第406話 彼女は父と会う
第406話 彼女は父と会う
「へぇ、そんな事があったんだ。髭野郎も大したことないね」
髭野郎というのは、『勇者ルイ』(笑)が自身の髭を自慢げにしているところから付けられた綽名である。勿論命名は彼女の姉。
王弟殿下はひげを蓄えていないので、どうなんだろうと思わないでもない。
「あいつ、私と同じくらいの年齢なのに、調子に乗り過ぎなんだよね。決闘すれば偉いとでも思ってるんじゃないのかな」
「……老け顔なのね……」
王弟殿下と同世代かと思っていたのだが、そうではないらしい。姉曰く、蛇蝎の如く……とまではいかないが、剣の腕を鼻にかけ子爵の嫡子ですらない存在にもかかわらず、王弟殿下の権威を嵩に偉そうなのだという。
「あんなの相手にしても金にならないから私は無視しているけどね」
「賢明ね。私は、前辺境伯に紹介して差し上げるつもりよ」
「そりゃいいね。本物の超人と手合わせするといいよね。あー 一期前なら私も手合わせする機会があったかもしれないのに、残念だー」
姉の場合、身体強化と魔力溢れるフルスイングの一撃を見舞うだけの単純な戦い、それも剣ですらなくメイスという組み合わせとなるのだが、普通は一撃で昏倒することになるので、手は合わさらない。もしくは、死あるのみである。
「ゴブリンやグールとは違うのよ」
「似たようなもんじゃない。人間様に悪さするって意味ではさ」
確かにそうだと同意しそうになる。
「でも、妹ちゃんじゃなくってめいちゃんが叩きのめしてくれてよかったよ」
姉の言葉に彼女が疑問を呈すると、姉は恨みを買う場合のリスクについて自分の見解を述べ始めた。
「ほら、妹ちゃんは身分はあるけれど、うちの実家である子爵家ってのは貴族に対してはそれほど抑止力にならないじゃない?」
王都の権益に影響力を与える家である故、商人や王家に掛かわる者にとって子爵家を敵に回すのは良くない。反面、貴族にとっては『たかが子爵』であり、王弟からすれば臣下の一人という見方もできる。
「ニース辺境伯ってのは小さいながらも元公国の主。そこの『姫』なんだから、めいちゃんに言いがかりをつけるというのは……」
「一国に喧嘩を売るのと同じ事」
「正解でーす。なにかあれば化物が出てくるし、王弟殿下より辺境伯家の方が陛下は大事だろうしね。サボアの件もあるし」
カトリナの婚家としてのサボアはニース辺境伯家の支援あってこその存在でもある。王家のとりなしで結ばれる婚姻、その嫁ぎ先が不安定になれば王家の面子の問題となる。つまり、お飾りの王弟なんか比較にならないほど辺境伯家は大切なのである。
「なら、姉さんが身内という事も知っているのでは?」
「あー ほら、宮廷の中の狭い世界でしか考えてないんじゃない? 騎士団に海軍まで有するニース辺境伯と比べれば、うち単体じゃどうとでもなると思われかねないよ。それに、まともな貴族はあの殿下の周りには集まらないし、まともな意見なんて通らないと思うよ」
子供でもニースに喧嘩は売らない。子爵家は、ある程度まともな貴族であれば、彼女の影響力、ニース辺境伯との姻戚関係を理解しているから問題ないが、問題ある人間の集まる王弟殿下周辺にはそれが理解できない可能性がある。
ということだろう。
さて、何故姉と会話をしているかというと、騎士学校での経緯と実家に話のあった『王弟殿下の婚約者候補』の話が一向に彼女のところに来ないので、疑問を持って子爵邸に顔を出したのである。
姉は本来、ニース辺境伯王都邸兼迎賓館となっているお屋敷に住んでいるのだが、夫である商会頭が不在の時は子爵邸にいる事が多いのだという。
「ほら、私がいるとみんな仕事しにくいでしょう?」
「いなくても仕事はしにくいと思うわよ。余計な仕事増やすでしょう」
姉は一直線に最短距離を目指す彼女と異なり、一見無駄に思える作業を加えるのだが、後でそれが生きてきたりすることも少なくない。
とは言え、作業量は多くなるのだが。
「それで、婚約者候補の話は……」
「ああ、あのポンコツ王子におばあちゃんが駄目だししまくってね。こんな程度じゃ、とても孫娘の婚約者になんて認められないって……」
「言ってしまったのね」
「そうそう、王太后様と陛下にね……シャレにならないみたい」
今まで、宮廷に顔を出し名前だけの責任者で、署名だけするような仕事をさせていたことが仇になり、実務が全然できないのだという。
「優秀であれば王座を望むかと思って敢えて盆暗にしたのが仇になったみたい」
「……ご本人もかわいそうね」
「あ、でも、この前妹ちゃんに会ってモチベ上がったみたい。お婆様が真剣さが違うって褒めてらしたわよ」
「……嘘……」
どういった意味で真剣になられたのかはわからないが、悪い事ではないのだろう。王国にとってはであるが。
「まあ、いい年したおっさんで、女王陛下の婚約者だったわけだから、あんまり格下の女性と婚約もさせられないじゃない?」
「女王陛下の話はまだ完全になくなったわけではないのでしょう?」
「ムズイね。あの人、一巡して立場弱くなっているからね」
女王の父である先々代の王の頃に様々な施策を行った結果、王家の財政状態は限りなく破綻に近くなったのだという。そして、女王の姉が先代の女王となった時代、反動的な動きが強くなり、窮屈な時代が続いた。
若い妹王女が新しい女王となり、暫くは国民の人気もあり穏かな空気が連合王国を取り巻いたが、いつまでも現実から目を背けるわけにはいかない。
「ネデルの問題が飛び火しているというのもあるみたいだね」
ネデルから亡命してくる商工人が連合王国にやって来ることになり、また、取引先であるネデルの商工業者がいなくなったこともあり、貿易が落ち込んでいることも問題なのだ。
「神国とネデル総督府との関係も微妙でしょうね」
連合王国の女王は政治的にも宗教的にも不安定な存在であった。父王の嫡出であるかという疑問、父王の姉の孫に当たり王国で生まれ育った北王国の女王が連合王国の女王を務めるべきだという派閥も存在する。
新たに法を定め、御神子教会と教皇猊下とは距離を置きつつも『異端』とならないよう『国教会』との関係を定めた法律も定めた。
「今のところ積極的に関われる余力はないだろうね」
「だから、王弟殿下との婚姻も無下にできないし、ネデルとの関係もどっち付かずというわけね」
王国との関係を決定的に悪くすることもできない。故に、工作員が連合王国利権を守るために暗躍する。ネデルにおいても、総督府に肩入れすれば、国内の原神子教徒や取引先がへそを曲げ、その逆であれば、大国であり、原理主義者の神国を敵に回し、軍を派遣されかねない。
「まあ、ネデルを抑えた神国は、王国の連合王国対岸の当たりを『新ランドル』とかいって自国領に組み込むんでしょうね。その後、対岸の連合王国に……」
「第十次聖征でも行うのでしょうね」
聖征の半分は、サラセンにではなく同胞の異端者に向けて行われたという歴史的な事実もある。教皇の影響力を削ぎ、国内の教会財産を国王の資産に組み込んだ連合王国の王家を『異端』として懲罰することは十分可能だろう。
「王国もそれに巻き込まれたくないから、蛙君の話を表面的に保留しているんだとおもうよ。でも、いざ聖征となれば……蛙君を次期国王として送り込んだり、北王国の女王陛下の王配に押し込んで影響力を行使するかもね」
連合王国の女王には『婚約者』とみられたく、神国や教皇庁には「王弟は王国の聖女と婚約中」とアピールしたいのだろう。
人間、見たいものしか見えず、希望的観測を鵜呑みにしがちである。
「どちらにしても、名目上の婚約者候補を務めればいいわけよね」
「そうだね。おばあさまの目の黒いうちは、妹ちゃんと蛙君の婚姻はないね。その後は、私の目の黒いうちかな……」
姉曰く『義弟の蛙君はどうかとおもうよね』というのである。
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父子爵が王宮から戻り、夕食を済ませた後、彼女は父の執務室へと呼ばれた。その為の帰宅でもあったので当然だろう。
父親は「最近、進められてモニターを務めている。お前もどうだ」と、王妃様の紋章の入ったボトルのワインを勧められる。同じ悲哀を分かち合う者同士、この家では父と彼女は似た存在でもある。
怖い祖母に頭が上がらず、姉に振り回され、母のピンボケ発言に心かきみだされる。王都の管理者とリリアルの管理者……規模の大小を別にすれば、そして性格の生真面目さも良く似た父と娘であった。
開口一番、父親は謝罪する。
「いや、お前の気持ちも考えずに申し訳なかったな」
少々驚きながらも『王命ですもの』と首を横に振る。とは言え、結婚に夢を見ないわけではなかった彼女にとって、一回り上の冴えないおっさん(王族)というのは、一つも心に刺さらない存在であった。
「この王命は……王太后様の強い希望でな……」
国王と異なり、いつまでも母親に甘える可愛い息子に、三国一の花嫁を迎えてあげたいと……選んだはずだが思うように女王との話が進まず、であれば、王国一の花嫁をと彼女に白羽の矢がやったのだという。とても迷惑な話である。
「あの方の足らないところを、お前なら補えるとおっしゃってだな……」
「一回りも上の王族の足らないところを補えるとは思えません」
「……ま、そうだな……」
「……」
彼女と父親の立ち位置は子爵家では近いのだが、二人きりになれば、やはり父の方が弱い立場であったりする。今回は、国王とその母親に押し切られた結果、その尻拭いを彼女と祖母に丸投げする形になっているのだから当然だろう。
「お婆様が指導して下さっていると聞いております」
「あ、ああ。で、殿下の執務室のある回廊が凄まじい事になっている。私の執務室の隣なのだがな……」
先の王太后の側近にして、国王陛下の王太子時代の教育係として厳しさで有名であった彼女の祖母である。王の側近たちも当時は『学友』という立場で等しく厳しい薫陶を受けている。
つまり……
「逃げ場がございませんわね。よろしかったではないですか。実務経験に疎い王都総監など、王都の民にとっては迷惑な存在。お婆様が監督されるのであれば、間違いございません」
「そ、そうなのだ。俄かにやる気を見せられてだな、人が変わったかのようなのだ。王都と……子爵家のことにも関心を持たれてだな……」
嫌な予感しかしない。どうやら、彼女の人となりを祖母に聞いても「わたくしによく似た聡明な娘です」などと言われ仕事増やされるので、専ら子爵との打合せの際に祖母の目を盗んで聞きただしてくるのだという。
――― 嫁にする気満々なのではないか!!
「とはいえ、王弟殿下の婚姻は外交そのものだからな。それも、わが国ではなく、連合王国の女王陛下の外交案件だ」
父は、話せる範囲でと彼女に説明してくれる。
まず、女王陛下の国内基盤は中々に弱い。何故なら、父王が幾度も息子を得るために妻を替えた男であり、その為、教皇猊下との関係を相当悪化させたという面がある。
離婚を認めない御神子教において、合法的に離婚する方法は「実は不備があったので結婚していませんでした」と無効を宣言する方法でしか認められない。それを幾度も繰り返せば、教会の長として権威が揺らぐ。
ついでに、連合王国内の修道院を全て潰し国王財産とし、教皇の指名ではなく、独自に司教を置き、その司教の指名は国王が行うものとした。聖俗で権威が異なり、国王の権威を教皇が認める事で成立している秩序に逆らおうとしたのである。
今まででもそういう国王や皇帝はいなかったわけではないが、その場合、自分を支持する人物を教皇に推すという活動が主であった。既存の枠組みを変えずに要は贔屓させようとしたわけである。あとは、若しくは丁寧に無視するである。
「連合王国は、異端とされるのを恐れて、今の女王となってから、教会の組織や在り方は今まで通り、だが、連合王国内での決め事の最高決定権は国王にあるという法律を作った」
父王の亡き後、先代女王は厳格な御神子教徒であった。どのくらい厳格かというと、「女性は政治に関わらない」というほどにである。何をしたかと言えば国内の原神子派を徹底的に弾圧した。それこそ異端審問である。
「そういえば、今の神国国王は王太子時代、先代女王と婚姻されていましたね」
とても馬の合う夫婦であったろう。残念ながら、先代女王はもともと高齢であったこともあり、また王太子が国王となり神国へと去った為、子もなすことなく亡くなり、今の女王となったのだ。
国内は、父と姉が極端なことを行ったため、御神子派も原神子派も痛んでいる。その主導権争いの上に、原神子主戦派は連合王国の北にある『北王国』と戦争をし、女王を捕らえ自国内に幽閉することを為している。
この北王国の女王の母親は、父王の姉であり、連合王国の女王と北王国の女王は従姉妹どうしなのである。そして、待望の王子は北王国に存在する。連合王国の国王の血を引く王子である。
なので、連合王国の女王は、自分の立場が危ういことを考えると、王国にも神国にも帝国にも、ネデルにもいい顔をしなければならない。彼女を真に必要としてくれる存在などいないからだ。
「でも、いい年なのですから、庶子とは言え王の娘を求める人もいたのではありませんか」
「……いや、そもそも父王は彼女を自分の娘だと認めなかったのではなかったかな。不義の子、他人の子だと言って婚姻無効を申し出ているからな」
そもそも、父王は王子が生まれなければ妻を婚姻無効か処刑をするような人物であった。生きている間は、逆らえなかったと言えるだろう。
姉に関しても同様、妹が姉の代わりになると分かれば自分を暗殺しとって代わらせようとする『異端者』が国内には多数存在する。
「かの女王陛下にとって独身であるという事は、誰もが夫になる可能性があるということだから、彼女に抗する人間が生まれにくい状況を作り出す事に都合がいいのだよ」
蛙君殿下以外にも、求婚する皇帝・国王の親族が各国から訪れており、国内も王配に自分の身内を送り込もうとする。誰かに決まるまで、女王陛下の意向を無下にする事は相手に塩を送る事になりかねないのだ。
「では、殿下に国内向けとはいえ婚約者候補がいるというのは問題ないのでしょうか」
国王陛下・王太子殿下のスペアとはいえ、三十男が一人フラフラしているということは外聞が悪いし、実際周りに碌な者が集まらない。
「問題ないと判断したのだろうな……」
父曰く、女王陛下にも国内に貴族の五男坊の愛人がいるそうなのだ。父親は先代女王陛下の即位の際に反逆罪で処刑され、母が先代女王の母である神国王女の侍女を務めていたため、その伝手で処刑を免れ後に恩赦を与えられたのだという。