第429話 彼女はオリヴィの手紙を確認する
第429話 彼女はオリヴィの手紙を確認する
オリヴィの手紙を自室に戻り確認する。ロックシェルを始めとするネデル内の様子が知らされていた。恐らく、検閲もされかねないという事もあり、内容としては当たり障りのない事が記されているのだが、傭兵の数が多く、物資も不足しがちであるという。
『こりゃ、ネデルの商人が帝国や連合王国に逃げ出してるな』
「王国にはさほど来ていないようなのだけれど、御神子教徒が多い国には逃げ出しにくいのかもしれないわね」
ネデルの住人の半数は『都市』に住んでおり、商工業者には原神子教徒が多い。逃げ出しやすいのは、元々商売上の繋がりや支店のある帝国・連合王国なのであろう。王国は、ネデルとは競合関係にあり、また、少し前まで、神国・帝国と戦争をしていたこともあり、関係は良くない。
戦闘は先代国王陛下の時代に終了していたが、平和条約を結んだのは数年前のことである。今後、神国と連合王国はネデルを通じて険悪な関係になりかねないが、今はまだ曇り空であり雨が降り始めるかどうかは分からない。
「ロックシェルを足掛かりに、周りの都市を見て回っているみたいね」
『七万の戦力も、国内の都市全部に戦力を配置するには全然足らねぇんだな。そりゃそうか』
総督府のあるロックシェル、商業の中心都市であるアントブルペンから商人が逃げ出しているという。兵士は諸都市に分散して配置されており、街道にも監視拠点を置いている為、戦力がかなり分散しているというのだ。ただし、分散配置されているのは新規採用の傭兵・帝国やネデル、連合王国人の現地採用組で、神国・法国兵の精兵主力はまとめて運用されており、数は二万程が主要都市に配置されているらしい。
「オラン公が動いたと知れば、精兵だけで十分に対抗できそうな戦力ね」
『戦う気がない大軍、みせかけのマッチョだからな。鍛え抜かれた筋肉を備えた戦士の集団に敵わねぇだろうな』
オラン公もこの事は自身の情報網を用いて把握している事だろう。その上で、総督府軍との決戦を避けつつ、都市を包囲し見せかけ上は攻略したいということになるのだろうか。
次いで、彼らの軍の状態についての詳細な説明がなされている。
神国軍は『テルシオ』と呼ばれる兵制の単位を有している。これは、山国傭兵団とその影響を受けた帝国傭兵団とは異なる戦力を有している。
帝国及び山国傭兵団の戦闘形態は、長槍兵を外周に、中央に矛槍兵を配した千から二千五百の兵力をひとまとまりの集団としている。これに、弓兵などの補助戦力が加わるのだが、騎士の突撃を長槍で抑え、矛槍で叩き落とす
戦い方を用いる。
歩兵同士の戦闘も、槍同士の突きあいに始まり、矛槍兵や両手剣を持つ兵士による突入で勝敗を決する事になるのが、これまでの運用であった。
これに、マスケットの登場と戦場への大量投入が戦術の変化をもたらす。
テルシオは約三千人を一つの単位とし、四分の三を長槍兵とし戦列を形成する。残りの四分の一が銃兵であり、長槍兵の集団の最前列と最後列、及び陣の四隅に数十人の集団を形成するものである。
正方形に近い方陣で戦う山国帝国傭兵団に対して、横に広く並んだ横陣に数多くのマスケットを配した神国のテルシオは、マスケットの射程距離である100mほど離れた場所から相手に先制攻撃を加えることができるようになった。
それだけの銃を全ての部隊に配置することは出来ないので、精鋭である神国で採用した兵士と、内海でサラセンと戦うために採用した法国人傭兵が身に着けた戦術・戦法でしかない。新しい総督が連れてきた一万の兵がこの編成の部隊となる。
六万の戦力の大半は、神国の支配下にある主要な都市の掌握の為に割かれている兵であり、大半は、帝国・ネデル・連合王国などの出身者による旧来の長槍兵たちで構成されている。
テルシオは、開けた地形で戦力を展開する場合に有効な陣形と兵種の組合せであり、騎兵の突撃にも歩兵の密集陣形にも有効な用兵であると言えるのだが、行軍する速度は余り早いとは言えない。何故なら、マスケットは槍より重く、また火薬やその他の必需品も多く必要であり、天候により発射出来ない場合も少なくない。
また、敵が槍がぶつかり合う距離まで近寄られた場合、マスケットの装填を行うよりは、携行している片手剣での攻撃に移らざるを得なくなる。その場合、矛槍よりもかなり攻撃力は低くなってしまう。
つまり、相手の傭兵が近寄る前に打撃を与え、戦闘能力や士気を奪う必要があると考えられる。
神国兵の強さの秘訣は、十二人に一人を兵士として選抜し、短期間の軍役ではなく半ば職業として教練を行うこと、神国においては騎馬を養う地勢に乏しいため、最初から歩兵を中心とする編成を徹底できたことにある。
銃の定数が充足したのは最近のことであり、それ以前においては銃兵・長槍兵・矛槍兵・剣盾兵の四兵種を複合させて運用する時代が続いていた。二十年程前から銃兵と長槍兵の二兵種に統合する事に努め、近年、ようやく達成したという事である。
手紙を読み終え、彼女は深いため息をつく。恐らく、王国の近衛連隊の指揮官たちや軍の幹部もこの神国軍の編成などに関してはしっかりとした情報を持っているのだろう。王国の近衛連隊も、このような編成に近づけようとしていると耳にしている。
近衛連隊の規模を現在の三千から一万程度にまで拡大する構想が進められているものの、原資をどう捻出するかで議論がまとまっていないというのが彼女の知るところだ。
『すごい金食い虫になってるんだろうな』
「つまり、時間が経過するほど神国は経済的負担が重くなり、ネデルでも過度の増税の影響などで今以上に神国総督府に対する不平不満が今以上に高まる事になりそうね」
『長期的には、それがオラン公の意図するところなのかもな』
信教も大切だが、多くの人が行動に移すにはお題目ではなく、実際の生活に直結するところが大切になる。『税が重い、生活が苦しい』『神国兵を食わせる為に』ということが広く共通の認識となれば、ネデルに住む多くの住人も不満に感じ行動に出よう取るものが増えるだろう。
実際、海上に逃げたネデルの貴族や原神子信徒の船乗りは『私掠船』となって神国の船を襲っている。この損害も、長い目で見れば大きな問題となり、解決の為により多くの予算を割かねばならなくなるだろう。
負担はネデルの住民の不平不満を高め、やがてオラン公たちに味方する勢力を扶植することになる。今回の遠征においても、それ以降についても遠征は手段であり、目的は不満の矛先を総督府と駐留軍に向けることにあるのだろうと彼女は考えるのである。
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遠征軍に同行するとはいえ、あくまでも彼女の仕事は『冒険者としての依頼』即ち、軍の進路に存在するであろう「魔物」の排除である。直接戦闘に参加することはなく、仮にあるとすれば密使として立て籠もる城塞へ秘密裏に侵入し手紙を渡すなどになるだろうか。勿論、その都度支払いは発生するだろうが。
「戦争ですか……」
「戦場は人がたくさんいて賑やか」
「突然人が死ぬのは……慣れませんけどね」
孫娘が戦場が近づいてきたことを実感し不安を口にすると、既に二度の遠征で経験をしている赤目銀髪と灰目藍髪が言葉を繋げる。
「俺達、冒険者だからな。人間相手は仕事の範囲外だぞ」
「ですが、相手が襲い掛かって来れば、降りかかる火の粉は払う必要があります。戦場で一々、説明する余裕はありませんから」
先ず殺してから確認する……といった程度の覚悟は必要だろうか。
「本隊ならば遠くからでも存在が確認できるでしょうし、遭遇戦となるのは恐らく軽騎兵の斥候部隊。数は十人前後でしょう。逃すことなく、討ち漏らさないようにして、情報を持ち帰らせないことが大事でしょう」
『なんか士官みたいだな』
騎士学校でも知識として下級指揮官の教育は受ける。斥候とその対策も当然下級指揮官の教範の範囲内だ。
接敵した場合の問題点を確認していく。
「騎乗である事を考えると、移動はこちらと重なる可能性が高いでしょう」
「馬で移動しやすいのは街道ですから。それに、大軍が移動するなら当然、その経路を利用するとネデル軍も考えていますから妥当です」
つまり、斥候が出ていれば、当然、オラン公の軍も彼女達も街道上で
遭遇する可能性が高いと考えられる。
「逃げるのと足止めするので二手に相手は分かれる」
「銃でも弓でも、鎧を着た騎兵を一撃で仕留めるのって難しくないですか?」
「相手より先に発見して、通り越させてから背後から奇襲が良いと思います」
逃げられて情報を持ち替えられないようにするには、背後から攻撃し後方に逃げられないようにする方が良いのは当然だ。
「セバス……」
「……無理だ」
「まだ何も話していないじゃない」
「いや、絶対無理だ」
その昔、『和をもって民と成す』と建国の言葉を述べたとある部族の長が残した言葉の中に曰く「『無理』というのはうそつきの言葉」というものがある。
「途中であきらめるから『無理』なのよ」
「何時からそんな奴隷みたいな扱いを俺は要求されてるんだよ……でございますお嬢様」
言うなれば最初からである。とにかく、歩人は回り込み組で、街道上に逃走防止用の『土槍』を形成することが役割と定められた。
「最初から背後に回るメンバーと、迎えうつメンバーで二手に分かれることになるでしょう」
「では、先生とセバスさんが回り込む側で、残りの四人が迎えうつ側という役割分担ではいかがでしょうか」
灰目藍髪曰く、銃手と弓使いに如何にもな『ゼン』を加えて敢えて発見させ、飛び道具を見せていち早く逃走させるようにするという提案だ。
「俺だけが危険」
「土魔術の展開が遅いのは自己責任」
「おじさんにだって、優しくされる権利があるんだぞ!!」
土魔術の展開で『土槍』がタイミングよく発動しない場合、街道上で術を展開している歩人は軽騎兵に蹂躙されるか、騎士の槍で一突きにされかねない。ドキドキ展開である。
「私が守ってあげるわよ」
「……お嬢様……」
彼女がバックアップすると申し出て、歩人は一安心のようなのだが、リリアル生は一言いいたいらしい。
「セバスさん、年下の女性に守ってもらうなんておじさんとして相当かっこ悪いですよ」
「だがそれがいい……とは思わない。セバスカッコ悪い」
「カッコ悪くても生きていればこそです」
「練習あるのみだと思います」
最後の『ゼン』の言葉だけがまともに聞こえるのは言うまでもない。
「神国兵の斥候は魔物扱いということでよろしいでしょうか」
「異議なし。もしくは動く標的」
「狙いを定め!! ズドンです!!」
「魔装槍銃の効果も確認してみたいですね。魔物はともかく、対人戦ならそれなりに使えそうです」
今回は、銃手としての参加となる灰目藍髪は、魔装槍銃を装備することになる。銃撃して後、騎槍として装備し突撃を試みることになるだろう。
「無理をせずに。『ゼン』もフォローをお願いするわね」
「承知しました。どのように扱うのか、少々手合わせしたいところですね」
『ゼン』の申し出もその通りである。メインツを出て野営する際にどのような扱いのものかを立ち合いで試す事にする。魔力持ちでなければ魔装槍銃を十全に使うことは出来ないので、近衛連隊などで採用される事は難しいが、近衛騎士や魔力持ちの騎士の斥候部隊には装備しても良いかもしれない。
とはいえ、リリアルの手を離れどこかで鹵獲されても困るので、今後の検討課題となるだろうか。
「普通のマスケットでも使えそうです」
「「「「それだ!!」」」」
リリアルは魔装銃の装備が基本であるから、その延長線で魔銀鍍金製
槍銃を装着させているが、火薬式の銃にも付けられない事はない。だが……
「火縄銃ってとても重たいものよ」
「……メンテナンスも大変になりそうですね」
着脱式ならまだしも、槍の穂先が銃の台木の部分に固定されている魔装槍銃のデザインは持ち運びの際、魔法袋などに収納することが前提である。何日も徒歩で移動する一般的な歩兵には面倒な装備となるかもしれない。
「銃の普及自体がこれからですから、何十年か後には当たり前になるかもしれません。着け外しできるようになればなお良いですね」
ダイニングテーブルにこの仕掛けの確認のための配置を示す兵棋を置く。白がリリアル、黒が神国軽装騎兵である。凡そ、チェスの駒を用いる。
「騎兵の接近はどうやって確認するのでしょう?」
『ゼン』の質問に、彼女は当たり前のように答える。
「指揮官もしくは、幾人かの騎士は身体強化程度が使える魔力持ちでしょう。であれば、『魔力走査』で先に見つけることができます。進行方向の街路上に絞って距離を長くとって走査を行えば、いち早く発見できるでしょう」
先に発見すれば、彼女と歩人が下馬し、四人が騎乗した状態で待機。前衛に『ゼン』と赤目銀髪、後衛に銃兵である孫娘と灰目藍髪が立つ。
気配隠蔽を行ったまま、街道から少し離れた場所を移動し彼女と歩人は軽装騎兵の背後へと移動する。
「恐らく、二手に分かれて接敵を報告する者と、接触してくる者になるわ。報告する者がニ三人、残りは四人に向かってくるでしょう」
軽装の騎士は胸当程度の装備であり、騎兵槍と剣で武装している可能性が高い。銃を持っていたとしても、火縄と火薬の管理ができていないので、接触直後に使用することは出来ないはずである。
「四人が牽制し、私とセバスで先に報告する者たちを抑える」
「……俺が一人、残りはお嬢様でございますね」
否! 逃げるもの全員を彼女が討伐し、歩人は街道上に
『土牢』をいち早く作り上げ、四人に敵対する神国軽騎兵を牽制しなければならない。
『六人いればその倍くらいは楽に捌けるだろ』
『魔剣』の言う通りだが、捕らえた騎兵から情報を得ることまで考えると、少々手間になりそうなのである。