第533話 彼女は王太子宮の噂を集める
第533話 彼女は王太子宮の噂を集める
国王陛下からの下命……実質、近衛騎士団の態のいい下請けなわけだが、ともかく、王太子宮の噂を集めることにする。
「姉さん」
「……なにかな妹ちゃん」
飛んで火にいるなんとやら。姉の夫は聖エゼル海軍提督であり、ニースの聖騎士でもある。また、社交の得意な姉は、王太子宮にまつわる噂話もそれなりに聞き入っている事だろう。
いつもは暇つぶしの相手をさせられ、実に腹立たしく思う姉の存在だが、手始めに噂を集めるには丁度良いと彼女は考えた。
「先日、王妃様にお会いしたのだけれど」
「ああ、新しい近衛騎士団長にあわされたんでしょ? 恋は芽生えそう!!」
「……」
今になって何故、王妃殿下と一緒の面会となったのか思い至る。彼女と伯姪相手の二対一のお見合いだったのだろう。
「アングレ伯は独身で婚約者もいないみたいだよ」
「そうなのね。やはり、次期公爵の補佐役だからかしら」
嫡男が万が一の場合、その後継となる子供が居なければ自身が継ぎ、いるならば中継ぎとしてギュイエ公爵となる可能性がある次男。その為、婚姻時期は遅くなり、子供も急いで設ける必要もないと考えられているのだろう。彼自身が後継ぎなく没すれば、爵位はギュイエ公爵家に戻り、次代のスペアが爵位を継ぐことになる。
王家や大公家などであれば、分家をどんどん増やすようなことをせずに血統プールをある程度適切に管理することになっているのだろう。
「できれば、自分自身で子育てしたいので、伯爵夫人というのは遠慮したいところね」
「本命はメイちゃんかもね。あの子なら伯爵夫人も問題ないでしょうし、なにより、ギュイエはニースと縁が続けば内海と外海の交易ルートを確保できるようになるからね」
ニースはサボアから山国経由の貿易ルートか王国の東部を経由するルートがメインであり、西部を通ってボルドゥから連合王国やネデルに海路で物を動かすルートは持てていない。
「公爵家は難しくても、その分家の伯爵家なら男爵令嬢でもある程度OKだろうね」
「姉さんも子爵令嬢で辺境伯家の三男坊の嫁ですものね」
「まあね。メイちゃんは王国の騎士爵持ちだし、頑張れば男爵位くらい貰えそうだから、子供に爵位継がせられるじゃない? いいよね」
アングレ伯はギュイエ家の相続分だが、男爵位を伯姪が得ていれば、自分の系統に相続させることは問題ない。可能性的には、ニース男爵家に戻る形になるだろうか。婚前に得た爵位であればその可能性もある。
「結局、妹ちゃんは当て馬だったわけだね。残念」
「……思っていないでしょう?」
それに、副伯から伯爵に陞爵前提の彼女の立場を考えると、王国の中で公爵家が嫁にしようとするのは爵位を貰い受けるという欲が見え隠れしてしまうので、王家も良い顔はしないだろう。
「王太子殿下も婚約者不在だし。あまり者同士でくっつくしかないよね」
「それはあり得ないわ。王妃様になる者が、魔物や悪党をこの手で殺し回っているのは問題でしょう?」
「何を言ってるのかな? その昔、戦士を率いる王妃様だっていたし、自ら剣や槍を手に敵を倒した人だっているじゃない」
姉の言うような存在は、伝承の存在であり、実際に軍を指揮するくらいはあったとしても、自分の手で敵を殺すような王妃はいなかったと思われる。
「とにかく、王太子殿下は王国と手を結べる国の王女様とか、適切な方がいると思うわ」
「……それはムズイね」
帝国や神国にいないことはないが、少し身分が低いか年齢差が大きい。かといって、実質元平民である法国の大公家を称する商家の娘なども嫁にするには問題がある。先王の時代、法国を巡る戦争で戦費がかさんでその様な話もでたようだが、戦後の干渉を考えると王妃となる女性は王国内の貴族の娘から選ぶことになった。
「高位貴族も王家も、嫁のもらい所が難しい時代なのだよ」
「なら、私が独身でも問題ないわよね」
「そうだね!! 私が五六人産んで、リリアル伯爵家に養子に出して上げるように頑張るよ!!」
「ええ、ぜひ頑張ってちょうだい。まず、最初の一人目からお願いするわね」
いまだ第一子が生まれていない姉であるので、先のことよりまず目先のことを大切にしてもらいたい。
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余計な事を話して話題が大いにそれてしまったが、彼女は姉に聞きたかった『王太子宮』もしくは『修道騎士団本部』にまつわる噂に関して話題を振ることにした。
「陛下と近衛から受けた依頼なのだけれども……」
端的になにか不穏な噂が無いかと聞いてみることにした。
「ないわけないじゃない、あんな不気味な建物」
と、かなりバッサリ噂があることを告げられる。王都に住んでいたものの、社交をするわけでもなく、家と薬師ギルド程度しか行くこともなかった彼女からすれば、王都の噂話など聞く機会は家族くらいしかいない。姉や母にとっては既知のことであったとしても、その当時幼い妹に敢えて話すような話でもなかったからだろう。彼女は子爵家でこの手の話を聞いたことが無かった。
「王都に限らず、都市から少し離れた場所に『修道院』や『墓地』が設けられるってのは、どこにでもあることでしょ? あの場所は最初の頃は王都の外で、尚且つ、沼地であったものを修道騎士団が買い取って埋め立てて今のような形にしたんだよね」
その沼には、恐ろしい怪物が住んでいたらしい。もしかして……ガルギエムではないだろうかと彼女は思い至る。
「蛙の化け物だったみたい」
「……蛙……」
どうやら竜ではないらしい。それに、ルーンの司教が討伐したのだから、時代が少々異なる。
「それで、最初からある古い塔と礼拝堂は、修道騎士団が城塞を建てる前からある元々の修道院施設で、今の聖母教会堂とは別の時代に建てられているんだよね。以前の修道士たちを追い出して自分たちの拠点にしたとかなんとかで、因縁があるというはなしもあるんだよ」
「まさか……」
「まあ、穏便に別の場所の修道院に移ってもらったと言われているけど……ね」
思わせぶりな姉の言い回しだが、古い事ゆえに根拠のない想像での話の可能性が高いだろう。
「楼門塔は、外周から見える大きな建物なんだけどさ、ここも時代によって監獄として使われていたとか、拷問部屋があっただとか、それに病院として利用されていた区画もあるからね。その窓に、死霊がみえるとか……そんな噂があるね」
光の加減でガラスに映る影が歪んだ人の顔のように見えることもある。それが『死霊』に見えたという可能性もある。しかしながら、楼門塔は出入りする門を近衛と衛士が数人で警固しているだけで、建物全体は利用されていない無人の施設となっている。
そもそも、『本部』自体が独立した城塞として建設されたのだが、『賢明王』の時代の王都の拡張工事により、王都の内部に組み込まれてしまったためにそのような事になっている。防御施設としての意味が希薄化しているのだ。
実際、現在使われているのは、騎士団総長や本部長が起居していた庭園を持つ城館部分だけが王太子宮として使用されており、また、ブドウ畑なども元々整備されていた関係から、そのまま畑として使用されている区画はそのまま王家用の畑として使用され、管理されている。都市が包囲された場合、ある程度自給できるように内部に畑を有している城塞都市も少なくない。その用地として現在も利用されているのだ。
「それに、一番の噂は大塔だね」
「……大塔……ずっと封鎖されているのではないのかしら」
「ふふ、だからこそだよ。あれって、すっごく高い建物じゃない?」
大塔は高さ40mはある、王宮より高い建物であり、総長の居室とされた上階は王の居室を見下ろせるように作ったと噂されている。当時の王家は『ルテシア伯』程度の勢力であり、王国は勿論のこと、帝国・法国・神国にまで拠点を有する大国に匹敵する財力と戦力を有する『修道騎士団』の威勢は王家をしのぐものでもあった。
何しろ、尊厳王以前において、王家の財産管理を『修道騎士団王都本部』に丸投げするほどであったのだから。この大塔も『王家の金庫』となる構造物が納められているのだ。
「その大塔の尖塔の上に、羽の生えた人が見えるんだってさ」
「随分と視力が良い人が見たのね」
「疑ってるな!! まあ、噂だから私も実は半信半疑なんだよね。そんな
ところに立って、何してるのかわからないしね。ガーゴイルじゃあるまいし」
ガーゴイルは『ガルギエム』を語源とするもので、「吐き出す者」の意味の通り雨樋の機能をもつ怪物などをかたどった彫刻のことだ。猿や山羊のような頭に矮躯に羽をもつ魔物のような姿の彫刻が少なくない。
他にも、獅子や守護天使の像の形をとることもあるが、多くは怪物の姿をとる。あまり、見ていて気持ちの良いものではない。
「それこそ、ガーゴイルの見間違えではないのかしら」
「でもさ、動いていたって。こう……塔の屋根の上をさ」
止まっている物が動いているように錯覚で見えることもある。とはいえ、尖塔の上を歩き回るのは勘弁してもらいたい。自分がそこに立つことを考えると、余り嬉しい事ではないからだ。調査しないで済むに越したことはない。
「それと」
「まだあるのかしら」
そろそろお腹いっぱいなのだけれどと彼女は思っていたのだが、姉はここからが本番くらいの勢いで話を始める。
「大聖堂みたいな教会堂は特に何もないんだけどさ、働いている人たちからすると、やっぱ納骨堂が怖いみたい」
「怖い? 白骨が転がっているからかしら」
王都も『枯黒病』が流行った時代、百年戦争の前半に関しては人口が半減するほどの被害が出た。既に修道騎士団は無く、この王都本部跡である城塞も王家の所有するところとなっていたはずだ。
「その頃、不幸な出来事があって納骨堂に曰くが生まれたみたい」
「曰くとは何かしら」
「あの時代、王都の街中に狼の群れが住み着いて、人を襲ったって記録、妹ちゃん読んだことない?」
百年戦争の時代、王都は王家が離脱したり、一時連合王国側について支配下に収まったり、また、内部で勢力争いが起こり市民の集団間で殺し合いが起こるほど乱れていた。
狼が群れを成して王都をうろついていたのは、救国の聖女が現れ、王が再び王都に戻る少し前の時代であったと記録されている。その『人喰い狼』の群れが現れ、街区ごとに道には門を築いて行き来が簡単にできないように街を半ば封鎖するようにしたのだという。
「最後は、大聖堂所属の聖騎士団が武装して追い込み、大聖堂前の広場に誘い込んで皆殺しにしたって。けどさ、狼が王都で暴れ回るってさおかしくない?」
「おかしくないわけはないけど。何かに使役されていた。あるいは、使い魔の類」
狼やネズミ、蝙蝠を使役するのは吸血鬼の系統の魔物であろう。つまり、枯黒病の流行、王家の不在、そして人々の不和に付け込んだ騒乱の拡大。挙句の果てに、自分の使役する『魔狼』の群れを王都に解き放ち、乱れるがままにさせた。その存在が、『修道騎士団王都本部』の『納骨堂』に潜んでいる可能性がある。
王都地下墳墓のスペクターやジスの城塞にあらわれたワイトも、元をたどればここに行きつく可能性がある。
いままで、臭いものには蓋をしてきた王都だが、新たな王都の拡張、新しい宮殿建設にあたり、古いものを一掃する必要があるのかもしれない。
「古い文献や資料でもう少し詳しく調べる必要がありそうね」
「実家の書庫か、あるいは婆様に聴くかかな」
恐らく、彼女の祖母はその辺り姉より詳しくはないだろう。雑多な不思議話のようなものに関心を持つとは思えないからだ。百年戦争の時代の先祖の手記などの方がその辺りの情報を残している可能性がある。
そして、意外とゴシップ好きな父にも聞いてみる必要があるかも知れない。無駄な話も潤滑油だよと、喜んで話を聞き、また話をするかの父親なら姉の知らない古い噂話を知っている可能性がある。
「父さんに話を聞いてみようかしら」
「そうだね。たまにはゆっくり実家で話すと良いと思うよ」
今回姉は実家に立ち寄らず、また商用で出かけるらしい。実家に顔を出す頻度が下がっているのは『孫はまだか』と言われるのが億劫らしい。
「姉さんと次はぜひ一緒に行きたいわね」
姉は珍しく嫌そうな顔をして「え、遠慮しとくよー」といって去っていった。
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数日後、事前に相談事があると実家に先触れを出した上で、彼女は実家を訪ねることにした。
父と母と彼女の三人でゆっくりと夕食を共にし、食後のお茶をした後、彼女は父親と今回の依頼の件について話をする事にした。長らく王都を護る子爵として仕事を務めてきた家の当主である父には、何か旧修道騎士団絡みで思い当たる不審な点が無いかと話を聞きたかったのだ。
「率直に言って、今の時点では何もないのだよ」
父である子爵が彼女に結論を伝える。しかし、言い回しからすると『今の時点』でなければ何かあったということなのだろうと彼女は推測した。
「では、いつの時点なら何かあったのでしょうか」
「それは、修道騎士団の異端告発からしばらくの間だね」
異端とされるには、相応の根拠があったのだと父は推測しているのだという。
「全部の王国内の修道騎士団本部・支部が一斉に捜索され、騎士やその関係者が拘束された。国内の数百か所の拠点を人員を割いて一斉に捜査するくらいなのだから、大いに問題が存在したと推測するのが正しい」
そして、これは推測に推測を重ねた私見だがと断り、次のような話を続ける。
「私は、修道騎士団の幹部が王国に『吸血鬼』を持ち込もうとした……いや、正確には修道騎士団ごと吸血鬼の支配下に収まり、再度聖征を実行しようと考えていたのではないかと推測しているのだよ」
異端についての調査を行い、『修道騎士団』を異端だと告発した根拠の中に、一連の儀式が行われていたという報告が複数記録されているのだという。
「恐らく、騎士団員を吸血鬼化する儀式が行われていた供述だと思われる。外側だけまねたものが大半だが、一部の幹部は死人を吸血鬼化していた可能性が高い。もっとも、処刑された総長や王都管区長らは異なっていたようだが」
確かに、修道騎士団の幹部の中で捕縛されなかった者、捕縛されたがその後釈放された者たちがいた。その中に、あるいは吸血鬼化した修道騎士団員が存在したのかもしれないと彼女は考えていた。