第458話 彼女はリジェとオラン公の会談に立ち会う
第458話 彼女はリジェとオラン公の会談に立ち会う
さっぱりとしたオラン公は、疲れのにじみ出た顔も髭を整え多少ましになったような気がする。ルイダンも同様だ。
早速、司教猊下と参事会員と顔合わせをし、一先ず食事をする事になる。食前酒となる蒸留酒とワインはニース商会の商品を差し入れて提供している。
「この風味は……林檎ですわね」
「レンヌやサボアでは林檎酒も作りますので、林檎酒を基にした蒸留酒も作るのでございますわ」
「ほぉ、これは風味豊かでありながら、酒精もしっかりしておりますな」
公女殿下の口に合いそうなものを提供し、オラン公が自然に声を聞けるように配慮する程度のことは姉なら当然である。
リジェのある南ネデルは牛の煮込み料理が名物であり、オラン公もその領地を差配し、高位貴族としてまた州総督としてロックシェルに出仕している時代は良く口にしていたであろう物が提供される。
司教とはいえ、一国の君主に相当する司教宮殿付きの料理人の提供する料理の味は王宮のそれと遜色がない気がすると毎度彼女は思うのである。
「こちらのワインは、甘めですのね」
「古帝国時代に作られたワインは、今の種より糖度が高く酒精も強い物が多かったそうですね」
「良くご存知ですわね。これは、サボア公国のトレノ近郊で作られるワインで、品種も古帝国時代のものに近いようで甘いワインになります。公爵様は戦陣でお疲れと思いましたので、こちらも少々甘口のワインをお願いしてありますのよ。疲れを取るには甘いものがよろしゅうございますわね」
おほほ、とばかりに笑いを振りまく姉。それに見惚れる参事会のおじさんたち。こうして、サボアのワインや蒸留酒がニース商会経由で持ち込まれる事になる。今までは、海路、ボルデュや神国のワイン・蒸留酒がネデルの港経由でリジェに持ち込まれていただろうが、これからはニース経由で王国内を通り、そのままデンヌの森から直接リジェに届くことになる。
王国内において、ニース商会は特権商人であり関税その他が免除されることになる。サボアにとっても同様であり、リジェはその分良い酒類を安く手にいれることになる。
リジェで消費する酒にも当然、ネデルの港を経由すれば神国に税が落ちるわけであり、使わなければその分ネデルの税収が減る事にもなる。小さなことからコツコツとである。
一通り料理を楽しみ、当たり障りのない近況など……あまりないのだが、公女殿下が同席している間にはあまり話もできないので、王国の話などを少々話す事になる。
「王都はとても広いと聞きましたが、如何でしょうか」
「人口は三十万に届くと聞いております。古い城壁の外側に新しい城壁を建設中で、新しい街区ができますと今少し増えるかもしれません」
ついでに、墓地の移転が完了すればさらに住みやすくなる。帝国最大の都市であるコロニアでも四万程度、連合王国の首都もその程度であると聞く。王国の王都が長い間掛けて整備されてきたという面と、王家がそこを動かなかったということもある。
大きな都市であろうと考えていた公女殿下が驚いたのは当然として、リジェの参事会員の中にも顔に出ている者がいる。
古代において、今の王国のある地域にある都市において、王都は教会がある程度の駐屯地であり、そこに住む兵士が生活するための街が在った程度であったと伝わっている。
その後、入江の民の襲撃をたびたび撃退し、現在の王家の始祖となる伯が善政を敷いた事、そして何より、王の血筋が続いている事こそ、繁栄の秘訣でもある。
大貴族が実力で王になる事は難しい。どこかで、その地を納める王の血が入っている者がいなければ、王を名乗ることは出来ない。大公や王のような振る舞いをする公爵が存在するが、王位を名乗れない理由は、王位を持っていない故なのだが、その理由は、血筋である。
高位貴族が王家と婚姻を結びたがる理由は、王家の血を自分の家系に引き入れる事で、王を名乗るチャンスを得る為でもある。連合王国の王家にも王国の王家の血筋を持つ王がいたりすると、『王国の王位は俺のもの』と宣言し、戦争を始める事があるのだ。
百年戦争の始まりはそれであり、当時の連合王国の王は、先々代王の娘を母に持つ、王の孫でもあった。王国の王位継承者の嫡流が断絶し、分家筋から王を立てたため、嫡流である王の娘の子である連合王国の王が名乗りを上げたのだ。
とはいえ、今の王家も立派に王家の血を引いているのに加え、百年戦争を戦い抜き王家としての威信を確立している。貴族を従え、王国を豊かにするため良い統治を継続していることが民に理解されていれば、そうそう王位が揺らぐものでもない。彼女の家は、それを助ける家柄なのだ。
「王都にお越しの際は、姉がご案内いたしますわ公女殿下」
「二輪馬車に乗ってみたいのです。自分が操る事もできるのですわね?」
二輪馬車は客室がオープンであることに加え、背後に馭者台がある形をしている。馭者台から操る事も、客室から操る事も可能だ。公女マリアは当然魔力持ちなので、魔装二輪馬車なら安全に自走できるだろう。
「少し郊外で練習されてからであれば、公女様にも操れるでしょう」
「王国では王妃様も王女様も嗜まれますので、可笑しくはありませんよ」
「まぁ。そうなのですね。ぜひぜひ、お願いしたいですわ」
オラン公が渋い顔をするが、騎乗よりは格段に安全だ。落馬する危険はないのだし、男装する必要もなくドレスに近い様相で乗れる。
二輪馬車と王都話をしたあたりで、食事の時間が終了した。
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食堂から場所を変え、ここからはリジェとオラン公の密約の確認となる。大筋はリジェに関しては問題ないだろうが、オラン公側からすると何か要求したいことがあるかも知れない。
政治的バランス感覚のしっかりしている公ではあるが、どのような提案がなされるかは正直彼女には予想がつかなかった。
公女殿下と共に姉がさがり、残ったのはオラン公とルイダン、司教猊下とその側近である司祭、リジェ参事会の代表三人、そして彼女である。
「少々手狭ではあるが、ご容赦願いたい」
司教猊下がそう断りを入れ、飲み物手配をした後、話が始まる。オラン公からこの遠征で少なからぬ影響をリジェ司教領に与えたことを謝罪する言葉から会談が始まる。
彼女もリジェ側も、公にでは無いもののオラン公が頭を下げるとは考えていなかったので、少々驚きを覚える。
「公爵閣下の謝罪は受け入れたいと思う。皆はどうだろう?」
司教猊下の言葉に、少々不本意そうな表情を浮かべながら、参事会員たちが同意する。
「いや、このまま総督府の行動を掣肘する者がいなければ、ネデルはこの世の地獄のようになっていたでしょう。神国本国の状態を考えると、この国から、ラビ人も原神子派信徒も、その改宗者も住むことができなくなります」
神国本国が始めた異端審問は、既に本国では七十年も続いている。最初は、改宗者の中に御神子教を信仰しないサラセン人が紛れ込んでいるという懸念と、その人々が国を歪めるという危機感から始まったのだ。
ところが、改宗して迄神国に留まった者の多くは「商人」「学者」であった。彼らは神国国内の産業にとって必要な人間であり、また、国を運営する上で必要な官僚として宮廷に籍を置く者もいた。
政争・利権闘争の結果、改宗者は軒並み『異端審問』を受け排斥されるか、危険を感じてネデルや連合王国、王国においてはボルデュなどの西部ギュイエ公領へと亡命する。
結果、どうなったかというと、神国国内での産業と政治の壊滅的な停滞が発生した。国を動かす歯車である人材を処刑して回ったのだから当然だろう。同じことが今、ネデルで発生している。このままでは、ネデルの経済は壊滅状態となるだろう。信教的には正しい行いだとしても、経済的にも政治的にも良くない事が起こる。
オラン公が立ちあがった事で、ある程度異端審問に割く力が弱まることは早期にはないだろう。先ずは、オラン公に付き軍事的行動を起こした者の処分が必要となる。
だが、その後は、一旦剣を納める必要があるだろう。税収を確保するには税金を払う者を確保しなければならない。巨大な神国軍を維持する為には、ネデルの産業を保たねばならない。異端審問官はともかく、総督と神国国王はその事に当然気が付いている。
「我々としては、リジェ領の独立、神国総督府が柔軟になる事が何よりの願い。公の活動が、短期的にはリジェ領に損害を発生させたとしても、長い目で見れば、利を産む事になりますでしょう」
「ははは、笑って済ませることは出来ますまいが……リジェは銃を始めとする武具の一大産地。今回の戦役の結果、再び多くの注文を受けることができますれば、損は取り返せます。あまり悔やまれませぬように」
参事会メンバーがそれぞれの思いを口にする。本音もチョロッと隠しきれていないのだが、ネデル総督府の暴走を抑制しリジェの独立を保ちなおかつ経済的利潤を高めることが大切だという意識を伝えることができたようだ。
戦争すればリジェは儲かる。周辺の司教領の村落にも恩恵はある。故に、周り回って回収できる損失は気にするなという事なのだろう。
今回の遠征は既に目的を達しており、あとはオラン公がネデルから引き上げることで問題は解決するという。
直卒の軍のうち、騎士・騎兵五百の半数はオラン公に同行し、原神子派の拠点都市に滞在し、傭兵団のように活動するという。大半の歩兵と帝国内に所領のある騎士達はトラスブル経由でディルブルクへ帰還する予定だという。
「今後も良い関係を築けるように、互いの立場を尊重したいものです」
オラン公は、帝国で結ばれている『聖霊和約』の内容を遵守し、リジェ領内において、オラン公の軍がこれ以上騒乱を起こさない事を約束する。
「こちらもそれは同意いたします」
「しかし、今後の関係をどう調整するかは、課題ですな」
ニース商会が仲介するとはいえ、意思疎通を手助けする程度の関係だろう。手を結ぶことは宗派の違いから困難な面もある。参事会に参加する多くの商工人は原神子信徒が含まれるが、だからと言って司教領内で原神子派の活動を支援するつもりはあまりないようだからだ。
ネデル国内でリジェをオラン公の活動拠点に提供することは司教猊下の立場からしても困難である。もう少し、新興都市で、水上の移動の可能な港湾都市が望ましいだろう。リジェはいささか内陸過ぎるのだ。いざという時に、船で大勢が逃げ出せない。
「王国が仲介者になって下さるのが最も良いのだが」
「そうですな……王国の王家は教皇庁との関係も良好。オラン公と今の国王陛下は面識もあると伺っております」
「確かに、面識はあるが……」
リジェとオラン公の関係を担保するつもりは王国にはないだろう。むしろ、個人的に王弟殿下あたりに委ねることが良い落としどころかもしれない。
国や国王が仲介をした場合、国内の勢力の中に原神子信徒であるオラン公に肩入れすることを良しとしない者も少なくない。また、関係が悪くなった場合、王国・国王の調停能力に不信感を持つ者が生まれる可能性もある。
王弟殿下の場合、そもそも政治的な能力に対しては未知数であること、さらに、連合王国の女王陛下の王配候補として原神子信徒に対する理解があるということは有利に働く事、なにより、アンゲラ城でオラン公とはこの後会談する予定であることが決まっている。
「王弟殿下を仲介者とするのはいかがでしょう」
「……国王陛下の弟御か。あまり人物について聞かぬ方だが……」
大丈夫かと全員が彼女の顔を見る。うん、大丈夫じゃないかもしれないよ。だが、王国自体を仲介者にするよりは受けてもらいやすいだろう。王弟殿下も政治家としての力量を示す機会でもあるし、リジェ司教領と懇意にする理由付けにもなる。
リジェから得られるネデルの情報を活用する機会が、王国北東部を預かることになるだろう王弟殿下には多くあるはずだからだ。
「手腕は未知数ですが、連合王国の女王陛下の王配候補でもありますので、原神子信徒に関しては……」
「なるほど。中立かやや同義的か」
「国王陛下よりも、柔軟に対応していただけるやもしれません。王太后様も大変大切にされていると聞きます」
マザコンである。いや、王太后の存命中は、王弟のやらかしに対しても十分国王はケアするだろう。その後は微妙だが、母親の目の前で弟を見殺しにするという決断をするとは思えない。冷徹ではあるが、冷酷ではないのが国王陛下の性格だ。
「リリアル男爵。王弟殿下と引き合わせて貰いたい」
「リジェにも一度足をお運びいただければ。街を挙げて歓待いたしましょう」
「リジェ司教領としては。国賓として司教宮殿にご招待いたします」
オラン公リジェ側双方に依頼され、彼女は頷かざるを得なさそうだ。リジェ訪問は……王太后の許可が必要そうだが、なんとかなるだろう。
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オラン公とリジェ司教領の間の密約は、最終的に王弟殿下が仲介者として立ち会う事で成立するということになる。今の段階では「覚書」というところだろうか。概ね合意、詳細を詰めたのち王弟殿下立ち合いの元書面にて締結する……
となる。
『宮中伯も呼んだ方がいいだろうな』
「……いい考えね。陛下を巻込まなくとも、王宮には関わってもらうべきですもの。今後の王国の外交政策にも関わるでしょうから、アルマン様が裏で舵を取るべき内容になるでしょう」
宮中伯アルマン。次期宰相とも呼ばれている男だが、彼女とはいささか関係が深い。祖母の孫弟子とも言われているのだが、彼女に当りがきついのは祖母の影響ではないかと彼女は最近考えている。
部屋に戻ると姉がいた。
「お疲れ、妹ちゃん」
「……そう思っているなら、そっとしておいてちょうだい」
「あはは、動かなきゃならないでしょ? リリアルだけだと後手に回りそうだから、私も協力するよ」
王宮内の工作なら、姉を巻込んだ方が楽だろうとは彼女も理解している。先ほどまでの密約会談に関して、一通り姉に伝える。
「妹ちゃん中心に会議が動いたわけだね」
「なにをどう理解したらそうなるのかしら? 原神子派の巨頭と、御神子教の司教猊下が直接取決めを行うというのが難しいので、王国を仲介者にしたいと申し出られたのよ。でも、王弟殿下が適任だと提案しただけよ」
一応、彼女は王弟殿下の『婚約者候補』である。王太后もお飾りの王都総監だけでなく、外交的得点も可愛い末息子に与えたいだろう。
「宮中伯を補佐役に付けるのはいい考えだね。書面作成なんかは、それが正解だろうし、文面で王国が巻き込まれないように上手に内容を工夫するのも王弟殿下じゃ難しいだろうしね」
法律文章の専門家に密約とはいえ、協約文章の作成は任せるべきだと姉も同意するのである。