第453話 彼女は会戦を確認する
第453話 彼女は会戦を確認する
春の南部遠征、ほぼ同数のネデル総督府軍に対して、オラン公軍は一蹴される事になった。
典型的な、槍とハルバードを装備した方陣に少々のマスケットを加えた部隊であったオラン公軍に対し、ネデル総督府軍の方陣は槍兵と銃兵の比率がほぼ半々の戦力であった。
また、編成に関しても、小規模の単位を整える事で、集団戦の中で指揮系統を整理し、柔軟な運用が可能なように工夫をしている。
定数3000人の連隊を単位とする運用を中隊として分割。250人を基準とする中隊を運用の単位とする事で、細かな戦場での対応を可能とする事ができるようになる。歩兵の戦列を一塊とした場合、前進と停止程度しか命令を行う事が出来ない。
中隊を一単位とする事で、V字型の包囲や斜行陣などの戦列の厚みを変える対応も可能となる。追撃も中隊単位の命令を行い組織的に可能な範囲で実行することができる。
硬直した寄せ集めのオラン公軍に対し、中隊単位で有機的に機能し尚且つ、一方的に攻撃のでき、なおかつ槍の方陣に守られ十分な訓練を受けた銃兵が射撃を行うネデル総督府軍は野戦において戦えば、おそらく春の遠征と同じ結果が出るに違いない。
『テルシオ』と呼ばれる騎兵・槍兵・銃兵の組合せによる軍の編成は、神国軍が最も進んでおり、先代国王であり先々代皇帝の命で進められてきた軍制改革の結果である。
250人のうち20名の銃兵を有する『槍兵中隊』と、指揮官を除く全員が銃兵の『銃兵中隊』を組合せ編成されているのだが、槍兵中隊の構成そのものを槍銃半々とする編成に変えるという方針のようである。この結果、さらに小さな中隊単位での活動が効果的になるだろう。
オラン公軍は全て『槍兵』中隊であり、騎兵戦力が互角であったとしても、歩兵である槍・銃兵の戦力は隔絶していると言えるだろう。さらに、訓練された常備の傭兵で編成された総督府軍と、臨時雇いの傭兵で編成されたオラン公軍では石で卵を叩き潰すように敗北すると予想する者も少なくない。
姉が契約を終え、宮殿へと戻って来る。彼女の中では、宮殿に残すメンバーと、オラン公の元に向かうメンバーを分け、残すメンバーを姉に預けようと考えていた。残すのは、村長の孫娘と歩人。外見的な問題と、馬上で剣を扱えないという点を考慮してである。
「妹ちゃん、戦場に出るんだ」
「初めてではないもの。これで三回目よ」
「あー お母さん知ったら卒倒するね……」
古今東西、戦場に貴族の女性が出たことがないわけではないが、ほとんどの場合攻城戦で包囲される側の指揮官としてであり、実際に剣を持ち戦うわけではない。剣を持ち敵と戦うのは伝説の類になるだろうか。
とは言え、『竜殺し』の英雄である彼女にとって、戦場はさほど危険だとも思えないのだが。
「全然違うから。お母さんの中では、『竜』はおとぎ話とかお芝居の範疇なの。ドンパチとは違うんだよ!!」
とは言え、大砲が飛び交う海上の戦いよりは多少ましだ。その場合、砲弾で砕かれた木片が飛び散り、人に突き刺さることで傷だらけになることが少なくない。死にはしなくても、手足の欠損や細かい傷が体中に生まれる。
「大丈夫よ、本営近くに控えるだけであるのだし、騎兵で少数で移動するから問題ないわ」
ついでに、潰走する時はルイダンも回収したい。
「王弟殿下は今どこにいるんだろうね」
「もう、アンゲラ城で近衛の先遣隊と待機しているはずよ。あの方、王族なのに軍の指揮経験もないから、今後の為に教導役を付けて運用させるそうよ」
今後、爵位を与えられアンゲラ城とその周辺の領地を守る役目と、その北にある『カ・レ』の街の防衛も委ねられることになるはずなのだ。連合王国の女王陛下の王配の話は半分として、そのことを切り口に連合王国の情報を含め、この地で情報収集の役割りも果たしていただくことになるという。
貴族・王族というものの社交には、ヒューミントの要素が多分にある。噂が流れる場合、流す側に意図があり、その意図を分析することで相手の行動を予想することができると考えるのがその考え方である。
「姉さんの得意分野よ」
「そうだね。腹の探り合いという意味では、噂を流して人の心理を誘導すると言うのは定番だね。あの辺の街に流される『噂』はそれぞれの国か、その国の側に付いた有力者が流しているだろうから、収集して定期的に分析することは有益だね。商会の定期報告にも必ず求めている事だしね」
商人にとっても、噂は真偽を別にして流れる理由を分析することで商売に繋がる事は多くある。隠されている事象を読み解くことも、目利きのうちなのだ。
「リジェの街はどうするつもりなんだろうね」
司教領としては教会を排斥する原神子派信徒の存在を容認することはできない。とは言え、帝国の修道士が始めた『革新運動』の結果生まれた原神子派の思想は、帝国のみならず、多くの国で活発となっている。その多くは、教会の在り方に不満を持つ者であり、騎士や農民にも少なからず存在するが、その多くは都市住民、特に商人や職人などである。
文字の読み書きができない人間でも、その考え方を綴ったパンフレットを酒場などで文字を読めるものが朗読し、そこで即興の意見交換会が始まる。言葉を持って教会の在り方を批判するというのは、一種の知的興奮を呼び起こし、その熱狂に飲まれやすい帝国人は……蛮族的になのだろうか……盛り上がりに留まるところを知らないまである。
古帝国の境であるマイン川の西・ダヌビス川の南の地域は御神子派であり、古帝国の領域でなかった帝国の地域においては原神子派が優勢であるとも聞く。教会への反発は、その信仰が新しいものであるという事から発生するのかもしれない。
アルマン人固有の自然に対する畏敬の念、精霊信仰などを排除してきた教会のやり方とそっくり同じことを、彼らは教会に対して行っているとも言える。
「司教宮殿のエリアはともかく、商人街区ではそんな雰囲気あるよね。革新運動?、リジェでも行われているみたいだし」
一時期と比べ、司教座の影響力は低下している。
聖征の失敗、枯黒病の大流行、人口の激減と農村の荒廃。年貢で生活を立てていた騎士階級の没落、人口減で都市へと人が流れていくことで商工業者が一層力をつける事になる。
また、帝国においては人口増から来る東方への植民が完全に止まり、その動きを背景に躍進していた『商人同盟ギルド』の経済力・影響力が大いに衰退した。
今の経済の中心は帝国東部を市場とする『商人同盟ギルド』ではなく、神国・連合王国と法国の冒険商人を中心とする新大陸との交易を仲介するネデルの商人たちなのである。武器の都とも称されるリジェの商工業者が大人しくしているのは、異端審問の影響を恐れてであって、なにも関心がないわけではない。
「しばらくは鳴りを潜めるでしょうね。その為のオラン公の遠征……失敗ですもの」
「そうじゃなかったら、余程世の中が読めない商人って事だね。異端審問が落ち着くまでは大人しくしていると思うよ」
リジェは本質的には原神子派であるとしても、表立ってそれを示す事はない。実利のある形であれば、教会とも王国とも……勿論オラン公とも協調することは可能だろう。
「姉さんから、参事会にオラン公の退却に協力するように要請をしてもらえるかしら」
「うーん、それはどうかな? 王国の件ならともかく、オラン公と私達関係ないじゃない」
「そう思うわよね。だからこそ、王国の人間が働きかける意味があるのではないかしら」
オラン公は背後で王国ともつながりがあり、それを受けてニース商会やリリアルが肩入れしている……と思わせればよいのである。王国は御神子派であり、教皇庁や教会とも良い関係を築いている。
にもかかわらず、原神子派貴族の領袖であるオラン公とも提携している。つまり、オラン公は教会ともある程度理解し合える側の指導者であるという立場である。現実主義者と言い換えても良いだろう。
「教会が色々やらかしているってのはその通りだけれど、だから不要だ悪だというのは早計だよね」
「考えは色々でしょう。孤児院が子供たちに満足な食事や教育を与えていないから不要なというような、頭の悪い短絡的な発想ね。本来なら、だから改善しようというべきであり、不用であるという事にはならないと思うのだけれど……」
実際は、そこまで過激にならねば教皇庁も本気で考えなかったという事もある。村にいる司祭は、古代語で聖典も読めず、村人を支配者気取りで扱う、ならず者同然の存在も少なくないという。その任免は村の人間には無く、教会や領主が勝手に身内を送り込んでくる。
それは当然、地位に見合うだけの後ろ盾と用立てがあったであろうし、その支払った対価に見合う利益を任地の教会で得ようとするのは当然だろう。あの手この手で金集めに奔走する教会関係者が湧いてくるのは、金で地位を買う仕組みが存在するからであり、教会の仕組みの根幹にかかわって来る。
故に、教会や司祭は不要という発想になる。まともな聖職者が不要なわけではない。御神子教の宗教的な儀礼は生まれてから死ぬまで様々に存在し、人生の節目に必要な存在なのだ。それは、御神子教が多くの元々あった人々の習慣を取り込んだものであるのだが。
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姉との打ち合わせを終え、翌朝の行動に向け、五人のメンバーで打ち合わせを行うことにする。彼女の個室が一番広いため、そこに集まっている。
「さすが司教宮殿の貴賓室ですね」
「良い部屋泊ってんな……でございますお嬢様……」
彼女の客室は一般的な客室とは異なり、枢機卿や王族の宿泊も可能な作りとなっている為、初めて入る歩人と『ゼン』は驚いている。現在のオラン公の動向を簡単に説明し、明日は滞在して彼女の姉と同行する歩人と孫娘、彼女と残りの二人はオラン公の幕営に向かう事を伝える。
『ゼン』には観戦武官としての役割もあり、また、灰目藍髪は騎士学校に通う時に経験が役に立つと考えられるからだ。北部への遠征は完全に
魔物討伐が中心であったので、戦列が向き合う状況を目の当たりにした経験がないに等しいと言える。
二人とも将来は『騎士』として、戦場で兵を指揮する可能性がないわけではない。百年戦争の時代ならともかく、現在の騎士には兵を指揮する能力が求められているのだから当然なのだ。
「是非とも同行させてください」
「良い経験をさせていただけそうです。万事、閣下の指示に従います」
そして、孫娘はともかく歩人は不満そうである。
「アイネ夫人と同行かよぉ……」
「戦場の方が良ければ連れていくけれど?」
そうではないという。彼女以上に姉に弄られるのがいやなのだろう。それに関しては恐らく問題はない。
「『ガルム」を姉さんに預けるわ。一先ず、シャリブルさんの店に置こうと思うの」
「なるほどな……契約はまだ終わってねぇが、シャリブルのおっさんの店だから、おっさんもいるわけだし問題ないか……」
一先ず、直撃弾を避けられそうであると理解した歩人は一安心したようだ。
「それで、誰も護衛がいないのも問題なので、二人は公女様とアンネさんと行動を共にして、何かあれば対応してほしいの」
「わ、わっかりました! こ、公女様のお相手をするなんてできるかわかりませんが、ぜ、全力を尽くします!」
残念ながら、ギュイエの公女様と面識があるのだが、その事を忘れているのではないかと彼女は孫娘に対して思ったりする。
翌日、公女様とアンネ=マリアに孫娘を同行させ、ついで、『アンヌ』も侍女代わりに同室させることにしてもらう。アンヌ……エルダー・リッチは教会に入っても大丈夫なようである。吸血鬼ではないからかもしれない。
そう考えると、吸血鬼ではなくリッチを選んだ『伯爵』はその辺りの特性を良く理解していたのかもしれない。偶然の可能性も高いのだが。
「妹ちゃん、戦場に向かうんじゃないの?」
「ええ、その前に大切な引継ぎがあるのよ。実は……」
姉に、シャリブルの他にもノインテーターを捕獲しているものの、こちらは学院の対魔物戦闘用の訓練用にしてある「元貴族」の男であると伝えたのだ。
「へぇ、面白いこと考えるね。どの程度の腕前なのかな?」
「冒険者ランクで言えば薄黄くらいかしらね」
「……駄目なノインテーターだね」
因みに、オーガは薄赤等級並なのでかなり弱いと思われたようである。不死者ゆえの上位等級であり、殺さず手足を斬りおとす程度で無力化できるとすれば、等級は一段下がると考えてよいだろう。さらに、『ガルム』自身の剣技が大したことがないということがある。
ルイダンと決闘させて丁度良いくらいなのだ。つまり、レイピア馬鹿なのである。
「メイスとか、接近戦とか、槍使いとか対応できない感じかな?」
「無駄に意識高い系なのよ。実戦向きではない、ファッション剣士といえばいいのかしら」
腕もそこそこで、見栄えもする。だが、同じルールで同じ装備ならそれなりに戦えると言ったところである。つまり、決闘か訓練場での稽古でなら問題ないという程度であり、戦場や魔物討伐、実際の要人警護などには向いていない。
「そのうち、良い研究材料となるノインテーターが手に入ればお役御免にするつもりではあるわね。それと、法国の侯爵家の末弟らしいわ。詳しい事は聞いていないのだけれど、ニースで使える有用な情報を持っているかもしれないので、姉さんが尋問してくれると助かるわ」
姉は目を輝かせながら「それはいい暇潰…情報源になるね!」と言い返す。
「それで、どんな感じの男なのかな」
「姉さんより少し上で、シスコンよ」
「……シスコン?」
「どうやら、同腹の姉に良く思われたいという願望が暴走して、無駄死にしてノインテーターになったようね。上に、先妻の子である兄が三人いて優秀なのだそうよ。どうやら、色々拗らせたみたいね」
さらに姉は満面の笑みを溢し始める。子供の頃、彼女に向けられていたような笑顔である。嫌な思い出が彼女の脳裏をよぎる。
司教宮殿の馬車置き場においてある「リ・アトリエ」の馬車へと向かう二人。その馬車の幌柱から吊り下がっている魔装網の中に、ガルム(頭)があることを確認する。彼女は、『ガルム』に姉を紹介する事にした。
「ガルム、お待たせしました。あなたのこの先の相手をする私の姉です。姉さん、自己紹介を」
「ん、ガルム・ヘッド君おはよう。妹ちゃんの姉のアイネさんだよ。まあまあいい男だね。よろしく頼むよ」
『ガルム』は顔立ちも整っており、育ちの良さが出ているはずなのだが、どこか歪んだ雰囲気を醸し出している顔立ちである。
『ふん、僕は侯爵家の者だ。話をして貰えるだけありがたいと思えよ!』
と、思い切り上から目線で話を始める。そこで、姉は自分の話を切り出す。
「偶然だねぇ~。うちの旦那もニース辺境伯の三男坊で、聖エゼル海軍の提督なんだよぉ。ニースって王国に加わるまでは『公国』だったんだよね!ってことは、うちの旦那は公子様で、君より身分も地位も上だよね? どうなの
かな坊ちゃん」
彼女の姉のマウント返しに『ガルム』は『坊ちゃんじゃない!!』と喚き返すしかなかったのである。