第571話 彼女は一階でレイスと出会う
第571話 彼女は一階でレイスと出会う
聖王都が陥落した際に、聖王国で幅を利かせていたのはランドル出身の貴族達であったとされる。今ではすっかりさびれてしまったが、リジェ司教領の周辺は、その昔、多くの修道院領や教会が建設された宗教心の厚い地方であった。
聖征初期の主力は、この地方の騎士達であったと言っても良いだろう。実際、修道騎士団の修道院や管区も王国内と同じように多かったのである。同じ環境で育った同胞の中で、一度流れが生まれてしまえば、途中で方向を替えることは非常に困難である。
故に、十代総長『エル・ライド』は、修道騎士団員のみならず、聖王国の諸侯軍を巻込んでサラセン軍との決戦を選び、そして大敗。聖王国には戦う戦力が払底してしまい、聖王都はサラセンの手に引き渡さらざるを得なくなってしまった。
聖王都に敵を引き込んで時間をかけて反撃すれば勝ち目はあっただろうが、敵を侮り、そして無意味な灼熱の行軍を繰り返し、最後は水も尽きて渇きにより弱体化した軍が一方的に攻撃され壊滅したのである。
砂漠で全身金属の鎧を身に纏った騎士が戦うなど、正気の沙汰ではない。信仰心や勇気とはかかわりのないレベルでの思考である。
「おや、砂漠で友軍を衰弱死させた総長様ですね。あなたはここへ何をしにいらしたのでしょうか?」
その手にした剣は、実体があるようである。つまり、レイスの本体は持っている剣にあるのだろう。
『Non possum omnino facere』
『是非に能わずだとよ』
「……聞こえているわ。この程度の言い回し、解るわよ」
古帝国語の文言だが、本来、会話は王国語でなされていたはずである。つまり、解らないだろうとばかりに使ってきたのである。
彼女はその昔あった最後の総長の『スペクター』のことを思い返す。何がどう違うのだろうかと。
『あれだ。スペクターの方が混ざりものが多くて強力だ。レイスはゴーストよりも人格や生前の記憶が希薄化する過程で、強く残った残留思念を核としてそれを強化する方向で周辺の魔力や霊を取りこんでいる』
「つまり?」
『スペクターよりも生前の記憶ははっきりしている、そして、強さはスペクターと大して変わらん』
「最悪じゃない」
そして、この場所・構築物自体がレイスを強化するように建設されているのではないかと『魔剣』は告げる。
『吸血鬼も死霊も太陽の光に弱えぇ。ここは全然入ってこないようにするのは簡単だ。事実、封鎖されている今は、ずっと真暗じゃねぇか』
巨大な常闇の空間を形成し、自らを守るために死霊や亡霊、吸血鬼を防御施設として使役する。劣勢であったカナンの地において、サラセンとどう戦うかを研究した結果の産物であろうか。
「ねぇ」
伯姪が声をかけて来る。
「どうする?」
「アンデッドの多くは太陽の光が苦手よ。塞いである木戸を割り開いて、この部屋を明るくしましょうか」
「いいわね!」
「それくらいなら俺も出来そうだ」
「協力します」
伯姪と『戦士』『女僧』の二手に分かれ、銃眼を兼ねる明りとりの窓を塞いだ木の板や格子戸を破壊して回る。
BANN!!
DOGANN!!
次々に塞がれた窓を解放していくが、太陽の位置は今だ高く、多くの場所は日に照らされる事はない。しかしながら、漆黒の闇は薄れ、濃い灰色といったレベルになる。
「レイスが集まってくると思ったのだけれど、来ないわね」
『地縛霊だからな。場所か物に宿るんだ。だから、部屋から移動できねぇんだろうな』
生霊であれば、その主の関心の赴くままあちらこちらに現れるのであろうが、『死霊』は既に本体が滅している分、存在を固定化するのに土地か物体が必要になるのだという。そこは、スペクターも同様。ワインと蒸留酒のような関係であると言っても良い。生霊は実っている葡萄といったところか。
「意外と詳しいのね」
『伊達に剣に宿ってるわけじゃねぇ』
生前の人格や知識をそっくり残すのは至難の業であるのだろう。目の前のレイスは、自ら望んでそうなったわけではないのだろうが、『魔剣』より遥かに後年に死んだにもかかわらず、生前の人格は……まあ最初からこんな人物であったのかもしれない。
「はぁ。だから挑発されて水場も確保できない大軍を率いて、砂漠に討ってでるというお粗末な戦いで聖騎士団ばかりか、聖王国軍迄全滅させ、聖王都陥落を導いた、稀代の戦下手だというわけね」
GWOOOO……
「あの禿げてデブの駄目総長の話でしょう? 部下の聖騎士は全員処刑されたのに、自分は命乞いまでしたと聞いているわ。確か、棄教して生き延びたという話もあるわね」
「……なんでそんな奴が、ここに葬られているんだ」
「逆恨みでも、その恨みの感情を利用すれば強い防御設備になると判断したのではありませんか」
GUWAAAAA!!!!
真実ほど人を深く傷つける。それは、死霊となっても同じようだ。
『Tace!!』
剣を振り上げ、叩きつけるように彼女に振り下ろす。修道騎士団の剣筋はあまり変わらない。鎖帷子を割るように強く叩きつける剣なのだ。が……
GAINN!!
GAINN!! GAINN!! GAINN!! GAINN!!
赤く炎の如き目の輝きが一層強くなる。一撃一撃に込められる魔力が高まり、やがて、魔力同士が反発するのか、火花のように魔力が飛び散り始める。
しかし、彼女の魔力壁をレイスの剣が切裂く事はできない。
「おっかねぇ」
「確かに、あの剣の前に進み出るのはゾッとします」
「当たらなければどうということないわ」
完全に観戦モードの三人。
「あと二体レイスはいるのよ。そっちはあなた達にお願いするわ」
「「……」」
「妥当ね」
『戦士』と『女僧』が心の中で「妥当じゃない」と強く否定するが、言葉にする勇気はない。ここで、存在感を示す必要があるというのは理解できる。
「魔力で防ぎ、魔力で……攻撃する。それだけよ」
二対一で一体のレイスを討伐するくらいの腕前は見せてもらいたい。危険な時には彼女と伯姪も支援することは当然なのだから。
彼女は魔力を剣に込め、そして、魔力の刃を飛ばす。
――― 『雷刃剣』
魔力の刃を飛ばす『飛燕』、その飛燕に雷を纏わせる『雷燕』の乱舞が『雷刃剣』である。青白い魔力の刃にはピカピカと小さな発光が見て取れる。
BAASINN!!
BAASINN!! BAASINN!! BAASINN!! BAASINN!!
間近に落雷したかのような激しい空気の振動と爆発が、朧げに見える古めかしい騎士に次々と発生し、その姿が揺らめいて見える。
『Meretrices !!』
「そっくりお返しするわ、売国奴」
GUWAAAAA!!!!
絶え間なく叩き込まれる魔力の刃。そして、レイスはその存在が次々に魔力を魔力で相殺され、その存在が希薄となっていく。実体に近いレイスであれば、その豊富な魔力量を生かして何か仕掛けてくるかもしれない。
不意に近づくのは不利と判断した彼女は、自身の魔力量の膨大さを生かした大技で相手を安全に消滅させる事にしたのだ。先はまだ長い。
「大丈夫なのでしょうか?」
「平気平気、駈出し冒険者の頃とは全然違うから」
「いや、あの頃だって際立ってただろ?」
「その後、竜も討伐しているし、強力なアンデッドだって山ほど倒しているんだもの。一騎駈の話も伝わってるでしょ?」
『ミアンの一騎駈』は、三千のアンデッドをただ一騎で彼女が迎え撃った話であり、因みに舞台化されている。題名は……『ミアンの大聖女』である。いつのまにか大聖女にされていたらしい。
リリアル女子達も「聖女」「聖女見習」扱いのようであり、王都の孤児院でのリリアル熱は女子の間で高まっているらしい。いや、実際は地味な貫頭衣をきて毎日薬草畑の手入れをしてるだけです。
剣を持つ手が掻き消え始めている。すでにレイスとしての『エル・ライド』はその姿を保てなくなりつつあるようだ。
『あの剣が触媒なんだろうな』
「乗り移られたりしたら気持ち悪いわね」
いや、素手で触らなければ大丈夫だろう。魔装手袋越しなら……多分問題ない。言い換えれば、他の兵士や騎士が体を奪われれば『ワイト』として復活する可能性もある。なので、『エル・ライドの剣』は回収必須となるだろう。
やがてレイスは明滅すると、煙のように消えて行った。カランと音を立てて床へと落ちる今は見ることのない幅広で身の厚い剣。その柄頭には、おそらくレイスを封じていたであろう、魔水晶が嵌め込まれている。
「往生際の悪い死霊だったわね」
「ぅお、まだ目がチカチカするぞ」
封じた板戸の隙間から光が差し込むものの、一階の広いホールは十分に薄暗い。そして、その奥にある円塔に当たる小部屋にはレイスの気配がする。
剣を回収し、伯姪と確認する。
「先に、このホールに明かりを入れるのはどう?」
「正面入り口を開けたとしても、奥の小部屋までは光が届かないけれど、それでもいいのであれば、開けてしまいましょう」
「いや、こっから何か逃げ出さないように封じてあるんだろ?」
『戦士』が確認するが、彼女と伯姪は「そうではない」と言い返す。
「明るい時間であれば問題ないでしょ?」
「吸血鬼もレイスもワイトも太陽の光の下では基本的に活動できません」
「つまり、お二人の中では、この陽が落ちる間に決着をつけると考えているわけですね」
『女僧』の解釈に再び二人は頷く。夜にはお家に帰りたいのだ。
「埃臭いし、黴臭いし、さっさと終わらせましょう」
「待機している騎士団に近衛連隊の兵士だって緊張感を維持するには限界があるものね」
「ちげぇねぇ。突っ立ってるんだって意外と疲れるんだぜ」
そんな依頼を思い出したのか、足を摩りながら呟く『戦士』。
「さて、では次はあなたの出番ね」
「さっさと終わらせるわ。大体要領はつかめたから」
「俺達はもう一度見る機会があるってわけか」
「そうですね。まだ、掴めていませんから、今度こそ見極めなければ」
奥に進む前に、彼女は正面入口の封印を解除する。長らく開けられていなかった大扉の金具が軋みを上げて開かれる。しかし、太陽は既に頭上にあり、奥まで光が差し込む事はなかった。
「この正面ってどこ向きだっけか」
西向きなら日が差し込むかもしれないが、その時には夜の闇が迫っているということだ。さっさと終わらせるとばかりに、伯姪は右奥の小部屋へと向かう。
本来は、明り取りを兼ねた矢狭間・銃眼があるのだが、大きく塞がれている。そこに、薄っすらと浮かび上がる鎖帷子に白いサーコート、胸には赤い十字が描かれている。修道騎士団の高位聖騎士の装い。
『Diabolus perdere』
水滴のような『エキュ』と呼ばれた細長い騎乗用の盾を左手に、そして、腰に吊るした直剣をスラリと引き抜き正面に立てるように掲げる。
「お手柔らかに、私は王国の騎士『マリーア』。王国に仇為す貴方を討伐するためにここにいます。あなたのお名前を伺いたい」
『十八代目総長ヴぃる・そにっく也』
十八代目総長『ヴィル・ソニック』は、サラセン軍との戦闘で二度の戦傷を受け盲目となりながらも指揮を取り捕虜となった後、斬首されたと記録されていた。
『こいつの仇は王国じゃねぇだろ。なんでここにいるんだよ』
レイスには生者への嗜虐性が強く残っているだけで、あまり攻撃する理由に頓着しないのだろうと彼女は考えた。
「おい」
「……どうしたの。良く見ておかないと」
『戦士』が何か言いたげに彼女に声をかけてきた。
「いや、メイの本名って『マリーア』 だったんだなって」
ニース男爵令嬢マリーア。マリーアの名前は聖母からとられたのではなく、マレスの別名にあるという。聖エゼルと聖マレスは共闘関係にあり、その為、当時のマレス騎士団からニース男爵に贈られたのだとか。なので、マレスの聖騎士からは「我が妹」や「我が娘」などと呼ばれることもあったとか。妻子を持つことが表向き無い彼らにとって、『マリーア』は心を慰める存在に写っていたのかもしれない。
「では、始めましょう」
『Non sapio. Post te』
ソニックはギュイエの貴族の子弟であったと記されている。百年戦争以前において、ギュイエ大公国として王国とは一線を画していた地域であり、修道騎士団の修道院も多かった。その分、聖騎士団内で大きな派閥を形成し、聖征後半はギュイエの出身者が幹部に多くなっていく。
左半身を細長い盾で覆い、半身で構えるレイス。彼女のように、魔力の刃で攻撃するのであれば正面から力押しで削り倒してしまえばよいのだが、伯姪は魔力が増えたからと言って、『魔刃剣』はおろか、『飛燕』でさえ削り倒せるほど放つことはできない。
「昔の剣術と今の剣術が違うかどうか、試させてもらいましょうか」
『Ab usquam』
一目見た所で、責められる場所は全て盾で覆われている。どう短い片刃の曲剣で攻めるのか、彼女にも想像できないのであった。