第422話 彼女は学院を旅立つ
第422話 彼女は学院を旅立つ
秋の遠征に間に合わせるためには、そろそろ王都を発ち帝国へと向かわねばならない。魔装馬車であれば移動時間は短縮されるが、ギリギリで到着すればよいというものでもないからだ。
「院長先生、来客です」
日曜日とはいえ、学院生の多くは休みであるものの幹部を含めた運営者である彼女は休みなどない。ネデル遠征は現地集合でもあり、リリアル残留組が適時緑灰の街に到着できるよう時間を合わせる必要がある。
理想を言えば、聖都の大聖堂に修道士たちという態で滞在し、小要塞攻略後、『猫』に伝令に走ってもらい、翌日の夕刻に緑灰の街の攻略を開始することになるだろう。伯姪との打ち合わせの最中であった。
「結局、ノインテーターの所在は緑灰の街ではわからなかったんでしょ?」
歩人も『猫』もノインテーターの存在を確認することは出来なかった。しかしながら、教会の地下などに隠している可能性も否定できない。古い教会であれば、墓地に出来る場所に限りがある故に、地下に墓地を設けることもあり得る選択肢であるからだ。吸血鬼を隠すには死体の中ということだろうか。
「出たとこ勝負になるわね」
「いつものことじゃない? それに『戦馬車砦』の出来も中々よ。土魔術の効果も上がっているしね」
癖毛と歩人は、土魔術の強化中でもある。彼女に同行する歩人、残留組に参加する癖毛がそれぞれ、戦馬車の周りを土塁で固め、周りを壕で掘り下げることで、近寄りにくく、取りつき難い移動城塞を形成するのである。正直、百人程度の城兵では三台の魔装を施した戦馬車の砦とリリアル生の防衛陣を突破できるとも思えない。油断は禁物だが。
来客は、オラン公の弟エンリとその従者であった。
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「先触れもなく急な来訪をお許しくださいリリアル男爵、ニース卿」
「構いません。オラン公の元に参陣する時期だと察してこられたのでしょう?」
騎士学校に入校したばかりであろうエンリ主従が、ネデル遠征に同行しても大した役に立つことは出来ない。それは本人も理解しているであろうし、オラン公も望んではいない。
「手紙をお預けしたいのです」
「勿論お預かりします」
彼女は手渡された手紙を魔法袋にしまう。エンリは近況などを語りながら、ネデルでの出来事を語っていく。オラン公と同輩であった幾人かの州総督を務めたネデルの高位貴族が異端審問の結果処刑されたことなどである。
そして、つい先日……
「北部遠征軍が、バレス公フェルナン将軍率いる神国軍に大敗し、ルイ兄上も危ういところを逃れたとか」
「かなり一方的な敗北であったと聞いています」
「ネデル総督府の宣伝もあるでしょうけれどね。でも、かなり強いのよね?」
少なくとも、南部遠征軍と相対した神国軍は精強であった。寄せ集めの傭兵、その上、周囲からの補給も絶たれていただろう北部遠征軍が一方的に敗れたのは指揮官ルイ卿の問題ではなかっただろう。
オラン公の遠征軍が進発するまで、フェルナン将軍を北部に誘引し遠征の助攻となるよう粘った結果だ。
「私も参戦したいのですが……」
「今回の戦いは、あくまでオラン公の面子を立てる為の行軍。戦いはまだまだ続く事でしょう。次の戦いに役に立つことを身に着ける機会と今は割り切るべきです」
「言われる迄もないと思うけれど。でも大丈夫なんじゃない?」
伯姪の言葉に彼女とエンリが顔を見合わせる。
「今回は、王国の『勇者』を観戦武官としてオラン公の本営に連れて行くから、その加護を当てにしてもらえると思うから」
「それは……心強い。士気が崩壊して大敗走とならずに済めば、兄上も命を拾う事でしょう」
そこまで当てになるかどうかは分からないが、ルイダンがいる事で、加護が発動し怖気づく騎士達がいなくなれば軍の指揮系統が崩壊することはないだろう。あくまでも、オラン公周辺だけに限られるが。
残念ながら日曜日にルイダンは学院にはおらず、王都の王弟殿下の元へ戻っている。遠征間近ということもあり、以前ほど学院で過ごす時間は多くはない。エンリは王国の『勇者』に会いたそうにしていたのだが、残念ながらその機会は次回になりそうである。
「リリアル閣下、今回の勝算はいかがでしょう?」
答えにくいのだが、北部遠征のような罠が決まらない限り勝機は限りなくゼロに近いだろう。戦力は寄せ集め、そして勝って得る領地やら租税は限りなくゼロに近い。
このまま、ネデル総督府に反抗する勢力がいなくなれば、これまで以上に異端審問や財産没収される原神子派の有力者が増えるだろう。圧力には屈しないという姿勢を誇示する、そして時を待つということになるのだと彼女は考えていた。
「負けないように遠征を終わらせる。すなわち、オラン公さえ生き残る事ができれば、次につながります。今の戦力で、神国兵と勝敗を決することは難しいと思われます」
「……確かに。総督府への不満が一層高まるまで、時を待ち味方を扶植するという事ですね」
神国兵は精強、ただしその維持には大金が掛かる。神国は巨大な海軍を整備すること、そしてネデルだけでなく内海側にも戦力を多く派遣し、さらにあらゆる地域に軍船を派遣し調査し、領土を広げようとしている。
王国ですら平和条約以降、十年かけて内政を充実させ国力を高める事に専念しているのに対し、神国は王国以外との争いをそのまま継続させている。王国以上に早晩、経済的に破綻するだろう事は目に見えている。
「ネデルの神国軍は数万人を超え、十万に届こうとしています。いつまでもこの戦力を維持できるとは思えませんし、維持すればするほどネデルには過酷な税が課せられ、不満は高まるでしょう」
「時間を味方に付ける……」
「言いにくいけれど、ネデルが困れば困るほど味方が増えるって事ね。王国で雌伏の時を過ごしなさい」
休んでいるわけでも、逃げているわけでもなく、ネデルを取り戻す為の準備の時間であると考えれば、エンリの王国滞在も意味の深いものとなる。
「そうですね……お話聞かせて頂き、ありがとうございました」
「遠征から戻った時にでもまたお話をしましょう」
「……はい。必ず」
これは定型の挨拶であり、なにかを予期させるものではないと三人は思うのである。
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帝国行を間近に控え、リリアルでは最終確認の最中である。明日には恐らく彼女と同行するメンバーは帝国へと向かう。その後、二週間ほどしてから伯姪率いる残留組は聖都の大聖堂に向かう手はずなのだ。
「ルイダンもゼンも冒険者か傭兵のように見えるわね」
帝国に向かうに際し、近衛騎士の装備や親衛騎士の装いでは如何にもである事を考え、当然、軽装の胴鎧や簡易な兜などを装備して貰っているのだが……
「そのちぐはぐ感が山賊っぽいルイダン」
「……ルイダンゆうな!」
ゼンは冒険者仕様の装備を一揃え購入したのだが、ルイダンは微妙にちぐはぐな装備となり、落ちぶれた傭兵か山賊のようないでたちとなっている。更に、人相も険しいので、数日髭を剃らなければ、確実に山賊に見えるだろう。
「氏より育ちとはよく言ったものね」
「言い過ぎだろ……」
ゼンは冒険者風であってもどこか騎士らしい清廉さが漂うが、ルイダンは恩讐というか恨みつらみのような影が漂い、山賊らしさが増しているのだ。
「馬子にも衣装ということばがあるのだから、近衛騎士の衣装も必要条件なのでしょうね。観戦武官として同行する際は、近衛騎士の装備を着用していただきたいわね」
「と、とうぜんだろう。万が一、ネデル軍に捕まった時に近衛騎士であれば、人質とされて後日生還できるかもしれないからな」
最初から負けて囚われる前提の『勇者』である。
「これをどうぞ」
「……手袋か……」
「魔装糸で織った『魔装手袋』です。魔力を通すと……」
自ら魔力を通した魔装手袋を、伯姪に曲剣で強く叩かせる。
Pann!!
まるで金属のガントレットを叩いたかのような音がする。
「フルプレートのガントレット並みの強度。馬上で手綱を握り、剣や槍で斬り合う時もこれなら十分自衛できるでしょう」
「それと、これもね。魔装の胴衣」
革鎧の下に装備すれば、鎖帷子を越える強度を誇ることになる。
「これなら、脇腹を剣や槍で刺突され致命傷を負う事がなくなるわ。但し、魔力を通さなければならないけれど」
「魔力切れは厳禁ですね。身体強化の延長で問題ないのでしょうか?」
『ゼン』の質問に彼女は軽く頷いて答える。
「二人とも魔力操作も改善され、ある程度継続して体に魔力を纏えるようになりましたので、餞別代りに支給します」
「……この先も同行だよな?」
「では、手向けとして?」
「俺は死んでねぇ」
ルイダンに辛辣なのは何時ものことだ。
細かなフィッティングは難しいが、その程度のことは許してもらいたい。不意に剣を振るわれたとしても、魔装手袋に魔力を通せば、盾のように扱うこともできる。手袋を着用するのは貴族としては普通のことであり、平素から身に着けておける装備として、魔装手袋は王弟殿下の傍近くに侍るとしても有意な装備となるだろう。
――― その気になれば、ワインの瓶の口も切り飛ばせて便利だ。
装備も整え終わり、後は帝国へと向かうだけとなる。そこに、姉がふらりと現れた。
「そろそろネデル遠征に向かうのかな」
「ええ。少し予定が早まりそうなの」
北部遠征軍の大敗を受け、すでに拘束する戦力のないネデル総督府軍は、オラン公の遠征軍を迎え撃つべく戦力を南部に集約させている事だろう。集結前に行動を開始しなければ、一つの都市もオラン公に味方し支援をする事はないだろう。
姉は危険であることを察したのか、真面目な顔で彼女に告げる。
「妹ちゃん」
「……何かしら姉さん」
「いざとなったら、王国の面子もリリアルの名前も全部忘れて、命大切にだよ。それを忘れないでね」
彼女の今までの在り方からすれば、王家と王都と王国の為が最優先であり、彼女自身のことは二の次と考えがちだ。だが、それはいけないよと姉は窘める。
「もう、ただの子爵家の令嬢じゃないんだからね。妹ちゃんがいなくなったら、リリアル生も王都のみんなも、ほかの……まあ色々困るんだよ!」
「何だか雑ね。でも、名誉を守る死もあるでしょう?」
姉は首を振る。
「騎士とか貴族なんて、身代金払えるならなんぼでも生き残れるでしょう? それに、妹ちゃんの為なら身代金ぐらいみんなで払うつもりの人沢山いるよ!」
だがしかし、一度失った名声というものは中々取り返すことは出来ない。まあ、冒険者としてネデルに向かうので、敗軍の将というわけではないのだが。
「それに、いざとなったら修道女になればいいじゃない。命まで取られる心配もないだろうし。お姉ちゃん、良い修道院知ってるんだよ☆」
それはどう考えても、トレノ近郊にある城塞に本拠地がある修道院に違いないと彼女は察した。
「姉さん……」
「ん、何かな妹ちゃん」
「面倒ごとを押し付けるのにちょうど良い……とか思ってないわよね」
姉は音の鳴らない口笛を吹きながら目を泳がせている。それは聖エゼルに違いない。聖エゼルは王国内にもかなりの資産を持っており、王家が管理している。サボアの聖エゼル同様、王国も『聖エゼル王国騎士団』として独り立ちさせたいのだ。リリアルがあるので、彼女には現状難しいが、修道女になれば、兼任若しくは聖エゼルの旗下にリリアルを世俗組織として組み込めると考えているのかもしれない。
元々孤児院は教会・修道院管理下の施療院の分派であるから、先祖返り的組織と言えばいいだろうか。
「却下」
「えー そんなこと言わないでさー」
「姉さんが修道女になればいいじゃない。私はまだ結婚はおろか、婚約者も定まっていないのに」
しまった、地雷を踏んだと思ったとしてももう遅い!! このあと姉は、延々彼女の結婚できない愚痴に付き合わされるのである。
「まだ諦める時間じゃないよ妹ちゃん」
「……全く諦めていないわよ……」
余計な事を言った姉は、更に余計な宿題を与えられるのである。
朝夕が涼しく感じるようになった夏の終わり、一台の馬車が帝国に向けリリアル学院を離れていく。
「騎乗じゃないのか?」
「何人も騎乗の人間が同行したら賊が襲ってこないじゃない。あんたの経験を積む為でもあるのよ」
伯姪に一人どやされるルイダンである。今回は馬車一台に冒険者組の六人が乗り、ルイダンだけが騎乗で移動する。二頭立ての馬車なので、不足する二頭はメインツあたりで手に入れる事になるだろうか。
その間は馬車に馭者は『村長の娘』があたり、中がのぞける位置には赤目銀髪や彼女が座り、女性の姿を多く見せるようにすることで、賊に襲われやすい環境を作る事にする。
「あなたは山賊退治初めてよね」
「は、はい。でも村の近くに山賊が現れる事もありましたから……」
「目的は討伐。首を取る」
「……が、頑張ります……」
これまで二期生はゴブリンを狩る経験はあったが、生きた人間相手は初めてのことになる。オラン公軍に同行し、戦場を経験する可能性を考えると、躊躇したり怯えないように経験を積ませたいと彼女は考えていた。
身近な人間の死を初めて経験した彼女にとって、とても重要に思えるからである。