第392話 彼女は『フリンゲン』へ忍び込む
第392話 彼女は『フリンゲン』へ忍び込む
アゾルを幕営に迎えに行き、同行する二人を紹介したのだが、茶目栗毛はともかく、赤目銀髪は完全に「子供」枠の少女であり、大変驚かれたのである。赤毛娘は更に子供なので、会わせてみたくもある。
「……大丈夫なのか?」
「私を除けば、魔術師として最も操練度が高いのはこの子です」
茶目栗毛も頷く。俄かに信じがたいとでも言いたげな周りに対して、赤目銀髪は一言「守ってやるから安心して欲しい」と放言し、ルイが大きな声で笑いその場での話は終了した。
実際、赤目銀髪はドラゴンスレイヤーであり、帝国で星三の冒険者に認定されている実績もある。なにより、彼女に次ぐ魔術を用いた遠隔攻撃の技術を持つのだから、問題などあるわけがない。少なくとも、今回の潜入にはリリアル全体でも最も適した三人が参加すると自信を持って言えると彼女は考えている。
「夜動くのは良い鍛錬になる」
「見習いたいですが、危険度が跳ね上がる分神経を使いますから避けたいのは本音です。今回はゲストもいますから」
茶目栗毛の心配はその通りである。気配隠蔽のできないお荷物……依頼主を同行させるのだからその対応に苦慮すると考えているのだ。
「大丈夫よ。こんなこともあろうかと対策済みよ」
彼女は不安げな茶目栗毛に、既に問題は解決していることを告げる。
魔導船まで徒歩で歩きながら、今後の段取りを簡単に確認する。
「なにで移動する?」
「特殊な船で移動します。フリンゲンの周囲は鎖が張られているでしょうからその手前までですが」
あちらに用意していますと、川に浮かぶ少々変わった外見の船を見せる。
「これは……だが、どのように乗り込むのだ。川岸から随分と離れた位置に係留しているようだが」
仰る通りだが、心配ご無用である。彼女は、自身の魔力で川岸から魔導船まで、魔力壁の踏み板を形成する。隙間の空いた橋のようなものである」
「お先にどうぞ」
「失礼します」
最初に渡るのは茶目栗毛。手本を見せているようなものだ。ひょいひょいと川の上を何事でもないかのように渡り切り船へと降り立つ。
「手を引いた方がよろしいでしょうか?」
彼女の言葉に赤目銀髪はプっと噴き出す。カッコつかないとばかりに手を振り、アゾルは慎重に足を動かし船へと移動する。その後は残った二人がひょいと跨ぐような雰囲気で船に乗り込んでくる。
「さすが、妖精騎士といえばいいのだろうね」
「いいえ、本番はこれからですわ」
気配隠蔽ができない雇い主をどうするか。彼女はマントよりやや大きなサイズの『魔装布』を取り出し、アゾルの頭から毛布のように被せてしまう。
「寒くはないぞ!」
「いいえ。これをかぶり、私が魔力隠蔽を行った状態で魔力を布に伝えると……」
同乗しているメンバーの目の前で布に覆われた部分が認識されなくなる。
「これすごくいい」
「はぁ……魔力量と言い、操作の練度と言い隔絶してます」
「護衛対象を隠蔽するための装備として、上手く応用されましたね。流石です」
三人娘は言葉こそ違えど、彼女の発想に賞賛を贈る。勿論、他の二人も同様だ。見えないと言われ、安心半分、情けなさ半分の雇い主である。
「でも、これ、足だけ見えますね」
「ふふ、少し時期はずれかもしれないけれど、幽霊だと思われるかしらね」
連合王国の湖沼地帯には多くの精霊や幽霊にまつわる話が多い。対岸であり、古来から交流の少なくないネデル・電国においても水にまつわる幽霊・精霊の話は珍しくはない。
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水音を立てないように、ゆっくりとした速度でフリンゲンへと近づく。魔力で外輪と呼ばれる水車を動かしている為、多少、水の零れ落ちる音がするのだが、むき出しの水車よりはかなり音が小さい。歯車のきしむ音なども魔力の影響でなのかほとんどしない。余程近寄らねば、動いている事にも気づかれずにすむだろう。
「この船はとても素晴らしいね。是非……」
彼女は聞こえないふりをした。そもそも、誰がどのように扱うのか。魔導船は彼女の魔力と、それに基づく魔法袋の収納能力があって便利に運用できるのだ。魔力で言えば、オリヴィか彼女の姉くらいの魔力が無ければ運航自体かなり制限される。
「魔術師が手配できなければ無意味ですし、それほど便利なものではありません。我々だから成立する道具です」
「先生以外に持ち運べないし」
「そんなことより、見えて来たぞ」
フリンゲンの城壁が目の前に迫って来る。フリンゲンの大聖堂の尖塔は126mの高さを誇る有名なものであったと彼女は思い出した。
「ここで止めるぞ」
「お願いね」
本来、日中であればこのまま城壁を抜け運河が市内を流れているので、そのまま中へと入ることができるのだが、予想通り門は閉じられ、鎖が渡されている。
「ここからどうする」
「魔装布をかぶり、黙ってついてきてください」
「……わかった……」
無駄な質問には答えず、彼女は茶目栗毛を先頭に歩いていく。既に『気配隠蔽』を行い、城壁の上の監視からは発見されないようになっているはずだ。
そのままフリンゲンをグルりと囲む幅の広い濠沿いに門からはなれた場所へと歩いていく。死角になりそうな場所は石造の監視塔が配置されているのだが、哨戒兵は気が付く気配もない。
「この辺りで城壁を越えましょう」
いくつかある監視塔と監視塔の間を選び、まずは赤目銀髪が単独で城壁の上に自らの魔力壁の階段を形成し濠を越えて一気に駆け上がる。彼女以外でこの距離に魔力壁の階段を形成できるのは、今回の同行者では赤目銀髪だけだからだ。
城壁の上から問題なしの合図が送られてくる。
彼女が魔力壁の階段を形成し、先に茶目栗毛が、その後、彼女が「ひょい」と依頼主をお姫様抱っこし、一気に城壁の上まで駆け上がる。声にならない悲鳴を上げるアゾル。おっさんなのだが少々情けない。
同じように、城壁を降り一旦落ち着くことにする。
「フリンゲンの中に入りました。今は……このあたりです」
地面に素早く図を描き、彼女は船を止めた運河の位置と大聖堂の尖塔の位置を書き込み現在地を示す。
「なら、この辺りだ」
内堀の中の、大聖堂近くの屋敷町にその対象が纏まって居を構えている一角があるという。彼女はその近くまでは今のまま脚出し気配隠蔽で連れて行き、大聖堂近くで顔出しに切り替えると伝える。
「首から上だけ出せばさらに不気味……」
「完全に幽霊ですよね。苦悶の顔をするとなお良いです!」
衛兵を驚かせる気満々の若干二名。騒ぎを起こさせるのはあまり良いとは言えないだろう。
人の気配を確認しながら、茶目栗毛を先頭に街路を進む。巡回する衛兵を避け、人の気配の少ない場所を選んで進んでいく。王都と比べれば格段に小さな街ではあるが、ランドルに近いミアンの街のように手入れの行き届いた小綺麗な感じを受ける。
「大聖堂です」
「ありがとう。首だけ出せばいいか」
ようやく顔を出す事の出来たアゾフがきょろきょろと周りを確認する。大聖堂の位置からすると西の方角にあるという。
「あの一角が所謂街の都市貴族の館だ。人の気配のするところは一通りご挨拶に伺う」
「承知しました」
今度は首だけ出して歩く依頼主なのだが……
「ひっ!!」
声にならない悲鳴を上げる衛兵が視界に入る。どうやら、相方に話をし指をさして大騒ぎしている。
「被って下さい」
「あ、ああ」
頭の部分を隠し、今度は足元だけが見える。
「「おおおお!!!」」
空中に浮かぶ頭が消え、今度は地面から足だけが生えているように見えただろう。大声を上げ、二人はわき目も振らず逃げ出したようだ。
「伝説成立!!」
「大聖堂のそばに現れる、宙を漂う生首と、地面に生える脚ですね。きっと、肝試しスポットになりますね。観光資源です」
大聖堂があるのに、不浄なものが街中に出没するとか……多分大問題だ。
ひと際大きな館の前に到着する。総督の住居を除けば、個人宅としては最大の物なのだろう。
「ここに忍び込む」
「……その前に……犬が放たれています」
門には冒険者か雇われの護衛と思われる者の姿が見えるが、敷地の中間で人を配置することはしていないようだ。只の街の有力者であれば、当然それほど多くの護衛を手元に置いているわけがない。
その代わり、番犬を夜間は敷地の庭に放ち、侵入者対応をさせているのだろう。中には忍び込んで盗みを働く者、夜中に財産をくすねて逃げ出す使用人もいないとも限らない。庭に放たれた番犬の方が人より余程役に立つ。
「始末できそうかしら」
「任せて」
「殺すだけならそれほどでもありません」
茶目栗毛と赤目銀髪は、気配を消したまま壁を乗り越え中へと入っていく。
「……冒険者とは恐ろしいものだな」
「いいえ。あの二人が特に隠密行動が得意なだけです。もう少し力業がいつもなんです」
彼女を始めとして、正面からの制圧の方がリリアル全体としては得意である。隠密行動が得意なメンバーは少ない。それも今後の課題かもしれない。
しばらくすると、小さな悲鳴が聞こえ庭を動き回る気配が消える。
塀の上で赤目銀髪が合図をする。
「さて、参りましょうか閣下」
「できれば自分の脚で登りたいのだが」
今回は大して距離もないので、彼女が形成した魔力壁をゆっくりと踏みめてアゾルは邸内へと侵入した。
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既に屋敷の主の部屋を突き止めていた茶目栗毛に導かれ、彼女たちは気配隠蔽もそこそこに屋敷の奥へと足を進めた。王宮などと異なり、普通の下位貴族の屋敷……いうなれば彼女の実家……より少し豪華な作りであったが、何か通路に仕掛けがあるわけではなかった。
茶目栗毛が立ち止まり、「ここです」とばかりに扉の前で指をさす。中に人の気配はあるものの、一人きりのようだ。
彼女はゆっくりと音もなく扉を開ける。
「こんばんは、あなたがこのお屋敷の主でいいのかしら?」
「……誰だ貴様!! だ、誰か!!!」
大きな声を出すものの、この部屋の中は彼女の魔力壁で六面とも塞いであるため、外に音が漏れることはない。暫く叫んでいたが、キリがないので茶目栗毛に合図し、男を後ろ手に締めあげ、赤毛娘が素早く腕を縛り上げ、ついでに足をへし折る。
「がぁ!! な、何をする!」
「その言葉は、そっくり貴様らに返そう」
「お、お前……いえ、貴方様は……ナッツ卿……」
「兄の代理で推参した。随分とふざけた真似をしてくれたものだな」
やや小太りで頭の薄くなった館の主は、アゾルの顔を見て全てを悟ったようで大人しくなる。
「わ、私を殺すおつもりか……」
「いや、今のところその予定はないよ。ただ、裏切り者が裏切り者と総督に知られないのは面白くないからね。ちょっとした意思表示と、今後の君たちへの警告をしに来たというところだね」
彼女達は当然そのような事は知らされていなかったのだが、土壇場で原神子派の都市の有力者共々裏切り、自分たちだけがネデル総督府に阿る行為に走った者たちが、決して衷心から従っているわけではないということを公にする事が今回の潜入の目的であったのだろう。
「わ、私達も、みすみす異端審問で処刑されるわけにはまいりません」
「それは分かるが、罠にはめるかのように嘘をつき、我等の遠征を受け入れたのはおかしかろう。私たちの首でもバレス公に献上してご機嫌伺いでもするつもりであったのか」
「……」
あわよくばそのつもりであったようだ。この男は、州総督であるベンソン男爵が急ぎフリンゲンに戻り、戦力を整えた為黙っていたのだろうが、本来は、遠征軍の一部を受け入れ、ルイとアゾルの兄弟を宴席にでも招いて騙し討ちにするつもりであったのだろう。男爵の動きが早すぎて、自分たちの策が使えなかったのか少々悔しげでもある。
「さて、脚の一本もへし折りましたが、これでしまいにしますか?」
「……いや、この男を縛ったまま、忠義の犬の死骸と共に橋の欄干から運河にでも吊るしてやりたいのだが……」
「追加料金が必要」
「無料というわけにはいかないですね」
赤目銀髪と茶目栗毛の言葉に、アゾルは「金貨一枚だ」と伝え、彼女たちは頷いた。
翌朝、明るくなった際に運河に向けて吊るされた幾人かの町の有力者と犬の死体が大勢の目に留まる事になったのは言うまでもない。