第452話 彼女は姉をシャリブルに会わせる
第452話 彼女は姉をシャリブルに会わせる
『実は、私の工房がリジェに残っているはずなのです』
出先で瀕死の重傷を負い、ノインテーターとなったシャリブルは、元はリジェの武器職人であり、店舗兼工房兼住居を狭いながらも構えていたのだという。家賃は数年分前払いをしているので、恐らくは問題なく残っているだろうという。
『職人がニ三年街を離れる事は良くあることですから。権利関係で問題がないのであれば、そのままのはずです』
ギルドの会員でもあったので、いきなり取り上げられている事はないだろうという。但し、弟子はいなかったので、会員資格を返上すれば街を引き払う事も問題ないだろうという。
店を探している彼女の姉に話をすれば、比較的うまく引き継げるのではないかと思わないでもない。どの道、リジェにはニース商会が支店を設置する予定なのだ。
店舗だけではなく、工房・住居もセットになっている点が評価できる。商会店舗としてだけでなく、前進基地・活動拠点として密かに扱える場所である必要があるからだ。武器のメンテができ、店で完結した生活が成立つところが良い。
司教宮殿に滞在しているであろう姉にまずは会わせて……なんとか店に住まわせたいのだが、連れが公女殿下ではそれも無理だろうか。
「では、早速参りましょうか」
『いえ……私が司教宮殿や教会に立ち入るのは問題ではないでしょうか……』
入れない事はないかもしれないが、体調に異常が発生したり、以前の顔見知りに教会で声を掛けられるのも問題になるかもしれない。
『武具ギルドの入口で待ち合せましょう。先に、事情を話しておきます』
「ええ。お願いしますね」
リ・アトリエ一行は宮殿へと移動する。
姉は外出することもなく、公女殿下とアンネ=マリアの相手をしていたようで、直ぐに居場所を特定することができた。お茶の用意をして貰っている間に、与えられている客室に戻り着替えをする。短い日数だが野営をし、なおかつ討伐後でもある。身ぎれいとは言い難いからだ。
体を洗い、着替えをする。公女殿下たちの護衛は、『ゼン』と灰目藍髪、赤目銀髪に頼む事にする。彼女と歩人、そして姉を連れて武具師ギルドへと向かうことにする。
予想に反せず、良い物件であり工房・住居併設の場所は好感触であった。
「いいねその物件。いや、サボアでもさぁ……」
鉱山街で土夫の工房の多い場所に店舗を構えることになった際も、似たような店舗としての構えより実用性を優先して借りたという話を姉はする。
「拠点としてはその方が何かと便利ですもの」
「そうそう。できれば工具も……」
「それは据え付け型の物はともかく、職人の道具は別でしょう? 愛着があるでしょうし、人を選ぶと思うわ」
特に、シャリブルは弓銃職人であり、一般的な鍛冶師とは異なる。それに加え、刀身と柄の職人は異なる場合が本来である。商売として考えた場合、武具は誂え・拵えが大切な装飾品の要素もある。貴族相手の武具が桁違いに高価であるのは、武器としての質も勿論だが、装飾の手間も相当影響をしている。
性能だけで言えばリリアルの魔銀剣は老土夫の作成で高品質なものだが、拵えは実用品なので、貴族の持ち物としては貧相であるが、リリアル的にはそれでかまわない。
三人は商人街区にある武具師ギルドへと移動する。シャリブルの廃業届と、店舗の権利の移譲について、ギルドを仲介者として契約を行えるかどうかの事前の打診を行っているはずだ。
ギルド前で彼女たちを待っていたシャリブルは、アイネとの挨拶を交すと、『権利の移譲について、いま書類関係を整えて貰っています』と伝えた。
「先ずは物件案内をお願いしてもよろしいでしょうか?」
『一年ほど不在でしたので、多少散らかっているかと思いますがご容赦ください』
定期的に清掃や確認を不在の間依頼していたものの、毎日住んでいるのとは訳が違うのだろう。炉も火を落としているので、これも実際使ってみないと状況は分からないが、それ以外は凡そ確認できるだろう。
街の中心から離れた奥まった場所。とは言え、工房街区と商業街区の中間ほどにある比較的環境のいい場所にシャリブルの工房はあった。
「いいじゃない?」
「閑静……とまではいかないでしょうけれど、鎚の音が響き渡るような環境ではないので安心したのではないかしら姉さんも」
「塀が近いな……あの向こうは川か堀か」
『堀です。水路に近い所は水車で鞴が使えるので、家賃も段違いですから』
水車で鞴を動かすのは、剣や板金鎧の手掛ける工房だろうか。故に、それなりの武具の値段に転嫁されると思われる。シャリブル自身は、弓銃用の板ばね等は、別の職人に依頼し作成をしたものを加工するようで、ゼロから作るわけではないので、それほど大きなものは不要なのだという。
『なので、銃を作る事はこの工房ではできないのです』
鉄の棒に鉄の板を播きつけ一体になるように叩いたりして銃身を作り上げるため、剣を作るような高温の炉が必要なのだ。それがこの工房にはない。店舗部分はカウンターと小さめの商談室、展示はあくまで見本や消耗品を並べる為のスペース程度で小さ目。
工房は、素材などの保管庫も十分にある。地下階に保管庫と工房。一階には店舗部分と水回りが纏まっている。二階は執務室と主人用の寝室。三階には客室が二部屋。最上階は住みこみ見習用の屋根裏部屋と納戸がある。
「良い間取りじゃない。水回りが一階に纏まっているのも機能的だし、作業場所が地下なのも安全面で悪くないと思う。これで予算が合えばお願いしたいわね」
『今の家賃が……この程度です。司教様から口添えがあれば、ニース商会の支店であれば割安になると思いますよ』
ニース商会=ニース辺境伯家=聖エゼル海軍は教皇庁の覚えもめでたい存在である。聖征の時代であれば、大家が寄進する可能性もある存在だ。もしかすると、このネデル騒乱が続くようであれば、聖エゼル海軍への寄進というかたちで、リジェの安全保障面で効果があるかも知れないと考えるだろう。
「ここいいわぁ~」
『お気に召していただいたようで何よりです。可能であれば、このままギルドで契約を結びたいと思います。如何でしょうか?』
姉といつの間にか合流していたエルダーリッチ系ニース商会使用人の『アンヌ』と連れ立ち、彼女の姉はシャリブルと武具師ギルドへと向かう事になった。
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彼女が早々に司教宮殿に戻ろうと考えていたが、『猫』が歩み寄ってきた事に気が付き足を止める。
『主、お知らせしたいことがございます』
リジェに到着後、オラン公の遠征軍の動向を探るため、彼女は『猫』に状況を調べる事を命じていた。リジェから数時間も掛からない場所、ロックシェルとマストリカの中間点で並走するように行軍しつつ、遠征軍とネデル総督府軍は対峙し、と聞き小競り合いを行っていたのは、小要塞に出立する前から知っていた。
それが、少々雲行きが怪しくなってきているという。
『オラン公配下の複数の傭兵団が、反乱を起こしております』
「……詳しくお願いするわ……」
遠征開始後、ネデル総督府軍と接敵する前は、傭兵団はある程度村などから徴発を行う事を許可されていた。その上で、余禄もあった為不満は少なかった。ムーズ川を渡河し、実際に小競り合いが始まると、数では優位性があったはずのオラン公軍は、小勢の総督府軍部隊と交戦し、その能力の高さに危機感を感じ始めたのだという。
「足元を見て、追加報酬を要求したのね」
『そのようです。加えて……』
リジェを包囲したオラン公軍の分遣隊が、謎の敵と遭遇し、散々に焼き討ちされ名のある傭兵も複数討取られた挙句、当てにしていた軍資金の提供も断られたことが伝わったことが決定的であったのだという。
『結果として、傭兵団の幾人かの幹部が殺されています』
隊長たちに不安を抱えた傭兵達が詰め寄り、結果として幾人かの傭兵隊長は戦わずして死んでいるという。オラン公軍の不和は、恐らく総督府軍側の工作が入っていると思われる。
「もう少し、慎重に包囲されておくべきだったかしらね」
『それはそれで、周辺の街や村が被害を受けますので、問題なかったと思います。問題は、人を選べなかったオラン公にあるでしょう』
質より量を選ばざるを得なかった結果、オラン公の遠征は崩壊の危機へと瀕している。
「オラン公の直卒の軍は問題なさそうかしら」
『基幹部隊二千強は問題なく機能しておるようです。ダンボア卿もご無事でした』
「それはなによりね」
ルイダンが死亡するようなことがあれば、それはそれで問題が発生する。この後の仕事は、王国に離脱したオラン公を王弟殿下に無事引き合わせることにあるのだから。
今回の遠征、オラン公軍にこの後同行する事無く、直接、暗殺者養成所の討伐に向かいたかった彼女だが、それは少々予定を変更すべきではないかと考えていた。
「オラン公の直衛に近侍して、追撃に備えた方が良いかもしれないわね」
『では、ここから移動されるのですか?』
オラン公軍が退却する場合、ロックシェルとマストリカの中間点から退却する事を考えると、東西には逃げ場がないため南のリジェを経由し、ムーズ川を西へと移動し王国に至る逃走路を選ぶはずなのである。
戦列が崩壊し潰走状態にならなければ、オラン公軍はこの街の面前を経由し移動することになる。潰走しなければ……だ。
騎乗で移動すれば二時間と掛からない距離である。既に夕方、今の時点で動いたとしても、どうすることもできないだろう。
「一先ず、前線の状況確認をお願い。一度明日の朝、現場に向かうので、朝のうちにお願いするわ」
『承知しました』
彼女は歩人を連れ、足早に司教宮殿へと戻る。
『また戦場か』
「少し考えをまとめたいのよ」
『そうだな。どういった形で敗走するか、想定しねぇとな』
銃と砲の装備具合が段違いである二つの軍。方や王国との法国戦争で銃と砲で戦列を崩す戦術を確立させ、その後も磨き上げてきた神国の常備の軍隊。いま一方は、パイクとハルバードで武装した騎兵相手ならなんとかなる帝国傭兵と、騎士の集団。
数が同じでも、戦闘の質が断然異なるのは明白だ。対策前と対策後の軍であれば、後者である神国軍が圧倒的に有利である。
四十年ほど前、王国は帝国と北法国を巡る『バルディア戦役』を戦った。結論から言えば、旧式の王国軍は銃と砲で武装した帝国軍(という名の神国軍)と戦い、完膚なきまでに敗北した。
ほぼ同数の戦力でミラノ郊外の古都『パピア』で戦った両軍は、銃と長槍を組あわせた堅固な戦列を有する帝国軍に歯が立たず、王国軍は戦力の半数を失う。対する帝国軍はその十分の一程度の損害であり、王の本陣を迂回からの奇襲で直接攻撃する効果があった事を差し引いても、圧倒的な勝利であった。
この戦いで、国王は捕虜となり王の姉の夫である公爵閣下は、帰国後敗戦の責を取って亡くなっている。
『パイク&ショット』と呼ばれる、長柄の防御陣を形成し、その中からマスケットによる射撃で接近してくる敵軍を攻撃する戦術が、現在の主流であり、その実現のためには、銃兵の拡充、練度の向上が必要である。
銃は高価であり尚且つ適切に扱わねば暴発の危険性も高い。さらに、消耗品である火薬は原料の入手が限られており、製造保管も難しい。相応の職人を育成する必要がある。また、射撃の速度を改善すると、一分間に二回程度の射撃が五回程度まで上昇する。これは、銃身の過熱による暴発のリスクを伴うが、練度をあげれば銃が増えたのと同じ効果が得られる。
つまり、専門能力を有する職人と銃兵の育成が、戦力の強弱を決定する大切な要因となって来るのである。それまで王国の近衛連隊の主力をになってきた山国出身の傭兵団はその価値を多少下げている。が、歴史的に帝国と対立する国柄故、王国に仕える事を選択している事を考えると、槍兵を山国傭兵、銃兵を王国人で育成することが良い選択となる。
今の近衛連隊は、その運用方針の上、育成が行われている。
四十年前、バルディア戦役で見られた現象が、恐らくネデル遠征でも見られることになるのだろうと彼女は想像した。
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『雨乞いするくらいしかできることはねぇかなぁ』
『魔剣』は真面目に考えている。かなり大真面目である。火縄が消えてしまう雨が降るほどであれば、マスケットは使用できない。湿度が高くても、同様である。不発も増えるし、暴発の危険も高まる。
「真面目に考えているのよね」
『ああ、かなりマジだ』
彼女も同じ事を考えている。ネデル総督府軍にオラン公軍は一蹴される。だが、それでも潰走状態で追撃さえ受けなければ問題ない。
騎士の数は恐らくオラン公側が有利であり、銃兵を多くそろえる総督府軍は、追撃が得意ではない。騎兵同士の戦闘となれば、その優位性は失われる。銃とは『防御的兵器』であり、攻めてくる敵には強いが、逃げる敵には効果が低い装備となる。
重く、装備も多くなる銃兵は、移動は得意ではないのだ。
「だけど、悪い事ばかりではないのよね」
『何がだよ』
練度の低い傭兵が前線に出ているという事は、大して戦わずに戦列が崩壊することになる。そうすると、後衛にあるオラン公の直衛軍と神国の部隊の間に、人間の壁が存在することになる。
数は少なくとも一万数千人。その群れがちりじりバラバラになるまで、オラン公は逃走する時間を稼ぐことができることを意味しているからだ。
『今も昔も、低練度の兵隊は肉の壁くらいにしかならねぇってことだよな』
「それがわかっているから、高給を要求するのでしょう? 自分の命の使いどころは弁えているのではないのかしら」
オラン公もここが命の使いどころだとは思っていないだろう。
弟であるルイのように死んでもらっては困るのだと、彼女は強く感じていた。