第389話 彼女はモナステルに到着する
第389話 彼女はモナステルに到着する
モナステルはメイン川の支流を東に遡り、そこから陸路を北に20㎞程移動した場所にある司教座を持つ主要な都市である。その名前は古代語の『修道院』に因んでおり、都市の始まりが修道院の建設によることを意味している。
一昔前は、『商人同盟ギルド』に所属する『盟主都市』として栄え、主要な商人を主なメンバーとする都市貴族が市政を支配していた。
「それで、どうなったのでしょう」
今はその勢いもすっかり陰ってしまったように見えた彼女は、宿屋の女将に話の続きを促す。
「あたしの母が子供の頃の話さ」
原神子派の一派に『再洗礼派』というのがあった。帝国の宗教学者ロベルトが指導者となった集団で、ロベルトは市内の教会で司祭を務めていた。再洗礼とは、子供の頃の洗礼を認めず、成人後改めて教えに帰するために洗礼を受けなおす儀式から名づけられたもので、本人たちが名乗っているわけではないという。
「それで、モナステルだけじゃないんだろうけど、商人の富豪が街を牛耳って貴族様の真似事をしていたわけだよ。それに不満を持つ者たちが再洗礼派に集まって来たんだ」
やがでネデルの説教師『マテヤス』が加わる。この男は『千年王国』を説き、暴力による平等を唱え、再洗礼派以外の信徒をモナステルから追放、財産を没収し私財を市民に認めず共有財産とすることを命じた。
「その後、諸侯軍にモナステルは包囲されて飢餓状態に陥ったんだと」
過激な暴徒の反乱で大都市が陥落し、占拠された事に慄いた帝国は近隣諸侯の連合軍で街を包囲したという。その結果、餓死者が多数出た上、市街に諸侯軍が突入し鎮圧。指導者ロベルトとマテヤスは拷問の後に処刑されたという。彼らは「一夫多妻制」などを唱え、逆らう者は処刑していたというので、当然の結末だろう。
「だから、この街では宗派のお話がご法度なのさ。折角落ち着いた街が、また大騒ぎになっちまうからね」
それ以降、モナステルは御神子も原神子も宗派争いをする事が禁止され、己の信ずることを他人に強要する行為は厳しく取り締まられている。神の名の元に他者の信仰を『悪』と断ずる行為は否定されるのだという。
加えて言えば、「再洗礼派」は追放され、表向きこの街に立ち入ることは出来ない。
『一夫多妻はOKで一妻多夫を認めなかったのが敗因だな』
「……そんなわけないでしょう」
御神子教においては、一夫一妻に離婚を認めないということに定められている。死別による再婚は問題ないが、生前の離婚は教義に反する。そのお陰で、『結婚に不備があったので実は結婚していませんでした』という形の方便がまかり通る。それを、教皇が認める認めないで揉めることがあるのだが、それはまた別のお話。
モナステルは活気があって……という事はないが程々の都市であり、繁栄した際に整備された都市の設備が整った落ち着いた街であった。
「先生、冒険者ギルドで情報収集をしてきます」
「私も同行をします」
茶目栗毛と灰目藍髪がギルドへ向かう。その間に、碧目金髪と赤目銀髪が馬の世話をしに馬小屋へと移動していった。
「俺は、街の様子をみてくる」
「北部遠征軍の噂や、『フリンゲン』のこともお願いね」
フリンゲンとは、遠征軍が目的地とするネデル東部フリジアの商業都市のことだ。この地域は、今の神国国王の父親である先先代の皇帝の時代に直轄領となるまで「主なきフリジア」等と呼ばれていた地域なのである。
新しく帝国に、そしてネデル領の統治を受け入れた地域であることから、ネデル総督府の強圧的支配に対し強い反感を持っている……と考え、また、帝国と接した地域で関係性も密接であるところから、根拠地とするべく遠征を行っている。
とは言え、南部遠征軍が内応の前提で赴いた『ロモンド』が、ネデル総督府軍の素早い反応を受け土壇場で態度を翻した事実を忘れてはならない。
『自由な農民の国とか名乗っている奴らだ。神国国王に従わないのであれば、ネデルの原神子貴族らにもつかないと判断してもおかしくねぇよな』
元々、帝国や連合王国とのつながりを独自に築いている都市であり、オラン公との関係が都市の発展に大いに寄与するわけでもない。オラン公に与する原神子派貴族にとってフリンゲンは理想の拠点だが、受け入れる都市住民からすれば、モナステルに集まって来た再洗礼派信徒と変わらない迷惑な存在ではないだろうか。
まして、原神子派はロックシェルを始めネデル・ランドル各地で教会や修道院を襲撃し、絵画や彫像などを破壊した悪い実績が知られている。まして、ロモンドが遠征軍を拒否し、その後大いに打ち破られたことも既にフリジアの有力者に伝わっている事だろう。
「また門前払いかしらね」
『大いにあり得る』
まだ寒い日もあるこの時期、海からの吹きさらしの風が強いフリジアで何日も野営する軍に付き従うのはあまり楽しいものではないだろうと彼女は憂鬱な気持ちを感じていた。
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冒険者ギルドから戻って来た二人から話を聞く。
「そう。既にかなりの商人が護衛を雇って遠征軍を追いかけているというのね」
「少なくとも、ここまで来る途中に関して、遠征軍は問題も起さず金払いも悪くないという評判です」
南部遠征軍は、亡命貴族の私兵や臨時雇いの傭兵が中心の軍であったが、北部遠征軍はナッツ伯の騎士達を三男四男が指揮官として率いている「本命」の軍でもある。
言い換えれば、南部軍は囮、北部軍が本命であると言えばいいだろうか。周囲の都市に悪評を残しては、遠征の意味が半減してしまう。故に、軍紀も厳正にして士気が維持できる練度の兵を連れているのだろう。
糧秣の手配も十分配慮されている故に、モナステルの商人・冒険者にも十分支払えるだけの資金を用意した。その分、人数を絞った編成なのだと思われる。
「数が少ないのは悪い事ではないわね」
「ですが、ネデル総督府軍からすれば、迎撃する兵士に余裕がありそうです」
「増援が来る前に決着を付けたいでしょうね」
彼女は肯定的だが、先の南部軍の受けた仕打ちを考えると、ギルドに向かった二人は若干悲観的だろうか。
「ノインテーター来い」
「今回は、私達も頑張れるでしょうか……」
「銃じゃ首を刎ね飛ばせねぇから……銃剣で斬り飛ばすかぁ」
「……うう、それはちょっとまだ無理です。ごめんなさい」
前回の会戦では後衛であった赤目銀髪と碧目金髪は少々物足らなかったのか、今回の遠征では意欲的でもある。が、銃で不死者を殺す事はノインテーターに関しては相当難易度が高い。
首を刎ねた上で口の中に銅貨を放り込む……どう考えても銃では難しい。
「今回は、追撃される事も考えて……それから、魔導船からの反撃なら銃や弓が主力になるのだから、問題ないと思うわ」
「うわぁー 船から反撃するような逃走か……あんまり考えたくねぇな」
古来、追い詰められて川に落とされ溺死するという大敗の仕方も少なくない。海に近いネデルの地方では堤を築いて沼のような土地を排水し、また、染み出る水を水路を用いて汲み出し川へと流している。つまり、網の目のように水路が流れ、沼も多いのだ。
「泥の上でも魔導船の外輪なら進めるのでは?」
「負担が大きくて、水車が破損すると思うわ。非常事態だけでしょうね」
それなら、馬を捨てて『水馬』で逃走する方が問題ない。人数分の水馬は用意してあるので問題ないと言える。
少々高めの物価も、遠征軍が対価を支払った結果だと思えば納得できないわけではない。
「この戦争は百年続いてもおかしくないもの」
「百年戦争」
「まるで……物語の世界ですねぇ」
連合王国の王が、ギュイエ公女と結婚し連合王国の王がその両方を相続したことから始まる百年戦争の歴史。元はロマンデ公に封じた蛮族の首長が海を渡り島を占領。王家の家臣でありながら、別の国の王となった。
そして、その王が王国の中にある大領の女相続人と結婚し、王家に倍する領地を王国内に持つに至る。まして、戦争を始めた連合王国の王は、母方から王家の血を継いでいた。力で勝る連合王国の王が、王家と戦争を望み、王国を自領にしようと考えたのも無理はない。それに、彼は王国語で話し、王国語で考える王国生まれの存在でもあった。
「人の意識が変わるのには長い時間がかかるもの。百年だって短いくらいではないかしら」
「それに巻き込まれないようにした方がよさそうですね」
「孫曾孫の代まで影響されそう」
とはいえ、隣の家が火事になれば自分の家も無事では済まない。こちらに燃え広がらないようにする程度のことは必要だろう。ネデルの原神子教徒は取り合えず、「ネデルに関係ない事で増税されたくない」という理由で暴れているのだから、その程度は現実的に理解できる。
軍を育てネデル・ランドルから王国北部の諸都市を占領しようと考えている神国国王よりは遥かにましである。勿論、原神子信徒を使嗾し、王国に仇為す存在であればその限りではないが。
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不足する資材を買い足し、彼女たちは再び船上の人となる。ここから丸一日川を下れば、『干潟海』へと出ることができる。
北部遠征軍がすでにフリジアに到達しているのは、この地を通過した日時から換算すると確実と思われる。雪解けで増水した川を流れにまかせつつ下る船の上で、彼女は既に最初の結論が出ていると推測していた。
彼女が舵を握っている間、茶目栗毛と灰目藍髪は、赤目銀髪に魔力壁を形成してもらい、魔力纏いを進化させるべく訓練を繰り返している。『魔力収束』とでも言えばいいのだろうか、魔力纏いを剣の先端に集中させ威力を高める技である。
「もう少し、もっと収束させないと!!」
「それでも、先生の魔力纏いの方が上」
「何たる理不尽……ですよねぇ……」
気合を入れる灰目藍髪に、赤目銀髪と碧目金髪がそれぞれの想いを口に出す。茶目栗毛は、無言で刺突を繰り返す。刺突の技自体は問題ないレベルだが、魔力の収束は未だ苦手なのだ。気配隠蔽や魔力操作のように、薄く広く魔力を生かす事になれていることが、却って難しくさせているようだ。
「この訓練、何の意味があるんだ。いや、甲冑を纏った騎士くらい簡単にお前ら斬り落とせるだろ?」
狼人の言う通り、その程度の相手であればこんな訓練は不要だ。
「例えば……城門を破壊するとか?」
『最近、竜みたいなのも良く出会うだろ? それに、吸血鬼の貴種辺りになれば、魔力を常時纏いプレートより硬い外皮を持つようになる。心臓に銀の刺突剣を刺し、魔力の制御を鈍らせたうえで首を刎ね落とすくらいの工夫はお前以外にも必要だからな』
ノインテーターのような促成の吸血鬼・不死者ばかりではなく、本来帝国で討伐すべきは『貴種・原種の吸血鬼』なのだ。今のところ、ネデルに関わる吸血鬼の情報は入手できていないが、帝国に滞在している理由はそれが根本にある。
王国を守る都合上、オラン公と王国の間に関係を結んだ故に、彼女たちは寄り道をしているに過ぎない。この遠征が終われば、一旦王都に戻り報告を行った上で、指示を仰ぐことになるだろう。
こうして、魔力が程々に厳しくなるまで三人は訓練を重ねていった。結果は残念ながら今のところ出ていない。
川を下り、河岸にはどうやら遠征軍の一部らしい兵たちが見え隠れするようになっていた。岸に魔導船を寄せ、狼人に遠征軍の本営がどこにあるのか確認をして貰う事にする。他は皆、少年少女であるから相手にされない可能性もあると考えたからだ。
「わかったぞ。まあ、予想通り、街は門を閉ざしたまんまらしい」
フリンゲンまで進軍したものの、街の中に遠征軍は入れて貰えず、『開城を検討中。しばし時間を』と言われ拒まれたのだという。
「フリジア総督の軍が迫っているのではないでしょうか」
茶目栗毛が言葉を継ぐ。フリンゲンはフリジアの中心都市であり、街の衛兵の他、フリジア総督指揮下の軍も駐留している。総督が中にいれば、フリンゲンの指導者たちは抵抗することも開城もしがたい。
「またか」
「またですね……」
溜息をつく赤目銀髪と碧目金髪。時間的な差はあったとしても、南部遠征軍が動いた時点で、総督は防備を固める指示を出し待ち構えていたのだろう。
フリンゲンの街をそのまま包囲するには遠征軍の数は少なすぎる。歩兵が四千弱、騎兵が二百程度である。それに、思わしくない話が付け加えられる。
「フリンゲンの街の援助が前提で遠征を始めているから、糧秣が乏しいのだそうだ」
「……なんてことかしら……」
敵地ど真ん中で兵糧切れともなれば、傭兵を中心とした軍隊は霧散しかねない。今のところ落ち着いていられるのは、バラバラに逃げても総督府軍に追撃されたり、近隣の街に少数の兵士で近寄れば逆に殺されると感じているからだろう。
「一先ず、指揮官のところに顔を出しましょう。このまま回れ右をするわけにもいかないでしょうから」
『いや、別にいいんじゃねぇの。王国の戦争じゃないんだし』
『魔剣』の胡乱な言葉に耳を貸さず、彼女は一先ず遠征軍の指揮官であるオラン公の弟たちを訪ねる事にした。
街道を進み、アップダムと呼ばれる川沿いの街に近づく。話では、この街に遠征軍の本営が設置されていると聞いたからだ。城壁もなく、少々寂れた感はあるが、街の規模はなかなか大きく見える。川沿いの倉庫が連なり、恐らくはフリンゲンの郊外にある物流拠点なのだろう。
そして、街の中から悲鳴や大きな声が聞こえてくる。
「……『竜』が現れた……と聞こえたわ」
彼女はメンバーに視線を送ると、先頭を切って馬をとばし始めた。