第523話 彼女は養殖池をリリアルで試す
第523話 彼女は養殖池をリリアルで試す
「へぇー 王都にその昔住んでいた竜がねぇ」
「ええ、間違いないわ。伝承に残る聖ロマンの付けた聖印があったもの」
ガルギエムは、王都を出る際に再び御神子教徒と争わないよう、聖ロマンから『聖印』を授けられたのだという。十字の後ろに輪のついた古い時代の聖印に見えた。
王国では『聖パトリキウス十字』と呼ばれるものである。
女神だけではなく竜も存在したこと、そしてその竜と誼を通じ、秋には祭りを開き、林檎を植林し魚を養殖するという話は……一期生の段階までで留める事にした。今はワスティンの奥にある湖まで辿り着ける冒険者や旅人はほぼいないものの、この先、うっかり足を運んで竜に殺される者が現れないとも限らない。
「ブレリア様の祝福があれば問題ないのだけれど」
「まあ、お祀りで顔見世して、知り合いになればリリアルの子達には問題ないでしょうし楽しみだわ。それと、新型魔導船の試乗には渡海組は全員参加よね当然」
伯姪は、そう遠からぬ時期に竜と会う算段をしているようである。
「ガルギエムね……」
「ふふ、似ていたわよ。大聖堂のお姿に」
「そうなのね。模写の模写のそのまた模写でしょうけれどね」
版画がないではないが、原本を見て絵の上手な修道士などが写し取るため、伝えられる写本の絵の出来はそれなりに変化してしまう。
「今まで見た二体と比べれば、美しく知的な存在に感じたわね」
「ああ……やっぱり、人間に忘れられたり、祀っていた人たちが殺されたり追い払われると、悪い存在になるのかもしれないわね」
『悪霊』が影響を与えるのだろうか。精霊に人の悪霊が憑りつき魔物と化すと考えられていることからすれば、自らを守ってくれなかった『水』の精霊に対して恨みを持つことで、水の精霊に悪霊が憑りつき『悪竜』となったのかもしれない。
「そう考えると、ルテシアの先住民はどうなったのかしらね」
「王都のある場所って元々聖地だったんでしょ? それが御神子教の大聖堂に置き換わったとか……じゃないかしらね」
「なら、住民も御神子教を受け入れてガルギエム様と手を切ったということなのかしら」
今まで守護してきた民から手を切られ、司教に説得されてルテシアの地を離れたと考えると、あの人寂しい感傷的な雰囲気も頷けるだろうか。
そんな話をしつつ、湖に名前が無い事が気になる。
「場所の名前も決めておいた方が話が進めやすいじゃない?」
「ガルギエム湖は……言いにくいわね」
そのものズバリ過ぎるというのも問題である。
「略して……エム湖はどうかしら?」
「言いやすいわね。それにしましょう」
「エム湖祭り……楽しみ」
赤目銀髪がぼそりと口にする。いたんかい。
エム湖で養殖を進める前に、リリアルのそばを流れる水路で実験を進める事にしていた。林檎の苗木に続き、村長の孫娘主導で話が進んでいく。川の魚はそれぞれの領主の私有財産扱いであるらしく、川で勝手に捕まえることは出来ないのだという。
「なので、荒れ地に川の水を引いて池を作るんです。こう、段々になるようにして、水が流れるようにですね……」
略図を描きながら、孫娘が説明をしていく。育った魚が逃げないように水の流れ出る場所には柵と網で囲い、上から流れてきた小さい魚が池で育った場合、逃げ出せないようにしておくのだという。
「あんまり浅いと、魚が鳥に食べられちゃいますし」
「鳥が魚を食べに来るなら、魔装銃の的にして肉は夕食にすればいい」
「「「天才か!」」」
国王陛下も大きな養殖池を旧都近くと王都の下流域に持っている。他には、修道院が持つところも少なくない。
「魚の餌になるものってなんだろうね」
「「「……」」」
カワカマスなら他の小さな魚で共食いもするくらいであるし、ニゴイは川底に住む貝や虫などを食べるので、貝や虫が増える養分を与えるくらいしかないかもしれない。
「森が近いし、豊かな森なら養分も多いでしょう? 貝も虫も育つわよ」
「じゃあ、早速池作りの場所を選定に入りましょう! カワカマスは美味しいわよね」
ニースは海の幸に恵まれているが、少し山に近い場所ではカワカマスも湖などでとれるので、食べる機会は少なくないのだという。
「南都は川魚料理で有名でしょうし、リリアル領もそうなるといいわね」
そういえば、南都周辺で王太子領は魚の養殖など手掛けているのだろうか。機会があれば、視察をさせてもらえると有難いと思うのである。
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調べたところによると、『エム湖』程度の広さの養殖池は大きいサイズだが割とある存在であるという。とはいえ、エム湖はかなり水深が深い。少し湖岸を造成して、浅い場所を作った方が稚魚の育成には良い可能性がある。
「夢が広がるわね」
『土魔術最強かよ』
『魔剣』に言われる迄もなく、土魔術はとても便利なのだ。出来れば、『水』の精霊の祝福を得たので、その魔術も磨いてみたいものである。
学院を廻る濠に至る水源から水を引き、養殖池を通って濠に水が流れ込むように手を加えようと考えている。責任者は……村長の孫娘。というよりも、彼女達を始め、貴族の子弟や王都育ちの孤児には養殖池の何たるかを知るよすがが無い。
「池を作るのが大変なだけなので、後はそんなに難しくないと思います」
土の精霊の加護のある二人がいるので、作業自体は簡単に終わるのだという。
「水を溜めて、魚が隠れる事ができる水草なんかが必要です。そこに餌になる虫なんかも生まれやすくなりますし、卵も産みやすくなるんです」
という感じで、池づくりは何となくやらなければならないことが理解できてくる。
「水を溜めて、ある程度池としての環境が整うまでは魚を放しても生け簀にしかならないということね」
「はい。餌も豊富になりませんし、土で出来た大きな盥みたいなものですから」
「ふーん、結構大変なんだね」
「……姉さん。今日は何しに来たのかしら……」
池づくりに没頭していた彼女の前に、いつもの如く姉が突然現れる。
「え、ほら、妹ちゃんの領都開発に協力しようと思ってさ」
そう言えば、姉が勝手にそんなことを話していたような気がする。林檎の木を植えたのち、実が生るようになるまで数年はかかるだろう。とはいえ、あの池の周りで「竜」がいるにもかかわらず、林檎の木を傷めつけるような魔物や動物は現れないであろうから、順調に生育するのではないかと想像する。
「今考えているのは、林檎の木を植えてシードルや蒸留酒を作ることかしらね」
「ふーん。魔物が多い場所だから、暫くは駆除が優先だもんね。その為に、領都の整備は早い方が良いと思うよ」
人の往来が増えれば、魔物の討伐も進む事になる。今はワスティンの森を避け遠回りするしかない者も少なくない。街ができ、街道が整備され、魔物が駆除されれば領内に落ちる金も増える事になるだろう。
「一先ず、城塞とその周りを防塁で囲んで教会と酒場兼宿、それと鍛冶屋くらいは置かなければならないわね」
加えて、馬の世話ができる厩も必要となる。
「教会には施療院をつけたいね。魔物に襲われたりしたときに、必要じゃない?」
「それならギルドの出張所がいいわよ。ポーションの販売委託しておけば危急の時には購入すればいいでしょう?」
「妹ちゃん」
「……何かしら姉さん」
「ポーションはね、庶民にはかなりお高いから難しいよ」
気軽に生産しているポーションだが、世間一般ではかなりお高い。安くなったとはいえ、金貨一枚程度はするのだ。
すっかりリリアル基準となっているので、忘れている。普通に傷薬の生産を行い、ギルドに卸さねばならないだろう。薬師を常に抱えているリリアルにとっては、さしたる問題ではない。
「それで、あのボロッちい城塞はどうだったの?」
「石造りの構造物だけは補修して使えそうなのだけれど、城館としては使い勝手が悪そうね。王都のリリアルの塔が完成してから、追々考えるつもりよ」
「あ、水車小屋とかそういうのも必要だよね」
「必要なら、リリアルの工房に依頼するから大丈夫よ」
何事も自給自足できるのがリリアルの強みでもある。
姉は根掘り葉掘りワスティンの森のことを聞きたがっているのだが、泉の女神『ブレリア』と『ガルギエム』に関して、彼女は決して話さなかった。何故なら、姉がしゃしゃり出てきて色々かき回されかねないからである。
少なくとも最初の『祭り』までは秘匿するつもりである。お祭り大好き女である姉が、どこからともなく嗅ぎつけて登場するまでは……である。
「それにしても、魚の養殖ね。王様に対抗して?」
王の生簀は貴族の間では有名である。大きな領地を持つ貴族の中にも養殖を得意とする者も少なくない。例えば、カトリナの実家のギュイエ公爵家もボルデュの南の辺りで養殖を営んでいると聞く。
「対抗ではないわ。名物づくりよ」
「それはいいね!! 魚のすり身団子入りのスープとか美味しいよね。下ごしらえが適当だと、骨が残っていて大変だけどさ☆」
貴族に仕える料理人であれば進退どころか生死にかかわる問題なのでその様な恐れはない。問題なのは、姉が作った適当料理の被害者である、義兄ギャランである。
「義兄さんが心が広い方で良かったわね」
「そうそう。何作っても『美味しい』って言われるからね。それで最後には、『もうこれ以上作らないでください』ってお願いするんだよ。遠慮深いにも程があるよね」
姉、完璧超人かと思っていたが、まさかのメシマズ嫁であったらしい。貴族の子女が料理する事自体レアなので、今まで気が付かれなかったのだろう。料理は、おおざっぱな性格の人間は向いているとは言い難い。
小骨……大量に残っていたに違いない。大雑把に取り除いたとしても、小骨は良く叩いてすり身と一緒に潰して、最後にすり身を団子状にコネてから油で軽く上げておけば骨もカリカリになるだろうに。
『クネル』なる帝国風煮込み料理を作るには、魚のすり身の他に、卵・乳・小麦粉が必要となる。卵を取るために養鶏、また乳を取るためには牛か山羊を飼う必要があるだろうか。それは、生簀が成功してからのお楽しみである。
まずは、リリアルで実際に牛と山羊の採乳を試してみようか。
「それなら、東の村でも養殖試してみてもいいわね」
「養鶏の目途が付き次第という感じかしら」
東の村とは、副伯となりいくつか拝領した領村の一つであり、その昔、人攫いに協力していた住人の住む村である。村役人は公開処刑、住人は全員犯罪奴隷と化していたが、今回女子供は刑期終了となり、また、男衆は奴隷身分ながら家族とともに村で生活することを許された。
小麦と蕎麦の二毛作を進める事にしたが、養鶏による卵の生産も並行して進めている。前者が男衆メインであり、後者は女子供年寄りの仕事であると考えている。
鶏舎は端的に土魔術で作った土壁の小屋に、簡単に屋根を葺いたものを与えている。
「あの犯罪村も、妹ちゃんのお陰で王国民に復帰できたわけだから、多少は感謝されているのかな」
「今は恨まれているのではないかしらね。反省はしているでしょうけれど、あの手の人間は『俺は悪くない、村長が悪い』くらいは思っているでしょう?」
村長ら村役人は処刑されているのだが、協力した村人、特に成人男子は十年ほどの犯罪奴隷となっている。王都近郊でのいわゆる力仕事に従事させられているのだが、本来なら鉱山行でもおかしくないのだ。彼女と王家の厚情で死なずに済むように配慮されており、身分は奴隷のままだが、村での生活を取り戻す事ができたのであるから、かなり甘いというのにだ。
「それで次やらかしたら、堂々と処刑できるってもんでしょう?」
「次は、女子供年寄りが止めるわよ。あの頃よりずっと、リリアルの名は大きくなっているのですもの。顔に泥を塗られたら、必ず厳罰に処されるようにするでしょうね」
姉と伯姪はやはりハードモードである。彼女は、家族との生活を取り戻した人間が、その環境を二度と失いたくないと考える気持ちを信じる事にしている。手に入れた物を失うというのは、とても大きな喪失感を感じるからである。
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数日の後、養殖池(仮)が完成し、一先ず水を流し込み水草や葦が生えるのをある程度待つことにする。湖底はある程度魔術で固め、水が浸透しにくいようにしてあることもあり、流れ込んだ土砂がある程度堆積してもらう必要もあるのだ。
「結構広いわね」
「そうね。年少組が落ちて溺れないか心配ね」
「なら、ここで夏場は水練させましょうか?」
管理するのは村長の孫娘が当面果たす事になる。長期的には卒業すれば実家に戻るので、誰か別の人間に委ねる必要もある。一期生薬師組のだれかか、二期三期の年長組から選ぶことになるだろうか。
「おお、こっちも完成したのか」
見ると、老土夫と癖毛が現れた。
「新型の魔導船、完成したぞ。一先ず試運転はしてみた。漏水などの問題はないので、広い場所で実際動かしてみてもらいたいのだ」
「折角だから、エム湖に持ち込もう。他の冒険者組にも顔合わせさせた方がいいだろ?」
「おお、儂も行くぞ」
「当然だろ」
老土夫は「竜」の住まう場所である湖の話を癖毛から聞き、一度是非会いたいというのである。土夫は……水の精霊の加護は貰えないだろうなと、彼女は内心思うのである。