第482話 彼女は『リリアル宮』を知る
第482話 彼女は『リリアル宮』を知る
覚書は素案を既に宮中伯が作ってあったため、オラン公はその内容を一度読み合わせしながら確認し、内容に不備が無ければ署名をするということで淡々と終わっていくことになった。
「一先ずこれで、オラン公と王国の間にわだかまりはなくなったと考えれば、喜ばしい事です」
「王国と原神子派は共存できる関係であれば良いと思います」
「この覚書が、王国とネデルを繋ぐ架け橋となることを望みます」
宮中伯が言祝ぎ、それをオラン公と王弟殿下が讃えることで会談は終える事となった。
「公爵閣下は、この後、トラスブルに向かわれると聞いております。その後の予定を伺ってもよろしいでしょうか」
宮中伯アルマンが、オラン公の帝国の主要な原神子派都市であり、金属加工・活版印刷の中心である『トラスブル』に向かった後のことを探る。
「細かいことはこれからですが、ネデルを支える都市を訪問していこうと考えているところかな」
と、例えばネデル貿易と関係の深い王国都市であれば、『ボルデュ』や『ルーン』などを上げる。共に、連合王国・ネデル・原神子派の影響力の強い都市である。
「この機会に、本場のボルデュワインを味わってみようと思っているのです」
「……なるほど。その時は、是非、ギュイエ公にも表敬訪問していただければと思います。あとで、紹介状を王弟殿下の名でお渡ししますので、是非訪問の際はご挨拶願います」
他国の高位貴族であり、神国と争った経緯のあるオラン公が王国内で暗躍していると思われれば、王国も領主も王国内の原神子派信徒も何か勘違いしないとも限らない。それをきっかけに、王国内でも原神子派が勢いづいたり暴れたりされるのは大いに困る。
オラン公と王家は親交があり、ネデルの騒乱は宗派争いに見せかけた暴徒の引き起こした略奪行為を取り締まる事に失敗した結果、異端審問を招き、結果として母国を失う原神子教徒が生まれたという経緯をはっきりさせるべきなのである。
「是非とも、自慢のワインを薦めていただきたいものですな」
「ギュイエ公女カトリナは、王家の養女となりサボア大公殿下の公妃となります。大公殿下は『聖王国王位』を持つ方。国王陛下は、聖王国王の岳父となるわけですので、国内での宗派争いを望まれておりません」
「それはめでたいことです。これからも王国に栄光がありますように」
カトリナの婚姻には、王国が聖王国王位を持つサボア公を支えるという意思表示を示す意味もある。神国に揚げ足を取られず、教皇庁に対しても「いや、王国は聖王を支えてるし」と何か文句を言われた際にも言い訳に使える……ということだ。
オラン公はその意味を「だから、神国や教皇庁の言いがかりに屈せず、オラン公との覚書を守る事が可能だ」と理解した。それで問題はない。
神国は教皇庁の支持を持って自分の支配の正統性を誇示する傾向がある。これは、国土を回復しサラセンから国を取り返したという行動が、継続して国の在り方として固定化しているからだろう。
サラセンと必要以上に事を構え、自領においては御神子信徒以外を執拗に弾圧する。それが、国力を弱めようともだ。信仰では国を立て直すことは出来ないのだが、神国はそれだけなのである。
「今後とも良い関係を続けたいものです」
という言葉と共に会議は終了した。
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しばらくはこの地に残りオラン公軍の王国離脱まで見守る必要のある王弟殿下、それに付き従う近衛騎士と近衛連隊。アンゲラ城を視察し、改めてこの地で必要な施策を考えねばならない宮中伯と、帰るだけとなる彼女。
リリアル男爵の仕事は終わったはずであった。
「リリアル宮……ですか」
「そうだ。再開発地区で王宮から近い場所に『迎賓宮』を建てることにする。
名前はリリアル……偶然だな」
リリアルとは「白百合」のことであり、王家の紋章は百合であることから、彼女の家名にもいただいたのである。
「それで、私とどのような関係があるのでしょう」
「王妃殿下からのご指名で、男爵が管理をして貰いたいという事なのだ」
いや、それはおかしかろう。宮殿の管理は専門の部署があるはずであり、彼女は王宮の典礼などは一通りしか知らない。管理する部署から苦情が来るとしか思えない。人の採用教育も難しい。王家ならともかく、リリアル男爵の名で人を集める等できようはずもない。集まってくるのは孤児だけである。
「誤解があるようなので訂正をしておく。リリアル宮の敷地を管理してもらう。その為に、衛兵待機所のようなものをリリアル男爵の王都屋敷として提供するということだな」
なるほど。それは『リリアルの塔』計画とマッチするかもしれない。
王宮の防衛施設として、迎賓宮横に「いかにも」な石造の要塞を建造する。非常時には迎賓館に滞在中の国賓などを収容し、救援が来るまでの間立て籠れる防御施設。平時には、男爵の屋敷として機能させることで、無駄な出費を防ぎ限られた王都の土地を有効に使おうという事だろう。
「畏まりました。王都に戻りましたならば、素案を考えたいと思います」
「そうか。引き受けてくれて何よりだ。迎賓宮の仕様に関しては王妃殿下と相談し、良いものを造ってもらいたい。但し、予算は守れよ」
彼女自身は自作で『リリアルの塔』を造ろうかと思うくらいだ。石材は魔法袋に収めて持ち帰れる物もあるだろうし、加工は土魔術と老土夫に依頼することもできるだろう。中の屋敷に関しては魔術が使える基礎などは問題ないだろうし、地盤改良も問題なく魔術で行える。良い鍛錬になるだろう。
『公女殿下もそこで預かれるかもな』
「それも有りね」
リリアル宮では難しいだろうが、リリアルの塔に滞在してもらう事は問題が無い。リリアル宮の下働きやリリアルの塔の管理に中等孤児院の卒院生も採用できるだろう。これは悪くない提案である。
『それと、リリアルが在中しているということで、原神子派に対する牽制もあるんじゃねぇか』
『魔剣』の言うとおりかもしれない。今は抑え込めているかもしれないが、今後は過激にならないとも限らない。人は集まれば気が大きくなり、思わぬ暴走もあり得るのだ。そこに彼女自身が滞在していなくとも、「リリアルの塔」が存在するというだけで、悪意のある者は自重し王都の民は安心するということも考えられる。
『聖地扱いされたりしてな』
「まさか、ありえないわよ」
と、彼女はまた一つ余計な事を言ってしまったのである。
「リリアルが王都にも屋敷を構えるんですか?」
「王都の治安と防衛の拠点を再開発地区にリリアルの名で建設するという事になりますね。迎賓館との組み合わせを考えると、監獄のように見える外観は避けないといけませんね」
碧目金髪はウキウキと、茶目栗毛は仕事が増えそうな気配がして少々表情を曇らせ彼女の話を聞く。
前者は「王都に住めるかも」という期待であり、後者は「仕事が増える」という不安でもある。間違いない。
実際、宮殿として作られる敷地の一部にリリアルの分駐所を置くという形になるのだろう。知名度も上がり、実際に様々な討伐実績を持つリリアルが王都の再開発地域と迎賓館に拠点を設けるという事は、治安維持にも対外的な牽制にも役立つ。
また、王弟殿下の補佐役としても、また王都の社交に参加する場合にもいつまでも実家である子爵家に頼るわけにもいかない。
『副伯への陞爵とリリアル宮の件がセットになるだろ』
対外的には、これまでの王国への貢献に対する褒賞として陞爵と城館建設地の下賜ということになるのだろうが、実際は王弟殿下の傅役を押し付け、王都に在住させ迎賓館の管理人兼守衛もさせる。さらには、『副伯』という伯爵に準ずる役割りを担わせることで、連合王国訪問時の副使もしくは実質的な代表として仕事を委ねることになるのだろう。
『子爵では私設の騎士団が持てねぇから、副伯にして前倒しでリリアルに騎士団を設立させるつもりかもしれねぇな』
王の直臣である男爵・子爵に関しては、古くから封土を持つ家系を除き、領地を与えられることはなく、王領の代官に任ぜられることがほとんどとなる。文官である者は子爵で打ち止めとなり、伯爵となる場合は領地無の「宮中伯」となる。
『副伯』の場合、その枷が外れ何らかの封土を賜り、騎士団を持たせることを王宮は考えている事も推測できる。
「子爵家が騎士を叙任することはできないけれど、副伯ならば可能というところかしらね」
『ギュイエが王国と別の領土だった時代は、伯爵が実質的には公爵並みに大領主だったから、副伯がその分家筋にいくつもあったんだ。百年戦争の前はそんな感じだったか』
ギュイエ公国であった時代、王が公爵家であったため、大領主でも伯爵となる。王国では公爵が最高位貴族だが、公国では伯爵が最高位の貴族となる。副伯は王国においては実質的に『伯爵』の役割を果たす事になる。
「つまり、陞爵を一度省略しても実質伯爵の仕事をさせたいのよね」
『というより、体裁を整えないといまのまま男爵・子爵で仕事をさせる事は少々周りが煩いんだろうぜ』
「子爵の封土で伯爵の仕事をさせるのだから、王家は嬉しいのでしょうね」
『じゃあ、お前は伯爵の方が嬉しいのか?』
男爵でも微妙なのに、伯爵になるなどというのは今の年齢と経験から考えて重たすぎる。それに、実家の爵位を越えるという事にも抵抗がある。
『副伯なら精々領都リリアルくらいで済むだろうし、封土となる街や村も多くはないだろう。予想はついているけどな』
おそらく、過去に関わりのあった子爵が代官をつとめゴブリンに襲撃された村、加えて、人攫いと結託し隠れ家を提供していた王都東の村。村民全員が犯罪奴隷となった村である。この二村に少し加わる程度だろうか。
猪討伐の依頼を受け、ゴブリンの村塞の発見につながった村もあった。『魔剣』が付け足すようにある場所の名を上げる。
『あの厄介な森も今は王領だよな』
「厄介な森」とはワスティンの森である。王都に向け運河の掘削工事が始まる要地でもあり、魔物が多く住む化外の地でもある。幾度か依頼を受け、討伐を行ったが、『鉄腕』が潜んでいた城塞都市の遺跡あたりを改修し、開発と防衛の拠点とするように命ぜられるかもしれない。
王都南方にあり、今のリリアル学院から南に下った騎士学校のさらに南に存在する太古からの自然が残る古い森だ。その先には……
「ヌーベ公爵領」
『あの怪しい反王家の生き残りの公爵領を抑える位置にあるのが、ワスティンの森だな』
「入口とも言えるわよ。あの森の魔物は、ヌーベ公領から放たれている可能性だってあるわ。それに……」
今は鳴りを潜めているが、『鉄腕』がオーガ化していたことも気になる。自身で変化するとは思えないからだ。盗賊騎士に、そのような探求心があるとは到底考えられない。
「戦力が足らないわよ」
『だが、良い採取場所でもある。冒険者としての訓練だって日帰りで出来る』
数年後、四期・五期とリリアルの魔術師が育ち、中等孤児院の受け皿としてワスティンの森の街の復興、運河掘削事業への参画などできれば雇用も生まれる。その辺りまで含めて、『下賜』されるのであれば、考えないでもない。
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姉が「聖都」に到着したと知らせが来たのは、オラン公と王国の覚書が成立した二日後であった。ちょうど良いタイミングで、オラン公もトラスブルに向け軍を出立させるところであった。
「閣下、先に聖都にてお待ちしております」
「ああ。マリアの件、よろしく頼む」
アンゲラを出るに際し、彼女は王弟殿下と宮中伯に断りを入れた上で、オラン公を聖都で公女と待つことを告げた。
三人は騎乗し、再び聖都へと向かう。
「またお尻の痛い一日が始まります」
「慣れれば大丈夫になりますよ」
「硬いお尻の好きな男性なんていません! 絶対嫌です!」
嫁にしたいリリアル生No.1(騎士団調べ)である碧目金髪。いつもは、タンデムシートの後ろか馬車にのるのだが、今回ばかりは一人で馬に乗ることを強いられている。ちなみに、横乗りではない。
「これから、騎士としての務めも覚えてもらうのだから、騎乗は必須よ。それに、騎士学校は半年の間の半分くらいは遠征ですもの。慣れておかないと」
「そ、そんなぁ……お尻が二つに割れちゃいます!」
そんなもので済むはずがない。野営し、魔物や盗賊を警戒し、常に自炊しなければならない。周りは全員おっさん騎士である。
「騎士団で従騎士から騎士になる為に挑戦する人は、大概、既婚者よ」
「……え……」
「従騎士の時点で平民としては出世株ですもの。ニ十歳くらいで結婚してしまうみたいね。そもそも、騎士を目指す理由が冒険者を止めて自分の仕事の経験を活かして安定した生活をする為なのよ。一流冒険者が少ない理由は、結婚して引退するからで、その転職先の多くは騎士団なの」
騎士団に所属した時点で結婚もしくは結婚前提の女性がいるという事になる。騎士学校に入校した時点で既に騎士に叙任される事はほぼ確実であり、半年間の入校期間前に結婚することが普通なのだという。騎士学校に入校中、新居を整えたりするらしい。
「ああ、騎士学校に夢も希望もありません」
「近衛騎士は若いわよ」
「……貴族のはしっこには興味ないので……」
ルイダンのせいで、近衛騎士の株暴落中。
近衛騎士は、実家の爵位を継げないもしくは次期当主を支える人材として認められ実家に残る事ができなかった者、聖職者となり地域と実家に影響を与えることができなかった貴族子弟の終着駅である。
近衛連隊の士官になる道もないではないが、狭き門である。そもそも、それほど士官は必要とされておらず、尚且つ、連隊長が人事権を持つため自分の影響力が及びやすい同郷の貴族子弟を集めたりするので、それ以外の近衛騎士の場合、余程の能力が無ければ任官されない。
ここで気が付くのは、実家の役にも立たず聖職者となるほどの頭脳もない、剣の腕にちょっと自信がある程度の騎士では、近衛連隊に呼ばれる事はまずないということである。決闘するか高位貴族の腰巾着になって過ごすしかない。
「先生は、どこでなら出逢いがあると思いますか」
そんな重要なことが分かっていれば、彼女はとっくに婚約なり婚姻なり成立させている。聞くだけ野暮だろう。