第505話 彼女は赤魔水晶を『伯爵』に見せる
第505話 彼女は赤魔水晶を『伯爵』に見せる
赤魔水晶――― 中にレッドキャップと呼ばれる赤い頭巾を被った狂気の家精霊を収めた魔水晶を、今では彼女たちはその名称で呼んでいた。
帝国から帰還して少し間を置いたものの、『伯爵』の新居となった少々古めの貴族別邸に彼女は足を運ぶ事にした。義理を通さねばならないという理由と共に、死霊術で『エルダーリッチ』に自力で変化した『伯爵』にならば、『赤魔水晶』についてなんらかの情報を持っているのではないかと彼女は考えていたからである。
半年ぶりになるだろうか、いつものポーションと赤ワインを手土産に、彼女は『伯爵』に挨拶をする。
『副伯への陞爵おめでとう、とでもいえばいいのかな』
「責任ばかり負わされておりますので、めでたくはありません」
代われるものなら代わってもらいたい……くらいの認識が彼女の本心である。とはいえ『副伯』となれば、リリアルの騎士として、王の叙任が無くとも彼女自身が魔術師を『騎士』として抱える事がある程度できる。これは、子供たちが王家の騎士とされるよりは、彼女の裁量で仕事を与えることができるので、悪い事ではない。
王から叙任された騎士は、王に仕える騎士であるから、彼女と王の命令であれば、王の命令を聞くのが筋となる。彼女の叙任した騎士ならば、王は彼女に命ずることは出来るが、彼女の任じた騎士に命ずることは出来ないのだ。今の国王陛下が、リリアルの騎士に意に反する命令を下すとは思えないが、リリアルが有意な存在となればなるほど、王命を用いて軍や王宮が彼女達を利用しようとする可能性が高まっていくだろう。
『それで、今日は何か用事があったのだろ? 帝国やネデルの土産話をしに来たわけではないと思うが』
『伯爵』の元を訪れるのは、勿論、約束を守るためであるが、以前ほど自由に王都を訪問する時間の無い彼女は、何か用事があるとき以外は直接訪問することはなくなっている。用事があるから、顔を出したとすぐに知れてしまう。
「じつは、この魔水晶なのですが」
魔法袋から取り出した赤い魔水晶。『アルラウネ』いわく、解呪しなければとくに問題はなく安定していると言われたが、禍々しい色合いの魔水晶を直接手で触れるのは気が引ける。ひもで縛り、直接触れずに済むように加工してある。
『珍しいハムだな』
「……確かに縛り具合が似ていますが、ハムではありません」
『わかっているさ。魔水晶にしては……死霊付きか?』
『伯爵』曰く、サラセンには『悪霊』を器物に封じ込め使役する術があるのだという。
『魔法のランプ・ランプの精という話を聞いたことはあるか?』
「たしか、サラセンの物語に出てくる魔神の話でしょうか」
サラセンには『ジン』『ジニー』と呼ばれる精霊・悪霊が存在する。火・風が多く、土は希少、水は皆無な存在である。灼熱の漠野が続くカナンの地やサラセンの領土においてはそれも当然かもしれない。
『多くは魔銀製の容器がその精霊を収める容器となるが、魔水晶製のものもないではない。中に召喚陣に似た封じ込めのための陣を魔力で描き、精霊をその中に入れてしまう技術だ』
「では、サラセンの技術なのでしょうか」
『古くから研究されているようだね。死者の蘇生とならんで、人造生命、精霊を使役する技術。魔王の指輪の話も、この類型だね』
『魔王の指輪』とは、古代カナンの地の賢人王が七十二体の大精霊を使役し「魔王」と呼ばれた事に起因する。ラビ人にとっては偉大な王であり、大いなる建国者であったが、周辺の部族からすれば『悪魔を使役する魔王』とみなされたという。
数代の後、ラビ人の王国は崩壊し、周辺部族からそれまでの専横を憎まれていたラビ人は、遠く東の王国に戦争捕虜として連れていかれる事になる。『魔王の指輪』という名前は、その時代に付けられた蔑称でもある。
「七十二体の精霊を指輪一つでというのは、おとぎ話の類でしょうか」
『いや、指輪が七十二個あったと考えれば不思議じゃない。使役する際、同時に七十二個指輪をつける必要はないからね。精々、一度に数体ですむのであれば、手の指だけでお釣りが来るじゃないか』
『伯爵』の言い分は納得できるものだ。金属と比べれば魔水晶に召喚陣を刻む事は難しいが、方法が無いわけではない。錬金術だ。
『賢者の石というのは知ってるね』
「錬金術の成果として生み出される創造物の総称ですね」
賢者の石とは、必ずしも『石』ではない。合金のようなものであったり、触媒のようなものである場合もある。賢者の石は錬金術の成果物を示す一般名詞であり、固有名詞ではない。
『サラセンの国で散々宝物漁りをした聖征軍は、『魔王の指輪』の創造にかんする書物を手に入れ、持ち帰ったと言われている。ここから先は私の推測になるが……』
「伺います」
『伯爵』曰く、聖征により手に入った些末なもの……『聖遺物』のようなわかりやすい遺品の類は、教会・国王・遠征に参加した貴族たちに持ち帰られ、いまではそれを祀る教会や聖堂があちらこちらに存在する。
だが、聖征の軍事力を強化するための資材は、『修道騎士団』が主に集め管理していた。その中には『聖杯』も含まれていたと言う。
『実際、王都にある修道騎士団王都管区本部の『大塔』には、その時集めた魔導具・錬金具とそれに関する書籍が集められていたらしい』
「では、今は王国が……」
『いいや。処刑された騎士団総長の甥と修道騎士六十人が船に乗りどこかへと落ち延びた話をきいたことがないかな』
彼女は知らないが、『魔剣』にはそのような噂があったと記憶していた。その中に、『賢者の石』とその製造方法が含まれており、恐らくは、海を渡り連合王国もしくは北王国に逃げ延び、その研究を継続していたのではないかというのである。
『君は、「賢者学院」というのが連合王国にあるのを知っているかい』
「……はい。国内の魔力を持つ者を集め、数年間魔術師としての教育を施す機関で、五百年の歴史があるとか」
『そうそうそれ。そこにはね、失われた古賢者や魔女の技法、それに、東方から持ち帰られた錬金術や死霊術の研究成果が保存され、それを基に、各種の新しい魔術の研究がなされていると考えられているんだよ』
おそらく、修道騎士団は聖王都奪還のための戦力として、『魔王の指輪』の再現を目論んでいたのだろう。ただ、それを再現することができず、実験的な活動を魔水晶と賢者の石を用いて行おうとしていたと推測できる。
「では……これが……」
『そうだね。二百五十年前に異端として討伐された修道騎士団の生き残りが、連合王国で研究を重ねた成果物。『魔王の指輪』の劣化版になるんだろう』
推測に推測を重ねた結果ではあるが、彼女の中ではこの推論に一定の説得力があるように感じていた。
連合王国は、長く王国と海を跨ぎ対立していた。百年戦争はいったん終了したものの、何も解決はしていない。今はネデルやランドルに直接侵攻はしていないものの、隙あれば兵を送り込んでこないとも限らない。
連合王国は、ネデルの騒乱により羊毛の輸出先を失ってしまった。自国で加工できるモノはやや時代遅れであり、ネデルの毛織物のようには販路が広がらない。私掠船を派遣するには船が必要であるが、その部材である材木は輸入しなければならない。売れるものが減り、買いたいものは沢山ある。
兎に角、連合王国は金が無いのだ。
「嫌がらせの類でしょうか」
『国内をまとめる為に、王国に対して不満を持つものにいい顔したいんだろうさ。研究者はそれなりに金を蓄えている。賢者学院なら様々な換金性の高い素材も提供してくれる。協力する代わりに、資金提供で儲けていると考えれば腑に落ちる』
何か事を為すという時、高尚な政治的理由・宗教的理由を挙げる事もあるが、実際は怨恨に乗る方が、人は簡単に心を動かされる。王国に対し恨みを持つ修道騎士団の系譜に協力するのはさほど難しくないだろう。
『少し前、新しい連合王国の大使が赴任してきたのだよ』
「……知りませんでした」
『その一行の中に、仕掛けた術者がいたのではないかな。王都に入るには外国人はそれなりに難易度が高いが、滞在してしまえば出入りはそれほど難しくない。王都の近郊なら出かけてもさほど怪しまれないだろう』
協力者がいれば、仕掛ける場所には案内されるだけでいい。遠乗りでもしに行く態でワスティンの森に向かい、仕掛けるのは僅かな時間で済む。
『今回の大使は、女王の側近の子飼いらしい。名前は……』
しばらく考えたのだが、『伯爵』は彼女が席を辞するまで思い出す事ができなかった。
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『賢者学院』が、修道騎士団の系譜につらなる存在であるか、その系譜に連なるものが潜んでいる場所であるとするのであれば、『赤頭巾』を魔水晶に封じ、王国での破壊工作に利用するという行動が意味を持ってくる。
仮に、彼女がまた王都を離れていたとしたら、ワスティンがリリアル領でなかったとしたら、リリアル生が並の冒険者程度の時期であったとしたなら、精霊である『赤頭巾』を簡単に討伐することは出来なかっただろう。
『お前は、いい加減アンデッド討伐してるんだけどな。送り込んで来る奴らは学習していないのか、実戦テストの為なのか良く解らねぇな』
王都共同墓地の地下墳墓のスペクター、コンカーラ城やジズ城のワイト、ミアンを包囲した『アンデッド・ナイト』『アンデッド・ポーン』といった、死霊術として高位の術を用いた強力な不死者の包囲も、『賢者学院』かその影響下にある術者のものかもしれない。
彼女が知りうる範囲において、帝国にその様な規模の魔術を学ぶ場はなく、実際、魔術師と会う事はほぼなかった。魔獣使いがいたのだが、傭兵の類であり使役する魔物が『鰐』の時点で帝国出身とは思えない。
「連合王国に向かっている間に、王国で事件を起こす可能性もあるわね」
『お前のスケジュールも、滞在中は完全に把握されているしな。敵中に六人ばかりで向かうってのは、どう考えてもやばいんじゃねぇか』
『魔剣』の言う通りだろう。相手は、彼女を自国内に留め置き、王都周辺で破壊工作を行うつもりだろう。故に、彼女は必要最低限の戦力を伴うしかない。少なくとも、成人に達している『騎士』を伴う必要がある。
連合王国ではともかく、王国において騎士は貴族の端くれである。そして、王から叙任された騎士は王の臣であり、王以外が命令することは出来ない存在となる。例え、騎士学校を卒業して騎士となったとしてもである。
『あの二人は早急に騎士学校に入校して貰わねぇとな』
「準備は済んでいるわ。メダル持ちであるし、ネデル遠征にも参加しているのだから問題ないと、既に入校の許可を頂いているわ」
王都に戻る前、アンゲラ滞在中に宮中伯経由で王宮には騎士学校への入校許可を取ってある。碧目金髪と灰目藍髪、元薬師娘二人は次期の騎士学校に入校することになっている。
『間に合うのかよ。王弟殿下のお伴に』
「問題ないわよ。私たちは、新型の魔導船で王都から直行するのだから陸路をカ・レまでゆっくり進む殿下とは出発に一月位の時間差があるわ」
今回、王弟殿下を連合王国に渡海させるにあたり、王家から一隻の30m級『キャラベル』を下賜されている。
船首楼などない比較的小型の船であるが、浅い喫水を生かして河川や浅瀬にも入ることができる。
「すでに、機関部は製作が進んでいるので、少ししたら実際に据え付けて試運転になる予定よ」
既に、船は改修され乾ドックに収まっている。彼女の魔法袋にいれて、リリアルの鍛冶工房背後に設置した陸上の大型倉庫(癖毛作の土魔術製)に収容されている。
『船で一日掛のところが、魔導船ならニ三時間だもんな』
「波が穏やかであればね。風が強い季節には、難渋すると思うわ」
船首楼や船尾楼が無い船というのは、波の影響を受けやすい。また、内海であれば不要なほど船の長さを確保したのも、波を越える為にある程度の船の長さを必要としたためでもある。
これでも、キャラックなどの外海用商船の最小サイズにやや欠ける大きさなのである。排水量で言えば100t程度、商船は500t前後が普通であり、本来は、その倍ほども御座船であれば必要となる。
彼女の魔法袋に収めるサイズを考慮した結果であり、河川での使用も考えたサイズとなっている。
「とにかく、色々進めなければならないわね」
『あいつらにも、説明が必要だろ。院長・副院長が半年不在というのは想定できないだろうからな』
連合王国には、彼女と伯姪の二人が向かう事に加え、茶目栗毛も同行する。祖母が院長代理を務めるとはいえ、補佐役二人が不在の学院は初めての経験となるだろう。
今まで、冒険者に専念していたメンバーや、表立って学院の仕事を担っていなかったメンバーにも仕事を委ねる必要がある。この半年の準備期間は、一期生をリリアルの幹部へと仕上げる準備期間でもあるのだ。
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学院に戻り、彼女は伯姪と一期生を集める事にした。『賢者学院』という存在を意識し、連合王国へ向かう事。その最中に、リリアルの戦力が二分され、残る一期生で対処しなければならない事。半年の間、彼女の祖母である院長代理を支え、一期生が今まで以上にリリアル学院の支柱とならなければならないことを説明した。
「不安です……」
「でも、あたしたちでやるっきゃないじゃない。師匠もいるから大丈夫だよ!!」
表情を曇らせる黒目黒髪。『赤頭巾』討伐で久しぶりに前線に出て、心に来るものがあったようである。赤毛娘は相変わらずの元気ぶりだが、『師匠』とは彼女の姉を指しており、全然大丈夫ではない。祖母がいるので好き勝手する事はないだろうが。
「国王陛下に叙任された騎士だから、いつまでも冒険者の真似事だけではままならないものね。いい機会だわ」
「そんなこと言ってもよ、書類仕事は苦手だぜ」
「任せておいて。しっかりやらせる」
「……いや、お前も読み書き苦手だろ!!」
冒険者組の蒼髪ペアに赤目銀髪。自分は問題ないとばかりに、青目蒼髪の監督を申し出るが、二人とも同じ程度に書類仕事は苦手なのだ。
だが、二期生三期生の面倒を見ながら、落ち着いてリリアルで書類仕事を学ぶのも悪い事ではない。騎士学校に進むに当たり、その辺りがネックになる可能性もある。冒険者上りの従騎士は、書類仕事が苦手なのだ。ギルドがその辺りの仕事を代行しているので当然かもしれない。
「ふふふ、院長代理に二人は特に目を掛けて頂くようにお願いしておくわ。安心なさい」
「げっ!!」
「……不安しかない……」
冒険者活動中心の二人は特に力を入れてもらわねばならない。赤目蒼髪は侍女の真似事ができる程度に教育がなされているが、青目蒼髪も赤目銀髪も冒険者活動オンリーだから、課題が多いのだ。