第462話 彼女は『聖アリエル』と呼ばれる
第462話 彼女は『聖アリエル』と呼ばれる
世間には子供に対して「天使のように可愛らしい」という褒め方が存在する。これは、最近、法国からの流れで写実的な宗教画が描かれるようになり、以前のタペストリーに示されるような平面の記号的絵画の天使ではなく、実際に存在する幼児、乳児をモデルにしたかのような、可愛らしい絵姿の天使が描かれる事からきているようだ。
振り返るに、確かに彼女も幼年期においては姉と並んで『天使のように可愛らしい』と称賛されたことはある。だが、現在は十六歳であり、天使と並び称される年齢はとうに過ぎている。
「ですから、聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル様達と並ばれる!」
「……私は天使ではありません」
ややテンション高めの中年小太りな司祭に案内され、彼女は『聖アリエル』と呼ばれている理由を問いただすかのように聞いていたのだ。『聖女』では物足らないと言い始めた彼女を慕う信徒たちの中で『天使だ!』と誰かが口走ったことがきっかけで、『ならば、聖アリエル様と呼ぼうではないか』と口の端にのぼるようになったのだという。
「聖都ではそうなのでしょうか」
「……ミアンやシャンパーでも聞くようでございます」
「あ、わたくし先日王都の大聖堂に伺った際に、そう呼びならわしている者を見かけました!」
どうやら、リリアル男爵天使化現象は広まりつつあるらしく、年齢的には『妖精騎士』よりかなりアイタタな呼び名となっている。
「聖アリエル……いい」
「いや、駄目だろ。異端審問されんぞ、生きてる人間を天使扱いとかよ」
天使を幻視したといった逸話を持ち、その導きで偉業を成し遂げた存在を王国人は良く知っている。『救国の聖女』と呼ばれた百年戦争の英雄であり、連合王国に異端審問に掛けられ、魔女として火刑に処せられた女性のことだ。『救国の聖女』ですら、死後に聖人に列せられていないというのに、生きている彼女が天使扱いというのは、異端審問されかねないのだが。
「厳にお断りしたい呼称です。異端審問されかねません」
「王国では、異端審問は行わないと国王陛下自ら宣言されておりますので、問題ないかと思われます!!」
そういう問題ではない。
「アリエル様!!」
大聖堂内においても彼女は呼びかけられたように思われるが、冒険者『アリー』でもなく、商会頭息女『アリサ』でもなく、アリエルと呼ばれたのは初めてである。
挨拶に出向いた大司教の居室。公女殿下と彼女二人で大司教猊下に来訪の挨拶と、公女殿下のしばしの保護をお願いしに出向いたのであるが。
「……司教様、少々お伺いしてもよろしいでしょうか」
「もちろんでございます」
「……ありがとうございます。『アリエル』とは、どなたのことでしょうか?」
司祭は十字を切ると、恭しく頭を下げ告げ始める。
「畏れ多くも、御使様である、ミカエル様、ガブリエル様、ラファエル様の三大御使様に並ぶ第四の御使様でございます」
どうやら、御神子の使いとして現れる『御使』の一人の名称らしいことが理解できた。それをなぜこの場で名乗るのであろうか。
「第四の御使様は、王国を救うために使わされた黒目黒髪の少女のお姿をしていると……いうのでございます」
彼女は少し理解ができた。これはおそらく『聖女』という呼び名がさらに進んだものであり、王国の民が彼女に化体した御神子の使いを意味しているのだろう。聖女より御使様の方が御利益がありそうだから……そんなこところであろう。
「司祭様、リリアル男爵とお呼びください」
「……承知しましたアリエル様。聖アリエル・リリアル男爵閣下でよろしいでしょうか!!」
「……リリアル男爵だけで結構です」
こんな呼び方が教皇庁に伝われば、偶像崇拝だ異端だと騒がれかねない。神国とは表面上は和を結んだが、一世代前には五十年に渡り戦争した関係である。異端審問大好きな彼の国に揚げ足を取られるのは良くない。
「司祭様足る者、教皇猊下のお認めにならない呼称を使われるのはいかがなものでしょうか」
「……! はっ、そうでございますね。これは、教区の司教様を通じて是非、働きかけを!!」
全然そうじゃない。特に、『アリエル』という名称は、カナンの言葉で『神』を意味するのではなかったであろうか。もしくは、『風の精霊』の意味もある。もしかすると御神子の神は、風の上位精霊から神格化したものなのかもしれないと、彼女は考えていた。
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大聖堂に公女殿下とアンネ=マリアを預け、彼女たちはリリアルメンバーの到着を待つチームと、アンゲラ城に向かい王弟殿下と打ち合わせをする彼女に同行するチームに別れる事になる。
残るのは、歩人、村長の孫娘、赤目銀髪の三人。公女殿下付きの警護役も兼ねてもらう必要がある。
「任せて」
「おいしいもの食べて待ってます!」
「大聖堂の修道女と同じものが、美味しい分けねぇだろ……でございます」
えええ!! と驚く孫娘。いや、大聖堂だから、それなりに充実したメニューで提供されるはずである。聖ミカエル山修道院はそれなりに整った食事であった事を思い出す。菓子職人や料理人、酒造職人もいるのが大聖堂なのだ。
「セバスさんだけ麦がゆにすると良いと思います」
「セバスなら草だけでも大丈夫。草食動物だから」
「んなわけねぇだろ! パンと水だけで生きるにあらずって御神子様も仰ってるだろ。俺は、信徒じゃねぇけど」
歩人や土夫は独自の精霊信仰なのだろうか。少なくとも、人間の宗教を
信じているとは思えない。
「それだと、大聖堂で食事や寝泊まりはできないのではありませんか?」
「いや、俺かなり熱心な御神子信徒だから。カナンに足向けて寝た事ないから」
『ゼン』が歩人が大聖堂に泊まれないのでは?との疑問に掌返しで即対応。
一先ず、食事をさせてもらう事にする。
食堂は……落ち着かない。彼女が注目されていることと、話しかけようとする素振りが周囲に広がっているからだ。とは言え、少女とはいえ男爵家の当主である彼女に容易に話しかけられるものではない。神の前に平等とはいえ、礼儀作法はそれとはまた別の価値観であるからだ。親しき仲にも礼儀ありというではないか。
「おいしい、おかわりしたい」
「えー 修道院とかお代わりできるんですか?」
定められた量以上の物は残念ながら提供されない。食事も戒律に則って
提供される。魚は出るが獣肉は提供されない。おかずが二品、野菜と果物がさらにワインが付く。リリアルよりおかずが一品多いのだが、お代わりし放題のリリアルと比べると育ち盛りの赤目銀髪には少なく感じたようだ。
「……私の分をあげるわ」
「それはだめ。院長先生も成長しないと」
赤目銀髪はスレンダー仲間である。何か問題でもありますでしょうか。
大聖堂としては規則を曲げるわけにはいかない……とはいうものの、リジェ司教からの親書にある『吸血鬼討伐』達成の報告に対し、再びリリアルへの賞賛が高まると同時に……
「聖アリエル様とその従者の皆様へ、これはお供えでございます」
「ん、ありがと」
従者と呼ばれ歩人ではなく、赤目銀髪はナチュラルに答え、追加の料理と一等豪華なデザートが供されることになる。どうやら、通常の料理の配膳が終わった後、追加で作ったもののようであった。
「……ご配慮痛み入ります」
「いいえ、神の真理に反する不死者どもを塵に戻されたのですから、この程度の余禄何ほどのことでもございません」
応対する司祭曰く、聖騎士団においては、集団で討伐したとしても吸血鬼討伐を達成した者たちは、間を置かずに『上級聖騎士』となるという。上級ともなれば、一般的な大聖堂なら聖騎士隊長にも任じられる。装備は魔銀製の剣となり、武名も知られる騎士となる名誉な存在だ。
「この度は四体も討伐されたとか」
「そのうち一体は、雷の魔術を使う強者だった」
「……なんと!!」
「けど、聖アリエルの剣の前には無力!!」
「「「「流石、聖アリエル様ぁ!!」」」」
余計情報を周りに与える赤目銀髪。両手にデザートで満足気である。
魔術を使える吸血鬼の討伐難易度は格段に上昇する。特級聖騎士となり、騎士団長の座も確実視される程の脅威度となる。歴史的に見て、魔術を使える吸血鬼の討伐記録は片手の指に余るのだ。それを、単独で成し遂げたということに、大聖堂の聖職者たちは驚愕する。
「その、嫌な気配がしたから、たまたまよけられただけです」
「まさに神の啓示。聖アリエル様に神のご加護があるのは当然でございますな」
「まさに愚問。軽々にして侮るなかれでございます」
なにやら、勝手に納得され始めた。単純に、吸血鬼だとしても魔術を発動する際には魔力の高まりを感じる。魔力操作と魔術の鍛錬により、彼女はその洞察が格段にうまいという事なのだ。
主な理由は……姉の悪戯回避なのだが。神の啓示では断じてない。
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いたたまれなくなった彼女は、早朝に挨拶も早々、アンゲラを目指す事にする。その前に、オラン公軍がネデル騒乱を起こした影響が暗殺者養成所に出ていないか、再度、歩人と『猫』に探るよう命じる。
『調査の後、報告の為アンゲラに向かいます』
「俺は、聖都で後から来るリリアルの奴らに話をしておく。戻ってきたら攻めるんだろ?」
「野営用の食料や衣料品、それと……」
「大丈夫だ。子供たちの救出用と救護用の装備も当たっておく。足らなきゃ、ニース商会にでも無理やり用立てさせる」
「そう……姉さんの名前で、盛大にはぎ取って頂戴」
歩人はニヤッと笑い「承知いたしましたお嬢様」と最敬礼で答える。
馬に乗り、彼女と灰目藍髪、『ゼン』はアンゲラ城へ向かう。アンゲラ城は、この地域で最大の城塞であり、幾度となく百年戦争でも係争地となったのだが、その理由は巨大な城塞に対して守備兵を十分に配置することができなかったことによる。
この城塞を築いた『ゲラン男爵』は、王国北東部において最大の貴族であり、聖王の治政において国王の有力な協力者だったという。残念ながら、巨費を投じ建設したアンゲラ城は、聖征の時代も終わり、また、ゲラン家の男系が断絶したこともあり、その最後の子女から王家は金貨四十万枚で領地ごと購入し王領とするに至った。
「ここからどのくらい離れているのですか?」
「百キロくらいね。夕方までには到着するでしょう」
ミアンに遠征したことのある灰目藍髪からすれば、近いのかと考えていたが、王都からの直線距離は変わらずとも、東と北東の中間ほどにあるアンゲラは、聖都からかなり離れている。
とはいえ、聖都とミアンを守る戦力を駐留させる適切な城塞は、アンゲラ城以外に存在しない。近衛連隊の駐屯地として連合王国・神国・帝国に睨みを利かせる位置にあると言えるだろうか。
「巨大なドンジョンを持つと聞いていますが。実際どうなのでしょうか」
「巨大なうえに、丘の上に建設されているので、下から見ればバベルの塔のように見えるわね」
バベルの塔とは、聖典に描かれている洪水除けの避難所のことである。石材の積み方が悪かったのか、途中で崩れてしまい国が崩壊する原因となったと描かれている。為政者たるもの、拙速を貴ぶにも良し悪しがあるということの一例だろうか。
丸一日馬に揺られ、アンゲラ城にようやく到着する。城門には王弟殿下が逗留されている事を示す紋章の入った旗が掲げられている。門外には近衛連隊の中隊規模の部隊が野営地を建設し滞在しているようである。彼女の姿を見て、門衛が敬礼をする。
「リリアル男爵です。王弟殿下の元に向かっています」
「はっ! 閣下のご到着お待ちしておりました。どうぞ、中へご案内いたします」
副元帥は下馬を必要としないため、そのまま城の中へと通される。轡は門衛の一人、案内人が捉えて先導する。『ゼン』は一先ず馬を預けに厩舎へと向かい、灰目藍髪だけが徒歩で彼女に同行する。
城館の入口で下馬する。門衛から王弟に近侍する見たことのある顔の近衛騎士へと案内が変わる。
「ついてこい……いや、ついて来てください」
彼女の容姿は知られているものの、一見は少女に過ぎない。一瞬、自分の身分と彼女の身分を錯覚し、言葉選びを失敗する近衛騎士。その言葉をいい直させたのは、彼女が衣服の首の部分に飾る『聖ガブリエル勲章』を見たからである。
『聖ガブリエル勲章』は、近年王国が定めた勲章の一つであり、「衆人を指揮し困難な任務に格別の功績を上げた『騎士』」に授与される最高の勲章である。ミアン防衛戦において活躍した功績を称え、彼女が国王陛下から授与されたものである。
因みに、灰目藍髪も他のリリアル生と同様に『聖ミカエル(ミシェル)勲章』を与えられている。勿論、こんなこともあろうかと彼女と同様に掲揚している。近衛連隊は参加しているものの、近衛騎士全員が参加していたわけではない。王弟殿下の側近では派兵されなかったであろうから、この勲功とは無関係であり、一瞬、灰目藍髪の顔も忌々しそうに見ていたのは言うまでもない。
『王弟殿下の側近てよぉ……』
『魔剣』が皆迄言わずとも「閑職」とか「冷飯食い」の類であることは明々白々だ。国王が未熟であり、王太子が幼少であれば王位継承権を持ち王太后の後ろ盾もある王弟は有力な存在であったが、今では南都を委ねられ、次の治政の足がかりを与えられている王太子と、王都でフラフラしている中年独身男の王弟とでは、側近においても将来性がまるで違う。
とはいえ、王弟の周辺に侍るような家柄しか取り柄のない近衛騎士では、あの腹黒苛烈であるところが彼女の姉と双璧を為す王太子の側近には決してなれないだろうことは明白なのだが。王弟殿下ほど、あの王太子は甘くない。
城館の最上階、中央にある城主の執務室へと向かう。
「待っていたよ、リリアル男爵」
案内されると中には、ゲッソリした顔の王弟殿下と、いつもの冷徹な雰囲気のアルマン宮中伯が待っていた。