て直しを行っているのも、その結果である。
「なら、王都大学とかにも入り込んでいるのかもしれないね」
「あれは、地方の有力者の推薦を得た小貴族の子弟が王家の官吏となる為の仕組みではないのかしら」
「それも考えないといけないかもしれないわね。小貴族の子弟なら、魅了で親となる貴族を操り、地方の有力者から推薦を貰うことくらい難しくないでしょうから」
代官や地方の監督を行う王家に仕える貴族子弟は少なくない。次男以下の優秀な者が郷里の有力貴族の支援を得て王都で学生となり、やがて官吏となる。とはいえ、地元の結びつきも緩やかであり、希望があれば故郷の地ではない場所へ派遣もされる。地元に利益誘導するような心配のない場所へ派遣する方が、王家も安心なのでこの人事は容易に通るだろう。
「こいつら囮で、本格的に動いているのは……」
「王家の統治機構に入り込んだ者たちと言う事になりそうね」
姉とオリヴィの話を聞き、彼女はまた仕事が増えそうだと憂鬱な気持ちとなる。
「王家から依頼を受ければ、私たちで請け負うわ」
オリヴィが自ら進んで彼女に伝える。そうしてもらえるのなら、それが一番であろう。
「あ、もしかしてヴィちゃん、今回の吸血鬼騒動に最初から絡まなかったのはそれが理由かな?」
「どうかしらね。でも、吸血鬼を相手にするのなら、かなりのレベルの魔術師か吸血鬼との戦闘経験のある冒険者・騎士が必要になるわ。そうすると、相手をできるのは、私かリリアルしかなくなるでしょう? 依頼した方がいいという判断を王宮はすると思うわ」
王国各地に派遣された代官を個別に面談し、吸血鬼を殲滅するのは彼女達の手に余る仕事になるだろう。何かしら臨時の肩書……査察官のような役職をオリヴィに与え、王が地方に派遣する形の方が良いだろう。
幸い、オリヴィの冒険者としての格付けから『公爵並』とされる帝国では星五の冒険者となる。王宮の官吏に反対意見を述べる者がいないではないだろうが、その時は「ならばお前がやれ」と言えば黙って道を譲るに違いない。
彼女は一先ず、更なる仕事を免れたと安心するのである。