第402話 彼女はエンリに兄の最期を語る
第402話 彼女はエンリに兄の最期を語る
彼女はエンリを院長室に案内し、席を進める。未だ他の人間は用意ができておらず、お茶の準備が整うまで、先に書状を渡し目を通してもらう事にした。
エンリは二通の書状を一気に読み通す。そして、声もなく涙を流し始めた。そして、暫く瞑目すると彼女に「取り乱して申し訳なかった」と一言告げると押し黙った。
「入るわよ。お茶を用意したわ」
その声は伯姪であった。背後には無言で赤目銀髪が続いて入って来る。彼女の横に赤目銀髪を座らせ、お茶の用意ができるまで彼女は会話を始めずじっと待っていた。その姿は何か堪えているようでもあった。
「お茶をどうぞ」
「……いただこう」
背後の従者にも席を勧め、お茶を勧める。長い話になりそうだからである。
「私も聞いていい?」
「あ、ああ。構わない。一緒に聞いてくれ」
彼女が遠征中、騎士学校の件や王都での冒険者としての活動の相談に伯姪が対応していたようで、知らぬ間とは言え二人の仲は多少親近感が増しているように見えた。
彼女はネデルでの出来事、とくに北部の遠征に関して淡々と説明を始める。合流した時点で既に州都フリンゲンが内応する話は反故にされ、内応を約束した有力者の屋敷に彼女たちとアゾルで忍び込み、お仕置きとして街中の橋に吊るした事。
怒りを覚えた州総督率いるフリジア軍が偽装後退する北部遠征軍を横撃する為に移動してくる間道・脇街道に兵士を伏せておき、街道出口で先陣を半包囲から撃破し、その後、ルイが率いる騎兵百騎が追撃に移ったこと。
その後、馬が暴れルイ単身で街道を外れ沼地に分け入ってしまい追いきれないと判断した側近たちが本営に救援を求め、彼女たちが追跡した事。
『水馬』を用いて急ぎ沼地を追ったが、馬から降りていた所を『魔鰐』に喰いつかれ、発見した時はすでに下半身を食いちぎられてしまっていたこと。
その後、ポーションを与え蘇生を試みたが、下半身を魔鰐に食いちぎられている状態では数分も命を持たせることができなかったという状況を説明した。
エンリ主従は黙って聞き入っていたが、手紙の内容と彼女たちの行動を繋ぎ合わせる事ができ、深々と頭を下げた。
「つまり、アゾル兄の体が五体揃っているのは、あなた方が魔鰐を討伐し、死体を回収してくれたからという事なのだな」
「……そのくらいしかできなかったの。ごめんなさいね」
「……」
彼女も同じように深々と頭を下げた。
「いや、頭を上げて欲しい。兄は……アゾル兄は最後まで堂々としていたのだろうか。明朗……快活な……兄の……ままで……」
彼女は頭を上げると深く頷いた。
「最後まで、私達に迷惑かけた、馬は大丈夫かと……心を砕いていたわ。泣き言一つ言わず……磊落に……」
「良い死に顔だった。納得できなかっただろうけれど、満足した男の顔だった」
赤目銀髪は小さく「ぉ父さんと同じ」と付け加えた。
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秋のオラン公軍の遠征。時期的にはちょうどエンリ主従の騎士学校への入校時期と重なる。エンリは、ネデルに向かうべきかどうか悩んでいるようである。
「君はどう思う?」
「あなたは、あなたの出来る事をすべきね」
北部遠征軍はルイが、本拠地ディルブルクは次兄ヤンファンが、そして南部遠征軍本体にはオラン公が参加する。実際に、血縁以外に何の能力もないエンリが出る幕ではない。
むしろ、今後の王国とオラン公との関係を深めるために、エンリ自身は王都で彼のことを知る者、ネデルにおいてオラン公を支持する存在を増やす為に活動しなければならないだろう。
騎士学校には近衛の従騎士である貴族の子弟も多く在籍する。王都において冒険者として活動することで、自らの能力を磨くこともできる。だが、遠征に加わっても名目的な意味しかない。それは、エンリである必要すらない。
「騎士学校において、恐らくネデルの遠征軍の余波が王国に影響を与える講義もあるでしょう。実際、王国領内にオラン公軍が離脱してくる可能性もあるわね。その際、誰が窓口に立てるのかしら?」
「……私しかあるまい」
「なら、決まりじゃない。あなたは王都で、あなたの出来る事をする。そう、オラン公に手紙を書くべきね。アゾル卿の墓参りはその後でもできるわ」
エンリは迷ったような表情を一瞬したが、自分自身を納得させるように深く頷く。
「兄の最期を看取ってくれて二人とも礼を言う。美人二人に見送られて天国に行ったのだから、アゾル兄も満足だろう」
「……ほんとのこと言ってもダメ。でも、アゾルはカッコいい騎士だった。一緒に忍び込んだフリンゲンの街でやったことは……ずっと忘れない」
「そうか……ありがとう……」
赤目銀髪の手を両手で握りしめると、兄と別れを告げるかのように大きく握手をする。
「また、来てもいいだろうか」
「勿論よ。私もネデルに遠征に出る前に、必ず連絡するわ。その時に、必要なものがあれば預かっていきます」
「何時でも歓迎するわ、初心者冒険者のエンリ君!」
しんみりした空気を跳ね飛ばすように、明るい口調で敢えて軽口を聞く伯姪。ではまた改めてと言い残し、エンリは帰っていった。
「知らない間に随分と仲良しになったのねあなた」
「出来の悪い弟みたいな感じかもね。まあ、出来の悪い弟に事欠かないのがリリアルだけれどさ」
「その通り。出来の悪いおじさんもことかかない」
「「そうかもねー(しれないわね)」」
先ほどまで頑張っていた歩人を思いつつ、子供たちの成長と比べるとおじさんの成長は鈍いので、可哀想ではあると思わないでもない二人であった。
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翌日、姉が邪魔をしに来た。と彼女は考えていたが、そうではないようだ。
「これ、『ストレングゼロ』を添加したワイン。あんまり強力に効くと身動き取れない人が続出しかねないからさ。これは、効果を限定した商品だよ」
「具体的にはどの程度なのかしら?」
彼女の姉曰く「普通の人で半分くらいの力になるように調節した」という。
「妹ちゃんも試しに飲んでみてよ」
「……今スグにかしら?」
「そうそう。善は急げって言うじゃない!」
このいかがわしいワインは善でも何でもない。彼女は似た年齢で魔力量に差がある『伯姪』と『灰目藍髪』『碧目金髪』を呼ぶ事にした。それ以外の子達は成人前であるので呼ばずにおく。
しばらくすると、三人が「ワインが飲めるんだって」と少し間違った伝言を受けて現れた。
「ワインを飲むのはその通りなのだけれど、力を半減させるポーションが添加されているの。このあと、暫く力仕事は出来なくなると思うのだけれど、予定は無いかしら」
と念のため確認すると、特に問題はなさそうである。お酒としての酩酊時間と効果はほぼ同じなので、酒自体に酔いやすい場合効果が長く持続する事になるとも言う。
「さあさあ、これはお仕事よ!」
「も、もちろんです!! いやー お仕事が辛い」
「つらいなら飲まなければいいでしょう」
「うう、仕事は楽しいですよー」
灰目藍髪は彼女以上に辛口である。というより、彼女の場合『リリアル男爵』としての振舞いが求められるため、以前よりも口にしないことが増えてるといったところか。例外は姉に対してだけである。
「さあどうぞ。これは、味が分かりにくいようにトレノ産の甘口赤ワインだよ!」
「懐かしいわね」
王国の赤ワインは品種を新しくし、甘みよりも渋みや深い味わいのする葡萄の種類を選んでいる。トレノは古の帝国時代からの品種も少なくない。糖度が高く甘いため、アルコール度数も高めとなるのだろうか。水で薄め飲料水代わりにしても良いくらいの味である。
甘いワインが食事に合わないという事もあり、白ワインや王国のワインが貴族や富裕層に好まれている。ボルデュの赤ワインはワインを産するサボアにおいても人気があるという。
「ん、甘さ控えめですね」
「まあね。『ストレングゼロ』自体がアルコール度数の高い蒸留酒だから、ワインに加えてさらに若干蒸留水で薄めて濃さを調整しているんだよ。だから純粋なワインではないんだよね」
「飲めておいしければ何でもいいわよ」
彼女は実利的な発想なので、安くておいしいというのは評価が高くなる要因である。
「それが……回ってきました……力……入らなくなりましたね」
「ほんとだ。ハンディキャップマッチ用に飲んでから勝負とか面白いかもです」
薬師娘二人は酔いが回ってきたようで、感想を言い始めたが、碧目金髪が中々面白い発想を口にする。確かに、人為的に力の入らない状況を作り出すストレングゼロ風味のワインの効果を訓練にとりいれるのはありだろう。
「……それ……使えるわね」
「疲労困憊の際でも慌てないように……鍛錬に丁度いいわ!!」
なんとなくズレていく気もしているが、先ずは試しである。彼女は魔力にモノを言わせ、身体強化を更に強化……
「あんまり変わらないね妹ちゃんは」
「……かなり魔力を余計に消費して平静を保っているのよ」
伯姪は……
「なんだか体がぐにゃぐにゃするわね」
「骨がなくなっちゃった感じがします。波に漂う水母のきもち~」
「くっ、もっと身体強化の精度を上げないとっ。な、なんのこれしき!!」
彼女以外の三人は、三者三様。楽しんでいる者も若干いる模様。
「身体強化の訓練につかえるかもしれないわね」
「確かにね」
身体強化をした上でその効果をより高める鍛錬というのは、実際には中々難しい。実戦ならともかく、訓練で身体強化を用いた模擬戦など行えば、あちらこちらを破損・破壊する可能性が高いからだ。
「ん……少しコツが掴めたわ」
「はぁ……もうだめですぅ……」
「……何もしてないわよね。くにゃくにゃしてただけじゃない」
「抵抗しているんだよこれでも。漂っているように見えても、心ではしっかりカッチリしているんだよ」
すっかり心までぐにゃぐやになっているようである。姉はゲラゲラと笑っている。どうやら、ニース辺境伯の騎士団に差し入れをすることにしたようだ。
ジジマッチョにストレングゼロをすすめるつもりなのだろう。いや、むしろ呑ませたうえで若手が返り討ちにあうまでがお約束かもしれない。
「あんまり効果があるのもどうかと思うわ」
「広めない方がいいでしょうね。製作した薬師の身に危険が及びかねないもの」
「……そうだね……」
彼女の姉は近々オリヴィー経由で『ストレングゼロ』を作り出した薬師に会おうと考えているのだという。
「ロックシェルもいつまでも安全とは限らないじゃない?」
「そうね。短期的には武力で抑圧できたとしても……支配される事に慣れない都市の商工業者が暴動や反乱を起こす事は目に見えているわね」
「そうなると、抵抗力を失わせるこんなもの作れる薬師って、とっ捕まえられて、永久にストレングゼロ作り続けさせられそうでしょう」
「うう……それはそれでつらそうです。飲んだだけでも辛いのに……」
なんか違うが、危険そうなことは理解できる。そこで姉は、薬師に王国に来ないかと誘おうと考えているという。
「薬師として優秀なんだけど」
「けど何かしら?」
「その子、まだ十二歳らしいよ」
リリアルの二期生と変わらない年齢で、一級の薬師なのだろう。姉はオリヴィからのまた聞きなのだが、祖母が指導し、祖母の工房をそのまま受け継いでいるのだという。
「すごい優秀なんじゃない!」
「ああ、私、今でも抜かれちゃってるかなぁ……」
「気にしても仕方ないわ。多分、子供の頃から仕込まれているんでしょう?
スタートが違うじゃない」
ところが、今のところ『ストレングゼロ』を主な換金商品として作っているだけで、十二歳で後見もいないため、薬師ギルドに登録もできていないという。
「ヘッドハンティングしようかと思うんだよね」
「……構わないわ。姉さんの判断で、こちらとしては受け入れる余地は十分あるのだし。会って良いと思えば進めてちょうだい」
姉は「OK!」と快諾し、彼女名義の紹介状を発行してもらう事にした。ネデルから王国に向かう際、『リリアル男爵』名義の証書があるかどうかで、役人・兵士の対応も変わって来るだろう。
残念ながら姉は今のところ無位無官の商会頭夫人に過ぎない。公的な立場は持ち合わせていないので、彼女の社会的地位を利用することになる。
「どんな子なのか楽しみだわ」
「普通の薬師の子だと思います」
「オリヴィさんも子供の頃は元々薬師見習をされていたそうですから、
即戦力の超人だったりすると……」
「ますます私たちの肩身が狭くなる……」
元々薬師見習としてリリアルに入学した二人は、優秀な新人を想像し、少々心配なのだろうが、様々な経験が単純な薬師として以上の存在感を碧目金髪と灰目藍髪に与えている。
「……ならないでしょう。変わらないわよ何も」
薬師としての仕事は出来たとしても、冒険者としての仕事、リリアルの騎士としての仕事、リリアル生の後輩を育てる仕事など、年長者である二人には彼女も伯姪も大いに期待している。
飲んでぐにゃぐにゃするところは、早急に改善させたいのだが。