第577話 彼女は四階で吸血鬼と出会う
第577話 彼女は四階で吸血鬼と出会う
『大塔』の最上階。その昔は総長の居室として用意されていたというのだが、今では何もない広間に過ぎない。しかし、完全に遮光された空間の中央には石棺が置かれている。
その背後にゆらりと佇む巨漢。
「我が名はリリアル副伯。あなたの名は?」
『ヴィル・シャトルである』
十四代目総長『ヴィル・シャトル』。三度目の聖征が失敗に終わり、内陸の諸都市がサラセンの支配下となった時期に総長を務めたとある。
約十年に亘り、聖王国と神国奪還のための聖征に修道騎士団を派遣し、その力を尽くす。聖王国でサラセンの都市を包囲する戦闘中に傷を負い、それが元で病を発し戦病死する。
しかしながら、戦死する前に『吸血鬼』へと転じていた……ということだろう。戦死したものとして処理され姿を隠し、名を変え姿を若返らせ、修道騎士団の一員として活動していたのかもしれない。
「では、討伐させていただきます」
『できるものなら、為して見せよ』
剣を構え、盾で半身を守るのは変わらず。そして、彼女は既に修道騎士団の聖騎士の剣術に慣れてきていた。
『参る!!』
振り下ろされる剣の側背へと足を踏み込み剣戟を躱し、腕を斬り上げる。
『があぁぁ!!』
左手で右腕を庇いながら後退する吸血鬼に向かい突進する。
『魔力壁』の三面展開。三角錐の中で動きを固定された吸血鬼は、思いも寄らぬ状況に身動ぎをするが、彼女はその隙に腰の後ろに差していた魔銀鍍金の『スティレット』を引き抜くと、グレート・ヘルムの目のある位置にその切っ先を突き刺し捻り上げ魔力を注ぎ込んだ。
GWAAAAA!!!!
『目が、目ガアァァァ!!!』
更にそのスティレットの柄頭に魔力を込めた拳を叩きつけた。
GIIIIII!!!!
『ひでぇな……』
「この程度で『貴種』は死なないわよ。それに、まだ知らないことをしゃべらせたいもの」
彼女の中での疑惑は、今では確信にかわりつつあった。修道騎士団の歴代総長の中で、これだけのメンバーがアンデッド化されて利用されていたのであるから、どこかで自ら吸血鬼化した者がいたはずなのだ。
どう考えても、階下のボシュ卿は聖王国崩壊期の総長であるし、目の前で転げ回っているシャトル卿は、一階で倒した第十代総長ライド卿よりも後任なのだ。
それ以前の総長が、カナンの地で聖王国建国期に修道騎士団をして『吸血鬼』なり魔物の力を借りて戦う方向に舵を切った存在がいるはずなのである。
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もう一本スティレットを取り出すと、彼女は更にもう片方の目に突き刺す構えを取る。
「二つ目の目も潰して上げましょうか?」
『イ、イタイイタイ痛い痛い!!!!!!』
一先ず、刺さりっぱなしのスティレットに魔力を更に流して様子を見る。
『アガガガガ!!!』
「私が知りたいことに答えてくれたなら。楽にしてあげなくもないわ」
必死に合図をする吸血鬼。だが……
「お悪戯はいけないわ」
腕を伸ばし彼女を押さえつけようとしたものの、飛び退かれ、その腕にスティレットが突き刺さり床へと串刺しにされる。そして残りの腕はバッツリと剣で斬り落とされた。
「手癖が悪い男ね」
そして、再び質問を再開する。
彼女が確認したいことは、シャトル卿を吸血鬼化した修道騎士団幹部の名前である。そして、既に彼女の中で推測されている事の確認でもある。
「あなたの主人の名前を確認したいの。素直に答えてもらえると助かるわ」
吸血鬼が素直に話すか否か。素直でないなら、素直になるまで……お話するだけである。一先ず、歩くのに不要な両脚でも斬り飛ばそうかと考えていると、天井の一角になにやら潜んでいる事に気が付く。
『おい!!』
彼女は素早く自分の背後を完全に守るように二枚の魔力壁を直角に
展開した。
GAINN!!!
メイスで叩いたような音が閉鎖された広間の天井と壁に大音量で響き渡る。背後には、まるで教皇猊下のような法衣を纏った壮年の男がメイスを振り下ろした状態で彼女を見下ろしていた。
「やるではないか、小娘」
艶やかな血色、並の吸血鬼では不死者であることを隠せないのだが、背後の吸血鬼はまるで生きている人間のように見えるのだが、魔力のそれは生身と思えない大きさを感じる。彼女の知る限り、オリヴィの他、これほどの魔力を感じたことはない。彼女自身は自分の魔力量の多寡を感じることはないので、自身と比較する事は出来ないのだが。
「初めてにお目にかかりますアマンド閣下」
「……聖アマンドである、下郎」
彼女の推定していた修道騎士団の内部に侵食した吸血鬼の原初は、第八代総長である『アマンド・オッド』。聖王都がサラセン軍に奪われる直前の時期に、聖王国の諸侯と共に、サラセン人に対する襲撃を徹底して行った総長であると記録されている。
聖王国を攻めるサラセンの軍勢と戦い数度の勝利を得たのち聖王国元帥位を賜る。しかしながら、サラセン軍総帥の攻撃を受け修道騎士団は大敗。聖アマンドは人質とされるも、他の修道騎士は全て斬首刑とされる。教皇庁はアマンドを救出しようとサラセン軍と交渉するも、救出されることはなかった。その後は、収容所内で死亡したのではないかと推測される。
『民間人の虐殺を繰り返したって話だな』
十字軍に参加した騎士達も同様だが、『異教徒である』という理由づけをして都市を略奪し、財貨を奪い奴隷にして売り飛ばしたのだ。それまで御神子教の巡礼者に対して寛容であったサラセン人も、やり返すようになる。
つまり、修道騎士団の『巡礼者を守る為の聖騎士団』という存在は、そもそも、自ら引き起こした状況に対して、その状況を利用し再び異教徒を殺戮する大義名分を得たという事になる。
「そして、背後から不意を突くような外道というわけね、聖アマンド閣下」
「……聖アマンド猊下だ愚か者」
随分と滑らかに回る舌である。
聖アマンドと称された八代目総長は、その仮初の戦功ゆえに御神子教の諸国・諸侯から莫大な支援を受けることができた。故に、その後の総長たちが調子に乗って戦線を拡大し、戦力を磨り潰され聖王都を奪われる結果となったとするなら皮肉な事である。
聖騎士団の団長が上に教皇を頂くのみであるとするなら、枢機卿に匹敵する権威であると考え『猊下』と呼ばせることも可能だろう。まあいい。
「では猊下、何故こそこそお隠れになっておられたのでしょうか?」
「隠れてなどおらん。身分賤しき者と対面するまでもないとは思わぬか」
「それはお気遣いいただきありがとうございます。確かに猊下は賤しき血吸蟲の如き存在ではありましょうが、私は王国を護る者として先達には敬意を払っております」
彼女のワザとらしい挑発に怒髪天となる『猊下』。魔力を解放し、圧をかけようとして来る。
『これでも、同じ事が言いきれるか下郎』
「ええ、なにやら体から毒素を排出されているようですが、あなたの下僕がのたうち回っているだけで、私には特に関係ありませんわ猊下」
見ると、腕を床に刺し貫かれ固定された吸血鬼が、腕を支点に激しくのたうち回っている。
『オリヴィよりは少な目か』
「でも、下の貴種よりは随分と魔力が多いのではないかしら」
『始祖』や『真祖』と呼ばれる始原の吸血鬼に至るには、魔力持ち一万の魂が必要とされ、長い年月がかかると推測される。『貴種』は千、『従属種』が百とされるので、千は行きつける可能性がなくはない。
収容所で消息を消し、隠れて魔力持ちの魂を狩っていた故に、千を余裕で越える魂を得て巨大な魔力を有するに至ったのだろう。
その力で何を為したいのだろうか。既に、帝国との国境線でサラセン軍の遠征は頓挫しており、新たな戦場は暫くなさそうである。魂の狩場をどこに設定しているのかと言えば……ここ王都ということなのだろうか。
「猊下、王都で騒乱を起こして、そのどさくさに紛れて魔力持ちを狩るつもりで仕掛けをしていたのですか?」
『……是非に能わず……』
沈黙は肯定と見做すという言葉があるが、敢えて答えをはぐらかすということも肯定の一つであろう。
彼女は振り向き、床の松明の炎により薄っすらと姿の見える『貴種』の吸血鬼を正面に捉える。階下のそれよりも、随分と魔力が多いように見える。
『三千から五千ってところか』
「随分と異教徒魔力持ち狩りに取り組んだのね。それで、身分が邪魔になって敢えて捉えられて死んだことにしたのかしらね」
総長の仕事をこなしている間は、魔力持ち狩りには参加できない。総長の仕事をしつつ各地を転戦し、先頭に立ってサラセン軍の魔力持ちを討取り続けたのだろう。その結果、吸血鬼としての能力がさらに高まり、総長の座を捨てたということなのか。
『けどよ、此奴を吸血鬼にした存在もしくは道具があるんだろうな』
「それが石棺もしくは聖櫃ということね」
目の前の石棺が『聖櫃』なのか、それともどこかに隠されているのか。彼女は躊躇なく、魔力を込めた剣を手に取り、足元の石棺へ思い切り叩きつけてみる事にした。
DOGANN!!
DOGANN!!
DOGANN!!
『きっ、貴様ぁぁぁ!!!』
中身は土くれ。因みに、猊下の出身は『リムザ』であり、そこはヌーベにほど近い王国中部にある。つまり、そういうことだ。
「猊下は寝床の心配より、自身の身の心配をなさるべきであると愚考します」
『まさに愚考。後悔させてやるぅ!!』
完全に『聖猊下』の仮面をかなぐり捨て、野卑な吸血鬼の本性を現すアマンド。そして、手に持つのは……メイスであった。
『剣じゃねぇのかよ』
「いえ……東方教会では、蛇が十字架を中心にからみあった意匠の『権杖』と呼ばれるものを持つわ。恐らくそれに似せたものよ」
『まるっきり異端じゃねぇか』
古の帝国においては、最初は軍を率いる執政官が、後には皇帝が権威の象徴として鷲を象ったものを杖の先端に飾るものだ。また、軍を率いる元帥は『元帥杖』として、古帝国の皇帝のそれに似たものを与えられることになる。
権威の象徴として恐らく剣ではなく、権杖に似せたメイスを持って戦場に赴いたのであろう。そして、その本当の理由は、剣で切るよりもメイスで倒す方が血が流れ出ないからではないかと彼女は考えていた。
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クウォータースタッフに近い長さの『権杖』は、リーチの長さとヘッドにある十字の金具がウォーピックのように機能し、中々厄介な道具であった。さらに、聖アマンド猊下は、随分と使い慣れた様子であり、見習騎士の時代から、歩兵としてその操練を随分と重ねたのではないかと考えられる。
出身地こそ明確であるが、名のある貴族の子弟ではなかったようであるから、低い身分から時間をかけて実力=武力でのし上がったのだろう。その過程で、吸血鬼と化す切っ掛けがあったのではないかと彼女は推測した。
『こいつが修道騎士団の吸血鬼の元祖だろうが、いつ、どうやって吸血鬼化したのかを吐かせるまでは』
「迂闊に首も刎ねられないわね」
手元の剣では致命的な傷を負わせることが難しい。『権杖』は魔力を纏っており、『魔剣』であればともかく日常遣いの魔銀の剣では断てるほど魔力を込められないと思われるからだ。
武器を入替えるには隙が無い。一瞬剣を手放せば、即座に攻撃を受けることになる。魔力壁でガードするのも心もとない。一対一では武器を入替える間を稼げそうにもない。
『どうした。手がだせないのかぁ』
「ふふ、長い棒きれ振り回して調子に乗っているなんて、まだまだ子供ね」
『黙れ!!下郎!! 不浄な女が!!』
そう、御神子教では女は原罪がより罪深いとされている。言いがかりも甚だしいと思うのだが、そういう教えが聖典に記されているので否定をするのは容易ではない。原神子信徒の女性はその辺りどう考えているのか、聞いてみたいと余計なことを考えていると、『権杖』が彼女の胸を強く撃ち抜く。
『バッか! 油断しやがって』
吹き飛ばされた彼女が二回転、三回転と床を転がる。手から剣は離れ遠くに転がっている。
『さて、そろそろ決着をつけるか、罪深き下郎』
にじり寄るアマンドに気が付いているものの、胸を強く打たれて呼吸ができず、体が硬直している彼女には、意識はあるものの体を動かす事がむずかしい。
『猫』がアマンドと彼女の間に割って入り、攻撃の姿勢を見せる。
DOGANN!!
塞がれていた矢狭間の一角が叩き割られ、外から何やら覗き込んでいるのが見て取れる。
「……姉さん……」
そこには、にっこり微笑む彼女の姉である『アイネ』が佇んでいた。