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第433話 彼女はマストリカへ向かう

第433話 彼女はマストリカへ向かう


 マストリカはムーズ川中流にある中核都市である。古帝国時代には軍事拠点として整備されていたこともあるが、それ以前から集落が存在していた場所でもある。帝国末期ごろには御神子教の聖人を祀る聖堂が建てられ、その後、隣接する司教座都市リジェと共に、商工業の盛んな都市として繁栄をしてきた。


 当然、軍事的にも経済的にも重要な拠点であり、街には街壁と共に、駐留する軍を収容する要塞が付帯して建設されている。


「これは……ソレハ以上に堅牢な城塞都市ですね」


 レンヌ公国において、陸側の中心都市は『ソレハ』である。王都からラ・マンを経由する主要街道の終点はソレハとなる。ロマンデとレンヌの中間に位置し、半島の付け根を抑える位置にあるソレハは戦略的に重要な都市であり、その為堅固な城塞となっていた。


 マストリカの街はそれに似た存在であると『ゼン』は認識したようだ。


 ムーズ川を挟んで両岸に街はあるのだが、北岸が主であり、王都ほど両岸が均等に発展していない。両岸は中央の橋で連結されており、外周は濠と土塁を巡らせた堡塁が建設され始めている。


 大砲による攻撃から城壁を崩され市街に突入されることを防ぐための設備であり、ミアンの街にもあったがあれは東側のネデルに面した場所だけに施していたのだが、マストリカは全周にである。


「教会が沢山あります。凄い尖塔です!!」


 古くからの御神子教の教会・修道院が多い地域である。リジェ司教領はその昔、入江の民の襲撃から司教自らが兵を指揮し撃退した記録を持つ司教領であり、神国領ネデルから司教領は独立している。デンヌの森の中央に近く、河川交通と森の中を抜ける街道の交差点でもあることから、商業も工業も盛んな街なのだ。


 現在の街の知事は、前任の総督時代から変わらないネデルの貴族であるシャウエンスという男で、現在の総督が就任する際に骨折りをした男である。つまり、オラン公になびく可能性は全くない。


 ここに駐留する神国兵を市街に配置したのも、シャウエンスの提案なのだが、ロックシェル同様、この提案を受け入れさせられた住民には大きな負担と不満が募っている。


 とは言うものの、街の周辺の人の動きを観察すると、既にマストリカの西に神国総督府軍の本営が設置されつつあり、戦力も集結中であるという。つまり、オラン公の軍の動きはすでに察知され、この地に向かって来ればマストリカを包囲するまでもなく、神国軍の精兵と野戦が始まりかねない……

という状況だ。


『やっぱりな』

「仕方ないわよ。今回はムーズの諸侯の軍も参加しているのだから、その動員で既に察知されてしまうわ」


 ムーズ諸侯とは、ムーズ川とメイン川の間に位置する領地をもつ幾人かの伯爵を示す。総督府の治政に反感を持ち、オラン公に協力し戦力を提供している。


「マストリカには入れなそうですね」

「警戒厳重、余所者お断り」

「うう、たまには宿に泊まりたいですぅ……」


 リジェ迄向かえば宿には困らないだろうが、少々距離がある。神国兵の集合する部隊と接触するのも面倒だ。ムーズ川より東の場所で、最寄りの街が『ウィルハイム』という街である。マストリカから5kmほどであろうか。


「一先ず宿があるかどうか行ってみましょう。駄目であれば、食事だけでもお願いしてみましょうか」


 野営続きで疲れが抜けなくなってきた六人は、そろそろ屋根のある場所で寝たいと考えていた。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 ウィルハイムは街道上にある小さな宿場町というイメージだろうか。恐らく、マストリカに入場するには金がかかるので、近くで泊まりたいといった需要があるのだろう。王都周辺にも似たような町が存在していたが、今では王都の城門の外側がそんな印象となっている。


「田舎」

「ばっかいえ、テントよりずっといいだろ!」


 如何にもな地方の宿場町であり、二階建ての木造の建物ばかりであり、石造りは教会くらいのものだ。街を囲むのは木柵ばかりである。


「それはその通りです。布一枚でセバスさんがいると考えると……」

「プルプル震える」

「ひでぇなおい」


 幸い宿屋と食堂が合わさったような建物がある。声を掛けると、泊まれるというので頼む事にした。


 二人部屋を三つ依頼する。流石に大部屋というわけにもいかない。


「いらっしゃいませ。えー 冒険者さん?」

「はい。帝国から王国へ向かう途中です」


 嘘は何一つない。オラン公の軍に従い一度はロックシェル方面へと向かい、ネデルの森の中にあるノイン・テータと暗殺者養成所を討伐して家に帰るのだ。


 宿屋の女将は「何もこんな時に」と言わんばかりに早く立ち去ることを暗に勧める。そう言われてみれば、宿泊客はなく、近隣の住民が食事に来ているといったところのようだ。


「戦争になりそうですか?」

「知ってるなら話が早いね。もう、マストリカの向こうには総督の軍が来ているし、半月もしないうちにオラン公の軍もムーズ川を遡って向かってくるだろ。ご領主様は、総督府のやりように御不満だったようで、今までは帝国に従順にしたがっていらっしゃったけれど、原神子に宗旨替えなさってね……」


 女将曰く、総督府が税を上げていくのに不満を示し、宗旨替え迄して逆らうことにしたのだという。でなければ……


「マストリカを攻める原神子諸侯軍にウィルハイムが攻め滅ぼされちまうから、苦渋の決断だよ。総督府だ神国兵だって言ったって、あたしらネデルの民がどうなろうと知ったこっちゃないだろうからね。お優しいご領主様だよ」


 マストリカを攻める足掛かりとして僅か5キロしか離れていないこの街は拠点とするに申し分ない場所にある。街の領主であるカレンボルク伯爵は、オラン公軍に味方するという態で街を守る事にした……ということなのだ。


「あたしら街のもんはみんな御神子教徒さ。むかしっから教会や修道士様には良くして頂いているんだよ。マストリカの住人だけが、修道士様たちに世話になっているわけじゃないからね」


 ネデルには古い修道院が少なくない。ムーズ川沿いには放棄された修道院も少なくないが、五百年八百年と歴史を重ねた寺院も少なくない。領主が頼りない時代、リジェの司教だけでなく、多くの修道士や教会の者が住民を守るために力を貸したのだ。


「オラン公軍はこの街に来るんですね」

「そういう話さね。まあ、途中で総督府軍にやられちまったら分からないけどね」


 オラン公の軍は春の南部遠征で袖にされたロモンド(Romond)に近寄る動きを見せた後西に転身し、マストリカに向かってきている。恐らく、数日中に姿を見せる事になるだろう。


 マストリカを包囲し降伏させるにはタイミングを逸している。三千の駐留兵の他に、総督府軍が集結させている戦力が存在する。その数凡そ二万と言われている。対するオラン公軍は諸侯軍を加え二万八千と数の上では有利であるが、兵の練度と装備、指揮官の経験値で大いに総督府軍に差を付けられている。


 そもそも、総督自体が歴戦の将軍なのである。対するオラン公を始めとする諸侯たちの経験は皆無に等しい。包囲ならともかく、野戦で勝つことは春の遠征から考えても難しいだろう。数が増えただけ、こちらの指揮能力の低さがさらにはっきりすることになる。


「早くお逃げ。あたしらもオラン公が来たら店じまいするからね」

「稼ぎ時じゃないの?」


 赤目銀髪の質問に、女将は首を振る。


「後払いのある時払いにされちまうよ。それに、戦に負ければご領主様もただじゃすまないだろうし、勝てたら勝てたで何されるかわからないしね。店を燃やされないだけましだと思わないと。それに、あんたたちみんな若い女の子じゃないか。傭兵なんかにゃ何されるか分からないからね。

 今日は早く寝て、明日さっさと逃げな」


 ということである。勝っても負けても迷惑をこうむるのは戦場近くの住民であり、それは負けた兵士が嬲り殺されるのも当然だと言えるだろうか。貴族は、謝礼が貰えるので手厚く助けるだろうが。身に着けている身分を示す品はその質草になる。


「教えていただいてありがとうございます」

「いいさね。冒険者なんてヤクザな仕事も切り上げて、キレイどころなんだから良い男めっけてお嫁に行きな。あんた達なら玉の輿だって狙えるさ。そうだろ、旦那方」


 玉の輿……いい響きである。ほどほどの人生なら、彼女も王都の裕福な商人か貴族の奥方様として茶会三昧の生活を贈れていたはずなのだが。今は何故か……こんなヤクザな人生を送っている。解せぬ。


「玉の輿……狙えるものなら狙いたい」


 赤目銀髪、未だ幼児体系のままであるが望みは高く果てしない。そして村長の孫娘と灰目藍髪が続く。


「私は婿取りですから、無理ですね」

「夫より自分が騎士になる事が優先でしょうか」

「か……いえ、なんでもありません」


 『ゼン』が思わず『閣下』と言いそうになり、慌てて口を閉ざす。彼女の前で結婚話が地味に禁句になりつつあるのを察している親衛騎士である。


「まあ、おれも里に帰れば……」

「全員の女に振られて幾星霜」

「まあ、幼児が成長するのを待つのも楽しいものかもしれません」

「むしろ、犯罪ではありませんか」


 全然里に帰れる気配のしない歩人である。




☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★




 翌日、街を出てマストリカに向かうが街への立入は難しようである。一旦、川を遡行し、リジェに向かう事にする。リジェ司教領の領都であり、古くからネデルの侵攻の中心地でもある都市である。


 マストリカ同様、ムーズ川と街道が交差する要衝の地であり、司教座のある側と商工民中心の側で街の様相が全く異なると耳にしている。


『原神子信者が蜂起したとかしそうだとか聞くけどな』

「神国総督府の目と鼻の先でよくそんなこと考えられるわね。騒ぎを起こして教会を痛めつけた挙句、治外法権だからって守ってもらえるとでも考えているのだとしたら、とても明晰な頭脳の持ち主なのでしょうね」


 とはいえ、神国とも帝国とも王国とも距離を置く司教領には大きな産業が育っている。この地域には少なからぬ鉄の鉱山があり、銅なども産出する。その金属を用いた金属加工産業、中でも『銃』の製造拠点として成長著しいのである。


 自分たちの支配下に置き、この街の職人たちが散逸してしまう事は神国にとってもメリットがない。故に、干渉を最小限にし、武器の製造に注力させているというのがネデル総督府とリジェの関係となるだろう。


 移動は魔導船を使いたいのはやまやまだが、目立つのはまずいので馬車と騎乗にて移動する。斥候騎兵から回収した馬も加え、今は六頭いるため、馬車を四頭で牽き、二頭は騎乗して移動している。全員騎乗なのはこれもまた目立つと考えたからである。




 リジェに到着すると、門前は非常に混雑していた。耳に聞こえるのは……オラン公軍の乱暴狼藉行為をとがめだてしてもらうために司教猊下に陳情に来たリジェ司教領の人々である。


 ムーズ川沿いの下流域にある司教領に属する町や村に、マストリカに向かう途上のオラン公軍配下の諸侯軍と傭兵が徴発や強奪を行っているとのことだ。


「……」

「無言になる」

「まあ、そうですよね。ネデルの人だけじゃなくって帝国の傭兵とか沢山参加させていますから。やりますよねあいつら」


 王国において傭兵を忌避するようになったのは、百年戦争の時期やその後の時代において集めた傭兵が戦後解散した後、強盗団・盗賊団となって王国内の街や村を襲い戦争以上の災禍をまき散らしたことによる。


 魔導騎士団の配備や近衛連隊の整備などは、その結果なのだ。定期的に金銭が発生するものの、戦争の発生を防いだり、また、それによる損害を考えると、攻めにくい戦力を整備しておくことの方が、長期的に見て王国にとって利があると考えたからである。


 これは、百年戦争により、国内が大いに荒された王国ゆえに民も貴族も納得したところなのであろう。連合王国のように外征中心の国や、自国内で戦争をする事の少ない帝国においてはあまり考慮されていない。


 とはいえ、サラセンの遠征をたびたび受ける帝国においては、『サラセン税』が課税され軍事費として確保されており、また、矢面に立つ東方の領地をもつ皇帝旗下の将領に帝国貴族は寄付をする事が半ば義務づけられている。もちろん、有事には援軍を送らねばならない。


 五十年前のウィン包囲において、サラセンの準備不足と長期の退陣を嫌った皇帝が引き上げたことで陥落することを免れたものの、その際に帝国の諸侯が動かなかったことを教皇庁は激しく責めた経緯もある。


 また、当時は教皇庁の背教行為の裏返しであり神の罰であると考えていたサラセンの侵攻に対し、現在の原神子信徒は「サラセン討つべし」という点でのみ教皇庁と足並みをそろえることになっている。


 これは、捕らえられた異教徒を奴隷として酷使することにかけて容赦のないサラセン海賊の所業を鑑みて、背教うんぬんではないとさすがに判断した故であろうか。





 オラン公の軍が迫っているという事で、一旦リジェに入った彼女たち一行だが、暫くリジェから出る事ができなくなった。これは、所謂内通者を防ぐ為の行為になるだろうか。


「行きは良いよい帰りは恐い」

「宿が取れませんね……」

「一先ず、冒険者ギルドへ向かいましょうか」


 リジェ司教領はいわゆる『中立』の存在であり、商業ギルドや冒険者ギルドは帝国のそれが入っている。冒険者ギルド経由で宿を探させようというのが彼女の判断だ。何しろ、星四等級の冒険者なのだから、伝手を使わないのは勿体ない。


「持っててよかったギルド等級」

「馬さえいなければどうにでもなるのでしょうけれど」


 リジェをオラン公軍が包囲するという噂も流れている。今までの経緯からすれば、略奪若しくは、強請りタカリをされる可能性も少なくないだろう。

故に、周囲の領からも避難民が押し寄せ、宿は取れず、食事をする事も難しくなっている可能性が高い。これはコネでも伝手でも権威でも借りて確保しなければならない状態だ。


 冒険者ギルドに入ると、受付は閑散としており既に開店休業の状態に思われた。傭兵として街を出るか街を守るか……の二択であったのだろう。


「今日は。王国の方からやって参りました。アリーと申します」


 正確にはメインツ経由なのだが、王国の冒険者アリーの方が通りが良いと考え伝えたのだが……通りが良すぎたようである。



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