第542話 彼女は再び騎士学校へと向かう
第542話 彼女は再び騎士学校へと向かう
騎士学校はリリアルから直接向かう方が近いということもあり、王弟殿下とウォレス卿は王都から、彼女と伯姪は現地集合ということになる。魔装二輪馬車で行った方が楽であるし、ウォレス卿や王弟殿下の相手をせずに済むので楽でもある。
朝から騎士学校へと向かい、昼食前の授業を見学。学生との食堂での懇親を兼ねた昼食をともに取り、午後は訓練場での演習の見学という流れになる。
授業だってあまり込み入った内容は見せられないであろうし、午後の演習も分隊・班単位の模擬戦闘となるだろう。
王宮に納めてある『魔装馬車』は、機密扱いということで、普通の箱馬車を利用してもらう事になっている。乗り心地が元に戻っただけなのだが、贅沢に慣れた王弟殿下は体調を崩しているようだ。内臓も身体強化すれば、馬車酔いしなくなるのだが。
渡海する際には船酔いしないように事前に教えてあげなければと彼女と伯姪は思っていた。
既に朝の講義は始まっており、窓からは講義の声が伝わって来る。まずは、校長と歓談し、お茶でも飲んで王弟殿下の馬車酔いが収まるのを待つ必要があるだろう。
「これは、王弟殿下、それと……」
「初めまして校長。私は、連合王国の駐在王国大使フランツ・ウォレスと申します」
簡単な自己紹介の後、王弟殿下とウォレス卿、彼女と伯姪も席へと案内される。
「私たちまで……よろしいのでしょうか」
「勿論です閣下。それに、お二人には今後とも臨時講師をお願いするつもりですので、賓客としてお迎えしたいのです」
「……では、遠慮なく失礼します」
校長は騎士団でもかなりの地位にいたのだが、すでに引退して久しい。また、先王時代の騎士団と現在では、王国も騎士団の在り方も大きく変わりつつある。影響力を残していくためにも、王弟殿下は勿論のこと、リリアルとの関係もおざなりには出来ない……というところなのだろう。
しばらく世間話をしたのち、王弟殿下の顔色も良くなる。
「授業の見学の前に、校内の施設をご案内いたしましょう」
校長が先頭に立ち、校内の各所を案内し始める。資料室や武具室、馬房に騎士学校用の鍛冶工房、彼女は自前の装備を使っていたので気にしていなかったのだが、なかなか良い設備だ。リリアルには及ばないのだが。
「魔銀用の炉がないわね」
「……あるわけないでしょう。土夫の鍛冶師がいないのだから」
伯姪の呟きに思わず彼女がつっこんでしまう。リリアル学院では普通であっても、王国内においてでさえ普通ではないことが沢山ある。魔装・魔銀鍍金の装備や、魔導馬車・魔導船、魔装銃にしてもほぼ『極秘』扱いの装備である。
リリアル生が彼女の指揮下に独立した戦力として活動しており、また、国外においても王国の戦力と対外的には分からないように活動している理由は、その有用性を知られる事で、王国と王都と王家の安全保障面での優位性が失われる懸念があるからだ。
リリアル副伯は、実家である子爵家が『ノーブル伯(仮)』となるに当たり、その分家としてノーブル領とその周辺の内海沿いの王家直轄領の代官として活動するものだと推測されている。
竜殺しだ聖女だという評価は、その為に意図的に流された欺瞞情報であり、子爵家に多くのものを与えるための方便であると対外的に誤解させる為に流されている噂の類だ。その噂、全部真実なのだが、余りに荒唐無稽な芝居じみたお話なので、話十分の一程度にしか思われていない。
とはいえ、今後は一期生の成長もあり、王都の中に拠点を与え、その噂に信ぴょう性を持たせるようにと王家は考えているのだが、今の時点で連合王国の王国大使に余計な情報を与える必要はない。
「それはそうね。うっかりしていたわ」
「ええ、うっかりし過ぎよ」
大使の背後でうふふと意味ありげに笑う二人であった。
騎士学校といえども、『騎士団』のやや大きめの駐屯地兼練成場に座学の講義室と資料室が追加された程度の粗末なものである。王妃様から賜った離宮であるリリアル学院よりはずっと簡素。なのだが……
「しばらく見ない間に、随分と造成されたのですね」
彼女達は、敷地の端にある『堡塁』を見学していた。『堡塁』とは法国戦争の少し前から進められていた『対攻城砲』用の防御施設である。弓矢や攻城塔による攻撃であれば、高さこそ至高の防御要素であった。一般的な街壁でも6m、王都であれば10mを越える城壁をもっている。
これが、サラセンが多用する『大砲』とくに、城壁を破壊することを目的とする『攻城砲』の投入で、城壁に要する条件が大きく変わってきた。
攻城砲の射程は短いものでも500m、長いものは数キロの離れた距離から、子どもの頭ほどの大きさの砲弾から、百キロ近い『石弾』まで発射してくる。
その砲弾は、直線的に飛ぶ場合もあれば、曲線を描いて命中する場合もある。その昔は一日二発三発という時代もあり、攻城戦は時間がかかるものであったのだが、今では小型の金属弾を数分単位で発射する大砲を数十門並べるようになっている。
この場合、高く薄い昔ながらの城壁は多少の破壊でも、自重に耐えられず崩壊することとなる。ロドス城塞で聖母騎士団が先代の皇帝が若かりし頃の親征において敗れた理由も、攻城砲に耐えられる築城形式に変更する途中に古い城壁から破壊され、やがて内部に浸透されロドスを放棄せざるを得なかったという理由がある。
それに対し、城壁の前方に砲弾を遮る土壁を築き、その周りにさらに濠を築いて歩兵を配置、防御の拠点として活用するまでが最近の流行である。王都城塞もそのように拡張と共に改修することになっているのだが、それ以前に、南門に作られる新騎士団本部が近代的な要塞仕様になるとされる。
騎士学校のこの堡塁はその試作と、今後の攻城研究のための訓練施設として設けられたものだという。
長らく、国内での対外戦争を経験していない『連合王国』において、堡塁をもつ防御施設の存在は新鮮に映るようで、ウォレス卿は同行の部下たちとともに熱心に話を聞いている。
「攻城戦で魔術師が活躍する機会も減るかも知れないわね」
今までの野戦であれば、魔力の続く限り連射できる魔術師の火力は魅力であり、マスケット銃小隊に単身で匹敵するとも言われた。また、内部への浸透も容易であり城壁を奪取する際などには、先鋒に配され騎士に護衛されながら梯子を駆け上がり制圧したり、攻城塔の上から魔術で援護するなど様々な活躍の場があった。
しかし、射程500m以上もある攻城砲の射撃に対しては対応できないだろうと考えられている。自重で崩れ落ちる城壁を土魔術の補修で補う事も難しいと考えられている。外側は石だが内部は突き固められた土で出来ているものがほとんどであり、単一の構造でなければ簡単には回復させることができないからだ。その点、土塁ならなんとでもなる。
むしろ、防御する堡塁に配置され、破壊される都度復元したり、突入される側の壕を直前で深くするなどの運用方法が考えられているという。
「攻撃するなら火薬を用いた兵器の方が簡単で数も揃えられるのなら仕方ないでしょうね。むしろ、魔術師がいるのでいない場合より戦力を必要とするという形での『抑止力』と考えた方が良いのではないかしら」
城塞は持ち運びできないが、魔術師は移動できる。攻撃を受ける城塞に腕の良い土魔術師などがいれば、防御力が強化されたのと同意であり、最初から堅牢に築かずとも防御力が底上げされる分、建設コストも安くなる。
「帝国もしばらくはサラセン対策でこちらを見る間もないでしょうし、神国はネデルの内乱で手いっぱい。あとは……」
さすがに、大使のいる目の前で「連合王国が余計な手出ししなければ王国は平和」ということを口にする事はどうかと思い、彼女も伯姪も言わずもがなで黙り込む。すると、前方から声がかかる。
「そろそろ昼食の時間となります。閣下、食堂へご案内いたします」
校長と同行の教官たちに連れられ、大使閣下と副伯閣下は学生との懇談を兼ねた昼食会へと案内されるのである。
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食堂では既に大使一行、王弟殿下、彼女と伯姪の席が用意され食事の用意も整っていた。薬師娘二人も騎士団の年季の入ったお兄さんたちに囲まれ、色々と彼女達のことを聞かれつつ仲良く話している様子が見て取れる。
「私たちの時より、うまく溶け込めているわね」
「実戦経験は騎士団の従騎士より重ねているのだから、一目置かれるくらいは当然でしょうね」
二人が入校した時期はカトリナ主従もいて、絡まれていたということもある。少々、他の同期とは距離があったと感じている。カトリナは公女であるし、彼女は男爵であるから、遠巻きにされても仕方が無かったかもしれない。
そして、ルイダンがチラチラとこちらを見ている。また、王弟殿下の周りは、やはり近衛の生徒が多く集めているようだ。
「ご無沙汰しています、閣下」
気が付くと、オラン公の末弟エンリが目の前に座っていた。やや表情から驕慢さが影を潜め、生気のある雰囲気となっている。やはり、何かに取り組んでいる時間というものは、悩む暇もなく充実した時間を過ごせているのだろうと彼女は安心する。
「マリアは元気に生活できていますでしょうか?」
「ええ。小さな子供が増えましたので、自分のことだけでなく子供たちの世話もしなければなりませんから大変そうですが、充実しているようです」
「ゲイン会でもそれなりに身の回りの事は自分でなさっていたから、リリアルの生活にも早く馴染めたようね」
「……そうですか。心配する必要はなさそうですね」
ホッとしたような、寂しいような表情をするエンリ。
「騎士学校はどうかしら」
「対等な関係というのは気持ちが良いものですね。知らず知らずのうちに、伯爵の子であるとか、公爵の弟であるとか……相手に相応の対応を求めていたことに気付きました。何一つ……自分の力ではないのに、可笑しなことです」
自意識過剰で世間知らずであった「貴公子」然としたエンリより、今の少々砕けた素の様子の方が好ましく感じる。立場は人を作ると言うが、それは、自ら努力と苦労の末に手に入れた立場でなければ、効果は半減するだろう。
生まれながらの王子であるとか、唯一の跡取りの大貴族の子弟などというのは、エンリ以上に周りが「尊い存在」と祀り上げ、何事も意のままに機先を制して取り計らってしまう。
そういう意味で、南都と王国南部の王領の当地の立て直しを思い切って王太子とその側近集団に委ねた国王陛下は、その辺りよく理解しているのだろう。父親の遺産を正も負も背負っている今代の国王は、無主の地であった王国南部を次代の国王に先ず委ねる事にしたという事だ。
大使と王弟は、貴族の子弟である近衛を中心に連合王国、特に、女王陛下の素晴らしさについて語っている。父王は散々妻を婚姻無効に追い込んだ末、処刑したりした男であり、その長女であった先の女王も、厳格な御神子教徒として父王の代に興隆した原神子教徒の新興貴族・商人を粛正したとか。
ちなみに、その反動で原神子信徒を中心とする女王の側近は、執拗に御神子教徒の『反女王派』『親神国・北王国派』を追い詰めているという。目の前の大使も強硬な原神子信徒であり、王国に住む原神子派との接触もそれなりに行い、王宮も王都の騎士団も警戒している存在だ。
「エンリ卿も、原神子信徒ですね」
「……兄もです。公爵を賜る際に、当時の皇帝陛下が『御神子』に改宗する事を条件としたため、表向きは違いますが。わが家は穏健な原神子です」
「異端審問で根こそぎされたら、それは、頑なにならざるを得ないわよね」
「王国でもそれが最も懸念される事ね」
周りの騎士達も気になるところだ。二つの宗派が争えば、この国の中でも多くの都市で内戦や騒乱が発生する。都市の商人の少なくない者が、ネデルや山国、連合王国で交流する『原神子』の考えに傾倒している。そこには、教会の偽善と、その背後に存在する王家への反抗心がある。
貴族の力が弱まり、強力な軍とその軍を維持するための収入を確保するために様々な税を王家が集めるようになったという点が不満の一つだろう。その王家の力が弱かったからこそ、連合王国の軍に蹂躙され、多くの街や村が破壊され財産を奪われ命を失った者も多くいたのだが。のど元過ぎればなんとやらで、平和になれば不満が表面にあらわれてくるという事だろう。
「王国の中で、商人がより儲かる環境が整えば、その不満も消えていくでしょうね」
「それはどういう意味ですか閣下?」
ネデルの騒乱の原因は、ネデルと関係ない戦争の費用を宗主国である神国国王がネデルの都市に課していることにある。巨大な神国の収入の半分をあの僅かな地域で支えているとも言われる。半数以上の住人が都市に住み、周辺の農村も都市との経済的な結びつきが強い。都市に作れない工房を農村に建設したり、人の交流も盛んなのだ。
つまり、ネデル全体が神国の統治に不満を持っている。
元は、自分たちで選んだはずの帝国自由都市であった場所も少なくない。直接、皇帝と契約を結び、一定の税を納める代わりに、都市の運営自体はその年の住民の自治に委ねるという関係であったはずなのだ。
それが、今の神国国王の父親の代に『神国』と『帝国』で二分し、息子と弟に領地を二分した。帝国と隣接するにもかかわらず、『神国』の飛び地となり、『帝国』で興隆した『原神子派』の活動も、熱心なサラセンとの戦争を行い続け神国から異民族を叩き出した貴族たちが統治する国の領土に組み入れられ、その貴族が『ネデル』の統治を行い始めた。
神国貴族からすれば、教会を否定する『原神子派』は悪魔の如き存在であるだろうし、ネデルの貴族・市民からすれば、なにも見返りも与えず課税を強化する神国国王とその旗下の貴族達は、契約の概念も判らない野蛮人であり狂信者であるとしか思えないだろう。
育ってきた環境が違うから、擦れ違いは否めない。が、そのような段階はとうに過ぎ、殺すか殺されるかの段階に両者は至っている。
「王国は、王家が教会も都市の住民も弁えさせた上で、『国』として纏めようと考えているわね。結局、商人は利の為に教会に抵抗しているのだし、
国が危うくなれば、商売は勿論のこと命も危険であると理解させる必要が
あるでしょう。その事を考えて……」
「ネデルの原神子教徒とも一定の協力体制を保っている。けど、それは王国が原神子派の国になるわけではないじゃない? 神国のやらかしを王国では反面教師としたうえで、否定し合うだけではない関係を王家を中心として築いていく。その為の力に私たちはなる必要がある」
「そんなところでしょうね。先ずは、騒ぎを起こそうとするものを見つけ出し、王国に騒乱を起こそうとするものを」
「早急に排除する」
「ということね。騎士団の仕事は、ますます大切になるわ。力を合わせてこの国を護っていきましょう」
彼女と伯姪の思わぬ騎士団を取り巻く環境の説明を受け、改めて王国と王都と王家を守るために力を合わせようと、彼女の周りでは大いに盛り上がっていた。そして、その様子を忌々しげに見る大使と、「へーそうなんだ」といった様子で眺める王弟殿下の姿も、多くの騎士学校生に見られていたのである。