第561話 彼女は『泉』と『湖』に案内する
第561話 彼女は『泉』と『湖』に案内する
『猫』の追跡していった先、そこは予想通りの『ヌーベ』であった。しかし、精霊に対する結界が施されている場所の先にオーク等の集落がある為、『猫』はその足跡から凡その数と、何が存在するかを結界の外から確認することしかできなかったという。
「凡その場所は分かるのでしょう?」
『はい。こちらからですと、ヌーベの領都のさらに南にある山の中であるとまでしかわかりません』
結界は、精霊の侵入を防ぐだけではなく感覚も狂わせるようである。自身の痕跡をたどり、なんとか結界の影響の外へと逃れたのち、ヌーベ領内の探索を行っていたのだという。
ヌーベ領は百年戦争では係争地の境目となり、連合王国・当時の蛮王国の王太子が拠点としたギュイエに隣接し、旧都を睨む位置にいた。また、それ以前においては、『修道騎士団』が開いた幾つかの交易路の一つを把握する場所にあり、内海からヌーベを通って旧都、そしてレンヌからロマンデ、そして海路、蛮王国へと南北を縦断する『修道騎士街道』の重要な中継点となっていた。
その後、王国内で多くの修道騎士団の拠点が没収され、修道院も廃院となるか、他の教会施設へ転用されていく中、王国との距離を取り独立した勢力であったヌーベ公は恐らく、少なからぬ騎士団員を保護し、自らの配下に組み入れたと推測される。
そして、『修道騎士団』がカナンの地から持ち帰ったとされる、魔導具や術具の類もヌーベ公国に渡ったものが少なからずあると言える。精霊の行動を阻害する魔導具というのは、その類か、その魔導具を自領内で再生産したものだと推測される。
王国内で、精霊の存在を阻害する魔導具という物があることを彼女は知らない。
「それで、領内の状況はどんな感じだったのかしら」
住民は従順であり、時間が止まったような雰囲気が漂う街であるという。貧しくはないが、停滞しているように見えるという。また、農村部はあまり豊かではないのは、山岳地が多く農耕に適した場所が限られており、林業や果実の栽培で生計を立てている村が多い。また、牧畜にも力を入れているのではないかと考えられる。
「その木はどこへ向かっているのかしらね」
『連合王国は多くの木材を広く世界から買い集めているようです。少なからぬ連合王国人がヌーベには滞在しています』
王国語を話す連合王国人は少なからずいるが、やはり訛りがある。また、所作や着ているものが王国人とは異なるので、それなりに区別ができる。敢えて隠していないということは、特に気にしていないということなのだろう。王都でウォレス卿に帯同されている彼の国の人間は、外見を王都の人間にみられるように工夫していたのとは大いに異なる。
「それで、ヌーベ公の居城には入り込めたかしら」
『……残念ながら、主塔には入り込めませんでした。結界があったので』
その代わり、ヌーベ公の人となりや外見に関して様々な聞き取りをしてきたのだという。とはいえ、限られた側仕え以外と顔を合わす事はなく、滅多に主塔から出て来る事も姿を見せる事もないという。
『薄赤い眼で白髪に近い灰色の髪を有する壮年の男であると』
「その側近や子弟に関しては何かわかったかしら」
『猫』曰く、遠目にも尋常ではない魔力を有する『騎士団長』と呼ばれる男、そして、鋭い眼の枯木のように細い腕を持つ灰色のローブを着た『魔術師』を見かけたとのこと。周囲の使用人の反応からして、側近たちであることが確認できた。
『騎士団は凡そ、魔騎士が二十人それ以外と従騎士を加えて総勢二百人ほど抱えているようです』
「……公爵であれば、そのくらいは当然かもしれないわね。けれど、領地はさほど広くない……いえ、あの領地は冒険者ギルドを受け入れていないのだから、その程度自前で抱えているのは当然かもしれないわね」
実質鎖国状態を取る『ヌーベ公領』には、商業ギルドは存在するものの出張所のような存在であり、その機能は最低限である。また、冒険者ギルドは存在していないため、自警団や騎士団が魔物や野獣の討伐に加わることになるのだろう。
その魔物を王都に向けて放つのであれば、魔物使いの類も存在している可能性が高い。『メリッサ』は数頭の魔熊と熊を使役していたが、もっと高度な魔物使い……あるいは、『魅了』による使役を行える存在がいるのかもしれないと彼女は考えた。
「一先ず、探索お疲れ様。それで、戻って来たばかりで申し訳ないのだけれど」
今日、狼人守備隊長に聞いたワスティンでの魔物の増加の可能性について『猫』に伝える。明日の朝までに、一回りワスティンの森を周回し、実際にゴブリンの群など大規模に発生していないかどうかを確認してもらうように指示をする。
『畏まりました』
ぺこりと頭を下げると、『猫』は闇へと姿を消す。
『やっぱ、ヌーベが仕掛けてるんだろうな』
「ええ。それでも……遠征は……難しいわね」
規模は小さいとはいえ、独立した公爵領。レンヌと同等のレベルでもある。また、レンヌとは王家と大公家の間で通婚したこともあり、親族に近い関わりであるが、ヌーベは王家は勿論のこと王国内の貴族との関わりが非常に薄い。
閉鎖的な環境で帝国遠征のように冒険者の振りをして内部に入り込む事も出来ないし、行商人やニース商会を使って取引を装う事もできない。レンヌか連合王国、もしくはネデルの商人が主な取引先であり、その多くは固定化され、取引も定型化されている。関わる余地がない。
『考え方を変えてみろ』
『魔剣』の指摘に彼女はハタと考える。
『ヌーベの仕掛けが激しくなっているのは何故だ?』
ルーンやロマンデで連合王国寄りの貴族や勢力が駆逐され、レンヌでもソレハ伯一党と連合王国に協力していた商人たちも排除された。また、王都とその近郊においても人攫いに類する賊の類は一掃されつつある。ほとんどリリアルが関わる討伐関係なのだが。
「経済的に首が締まってきているのね」
『それもある。アンデッドを王都周辺にばらまいたのも、魔物や自身の勢力下にあった協力者が討伐されて駒が足らなかったんだろうぜ』
王都墓地の地下墳墓のスペクター、ガイア城のアンデット・オーガら、コンカーラ城のワイト、ジズ城のワイト、ワスティンに現れたゴットフリートにミアンを包囲したスケルトンの大軍と強力なアンデッドと遭遇する機会はかなり多かった。
勿論、ワスティンではゴブリンの集団、オークの軍勢とも遭遇している。前者はともかく、後者は整った装備を有しており、王都に接続する地域でオークが武装できる場所は限られている。
「渡海中にワスティンで騒動が起こる可能性は否定できないわ」
『それをリリアルで抱える必要がどこにある』
「……どういう意味かしら」
ワスティンの森を中心に、リリアル副伯領が設定されたとはいえ未だ、未開拓の状態であり、本来は王家の直轄領扱いであった場所だ。ヌーベとの緩衝地帯として残っていたこともあるが、正直、開拓するには相当の費用が見込まれると考え後回しになっていたと言っても良い。
『近衛連隊の拡充を進めてるんだよな』
「そう聞いているわ」
『訓練する場所をリリアル副伯領で提供するってのはどうだ?』
『魔剣』の提案はシンプルだ。近衛連隊は三千程度の戦力を有している。その大半が山国傭兵である。つまり、いるだけで費用が発生する。演習地としてワスティンの森を提供し、その代わりに、演習地までの街道整備や物資の集積所などを近衛連隊の費用で建てさせるというものだ。
「今後もその場所は、近衛に提供することになるわね」
『何、そこで働く人間はリリアル領の住民を今後は優先雇用させるとか、取引先の商人は、リリアル領の商人を介在させるとすれば、王都じゃなくリリアル領に金が落ちる』
「良い考えね。今回の報告と同時に、宮中伯経由で王宮に伝えることにしましょう」
近衛が中隊規模でも交代でワスティンの森の街道整備や拠点建設の為に常駐するのであれば、彼女たちが渡海している間くらいは警戒してワスティンに魔物を嗾ける事は見合わせるだろう。今まで投入された魔物の数から推定して、数百の魔物を同時に投入する事が精々だ。訓練された傭兵が三百人程度集まった中隊であれば、損害は出るだろうが十分に対抗することができるはずだ。
物資の集積所ができれば、近衛の中隊程度が駐留することになるだろうし、運河掘削の際の警備も手厚くなると感じるだろう。王都に入る新たな物流網は、ヌーベとその影響下にある歴史ある商人たちにとっては既得権を失う事になる事も問題と考えているに違いない。
ワスティンで暗躍する勢力は、『リリアル』も『運河』も忌まわしく考えているのだろう。
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一先ず領都『ブレリア』の街(の予定地)までは魔装馬車で侵入できる。癖毛が頑張って整備したので、速度も前回の遠征時より改善している。
そこから城塞都市のある丘の尾根伝いに遡った森の奥に存在する泉に向かった。距離は数㎞と離れていない。とはいえ、足の悪い『戦士』にとってはかなりの距離に感じる。
そこにおわすのは、『水妖』である『泉の女神様』ブレリア様。
「おお、あんな下に城塞が見えるな」
「それに、マジで神聖な気配がする森だな。これなら、装備も気にせずに済みそうだ」
「剣士は元々軽装なんだから、関係ないではありませんか」
「いや、俺じゃなくってだな……」
彼女は『戦士』の装備を外させ、軽装に改めさせている。その装備は勿論、彼女が収容しているので、何かあれば出せばよいだけのことだ。
「あの街を流れる川の水源と言うところか」
「ええ。あの泉の水が飲めるだけでも、領都に住む価値があると思います」
「確かに。王都の水はなぁ」
人口が増えすぎ、また、王都を流れる川には排水が流れ込むために、わざわざ湧き水を汲んで売り歩く商売人が現れる始末だ。王宮もその為、郊外に移転させようかという提案まででているとか。
上水をどこからか引くか、水の魔術で加工した魔石から純水を汲めるようにかする必要があるのではと言われている。そういう意味で、魔石はともかく魔水晶であれば作成できるので、水晶が確保できるノーブル領の価値は今後高まる事も予想される。
その辺り、子爵家に管理させたいという思惑も王宮にはあるのだろう。
「ネデルも海に近い場所は水が不味いらしいから」
「そうだろうね。海水が混じったり、深く掘らなきゃならないから井戸掘るのも一苦労だって聞いた」
三期生の誰かがそんな話をしていたのだと言う。
『水の魔水晶な……ニース商会で売り出しそうだな』
姉なら専売扱いで儲けたそうではある。食料もそうだが、水の確保も軍の遠征では重視される。どうしても、水の確保が容易である場所を移動しなければならないからだ。もし、水の魔力による供給が安定化されれば、進軍速度も改善され、王国軍の戦争に有利に働くかもしれない。
久しぶりに来る『泉』である。空気の清浄さが一段と増した気がする。
「ご無沙汰しております女神様」
「ブレリア様、会いに来たよー」
「そ、そんないい方したら失礼じゃないかな?」
赤毛娘はいつも通りの無礼講な言い回しで声をかけ、黒目黒髪が横でアワアワしながら窘める。赤目銀髪は何故か、掌をパンパンと二度叩き銅貨を池に放り投げた。
――― 『今、ヌシが泉に落としたのは、金貨かえ、それとも銀貨かえ』
「銅貨を投げ入れただけ。それに、それは喜捨だから返したらだめ」
『なら、わっちの祝福を与えて返しましょう』
泉の女神の祝福、それは、若干幸運が上がる程度のものであった。それでも、数ミリで命拾いすることだってあるのだから、侮れない。
「あー つぎ来たときはあたしもやろう!」
『一度に一回だけじゃ。同じ者もだめじゃから、順番に受けるが良いぞ』
オホホとばかりに鷹揚に笑う泉の女神。
「今日は、新しくこの森に住まうものを紹介いたしたく伺いました」
『そうか。この森の為に、みな励むが良いぞ』
「「「……」」」
「は、はいぃ!! この剣にかけてこの森を守ります!!」
「「「……ちょろい剣士がいる……」」」
どうやら、『剣士』的には熟女っぽい女性が好みのようである。女神様に過剰反応し過ぎだとリリアル生は思うのである。
どうやら、『猫』が一通り森を見たところと同じ判断を女神はしているようで、ヌーベ領に近いワスティンの森にゴブリンが出入りしているようだが、一時期のように住み着いたり、森を抜けて王都近郊に進出する集団や個体も見られていないという。
『わっちの使いは、小鳥が多いから、夜はみえておりゃんせん』
「ゴブリンは夜目が利くとはいえ、昼間も多少活動しますから、小鳥たちがみえていないのであれば、その通りなのでしょう」
『まあ、何か連絡手段があれば、ヌシらに伝えられるのでありんすが』
彼女は、定期的にワスティンに修練場から冒険者を引率して泉の周りの薬草など採取させて頂くので、その際に、気付いたことや良くないことがあったなら、リリアル生に伝えて欲しいと伝える。
冒険者たちはあくまで王都の住人であるので、姿を見せていただく必要はないという事も伝える。有名になれば、森が荒らされる可能性も否定できない。今しばらく、領都が完成し彼女たちが移り住む数年後までは、リリアル関係者以外にこの場所を伝えないこととした。
人が増えれば相応に森も荒れる可能性があるからだと。
その後、その昔王都の沼に潜んでいた『ガルギエム』と顔合わせに更に森の奥の湖に向かったのだが、暫く様子を見ても出てくる様子が無かったので、『魔導船』の試乗をして、リリアル生には魔力の多いものを中心に、魔装外輪を動かして操船の練習をする事にした。
当然、小型の河川用の魔導船になる。
操船はやはり人柄が出る。やたら速度を出したがる……赤毛娘と青目蒼髪、慎重に慎重を重ね川の流れのような速度でゆっくり進む黒目黒髪。こうした時間が長かった赤目銀髪は、彼女の操船に最も近かった。彼女が不在の間、赤目銀髪が黒目黒髪を指導して彼女の操船に近い動かし方を身につけて貰えればいいのではないかと思うのである。
ガルギエムはどこかに外出していると判断した彼女は、ワスティンの森入口の修練場まで全員で引き返す事にした。赤毛娘が「もっと操船したい」と駄々を捏ねたのは言うまでもない。