第397話 彼女は親書を携え王都に向かう
第397話 彼女は親書を携え王都に向かう
神国と帝国が別れた理由は、その国の在り方の違いにもよるのだろう。婚姻で一つの国となったとはいえ、帝国の皇帝は幾つかある領邦の中でまとめ役として担がれている君主に過ぎない。帝国の諸侯は、それぞれ独立した小国の『王』に等しい存在であり、帝国の範囲を纏める名目上の存在が『皇帝』として頂かれている。
いくつかの皇帝になる血筋の家が存在したのだが、数百年を経て今は東方大公領を持つ『ファルケブルク』家が唯一の皇帝家となっている。
『ファルケブルク』と神国王家の婚姻により生まれたのが巨大な国家だったわけだが、明らかにその在り方が異なるという事もあり、今では神国とその支配下にある内海・ネデル諸領と、帝国にある帝国領で別れて存在することになった。
神国は、サラセンと戦い御神子と対立する存在と戦うのが国是である。
帝国は、その領内に多くの商人同盟ギルド加盟の都市をもち、原神子派が主流の帝国自由都市=皇帝のお墨付きの独立都市も多く存在し、皇帝の財源とも密接に関係している。
とは言え、教皇との関係を悪化させないように原神子派の行動を掣肘する活動もミアンを中心に行わせており、ある意味、帝国自身の様々な存在が混在するサラダボウルのような姿をしている。
自身の権勢を維持するために、時に異教とも妥協し、御神子派と教皇・教会、原神子信徒と帝国自由都市の商工人、そして……長い時間を生きてきた『吸血鬼』とも、妥協して見せているのだろう。
「帝国故に、『吸血鬼』に居場所があるということなのかもしれないわね」
『そうだな。誰とでも手を結ぶ用意のある存在が皇帝なんだろうな』
首尾一貫などということは考えていないのだろう。これは、『王家』がその血脈を持って正統性を誇る存在であるのに対し、『皇帝』は選挙によって選ばれる『覇者』であるからだろう。血を持ってその存在を維持できないのであれば、使える手立てを何でも使う事に躊躇しなくなる。
「それでも、オラン公との関わりをどうするのか……王宮に判断してもらうしかないわね」
『ネデルに深入りする意味はなくなったからな。『暗部』の供給源である養成所とノインテーター・メイカーを潰せば問題は一段落する。その先は、政治の話だ。リリアルは関係ない』
彼女は『魔剣』の話を聞き、自分の心の中を整理する。オラン公の遠征に帯同するのは、『吸血鬼』と接触し討伐するためであり、ネデルには王国で騒ぎを起こしていた『吸血鬼』が存在せず、帝国の東方大公領に出向かねばその存在と接触できないという事が分って来たからだ。
端的に言えば、ネデルの仕事を早々に終わらせ、本命の帝国東方領へ向かう必要がある……ということになる。
『俺、王都初めてなんだよなぁ』
「それは良かった」
「あ、でも、見るだけですよサブロー」
「当たり前です。首だけの吸血鬼が王都に現れたなら、それはそれで大騒ぎになるではありませんか」
今回、王都には『サブロー』を帯同することにした。恐らく、宮廷魔術師か王都大学の研究室で飼育される事になるのだろう。南部遠征で捉えた二体は人間性をかなり失っていたため、ジロー・サブローのようにはいかず、既に銅貨をもって討滅されていた。
魔装馬車に乗り、彼女は馭者を他のメンバーに任せ、騎乗せずに考え事に集中していた。恐らく、王国ではネデルに関して神国総督府が完全に掌握しない程度にオラン公を支援するという事を考えているだろうと推測する。
この場合、前回の南部遠征同様、オラン公の生存を保つことができれば大きな問題はないと考えるだろう。次回の遠征軍に関しても、北部にある程度オラン公の騎士を帯同している為、ネデル貴族とその関係者・帝国人傭兵の寄せ集めの軍となる。
南部は古くから住む住民が多く、リジェ司教領もその地域に存在するということもあり、原神子派は少ない。とは言え、ロックシェルよりも北の地域では完全な敵中となり攻め入る事も難しい。
リジェ司教領に安全地帯を確保しつつ、その周辺域を行軍し、王国北部の原神子派住民の多い地域に移動し、兵を募る……といった計画の可能性が高い。王国内で募兵することで、ネデル総督府が王国領内に侵攻する大義名分を与えかねないが、北部に拠点・港を持つ都市を得られなかった事を考えると、ランドルに近い地域を目指すというのは次善の策なのだろう。
政治的中心のロックシェル、その北40㎞に位置する商業的中心地のアントブルペンは世界貿易の40%を占める取引量を誇るネデルだけでなく世界の経済の中心地でもある。『経済』ではなく『貿易』なので、その規模はそれなりなのだが。
そのアントブルペンが商業の中心となる以前、ランドルにあるブラへが商都であった。内海地域との貿易が、王国・ローヌ公領を経由した内陸貿易から、内海を一度西に向かい神国の領海を外海へと出てネデルに至る航路が主流となり、ブラへからアントへとここ百年ほどで経済の中心が変わったのである。
とは言え、商業集積はランドルにしっかりと成されており、王国と密接になることで、連合王国・ネデル領と別の経済圏となる選択肢もないわけではない。
「王国の力を借りたいのであれば、遠くのネデルより近くのランドルを切り取り王国の庇護下に入る方がいいわよね」
『だが、オラン公はオラン公だ。ネデルの君主じゃねぇぞ。だれか、担ぎ出す神輿が必要だろう』
確か、王国には未婚の王弟が『血のスペア』として存在する。年齢は王太子より一回り程年上、二十代後半であったと記憶する。
「あの……お名前を失念してしまったのだけれど、王弟殿下がいらっしゃるわね」
『……蛙殿下な』
『蛙』というあだ名のある王弟だが、このあだ名をつけたのは見合い相手であった連合王国の『妖精女王』陛下である。
子供の頃に大病を患った結果、王弟エブロ公フランツはあまり容姿の良くない病弱な男子として成長した。その結果「醜い」と噂され、年齢的に女王の王配に合うとされたフランツに見合いの打診があったのだ。
折角だからと連合王国で女王と会った際、「それほど醜くないわね。蛙くらいかしら」と周囲に漏らした結果『蛙君』と呼ばれる事になった経緯がある。
女王はかなりフランツを気に入っていたようで、気が弱く王家の血を持ちながら女性に強く出ない性格が果断な女王と合うと考え、自分の年齢も考え婚姻を結ぼうと考えていたという。
ツンデレだったわけだ。
ところが、「蛙君」というあだ名にショックを受け、尚且つ、美人とはいえ気位が高く気も強い女王とは結婚したくないと……王太后に泣きついたのだ。いい年をしたおっさんが、母親に泣きつき、国王陛下にも「可哀想だからやめてちょうだい」と言われ、王弟の女王との婚姻は流れている。実際、未だに女王は『蛙君』に未練があるという話であり、女性は素直が一番と言わざるを得ない。
「オラン公が宰相を務める……とかでしょうね」
『まあそうだな。王国を引き摺り込むに、悪くない餌だ。蛙殿下は野心も胆力もない。ネデルの貴族の娘を妻に迎えれば、問題なく『ランドル大公』になれるんじゃねぇか』
確か、オラン公の長女マリアは十二歳。後三年もすれば問題なく婚姻できる年齢となるだろう。相手は……三十過ぎだが、特に問題になるような年齢差とは言えない。
「マリアさんには可哀そうかもしれないわね」
『まあな。とは言え、蛙殿下には王太子の子が生まれるまでは継承権持ちでいてもらわなきゃだが、ランドル大公になるなら継承権を破棄させないとな』
ランドルで神国軍に捕えられ、その旗頭にされ神国軍なネデルから王国へ侵攻しかねない。そう考えると、ランドルへ王弟を置くというのは問題だろう。大公位を与えた上で王国内で保護。実務はオラン公に丸投げ……あたりが妥当だろうか。
そうなると、王弟を守る名目でリリアルにも何らかの依頼があるかもしれない。
『そう言えば、王都総監って王弟だぞ』
「……そうね。少し前に仕事を与えるという名目で就任したようね」
『つまり……お前の実家の直接的な上司だぞ』
最近は遠征遠征であまり子爵家の事を考えていなかったが、王都の都市計画を司る彼女の実家と王弟は関係が深いと言えるかもしれない。
「そう言えば、姉さんが独身の頃、王都の社交界でしつこく追い回されたと聞いているわ」
『……やっぱ蛙、駄目じゃねぇか……』
子爵令嬢に過ぎない彼女の姉と王弟では身分が釣り合わないだけでなく、子爵家の跡取りにちょっかいを出す時点で自分の立場が理解できていないと言える。
王太子が無事成人し、嫡子が生まれるまではまともに婚姻できないのだと自身も周囲も理解している。愛人が欲しいのなら、もうすこし妥当な家柄や身分の女性を探してもらいたい。
蛙殿下には今一つ悪いうわさがあったのだが、彼女はこの時、思い出すことは出来なかった。
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少々ゆっくり目に魔装馬車で移動した彼女たちは、一週間後、王都へと到着した。これでも、普通の馬車移動の半分以下の時間であるが。
彼女は一旦、リリアルに帰らずに子爵家へと向かう。供は茶目栗毛だけを残し、四人は先にリリアルへと帰還させることにした。ついでに、歩人に魔装二輪馬車で子爵家に来るように言伝を頼む。
しばらくぶりの実家、不意の訪問にもかかわらず彼女はとても歓迎された。
「おかえりなさい」
「只今戻りました」
父と姉は不在、出迎えてくれたのは母である。
「ルリリア商会は順調よ~」
すっかり忘れそうになっていたのだが、王妃様御用達、そして子爵夫人である母の久しぶりの社交界に顔を出したご祝儀的な部分もあり、トワレや蒸留酒一年先まで予約で埋まっているという。
「あなたの姉もネデルに行ったっきりなのよね~」
「少々面倒なことを頼まれておりますので、仕方ありません」
彼女は帝国で出会ったネデル貴族オラン公の子女が狙われていること、その安全確保のため、姉がネデルにあるゲイン修道会迄送っていったことを説明する。
「あらあら、それだけではないのでしょうけれど……理由はわかりました。でも、困ったわねぇ……」
受けた予約を実際捌くのは姉であり、ニース商会なのだ。ルリリア商会は商品の供給を受け、自身の取引先に販売する窓口のような存在なので、ニース商会と細かな打ち合わせを姉経由でする必要があるのだ。
「別れてから半月ほどなので、そう待たずに戻ると思います」
「そうねぇ……それなら良いのだけれど」
注文殺到で、迂闊に社交に出られず、母は屋敷で引き籠り生活をしているのだという。多くの貴婦人が顔を見れば注文をしようと待ち構えられているらしい。
「久しぶりの本格的な社交でしょ? 疲れるわね」
姉の謎のテンションは母由来なのだが、現役である姉と比べると、一度社交から距離を置いた母には中々にエネルギーのいる仕事のようだ。
「それにね……」
「……何か言いにくい事でも?」
母曰く……彼女にもお見合いの内々の要請が殺到しているのだという。
「お年頃でしょ?」
「嫁に行くわけにはいきませんし、婿にしても今すぐどうこうということも考えられません。リリアルに関わらせるにしても、並の貴族の子息では無理です」
そもそも、彼女が建てた男爵家であり、リリアルを継ぐ者を養子として爵位を譲るのが妥当だろう。できれば……十年以内くらいに。
爵位目当て、リリアル目当ての入り婿など全く必要ではない。
「それもそうね……王妃様に嫌味を言われかねないものね」
リリアルは王妃様の肝入り・後援で設立された学院である。彼女の夫となる人物も、当然王家の許可が必要だろう。
「でも、王家が承諾した人だと、拒否できないわよね」
「……あればその時に考えます。お母様のところに来るお話は、当家の独断で決められるものではないのでお断りしてください」
「はいはい。あー 婚期が遅れるわねぇー。私があなたの年齢の時には……」
母は彼女の年齢の時には嫁いでおり、姉の年齢の時には既に姉を生んでいた。初婚の貴族の娘などというのは、二十歳前に第一子を産んで当たり前……のような風潮がある。
姉はどうなっているのだろうと一瞬思うのだが、そもそも、王国中を動き回り、夫と一緒にいる事の少ない姉がそう簡単に子を授かるとも思えない。
「お友達の中には、孫自慢をする方も現れて来たけれど、あなたたちは今少し自由な時間を過ごすのが良いと思うわ」
母は「結婚も子供も後で良い」という。それは……
「ルリリア商会を成功させなくちゃだから、孫の世話は今できそうにもないもの」
誰よりもルリリア商会に熱を入れているのは『会頭』の母であったりするからである。
父子爵と母と三人で久しぶりに食べた夕食は、心安らぐ物であった。常に学院長や冒険者として肩肘を張って生活することになる彼女にとって、未だに只の『娘』として扱われる両親との食事は楽しいものである。姉もいないので今回は特に楽しく感じた。
翌朝、茶目栗毛を連れ迎えに来た歩人が馭者を務める馬車で王宮へオラン公の件に関して報告に向かう。
「久しぶりねセバス。学院は順調かしら」
「……まあな。でも、お前がいないからあいつら大変そうだったな……でございます」
「仕方ないわよ。こちらもそれなりに苦労したもの。ねぇ」
茶目栗毛は曖昧に笑う。一度目の遠征は留守居役の一人であり、二度目の遠征では彼女を支えたのだ。どちらの苦労も理解できるので、言葉にするのは憚られる。
王宮に到着するとしばらく待たされる。彼女は茶目栗毛を従者とし控えの間で待機する。そこに、騎士団長が副官を連れて顔を見せる。
「久しぶりだな。ネデルは大変そうか」
「大変そうではなく……大変です。その為の報告ですので」
「それはそうか。つまらない事を聞いたな。いや、ネデルからの亡命者の増加が急でな。騎士団としても調整してもらうか、近衛連隊を派兵して貰わないとかなり厳しい」
ネデルの異端審問の影響はやはり王国の北部に現れている。アンデッドの襲撃も直近であった事を考えると、ミアンも聖都とその周辺も不安が高まりつつあるのだろうと彼女は理解した。