第568話 彼女は『心配事』を告げる
第568話 彼女は『心配事』を告げる
随分と大掛かりな王太子宮包囲網が形成されている。騎士団がこの周辺に集められることで、手薄な場所ができては問題にならないのだろうか。
「大丈夫よ、自警団に事情を話して今日は騎士団代わりに警邏をして貰うように通達しているからって」
彼女の心を見透かしたかのように、伯姪が打合せの内容を伝える。
「それに、万が一魔物が漏れだした場合、最初から動員されている方が自警団も対応できるだろう。なにも無ければよかったで済む話だ」
「王都が灰燼に帰するより、よほどよいですよ。何もアリーが心配することはありません。いえ、閣下とよばなければ……」
彼女は『女僧』に『アリー』と呼ばれ、すっかり偉くなってしまった自分を少し顧みることができた。駆け出し冒険者の『アリー』にできることなど大したころではなかった。それに、王都を守るのは王都に住む人々すべてに関わる事。彼女一人の双肩にかかっているわけでもない。
「騎士団長からは、陛下も王宮で事態を見守っているって。だから、大きな問題が発生したなら、騎士団以下、陛下の指揮のもとに王都を守るって段取りになってるって」
国王陛下による親征ということになるのだろうか。いや、本土防衛戦か。
「……それはそれで……不安しかないわね」
「「「確かに」」」
国王陛下は人格者であるが、先王陛下や王太子殿下と比べ『凡庸』との評価が定着している。非常時にそのことがどう反映されるか。もしくは……
『いや、小心なのは昔からだ。だから、リスクをきちんと見極めることができる男だと思うぞ。できることできないことを判断し、適材適所、人に任せるのが得意だ。だから、アルマンの野郎が指揮を執るだろうぜ』
宮中伯アルマンが王宮の指揮を執るということだろうか。既に、父子爵も王宮に呼ばれ、王都内各所に指示を出す体勢に入っているだろうことも彼女は想定する。
「王都全体での防災訓練だと思えば問題ないってさ」
「訓練で終われるように、鋭意努力しましょう」
「命あっての物種だ。俺達は、出来ることをしっかりやればいいよな」
「ええ。仕官が掛かってますからね。私は漸く騎士になる道が開けそうなんですから、絶対に引けません」
灰目藍髪同様、『女僧』も騎士になることを目標とし、生まれ故郷を出奔して王国で冒険者となったのである。ここでその機会を失するつもりは毛頭ない。それに、かの修道騎士団の遺物にまつわる魔の物の討伐に加わることができるのであれば、新たなる主に自らの力を示すと良き機会であるとも思われる。
それは『戦士』も同じである。教官を務めるとはいえ、リリアル一期生達の活躍は王都で広く知られるところ。自らの経験と知識にいささかも不足があるとは思えないが、その実績は少々小粒である。竜を倒したわけでも万余のアンデッドと対峙したわけでもない。日々の依頼の積み重ねが劣るとは思わないが、解りやすい手柄が欲しいと思わないわけがない。
「けれど、無理も慢心も不要です。四人で一つの集団ですから」
彼女の改まった物言いに、伯姪が揶揄うように言葉を加える。
「ホント、三人が三人力み過ぎ。王太子宮の周りは蟻の逃げ出す隙間……はあるだろうけれど、魔物が逃げ出さないように幾重にも包囲しているんだから、失敗したら逃げ出すわよ。何も、依頼だからってリリアルだけで討伐する必要ないんだもの。そもそも、聖征に関わった者たちの後始末を三百年も四百年も後の私たちが全部背負う必要ないわけだし」
「けれど、やるからには一切合切消し飛ばすつもりよ」
「おっかねぇな相変わらず」
「ええ、ゴブリンが村を包囲した時も、こんな感じでした」
四人は顔を見合わせると、さあとばかりに『礼拝堂』へと足を向けるのであった。
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恐らく、『尊厳王』の時代、王都を守る最初の城壁が建てられたころ、ここに建てられた「王都郊外」の修道院か教会の礼拝堂の一つであったのだろう。石造の壁は雨で穿たれやや溶けたような印象を受ける。既に長く使われていなかったであろう雰囲気を『礼拝堂』は醸し出している。
その背後にはおそらく三層からなる『古塔』が建っており、これが防衛用の塔であったのだろうと考えられる。礼拝堂と塔が最初の施設であり、恐らく、修道騎士団所属の施設に充てられ、その周辺の土地ごと騎士団が寄進を受けたか教皇庁から委ねられたのだろう。
周囲の石垣なり防塁は王太子宮といまはなっている、王都管区本部要塞の外壁へ転用され片付けられたのだと思われる。
「さて、鍵は……かかっていないようね」
入口の閂を外し、中に足を踏み入れる。先頭は『戦士』、そして『女僧』。後方に彼女と伯姪が並び立つ。既に松明に火がつけられており、『女僧』と伯姪が持って周囲を伺っている。
「……魔力を持つモノは……なさそうね」
魔力走査で礼拝堂内を一通り確認する。古い形式の礼拝堂であり、地下室のようなものもない、単純な構造の建物だと思われる。
「まずは何事もなさそうでよかったわ」
「そうね。けど、手掛かりになりそうなものは見つけられたわ」
積もった塵と埃の上には、いくつかの真新しい足跡が付いている。ついた足跡の形がはっきりしていることから、精々一月は経っていないのではないかと彼女は推測した。
「足跡か」
『戦士』は『女僧』から松明を受け取ると、姿勢を低くして足跡を確認する。
「ちょっと引きずった跡とかもあるな。人数が五六人ってところだ」
『猫』が効いた噂話。ウォレス卿の使用人たちが語っていた運送業者たちがここにやってきて、何か箱のような物を運び込んだ可能性もある。
「とはいえ、ここじゃないんだろうな」
「恐らく。足跡は……反対側の出口から出て行ったようですね」
その先にあるのは『古塔』。そこに、荷物を運びこんだのかもしれない。いや、恐らくそうしたのだろう。
「場所を間違えたんでしょうね」
「かもしれんな。だが、閂がかかっていたということは、誰かが改めてかけて出て行ったのだろうか」
「さあね。でも、何かあると分かっていれば……ちょっとドキドキしてきたわ」
テンションを上げる伯姪に、やれやれとばかりに『戦士』が首を振る。
「覚悟して塔に入るか」
『戦士』の言を彼女はやんわりと否定する。
「わざわざ入り口から入ってやる必要はないでしょう」
「……どういう意味だ」
伯姪は意を察し頷く。
「塔の上から入りましょう。多分、入口から入って来るのを待ち構えているからね」
「ああぁ? どうやってはいるんだよ」
彼女は、最近のリリアルの流儀を『戦士』に教えなければと考えていた。
「まじか」
「ええ。足元気を付けて、私の歩いたところに足を運んでください」
「お、おう」
魔力の無い『戦士』には、魔力壁を認識する能力がほぼない。故に、何もない中空の階段を登るのは恐ろしく感じるようである。盾とメイスを背負い、彼女を先頭に円形の塔の外壁に手を当て、時計回りにグルグルと見えない螺旋階段をゆっくりと登っていく。その後ろを歩く伯姪、そして、伯姪の歩いた後を『女僧』が踏みしめていく。階段の数は十余り。踏み出すごとに最後の階段を消し、前の階段に付け足していく。まるで、「コロ」を転がすようにだ。
高さは凡そ20mほどだろうか。『大塔』の半分以下であるのだが、それでも、何もない中空を上り詰めることは慣れない二人にとって冷や汗を大いにかかせることになる。
「そういえば、ルーンに向かう最中にあなたが思いついたのよねこれ」
「そうだったかしら。最初は、ちょっとしたお遊びだったのだけれど」
「今はリリアルの侵入方法の定番よね。警戒していない屋上から忍び込んで相手の背後を取るやり方」
ベテラン冒険者もリリアルでは新参者。こうして、リリアルのやり方に慣れてもらうことも必要になるだろう。
「皆出来るのですか?」
「冒険者組だけでしょうか。魔力をそれなりに遣いますし、魔力壁が何枚かだせなければなりませんから」
「私も自力だと厳しいわね。まあ、必要に迫られればやるけど」
彼女か黒目黒髪、赤目銀髪、赤毛娘、蒼髪ペアあたりが使いこなすメンバーであろうか。
「全員で侵入することはあまり無いかもしれないわね」
「そうね。二手に分かれて主攻は正面から、助攻や遊撃がこんな感じで侵入するわよね」
円塔の最上部。すっかり錆びついた扉を彼女が魔力を通した剣で斬り落とす。
そして、金具の結合を失った木製部分が朽ち落ちるように崩れる。
「随分と古いものだな」
「それに、手入れもされていない放置された塔……ですか」
『女僧』が松明とメイスを持ち先頭に立つ。その後ろに『戦士』。そして彼女と伯姪が続く。塔の内壁に沿って下へと続く螺旋階段。高さの割に、柱のない塔の内部はアーチ形の梁で床を形成する為、階高が大きくなり、居住スペースも小さい。
とは言え、三階部分には扉があり、螺旋階段から部屋へと入れるようになっている。扉の前で立ち止まり、彼女は中の様子を魔力走査で伺う。
「……何もいないわね」
「魔力を持つ者はでしょう?」
戦士が扉を開閉させた痕跡を確認するも、積もった埃の状態からして長らく扉は動かされていないと判断する。
「近衛に仕事を残しておきましょう」
「王太子宮だしな。それが妥当か」
同じように二階の扉も確認するが、そこも同様であった。
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螺旋階段を下りていく。壁に手を添え、一歩ずつ慎重にだ。
「ちょっと待て」
「……どうかしましたか」
「その石段……踏むな」
『戦士』が見つけた石段は、他の石段と比べ、全くすり減った様子が無い綺麗な石段であった。
「ここ、踏み石の罠だろう。おそらく……この穴から何か飛び出してくる仕掛けだな」
『戦士』はその綺麗な石段の横に、石の壁の刻みの間に何か穴のようなものがあることを指摘する。
「長らく使われていなかったから恐らく反応しないだろうが、踏まない方が良い」
「なるほど」
「それより……階下に気配がするわ」
伯姪が『古塔』の一階の様子を伺いながら、二人に小声で話しかける。
「弱いけど……魔物のようね」
「……何だろうな。とりあえず、俺が前に出る」
「無理をせずに様子を見ましょう」
「心得てる。自分の能力はな」
松明を持つ『女僧』を階段途中に残し、明かりを階下に見せないように『戦士』と彼女が先に降りていく。
ザザ、と階段で足を滑らせ物音を立てた『戦士』が、顔を引きつらせる。しかし、気配の主たちがこちらを気にしていないようで気配に動きが無い。
「すまん」
「大丈夫です。相手も想像できました」
「……なんだ」
『戦士』も『女僧』も彼女の言葉を聞こうと耳を澄ませている。
「恐らく、喰死鬼……グールです」
閉所・暗所に閉じ込めておけば、かなりの長い時間活動し続け、尚且つ、魔力を持たない並の兵士以下の能力であれば怖ろしい力を発揮する吸血鬼の下僕。吸血鬼により容易に作ることができ、強い攻撃性と簡単な命令を守る程度の知能を有している。とはいえ、生者に対する嗜虐心が本能なのであるが。
気配の数は……四体。ということで、一人一体ずつ試しに討伐する事をハンドサインで彼女は示す。頷く三人。
三、二、一と指でカウントダウンすると、真っ先に彼女が階下へと駈け下りていった。
背後に追いかけて来る仲間の気配を感じつつ、真の闇に限りなく近い状況で『魔力走査』を頼りに、最も気配の大きな魔力に向け近づく。とはいえ、それ程差が無く、扉に最も近い、言い換えれば螺旋階段から最も遠いソレに目標を定める。
GUUUU……
風邪を引いた狼の唸り声のような音が聞こえる。死臭と血の臭い。魔力を通した片刃剣が薄っすらと輝きをもつ。既に間近に生きている人間がいることに気が付き、素早く反応する四体の喰死鬼。
GAA!!
見慣れているわけではないが、驚くほどの物でもない。彼女は剣を一閃させ、首を斬り落とす。
「グールは首を斬り落とすか、脳を叩き潰せば死ぬわ」
「そりゃ、……難儀だ」
『戦士』が喰死鬼の突進を躱し、クルリとメイスを振り回すと、後頭部へと擦れ違いざまにヘッドを叩きつける。
BASHUU!!
魔力を込めたスパイクの一撃から、脳に直接のダメージが入ったようで、腐ったリンゴを踏みつぶしたかのような音を立てて、喰死鬼は頭を破砕されたのである。