第514話 彼女は魔銀のスティレットを試みる
第514話 彼女は魔銀のスティレットを試みる
騎士学校が休みの週末。学院には薬師娘とエンリ主従がやってきている。
彼女は、様々な準備を進めていくため、毎週渡海メンバーと顔合わせをして、打ち合わせをする事にしていた。
部屋に集まったのは、渡海する六人。少し先の話ではあるが、見知らぬ敵地に僅か六人で乗り込む。十分な準備が必要だ。
「今日は、渡したいものがあります」
目の前に差し出されたのは、刺突短剣。
「『慈悲の剣』ですか」
騎士になる為学んでいる灰目藍髪の女性が、短剣を見て呟く。
「この短剣、随分と細いです」
「それはね、切るための刃じゃなくて突き刺すための刃だからね」
一人の疑問に、副院長が答える。彼女の母国では、騎士の嗜みとしてだけでなく、市民や剣を持つ身分でない者も護身用として持ち歩く者が増えているという。
本来、『スティレット』と呼ばれる短剣は、護身用の短剣であり、生活道具にもなるダガーを細身にしたものから始まったものと考えられる。メイルと呼ばれる金属のリングを組み合わせた鎧は、剣で切裂く打撃には強かったが、リングを突き刺す槍の刺突には弱く、リングを押し広げて貫いたり、細身の鏃がリングを抜けてしまい、体にダメージを与えることも多かった。
倒した騎士に止めを刺すには、錐のような刃の短剣で鎧を避けるように突き刺す必要があったということもある。
板金鎧が出てきた後においても、鎧の隙間であったり、板金で覆うことのできない腕の付け根などにあるチェーンの部分を貫く刃はやはり有効であった。
加えて、細い刃は短剣を目立たせる事なく、腕や胴に隠す事も容易であり、『暗器』としての用途も使用可能であった。法国の諸都市において、この形の刃を持つ短剣を用いた殺人事件、暗殺が横行し、都市によっては街の中で携行することを禁ずる場所が多かったが、守る者は少ないとも聞く。
「魔銀の刃は魔力を多く持つ者が装備し、皆さんには魔銀鍍金の刃を持つ聖鉄製の刃のものをお渡しすることになるわね」
「私たちは、魔力を剣に乗せて飛ばせるからね。魔銀の刃の方が良いの。それに、魔銀の刃で魔力を通さずに受けると、簡単に折れるしね」
刺突用の短剣は、突き刺すには申し分ないが、それでも骨に当たれば剣先が折れたり欠けたりする。勿論、剣や槍をその剣身で受ければ、簡単に折れてしまう。少しでも強度を上げるために、聖鉄製にしたということだろう。
「私たちのは魔銀製の刃にしたのだけれど、『飛燕』を飛ばすには、魔力を込めやすい魔銀の刃にしなければならないのよね」
片手剣ほどの表面積があれば、表面だけに魔力を纏わせても魔力の斬撃を飛ばす事ができるのだが、針か錐の如き刃の短剣では、表面に魔力を纏わせるとしても限界がある。中まで魔力を纏わせて振るい、なんとか発動できるようになるのだ。
「魔力纏いだけで斬れますでしょうか?」
灰目藍髪は、そのか細い刃を見ながら不安気に呟く。
「いつものようにはいかないでしょう。剣や鎧を切り裂くのは無理だと思えばいいわ。その代わり、魔力の消費量がかなり少なくなるので、受け流したり、突き刺す分には、かなりの威力があるの」
少ない魔力量しか纏えないという事は、消費量が少ないというメリットもある。本来、剣を受け止めるような使い方のできない刺突短剣で剣を受け止めたり、プレートごと体を貫くような攻撃を行えれば、相手の警戒度は格段に上昇するだろう。
言い換えれば、自分たちの選択の幅も増える事になる。
「あくまで隠し武器・予備の装備と考えてちょうだい。実際、全員に魔法袋を持たせたいのだけれど……」
「魔力的に無理でしょ?」
魔法袋は、恒常的に魔力を取り込んでいくので、魔力量の少ない今回の彼女以外の渡海メンバーには扱えない。魔力を魔法袋に廻した結果、魔装が使えなければ本末転倒でもある。
「つまり、先生と合流するまで、この短剣を上手に使って持ちこたえる……ってことですね」
「その通りよ。皆の装備は、私が預かることになるから、それまで、自分の力で切り抜けて欲しいの。それができるメンバーを選んでいるつもり」
気まずいのは唯一の二期生『赤目のルミリ』である。
「あ、あなたは私か院長にくっついていればいいから」
「あ、安心いたしましたわ」
「それと、彼の国の言葉の分かるあなたは切り札でもあるから、その事を私が良いというまで知られないように努めなさい」
「しょ、承知いたしましたわ」
少し前まで、連合王国と付き合いのある商人の娘であったルミリは、子供の頃から、読み書き計算に連合王国語を学ばされていた。相手が、彼女達が自分たちの言葉が分からないと考え、目の前でペラペラ話してくれると大変助かるのだ。
「責任重大ね」
「あまりプレッシャーをかけるものではないわ」
揶揄うように声を掛ける碧目金髪に、灰目藍髪が窘める。
「成長を促進するには、そういう圧も大切なんだよ。ほんとだよ!」
「……確かに。リリアルの活動は、そういう刺激に事欠きません」
その点は、窘めた灰目藍髪も同意する。
「ほんと、今回は逃げ道なし、周りは全員敵国人ってところにたった六人で乗り込むんだから、楽しみでしょうがないわ」
「……それはどうかと思うわよ……」
伯姪は危険を楽しみたいようだが、彼女の心配性は一層加速する事になる。
王太子宮の調査に、リリアル塔の建築、ワスティンの修練場の整備に、二期生三期生の育成、連合王国についての調査と準備……そして、副伯としての社交に中等孤児院の監督……留まるところを知らない仕事量である。
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「珍しい武器と言えば、先ずは使ってみて、模擬戦でしょう!!」
「何故そうなるのかしら……」
中庭ではなく、射撃練習場の一角でこっそりと六人は使いでを試すことにした。冒険者組も、新しい装備には興味津々であろうが、渡海組以外にスティレットを支給するつもりもなく、また使用する機会があるとは思えなかったという事もある。
「初めて使うのだけれど、誰か、使ったことのある人はいるのかしら」
経験者は伯姪と茶目栗毛。伯姪が意外である。
「騎士の嗜み的な部分もあるのよね。止めを刺す時に使うから」
というのが、経験者としての模範解答であるが、お忍びで一人ニースの街を歩き回る際、隠し武器として持ち歩いたこともあるからだというのは言わぬが華であろうか。
「見えないように、こんな感じで持ちます」
逆手に持ち、柄を握り込んだ状態で刃を腕で正面から隠すように構える。
「一見、素手だと思わせるのでしょうか」
「スティレットだと、斬りつけられないからあまり意味がないけれどね」
刃のあるバゼラードなのであれば、組技に持ち込んで腕や首などを切裂くときには、このような構えを取るのだという。腕を絡ませたら、短剣で切裂かれた……ということになる。刺突短剣ではそうならないが。
魔装の胴衣、そして、右手にスティレット、左手には魔装布を巻きつけている。
「剣などを受け止めたり、受け流す際に、マントやフードを左手に巻き盾代わりにする方法もあります。刺突には余り有効ではありませんが」
灰目藍髪は熱心に頷く。平服の剣技には、片手剣とマントを駆使する操法もある。目くらましや盾代わりにマントを使用するのは、ごく当たり前のことなのだろう。
「騎士服なら短めの物でもマントを用意させましょう」
「魔装布製ならなお良しね」
連合王国に向かう準備がまた一つ増える。とはいえ、今後のリリアルの活動においても、魔装の飾りマントは悪い装備ではない。護衛や平服での警護任務に、剣だけというのは少々心許ない。
距離を取り、布を巻きつけた腕を前に、牽制しつつ、円を描くように対峙する二人。やはり、ダガーサイズでは、不意打ち接近戦でないと簡単には戦えないという事なのだろう。
「剣相手の方が容易ですよ」
「……そうなの……」
剣を振り下ろす手を剣先を躱して絡めとり、ダガーと手で相手の手首を極めるような動きをするのだという。
「……そもそも、振り下ろす剣の動きに合わせて躱したあとに、手首を極めるとか無理だよぉ」
碧目金髪が弱音を吐く。刺突であれば、スティレットで剣先をいなす程度のことは出来るかもしれない。刃の部分ではなく、鍔の部分を用いてではあるが。
結局、スティレット同士の模擬戦では、ただの格闘術となり、あまり意味がなかった。とはいえ、抑え込んだ後、刺突剣を突き刺す部位の確認を茶目栗毛が見本として見せたので、それは参考になった。
「肺、心臓、脇腹の後ろにある腎臓ね」
「どれも人体の急所です。とくに腎臓は骨で守られていないので容易に突き刺せます。背中から心臓というのも悪くありませんが、骨を上手く避ける必要はあります」
「首ではダメなの?」
物騒な話だが、実際、剣を使う時は首を狙う。
「上手く血管が切れなければ意味がありません。ならば、目や耳の穴から脳を直接破壊する方が良いでしょう」
「……あまり考えたくありませんね。どこが慈悲の剣なんでしょうか」
騎士を目指す灰目藍髪的には、イメージギャップなのだろう。
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代わって灰目藍髪の片手剣に茶目栗毛がスティレットで対抗する。
「実際の状況はこれよね」
「こちらが使う時は、暗殺か奇襲になるのかしら」
狭い場所で、相手に気づかれずに殺傷するには、スティレットは有効な武器となるが、護衛や討伐任務ではあまり役に立たない。刺突故に傷が目立たず、出血も切り傷より少なくて済むスティレットは暗器なのだ。
剣を突き出すように構える灰目藍髪。振り下ろせば受止められると考え、突き出すか、下から切り上げる受止めにくい構えをするのは、先ほどの会話を承知してのことだろう。
「!!」
首元を狙った刺突を、軽く左腕で逸らされ、そのまま胸元にスティレットを叩きつけられる。
「ぐっ」
茶目栗毛は魔力を通しておらず、魔装の胴衣越しに鈍い打撃が伝わったのみではあるが、鳩尾に決まったため、思わず呼吸が困難となる。
「という感じですね」
「私好みだわ」
伯姪は、バックラーで剣先を逸らし、短い片手曲剣で相手を切り裂く戦い方を得意とする。得物の長さこそ違えども、その戦い方には共通点がある。
「反対に、暗殺者対策としても、この武器にある程度習熟する必要があります」
「確かに。隠されたり、背後から背中を突き刺されたりしそうです……」
灰目藍髪の提案に、碧目金髪も同意する。
「わ、わたくしもでしょうか……」
赤目のルミリがおずおずと質問する。そもそも、この一年の間、余り武器の鍛錬をしている事は無かった。薬師組系使用人枠で仕事を覚えて来たからでもあるが、そうもいっていられないのが現状だ。自分の命は、自分で守ってもらわなければならない。
リリアルで連合王国の言葉が使える魔術師は希少なのだ。
「護身は使用人や侍女でも必須よ。まだ諦める時間ではないわ」
「そうそう。ダンスのつもりで覚えればいいから」
「……そんな激しい動きのダンスがあるとは存じませんでしたわ……」
リリアルの二大巨頭に命じられて、リリアル生が否と言える余地は少ない。代わりがいれば良いのだが、言語の習得はそれなりの時間がかかる。また、幼い少女であるならなおさらである。
ルミリは伯姪に相手をして貰い、スティレットの扱いの手ほどきを受けている。碧目金髪は灰目藍髪と向かい合い、刺突とその回避・受けを繰り返す。
「先生、どうしましたか」
茶目栗毛が魔銀製の刃を持つ彼女用のスティレットを持ち何か考察している様子を見て声を掛ける。
「魔力壁を展開してもらえるかしら」
「……承知しました」
彼女は茶目栗毛が魔力壁を展開したのを確認し、スティレットに魔力を通す。そして……
『飛燕』
スティレットを振るい、魔力の刃を魔力壁に叩きつける。
Barinn!!
魔力壁は砕け、魔力の勝る彼女の飛燕が茶目栗毛に命中しそうになるものの、当然回避する。
「魔力の消費量が少なく、収束された魔力『針』が飛ばせるわね」
スティレットは錐のような形をしており、その先端に魔力を集めて飛ばすことで、貫徹力が並の刃を持つ剣を用いるより高まるようだと推論できる。
「魔力の消費量が少なくて威力が高いとか……お得な装備ね」
伯姪も『飛燕』を使う。加えて、魔力量の問題で二発が精々なのだが、消費量が少なければ、数倍放てるかもしれない。
ちなみに、魔銀鍍金製では魔力量が纏まらず、技自体が発動しなかったことも確認できたのである。