第511話 彼女は『慈悲の剣』を知る
第511話 彼女は『慈悲の剣』を知る
「というわけなんだよ妹ちゃん」
「……なにがというわけなのかしら、姉さん」
姉が何やら言い出しているのは、連合王国のウォレス大使がルリリア商会に取引を求めてきたという話である。姉の商会とは関係ないのだが。
「あ、それは、王妃様御用達の商会から商品を連合王国の大使が直接買うわけにはいかないじゃない? なので、ちょろっと仲介料を貰って、ニース商会経由で出す事になるのだよ」
王侯貴族と取引のある商会は、誰とでも取引するわけにはいかない。王妃様と女王様を両方顧客にするというのは、双方からよく思われないからだ。幸い、ニース商会は半ば王国から独立しているニース辺境伯の家のものであるから、その辺は多少融通が利くというところだろうか。
「うちも、教皇様の聖騎士だから、異端の女王に物売るのはまずいんだけどね。身を切られるような思いだよ!!」
斬られているのは、相手の財布の中身であると思う。
「でも意外ね。ルリリア商会の商品をどこで知ったのかしら」
「なんでも、帝国の原神子派貴族からの進物らしいよ」
確かに、帝国に向かった際に幾つかサンプルを商業ギルドに委託した記憶があるし、ビータの実家の商会にも渡したのであったと記憶している。
「まあ、ト・ワレも蒸留酒も今は品薄だから、王妃様のお気持ち次第で商品を提供しているのね。だから、ルリリアからは絶対出せないんだよ」
「なら、ニース商会はどこから仕入れた事にしたのよ」
「実家コネ枠だね」
元々、姉の仕入れた商品をルリリア商会=子爵夫人の名前で販売している商会なので、なんのことはないのだが。
「ニース商会なら、連合王国にも受けて立つだけの力があるし」
「そうなの?」
「お爺様を連合王国に派遣すると脅すよ☆」
多分、親善大使という名の鬼教官がリンデに現れ、騎士や武名のある貴族当主たちが戦慄することになるだろう。
「あの方の武名はそれほどなのね」
「まあ、引退したのは名ばかりの実質現役だからね。
法国戦争で活躍した功績で男爵から公爵となった、王国元帥モランス公などは既にすっかり過去の存在となっているが、ジジマッチョはいまだ健在ということは広く知られている。山賊狩りを趣味でしたり、騎士の訓練を手掛けたり。
ちなみに、元帥号は終身なので、軍を退いても元帥は元帥のままである。副元帥はどうなのだろうかと彼女はちらりと考えたりする。
「姉さん、母親が王国副元帥であるということを、子供はどう思うのかしら」
「絶対言う事を聞くね。怖いもん」
「……参考になったわ。姉さんでも怖いのね」
確かに、男の子には有効な気がする。とはいえ、リリアルを継ぐのであれば、女児が良い気もする。これからも、孤児の魔術師は女児が多いだろうから、男の子はやりづらいだろう。
「どのくらい出す予定なの?」
「まあ、王国に流す分の一割くらいかな」
姉が握る流通量であるが、蒸留の工程はリリアルで担っている。他の場所では、同業他社からの襲撃の可能性もあるし、リリアルなら薬師の子達の練習に丁度良いという事もある。下手に他人を噛ませると揉める元でもある。
「ラベルをルリリア商会のオリジナルとは少し変えて、輸出用にしようと思ってね」
「言語を古代語にするとかね」
王国内での流通を前提にしていたためラベル表示は王国語なのだが、帝国で商品を提示した際に、貴族に読めないと言われたこともある。幸い、ギルドでは問題なかったのだが、誰にでも読めるわけではない。
「まあほら、医療用の面もあるから、古代語なら……」
「教会関係者は読める方が多いわね。嫌がらせかしら」
教会・修道院を否定する連合王国や、原神子派に対する示威行動とでも受止めればいいのだろうか。様々な方面に喧嘩を売る姉である。
「だってさ、葡萄畑を開墾したのだって、大昔の修道士や修道院とその廻りの農家の人なんじゃない? 否定するなら、ワイン飲むなってはなしだよ」
「それに、女王陛下はお砂糖大好きみたいね。お砂糖だって、元は医薬品扱いで教会管轄じゃない? それだから否定しているのかもしれないわね」
「お砂糖の恨みは恐ろしいね!!」
女王陛下は砂糖を沢山つかったお菓子が大好きで、食後は砂糖で歯を磨くと伝わっている。塩ではないのか。料理で塩と砂糖を取り間違えるオチとは違うのだろうが。
「砂糖は少し甘みを感じるくらいが美味しいのよね」
「あれだよ、不衛生だから防腐剤代わりに沢山使っているんじゃない? 砂糖よりもバターが大事だよね、フィナンシェにはさ」
デザート大好き女王様は、一体どのような菓子を食しているのだろうか。
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「これは、中々よろしいわね」
「素晴らしいアイデアですわぁ」
「ふむ、ドレス姿で帯剣するわけにはいかないからな。これはこれでいいな」
改良された『親骨だけ魔銀鍍金製』魔装扇を手にした彼女は、王妃様に献上する為に王宮へと足を向けていた。
「実際の使いではどうだ?」
「叩くより、突く方が効果的ね。それと、魔力を込めて投げつけると、私たちであれば、並の騎士数人が吹き飛ばされるくらいの威力があるわ」
「ほぉ、それは楽しみだな」
既に輿入れ準備に入っているカトリナは、騎士ではなく公女として王宮に滞在している。后妃教育の一環だと聞いているが、王妃様の茶飲み友達の域を脱してはいない。
とはいえ、騎士服からドレスに着替え、髪も結い上げている姿は本来の公女で彼の姿であったとしても違和感を感じる。
「剣が無いと、こう、心細くてな。だが、これがあれば一安心だ」
「では、いまは丸腰なのかしら」
「いや、そうではない。実は……」
ドレスのサイドスリットに手を入れ、脚の辺りから何かを取り出してくる。
「これを隠し武器として足に巻いている」
「……『慈悲の剣』もしくは、スティレット」
細身のダガーサイズの短剣。但し、刺突専用である。本来、騎士がメイルの間を貫くための短剣をサブウエポンとして装備した事に端を発するのだが、今日においては身近な護身武器、もしくは『暗器』として利用されている。
刺突剣ゆえに剣身の強度はなく、斬りつける事はほぼできないのだが、衣服の上からでも急所である心臓や肺などを貫くことが容易であることから、諍い事に持ち出され殺傷事件につながるため、場所によっては所持を禁じている場合もある。とはいえ、元が隠し武器の要素がある為、その理を守る者は少ないのだが。
「これを取り出すのも容易ではないからな。即応性なら、魔装扇か」
「これの扇面の布も、魔装に変えられないのかしら~」
王妃様の要望として伝えると約束するものの、現状の魔装布では容易に軽量化できないため、試作のみで止まっていることを伝える。
「紙では魔銀が塗布できませんし、織りあげるとすれば糸を細くする必要があり、その細さの魔装糸をつくる事も難しいのです」
「鍍金できないからな。魔銀箔が作れれば良いのだがな」
金や銀を薄く叩きのばし、紙のように広げる技術であるが、広げたり畳んだりする際に、その塗布した箔が剥離する可能性の方が高い。
「そうですわ、縦糸に魔銀糸、横糸に普通の糸を使えば、魔装糸も少なくて済むでしょうし、今より薄い布が織れるのですわぁ!」
王女様の提案も一理あると思われる。
「早速持ち帰って試みてみます」
「楽しみですわ!」
王女様もワクワク感が止まらない顔をしている。魔銀の糸を使う故に、柄織りなどは難しいので刺繍などで見た目を良くして頂くことになるだろうか。
「ところでカトリナ殿下」
「む、他人行儀ではないか」
「公女殿下を呼び捨てには出来ません。それで、一つ聞きたいのだけれど」
彼女は、何故ドレスにスリットが入っているのかという疑問を口にする。ああ、なんだそんな事かとカトリナは説明を始める。
「足がかゆい時にだな、ドレスの中に手を入れ掻くためだ! 画期的であろう」
「「「……」」」
王妃様が一瞬驚いた顔をした後、厳かな表情をつくりカトリナに申し伝える。
「カトリナちゃんは……淑女をなんだと考えているのかしらぁ~」
「……掻くのを我慢するのが高貴な女性の嗜みですわ……カトリナ姉様」
「……そ、そうか。そうであるな……すまない……」
王妃様はともかく、互いに公妃となる王女殿下にくぎを刺され、反論の余地もなく、カトリナは沈黙する。
「私も、連合王国に向かう時のドレスにはスリットを入れる事にするわ」
「やはり! 長い会で足を掻くのをずっと我慢するのは大概だぞ。わかってもらえるか!」
「……帯剣うんぬんの話よ。良い話を聞けましたカトリナ殿下」
「……」
足が痒いと思うから痒い。掻けばさらに痒くなるのだと、子供の頃に教わらなかったのだろうか。
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リリアルに戻る前、彼女は久しぶりに王都の武具屋に顔を出す事にした。カトリナの持っていた刺突短剣に興味を持ったからというのが一つなのだが、実際冒険者として実用品とは思えなかったというのもある。
馴染みの店員の意見も聞いてみたいと考えたからだ。
朝晩は冒険者の入店が多いものの、彼女が訪れた昼前には店内に他の客の姿はない。入口には手ごろな中古の剣や防具が、綺麗に手入れをされた状態で並べられている。
冒険者の数が少なくなったとはいえ、それは総数の問題。少なくない新人が冒険者としてデビューし、それと入れ替わるように引退をする者がいる。ニ三年冒険者を経験し、自分に縁のある、若しくは合った仕事に就くことになるだろうか。
とはいえ、職人や商人になる事は難しいので、やはり力仕事のような職になるのであるが。少なくとも、寝る場所や食べる物に困らない仕事を次には選ぶだろう。
「おや、今日はどのようなご用件で?」
自前で装備を用意できるようになった彼女とリリアルが店を訪れる理由は、彼女の知らないことを聞きに来る事が多いと店員は知っている。
「スティレットは扱っていますでしょうか?」
「刺突用の短剣ですね。冒険者用ではなく、商人の護身用に少々扱っているものがございますよ」
「見せていただけますでしょうか」
店員は少々お待ちをと言い、店の奥の棚へと向かう。やがて、何本かの短剣を持って戻って来る。
「数が出るものではありませんので、あまり品ぞろえはよくありませんが、この辺りでしょうか」
貴族や豊かな商人は、装飾品を兼ねた豪華な拵えのスティレットを持つのだという。
「刃があるものは、突き刺した後、切裂きえぐるために付いているだけなので、実際に切裂く用途には向いておりませんね。この辺りは錐のような剣というより針に近いものになります。その分、突き刺す力は強力です」
刃があるものは装身具向きであり、錐のようなものは実用品だという。何のための実用品かは不明だが。
「一応、狩りや〆る際に使うってことになっています。鳥を縊り殺すのは簡単ですが、猪や羊は簡単に殺せませんから」
耳から突き刺して脳を破壊したり、骨の隙間をついて心臓に突き刺すともいう。狩り用の槍は、そんな目的で作成された物もあるし、彼女が帝国用に用意したオウル・パイクもそのような意図があった槍から発展したものだと言われている。
「王都ではまだ禁止ではありませんが、いくつかの都市では街の中での携帯が禁止されたそうです」
剣を持つにも街中においては携行許可がいる。貴族とその護衛は問題無く携行できるし、冒険者も冒険者証が携行許可証を兼ねている。見える場所に剣を掲げるのは問題ないが、隠し持つようなスティレットは駄目だということなのだろう。
「実際、スティレットが流行し出してから、死傷事件が数倍になった街もありますからね。禁止になるのも分かります」
酒の席、会合の場、その両方を兼ねた場所で、些細な事でスティレットをもったものが加害することがあるという。剣は刃筋を立てなければ、簡単に衣服の上から切裂くことができないが、刺突短剣なら、ドンと勢いに任せて突き刺せば、人間の胴体のどこかに刺さる事で、肺や心臓、胃や腸を傷つけ死に至らしめる事も容易なのだろう。
「碌に剣を扱った事の無い方も、持ち歩いて簡単に死傷させますから。銃もそうですが、この辺の武器も怖いと思います」
女子供でも騎士を倒せる『銃』は恐ろしい装備だが、火薬を点火させるひと手間がある。スティレットは雨の日でも問題なく使える分、厄介だといえるだろう。
「おかげで、街中でもブリガンダインのような胴衣を着ける人が増えたとも言われていますね」
「暗殺予防でしょうか。確かに、一見、鎧に見えませんから良いかもしれません」
外側に装飾を施せば、一見美しい胴衣に見えるブリガンダインは、暗殺防止を兼ねた衣装として良いかもしれない。女性には向いていないが。そのかわり、魔装ビスチェが存在するので問題ないと言えば問題ない。
「このスティレットを一通りお願いします」
「……リリアル閣下も、この辺りの装備が必要になるのですか?」
不用意な質問かと思うものの、彼女がほんの少女である頃から見知った店員は心配げに聞いてくる。
「ドレスの中に隠している淑女を知っているものですから」
彼女がにこやかに答えると、一瞬驚いた顔になったものの、店員は「美しいバラには棘がありますからね」と答えたのである。




