第493話 彼女は王宮へと誘われる
第493話 彼女は王宮へと誘われる
王国において、騎士団を所有できる爵位は伯爵以上。そして、軍をもてるのは辺境伯・侯爵以上であり、ニース辺境伯を除くと、軍を編成しているのはギュイエ公・レンヌ大公・サボア大公・ブルグント公のみとなる。公爵位をもっているとしても、私軍を編成する領土を持つ者は他にいない。
彼女が孤児院出身の魔術師を中核とする騎士団を編成するとするなら、将来的には『リリアル伯爵』に陞爵する必要がある。ただし、伯爵となれば都市の一つも差配し、その周辺の村や街も含め統治する必要がある。
十代にすぎず、また新興の貴族家であるリリアル家に、家宰や執事をつとめる十代の家臣というものはいない。実家の子爵家も同様であり、領地持ちでない貴族が領地持ちとなるのには相応の臣下を持つ必要がある。
公爵・伯爵というのは「小さな王」であり、百年戦争の頃と比べ王家の力が拡大する半面、公・伯の力が相対的に低下したとはいえ、『君主』の家柄なのである。子爵・男爵以下の貴族と、小さな王・君主としての伯爵では家の力自体が相当異なるのである。
「なので、名目的に伯爵に準ずる家格に表面上嵩上げし、人が育った段階で領地経営のできる封土を与える……ということだろうね」
「……やはりそうなりますか」
遠征から戻り、ようやく祖母を休ませることができたのであるが、王国の貴族の在り方に関しては彼女の父子爵より祖母の方が詳しい。彼女の『副伯』への陞爵にあたり、どのような事が起こりそうなのか、事前に知りたいと考え、祖母と話し合っているのである。
「名誉であり、光栄であるけれど、難儀でもあるさね。アイネのところは、辺境伯家やサボア公家の中から人材を借り受けたりすることもできるだろうし、在地の貴族を配下に組み込めるだろうけれど、おそらくリリアルは王都近郊の直轄領を分けるだろうから、代官が治めていた王領がリリアル領になるだろう。役人をゼロから育てなきゃならないが、あんたのところにそれが集まるかと考えれば、少々疑問さ」
彼女自体は歴史ある子爵家の人間だが、その家とは別の新たに封ぜられた貴族である。家臣と呼べるものはおらず、王家の騎士を何人か寄子として預けられている形になる。伯姪を含め、リリアルの騎士は全員国王から叙任された騎士であり、貴族としては彼女と対等の関係になる。
伯姪を除き、誰一人そうは考えていないだろうが。
「他家から引退したものを教育役として貰い受ける約束をして、リリアルの子達から何人か代官や役人の仕事ができる子を育てていかなきゃだろうね。あ、それから、当然男の子だよ。女の役人なんて通用するのは血統が領主の家系の娘だけだからね」
リリアル一期は茶目栗毛、二期以降はまだ適性が不明だが、今後は中等孤児院の卒業者のなかから領宰が務まりそうな人間を育てていく必要があるだろう。
他家の貴族の子弟を受け入れることも考慮しないではないが、勘違いする男が婿気取りで振舞う事も考えなければならない。勿論、優秀な男性であれば、姉のように配偶者として家宰をゆだねるのは否とは言わないが、「爵位も貰ってやる」などと、勘違いした男がやってこないとも限らない。
「まあ、英雄のあんたは私の時ほど苦労しないだろうさ。竜殺しの副元帥閣下だからね。家名を継いで婿を取る女主とは違うだろね」
「……婿に来てくれる男性はいるのでしょうか……」
「あきらめたらそれで見合終了さね。王家で然るべき血統の信頼できる男を用意するかもしれない。王都の大学を出た官僚なんかには、陛下の信用する男がいないではないからね」
国王陛下の諮問委員のような存在が、王国の中小貴族の子弟出身者には少なくない。武官なら近衛騎士、文官なら『評定法院』に所属する学位持ちあたりがそれに相応する。かれらは国王の『代官』として、王領に赴任し、領主の仕事を代行する。
頭脳は明晰であるが、実家の家格が低いことで苦労したものが多く、王以外にはとても横柄であるとも噂される。虎の威を借る狐とも。
「まあ、お前が家長である点は揺るがないからね。そこがブレなければ別にいいさね」
リリアルが男爵であろうが伯爵であろうが、彼女と学院生の魔術師を生かすために最大限の待遇を王家は考えているのであり、それを斟酌すれば、自分がリリアル男爵や伯爵になろうとするような愚か者を婿にするとは思えない。また、そうなれば早々に婚姻不成立であったとすればよいだけの話である。
「聖女」と言われる彼女の存在を王都大司教も教皇庁も悪く扱うことはないだろう。とくに、原神子信徒の動きが活発になっている中で、彼女の王国における存在意義はとても大きい。
『お前を虐げるようなたちの悪い婿は、異端審問されるんじゃねぇか』
『魔剣』の言う通りである。海の向こうの父王の妻は、それで何人も処刑されているのである。
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リリアル一期生と賑やかし三期生を除いた実働の『ガレット屋台』は、認知度を上げるために王都のあちらこちらで日々営業をしつつ認知度を上げていた。
とはいえ、二台の屋台で400枚ほどの売り上げとなっている。銀貨百枚ほどの売上であるが、一台の屋台で銀貨五十枚を毎日稼げるとすれば悪いことではない。
本来、出店の場所代を王都に払い、屋台の兎馬車を買い、焼き上げる為の薪炭代と材料費を支払うので、その半分くらいの利益となるのだろうが、この屋台の場合、蕎麦粉代以外掛かっていない。ベーコンと卵は自家製であるし、その他も自作したものである。場所代は、王都を守る子爵家の娘に支払うように求めることもなく……無償であった。
この辺り、孤児院が行う場合も蕎麦粉と卵と塩の購入は必要だが、ベーコンはリリアル支給のものがあり、場所代・薪炭代・馬車代も掛かることはない。利益率は九割を超えるだろうか。
「そもそも、恵まれない者に金を恵むという意識が嫌なのです」
「魚を釣って与えるのではなく、釣り方を教えて差し上げる事ですわね。さすがですわぁ~」
「ええ、今代名高き、聖女アリエルですもの。孤児たちが働いてお金を手にする大変さも学べて良い機会となっているのですね~」
彼女はようやくネデル遠征中の報告などが終わり、リリアルでの懸案も片付けたので、王宮にご機嫌伺いに顔を出したのである。帰国後、王妃様からの誘いを頂いていたのだが、多忙を理由に先延ばしにした結果である。
既に、リリアルが孤児院で新たに提供する『屋台』の活動に関して、王宮でも知れ渡っており、王妃様王女様ともに興味を持っていただいているということである。中でも……
「レンヌのガレットを屋台にするというのは、流石ですわ!」
「小麦粉でつくるクレープはケーキのようにおいしいのだけれど、蕎麦粉で作るガレットはしっかりとした食事に近い感じがするのはなぜなのかしらね~」
レンヌに嫁ぐ王女殿下に「食育」として、レンヌの料理を王宮でも提供するようになっているのだとか。勿論、王女殿下の好きなものは……
「林檎のシードルですわ。とても美味しいですのよ」
「甘いから、なんにでも合うわけではないのだけれど、白ワインに近いからお魚にはちょうどいいかもしれないわね~」
シードルはサボアなどでも作っているし、隣接するロマンデでも飲まれていた。果実酒であるが微炭酸なものが多いだろうか。
ガレットの屋台の件で盛り上がった後、後日、王宮にも『魔導調理板』とリリアル謹製ガレットをお持ちするということになった。調理板は日常遣いということではなく、野外でのピクニックなどに使う目的であるという。
王宮の薪炭は使用量がある程度予算化されており、薪炭屋もそれを当てにしている面もある。また、王宮全体の調理を賄うだけの魔導調理板を納めるとすると……彼女は商売替えする必要があるほどの負荷になるだろうか。孤児院用五十台は既に確定なのだ。
「それで、陞爵の話は聞いているのかしらぁ~」
「アルマン宮中伯からアンゲラ城にて伝え聞いております」
「公表されるのは今少し先なのだけれど、あなたを連合王国に送り出すのに良い機会だと決まったのよねぇ」
男爵となった叙爵の理由は、彼女が十三歳の時レンヌで連合王国の私掠船から王女殿下を守り、私掠船をも拿捕した功績を称えてのものである。最新鋭の私掠船は一城に匹敵すると称され、僅か二名の騎士だけでこれを攻め落とし王女殿下の窮地を救った功績とされた。
そして、男爵となったのは成人を迎えた十五歳の時であったが、その後、二度の竜討伐、ミアン防衛戦での陣頭指揮、その他、王国に多大な貢献を旗下のリリアル学院の魔術師と共に行っていること。
更には、王都の再開発・環境の改善にも尽力し、孤児院の待遇改善を積極的に協力し進めている事なども賞するに値する功績であるとされた。
「本来は、伯爵・侯爵くらいで賞される内容なのだけれどねぇ」
実際、五十年前の法国戦争では、その戦争指導をし幾つかの決戦で王国を勝利に導いた将軍が元帥に叙せられ、男爵から侯爵へと陞爵しているのである。
「年齢、女性であること、それと、わかりやすい戦功ではないという理由もあるわね。既に副元帥でもあるので、あんまり功を積み過ぎるとねたまれると思われたみたいねぇ~」
未だ十七歳にもならない一子爵の娘が、騎士となってからわずか数年で副伯にまで至るというのは、大貴族の嫡子が親の爵位を譲り受け名乗る爵位とは意味が異なる。王が公正を欠くなどと印象付ける事の無いように配慮したという意味もある。
「リリアルの子達が育つまで、その上の爵位はおあずけしているだけだけなのよねぇ」
伯爵令嬢と公爵であれば、さほど身分差があるとは言えない。だが、伯爵家当主となれば……おかしいだろ!!
「おばあさまは、フランツ叔父様を可愛がり過ぎですわぁ」
「最近は働いているじゃない? これからの伸びしろばかりだわぁ」
彼女が王弟エブロ公フランツ殿下の『婚約者候補』とされているのは、王女の祖母である『王大后』の意向が反映されている。本人に何の功績も無い故に、功績のある婚約者を宛がい補おうと考えたからなのだ。
「オラン公との会談も上首尾だったそうじゃない~」
「おばあさまが王宮中に触れ回っておりますわぁ」
王弟・公爵として、外交面で王を支えるという功績作りである。演出は宮中伯アルマン、演技指導は彼女である。そして、連合王国大使としてはっきり言えば女王陛下とのお見合いの場に王弟を連れ出す事で、王大后の目論見は達成される。
「王家の一臣下としてお仕えしていくつもりです」
「ふふふ、お願いするわねぇ~」
「また王都を離れると聞くと、とても寂しいですわぁ~」
王妃様は含みのある物言いだが、王女様は本心で寂しがっているのは良く伝わってくる。王女様が公太子妃となるのは数年後、恐らく、王都とレンヌでそれぞれ挙式を大々的に執り行う事になる。
若い二人の結婚というだけでなく、長らく対立してきた王国とレンヌ公国がまとまる事になる慶事であるのだから、それぞれの都でそれぞれの民にその慶事を共有する機会が必要だからである。
恐らく、王都もレンヌも大きな祭りを伴う事になるであろう。
『そこで、ガレット屋台が大ブレイクするわけだな』
『魔剣』の言う通り、その式に向けて徐々に『レンヌの騎士ガレット©』は王都だけでなく、王国内の孤児院に徐々に広がっていくことになる。流石に王都外の『魔導調理板』の魔石のメンテナンスは、それぞれの領地の領主の『寄付』として魔力の付与を各地の貴族・聖職者の魔力持ちが行うことになる。
その結果、魔導調理板はリリアル学院への貢献度順に作成されるようになり、レンヌ大公・ブルグント公・ニース辺境伯家などを中心に普及していくことになる。
ちなみに、サボア大公家はカトリナの結婚祝いに彼女が送る品の一つとして送られる事になる。さらに言えば、聖エゼルには優先的に供給され、兎馬車と共に遠征装備として定着していくことになる。
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陞爵は必然、だがそのタイミングは王家の、もっと言えば王弟殿下の都合であるのはそれなりに腹立たしい。王弟殿下の婚約者候補という事で、婚約の申し入れが一切なされないからである。もうじき十七歳になる彼女。あの姉でさえ既に婚約者がおり、二年の準備期間を置き十八で結婚している。
『まだ焦る時間じゃねぇだろ』
「……若いうちに子供を産んだ方が良いと思うのよ」
『産まなくても子供ばっかりじゃねぇか、お前の周り』
どんどん増えていくリリアル生。七八歳の子が十二人もリリアルに増えてしまったのは想定外であった。とはいえ、一期生も成長しているので、三期生の教育はかなりの部分任せることができるだろう。
婚姻以前に、家政を任せられる人間も育てなければならない。
『領地経営にしても、家政にしても王家に人を紹介してもらえば良いだろ。リリアルに「家政科」「領宰科」みたいな奴がいてもいいと思うぞ』
『魔剣』もたまには魔術以外で良い事を言う事がある。
「いつまでも御婆様頼りというわけにもいかないでしょうからね」
『というより、婆に直弟子を取らせるのはどうだ?』
彼女の祖母は、王宮の侍女として后妃に仕えていたこともあり、長じては子爵として王都の管理を行う仕事と、代官の仕事を行っていたこともあるが、領地を経営するのとは少々異なるだろう。
代官は、定期的に代官地を訪問し、領主の代行として決裁すべき事を担う役職だが、かなりの部分を村役人に任せている面が強い。既に安定して運営されている村を適時確認する仕事と、荒れた村や生産性の低下による逃散の起こっている村を立て直す『領宰』とでは、かなり役割りが異なる。
「姉さんはどうする積りなのかしら」
『あれは、ニース辺境伯家に泣きつくパターンだろ』
「それも、嘘泣きね」
ニース辺境伯家の領宰を引退した者、もしくはその側仕えを長く務めた者を派遣してもらい、現地の新規に配下となる在地の貴族家を育成することになるのだろう。姉の能力であれば、一緒に学んでも頭一つ抜けだす程度の才覚はある。
「先代様に相談してみようかしら」
『ジジイの友人から領宰経験者を王都に招いて、リリアルのガキどもを指導して貰うということか』
「私自身学ぶ余地が多いと思うの。それに、子供たちも御婆様以外の年配者がいる方が刺激になると思うのよね」
彼女の祖母は劇薬的刺激なので、会えば子供たちも緊張しているのが分かる。優しくないわけではないのだが、それ以上に厳しいのである。
優しいお爺ちゃん的家庭教師の招聘……これで、少しリリアル一期生も冒険者以外の騎士としての仕事を学ぶ機会も増えるだろうか。
『女ばっかりの魔術師集団だから、その辺り難しいだろうけどな』
とはいえ、領地運営に理解のある魔術師兼騎士の嫁という者は、それなりに需要があるのではないかと彼女は考えている。最初の嫁入りは自分だと強く願いながら。